学位論文要旨



No 125134
著者(漢字) 井上,まどか
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,マドカ
標題(和) ロシア<帝国>の宗教と政治~帝政期から現代まで
標題(洋)
報告番号 125134
報告番号 甲25134
学位授与日 2009.04.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第691号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 島薗,進
 東京大学 教授 鶴岡,賀雄
 東京大学 教授 市川,裕
 青山学院大学 教授 袴田,茂樹
 一橋大学 教授 深澤,英隆
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、ソ連邦崩壊の前夜(1980年代後半)から2000年代前半までのロシア連邦における政治と宗教の関係を、制度と思想の両面からあきらかにしようとする試みである。1980年代のナショナリズム研究、1990年代から2000年代にかけての「帝国」研究の蓄積により、現代のロシア連邦を分析するひとつのアプローチが確立してきた。それは帝政期とソ連期と現代のロシア連邦のあいだに、断絶面ではなく連続面を見出そうとする視座に基づくものである。本稿も基本的にはこうしたアプローチを共有している。

これは、ソ連体制やその後のエリツィン政権、プーチン政権を否定的ニュアンスとともに「帝国」と断じるようなジャーナリスティックな用語法とは異なるものであり、「帝国」内の多民族統治をめぐる研究によって洗練されてきた視座である。多民族を統治する「帝国」的手法のひとつとして言語政策をあげることができるが、本論文では帝国による多民族統治における宗教の重要性に注目する。宗教を通じた帝国的統治という観点から、ソ連期および帝政期に遡り、その検討を通じて現代ロシア連邦における政教関係を分析する一助とする。導入がすすめられている公立学校における宗教教育をはじめ、現在の宗教政策は、西側の政教分離の理念からは逸脱とみなされうる。それは個人の信教の自由を侵害しているとの批判にもつながるが、そのような政教関係の素地をかたちづくってきた宗教政策の歴史を、帝国的統治という視点から明らかにするのが制度論を構成する第1部「制度論――政教関係の展開である。

第2部「思想論――ロシア正教思想とその周辺では、ロシア正教やその周辺の思想において政治と宗教がどのように考察されてきたのかを、帝国的統治という観点から検討している。政治と宗教の関係は、「世俗の世界」と「神聖なる世界の関係と言い換えることもできる。1950年代から1970年代前半までの宗教社会学の研究では、「神聖なる世界」の縮小ないし消滅、および「世俗の世界」の自律化ないし拡大が世俗化論として展開された。近現代世界においては政教分離が進み、世俗主義が中心となり、ウェーバーが世界の「呪術からの解放」と呼んだ近代化・合理化がますます進行するという考え方である。この潮流は1970年代後半頃に流れを変え、宗教復興という現象に注目が集まると同時に、西欧近代的な「宗教」概念が特殊西欧的な「近代の経験」に根差したものであることが指摘されるようになった。

そして、1990年代になると、「世俗の世界」が「神聖なる世界」から独立した自律的領域である、という考え方それ自体が西欧起源の考えであると、イスラムを対象とする人類学研究者T.アサドによって指摘され、世俗主義という概念の特殊性があきらかにされた。この考え方からすると、政治と宗教は、両者が互いに自律的で、明確に分離できるような問題構制ではない、ということになる。本論文では、こうした研究をふまえて、政治と宗教がそれぞれ独自の領域を形成しているという前提に限界があることに自覚的でありつつも、あえて両者を「と」で結ぶことによって、政治的なるもの(世俗の世界)と宗教的なるもの(神聖なる世界)をめぐって、帝国的統治と結びつくどのような言説が編成されてきたかをあきらかにする。分析の対象となるのは、ロシア正教会の公式文書(「正統な思想」)、ソルジェニーツィンのテキストおよび19世紀半ばの初期スラヴ派と呼ばれる思想家ホミャコーフのテキストである。

