学位論文要旨



No 125146
著者(漢字) 木村,琢磨
著者(英字)
著者(カナ) キムラ,タクマ
標題(和) 人的資源ポートフォリオ論の再構築
標題(洋)
報告番号 125146
報告番号 甲25146
学位授与日 2009.04.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第266号
研究科 経済学研究科
専攻 企業・市場専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,博樹
 東京大学 教授 森,建資
 東京大学 教授 佐口,和郎
 東京大学 教授 仁田,道夫
 東京大学 教授 中村,圭介
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、企業が直接雇用する労働力(主として正社員)と社外労働力の適切な組み合わせに関する理論(人的資源ポートフォリオ論)の再構築を試みるものである。本研究でいう「社外労働力(者)」とは、請負労働者・派遣労働者など、企業が雇用関係なしに事業所内で活用する人材のことをいう。

近年、企業では社外労働力の活用が増加しているが、人的資源管理論の研究は、直接雇用の労働力のみを対象としたものが大半であり、社外労働力の活用を理論的・分析的枠組みに組み込む努力は乏しかった。そこで本研究では、直接雇用の人材と社外労働力の組み合わせに関する先行研究を整理した後、社外労働力の活用状況について、これまで研究の少なかった製造業の製造部門と設計部門における状況を述べた上で、先行研究で提示された理論に基づいた実証分析を行う。そして、そこから導出された新たな論点に基づき、人的資源ポートフォリオの構築に関する仮説を設定し、その実証を試みた。

第1章から第3章では、以後の実証分析における理論的基礎を整理するため、先行研究のレビューを行った。

第1章では、労働力を自社で雇用すべきか、それとも外部の社外労働力を活用すべきか、という「雇用の境界」の議論の基礎となっている、組織の経済学の研究領域に属する「企業の境界の理論」について整理した。これらの先行研究では、「企業の活動範囲の境界線をどこに置くか」という企業の境界を考えるうえで重要な概念である取引コストの理論を応用する形で、雇用の境界が考察されている。近年は、業務に関する権限と機会主義的行動との関係、企業が有するケイパビリティに基づいて雇用の境界が議論されるようになっている。これらの議論では、企業の境界と雇用の境界は明確に区別されていない。また、「内製か購買か」という二者択一の議論であり、直接雇用と社外労働力活用をいかにして適切に組み合わせるか、という視点はない。

第2章では、社外労働力の活用と組織パフォーマンスとの関係を分析した先行研究を整理した。企業が社外労働力を増加させることに伴い、社外労働力の活用の企業業績への影響に関する実証分析することに研究上の注目が集まった。これらの実証研究の多くは、社外労働力の活用が定性的な組織パフォーマンスに与える負の影響を見出すものであった。また、社外労働力の活用と財務パフォーマンスとの関係を解明する分析も行われた。しかし、これらの研究には「直接雇用と社外労働力活用との適切に組み合わせ」という視点はなく、社外労働力の人数の増加という「量的基幹化」のみに着目し、社外労働者の担当業務の範囲の拡大という「質的基幹化」に関する分析は行われていなかった。

第3章では、直接雇用と社外労働者の組み合わせの理論である人的資源ポートフォリオ論の主要な研究を整理した。これらの理論の端緒となったAtkinson(1985)の「柔軟な企業モデル」は、第3章で整理した伝統的理論との関連が薄かったが、その後、取引コスト理論やケイパビリティの理論を応用したモデルがBaron & Kreps(1999)や、Lepak & Snell(1999)の人的資源アーキテクチャ論によって展開された。

Baron & Krepsや、Lepak & Snellは、正社員や社外労働力などの就業形態と職務内容との最適な組み合わせを理論的に設定することによって、適切な質的基幹化のパターンのモデルを構築した。これは、雇用の境界線が主として知識・技能面での質的基幹化の限界線によって決定されることを意味していた。ただしこれらは、企業が実現すべき人的資源ポートフォリオの規範的モデルを仮説として提示したものであり、その実現が組織パフォーマンスに貢献することを証明したものではない。

第4章では、製造部門における社外労働力の活用実態を、公表データおよび実態調査結果によって示した。製造部門では、1990年代以降、業務の繁閑に応じた労働力量の調整とコスト削減を主な目的として、事業所内業務請負の形で社外労働力の活用が増加した。請負労働者は、習得の容易な単純作業において恒常的に活用されていることが多い。

第5章では、製造業の設計部門における社外労働者の活用実態を公表データおよび実態調査結果により分析した。設計部門では、労働者派遣の形で社外労働力の活用が増加している。活用の理由は製造業務と同様に、労働力量の調整とコスト削減であり、企画的要素の強い上流工程は正社員、作業的要素の強い下流工程は派遣労働者という職域分担がなされていることが多い。しかし、正社員と同様の業務を担当する派遣労働者もおり、必ずしも派遣労働者の職務範囲が狭く限定されているわけではない。

第6章では、人的資源ポートフォリオ論の現実的妥当性を検証するための実証分析を行った。製造業の製造部門への調査データを用いた分析によれば、Baron & KrepsやLepak & Snellが提示した知識・技能面での質的基幹化のあり方と、組織パフォーマンスとの間に関連は見られなかった。社外労働力の活用によってパフォーマンスが低下している職場では、社外労働力の離職率が高いことが明らかになった。社外労働者の定着化を進めるためにはキャリアパスの設定が必要になるが、それは、知識・技能面での社外労働力の質的基幹化を進めれば組織パフォーマンスの低下は避けられるという論理につながる。 よって、従来の人的資源ポートフォリオ論のモデルでは、知識・技能面での過度な質的基幹化は組織パフォーマンスを低下させると想定されているものの、知識・技能では雇用の境界を説明できないことが分かる。

第7章では、以上で行った先行研究のレビューと実証分析の結果に基づき、人的資源ポートフォリオ論の問題点を整理した。人的資源ポートフォリオ論の重要な問題点は、それが静学的なモデルになっているという点である。人的資源管理は、時間の経過に伴う人的資源の知識・技能水準の向上、および中長期視点に基づく人員計画という主に2つの点で、動学的な視点に基づいて行わなければならない。よって7章では、知識や技能ではなく、職務権限の配分とキャリア形成の可能性が、直接雇用と社外労働力活用との選択の論理の軸になるという仮説を設定した。

第8章では、職務権限理論に基づく権限の類型化を行ったうえで、アンケート調査のデータにより、職務権限と雇用の境界との関係を分析した。知識・技能面で社外労働力の質的基幹化を進めている職場は存在しているが、それによって組織パフォーマンスに悪影響が出ているという傾向はない。一方、企業は、組織内で部署を越えた広範囲にわたる拘束力を及ぼす職務権限は社外労働力には任せず、直接雇用した人材に行わせていることが明らかになった。ここから、委譲される職務権限の範囲によって、雇用の境界線が描かれていることが分かった。

第9章では、事例調査に基づき、キャリア形成機会と雇用の境界との関係、および職務権限と雇用の境界との関係について、第8章で検証できなかった点について分析を行った。正社員と社外労働者の使い分けは、一時点での労働力の必要性のみならず、中長期的な要員計画に基づいて行われていた。正社員と同様の業務において長期的に社外労働者を活用している場合、それは中長期的にキャリア形成機会の提供が困難なことが理由となっていた。換言すれば、正社員雇用はキャリア形成機会の保障が可能な範囲にとどめられており、キャリア形成機会