序章では、「世俗化」、「帝国」、ナショナリズムをめぐる議論を検討することで、本稿の分析視座を彫刻した。それらの先行研究をふまえつつ、筆者の関心は、帝国的統治における宗教の位置を制度史・政策史的視座からあきらかにすること、また、政治的領域と宗教的領域についてどのように語られてきたのかを系譜的にあきらかにする点にあることを論じた。後者は、広く従来のロシア文化論を相対化する意図も備えている。また、表題にある「ロシア<帝国>」という表現は、領土的には、ソ連邦崩壊後に縮小したものの、帝政ロシアとソ連期にはほぼ同じであること、また現代に至るロシアの統治体制を表現するには「帝国」的という言葉を用いたほうが適切であること、ただし、この「帝国」の理解のためには、「ロシア」や「ロシア共和国」の位置の特殊性の分析に基づく「帝国」モデルの練り上げが不可欠であることなどを論じた。

第1章においては、政治と宗教を制度史・政策史の面からみた場合、大きな変化があった時期をとりあげ、制度的・政策的変更がどのようなものであったか、それがどのように運用されていたか(あるいはされなかったか)について、大きく4期に分けて分析を試みた。とりあげたのは、ピョートル一世治世下(1682~1725年)の総主教区の廃止と宗務院(シノド)開設(1721年)をはじめとする制度改革、エカテリーナ二世治世下(1762~1796年)の対ムスリム政策からなる第一期、ニコライ一世治世下(1825-1855年)の「ロシア化」政策を画期とする第二期、帝政末期の宗教寛容令に基づく宗教政策が展開した第三期、ソビエト体制確立期の政教分離政策および、それに続く時期の民族政策からなる第四期である。これらの考察を通して、宗教政策から見た場合、多民族の統治は一律なものではなく、地域・民族によって異なっていたこと、ムスリムが支配的な地域においてはムスリム聖職者や知識人を通じた統治が行われたことをあきらかにした。そしてこうした帝国的統治のありかたが、現代における宗教政策と連続している側面を強く持つことを指摘した。

第2章においては、ソ連崩壊後の宗教関連法の整備について検討を行った。「良心の自由・宗教結社」法(1997年)をはじめとする宗教関連の法や政令が、ロシアの国力の衰退期に欧米諸国やローマ・カトリック教会の人権外交の攻勢を受けるなかでどのように成立し、運用されているか、という点をあきらかにした。

第3章においては、2000年前後より導入が試みられた国公立学校における宗教教育について考察を行った。当初、「正教文化」の教育として国公立の学校に導入された宗教教育は、「信教の自由」をめぐる問題を生じさせ、社会的摩擦を生んだ。この点について、国際比較の視点を交えながら、ロシアにおける問題の固有性をあきらかにした。さらに、この宗教教育の試みが、イスラム文化や仏教文化の教育の必要性の議論を活性化したこと、またその導入も地域による差異がみられる点を指摘し、そこにロシアにおける帝国的統治の連続性があることを論じた。

第2部の最初の章、第4章においては、ロシア正教会の正統的な思想における愛国思想を見たうえで、ソルジェニーツィンが政治的提言を試みている一連のテキストにおける政体論を分析した。政体論という観点からみた場合、彼の主張は地方分権的な民主主義と専制の共存を唱える点で独自である。この特異な共存を可能とするものとして、生来のものでもあり、かつロシア正教によって涵養される、民衆と専制君主それぞれの「徳」の重要性が強調されているのである。

そして、第5章ではソルジェニーツィンの君主政体論と対極にある、19世紀後半の初期スラヴ派論客ホミャコフの教会論を取り上げて検討している。ここでは、今日においても影響力の大きい「ソボールナスチ」論の先駆である彼の教会論が特殊から普遍への経路をつなぐことで今日においても示唆深い、独自の帝国論たりえていることを見た。

結語では、それまでの議論を振り返りながら、ロシア型の帝国モデルが(近年指摘されるような)「中心なき多元空間」としては捉えきれないものであることを論じた。確かに、多元空間は存在するものの、それは「中心なき」というよりは中心が十分な形で中心たりえないことの帰結であると言うべきである。すなわち、一方でロシア正教と結びついた中心化=ヘゲモニー形成の動きを有しつつも、中心化され得ない周縁の多様性のゆえに、それとの妥協や交渉を余儀なくされるのがロシア型の帝国モデルであると筆者は考えている。この帝国モデルは、宗教と国家の「パートナーシップ・モデル」でもある。これは西側の世俗国家原則からみた場合、逸脱であり、市民的公共性に対する抑圧をもたらしかねない脅威とみなされがちである。こうした評価は確かにその一面を言いあててはいる。しかし、考慮に入れられる必要があるのは、ソ連崩壊後のロシアの現実においては、西側の法的権利、自由といったものは、圧倒的多くのロシア人にとって、情け容赦もない「野蛮な」市場経済の只中に投げ込まれること以外ではなかったということである。こうした状況下では、医療、福祉、教育における宗教界の役割が市場経済に対するクッションにもなり得るのである。パートナーシップにもとづくロシア型帝国を圧倒的多くのロシアの人々が、市場社会の鉄の檻ほど過酷でないと思うことを、一方的な価値判断に基づいて裁断するのにも無理があるだろう。パートナーシップ・モデルがどのような展開をみせるかは、今後も注意ふかく検討していく必要がある。ただ、同時に、その素地をかたちづくるロシアの政教関係をめぐる歴史・思想史への理解を一層深めることを課題として、本稿をしめくくる。

審査要旨 要旨を表示する

井上まどか氏の「ロシア〈帝国〉の宗教と政治――帝政期から現代まで」は、現代ロシアの政教関係の変容を記述するとともに、その制度史的、思想史的背景を帝政期にまで遡って考察し、さらに現代世界の政教関係論の動向に照らして理解しようとする試みである。

井上氏は第1部の「制度論」で1990年代以降のロシア連邦の宗教制度の展開をたどり、その意味を説き明かす。ソビエト連邦崩壊後、信教の自由が掲げられるが、やがて国外や新興の宗教勢力の影響を抑え、実質的に正教会の地位を高めるための政策が採用されていく。2002年の「ロシア連邦における伝統的宗教組織について」の法案や03年の「国家と宗教組織の社会的パートナーシップについて」の法案は、国教制度や公認宗教制度への接近を明快に表現している。また、学校での「正教文化の基礎」等の教科の導入は、国家と「伝統的宗教組織」の協力関係の進展をよく表すものである。1990年の「信仰告白の自由」法は、世俗主義の政教分離規範に沿うかに見えた。だがその後、国民国家的な世俗主義理念は「擬態」化されていく。多様な「伝統宗教」を包含し、それぞれに一定の地位を与える統治の方式は、むしろ帝政期の宗教施策に通じるものがある。この観点から、井上氏は俗人による宗務院制度を構築したピョートル一世治世下(1689-1725)の「世俗化」政策や、ニコライ一世治世下(1825-55)のナショナリズムの言説状況において、正教会に大きな政治的役割が負わされていった経緯を再考している。

第2部の「思想論」では、1990年代以降の宗教的「愛国主義」と1840年代のナショナリズム台頭期の教会論を照らし合わせ、国家と宗教を関係づけるロシア的な言説の特徴が探究される。90年代のソルジェニーツィンの政体論では、正教的な美徳を身につけた人々が形作る「小空間の民主主義」と他民族を包摂するロシア人の民族的精神性が論じられる。他方、1840年代に著されたホミャコーフの「教会はひとつ」では、多様性を含み込んだ共同性の理念として「ソボールナスチ」が唱えられている。どちらの場合も、国家統合より多様性を許容する自発的な宗教的共同性に希望が託されている。

井上氏は宗教と国家の関係について、帝政期を引き継ぎつつ冷戦後のロシアで制度や思想の模索がなされているとし、国民国家とは異なる〈帝国〉的な伝統の顕在化に関わるものと捉える。そして、ロシアのナショナリズムを公定ナショナリズムと特徴づけたB.アンダーソンや西洋をモデルにして宗教復興を論じたJ.カサノヴァの「公共宗教論」を批判し、M.フーコーの「統治の技術」論やT.アサドの「宗教」概念批判論に依拠し、世俗主義的国民国家を規範とした比較考察からの脱皮を促している。

取り上げられている時間や論題が広がりすぎてまとまりが弱くなっていること、個々の考察素材の掘り下げも足りないことなどの欠点はあるが、比較展望の下にロシアの政教関係の新たな見取り図を提示しようとした野心的な労作である。よって審査委員会は本論文が博士(文学)の学位を授与するに値するものと判断する。

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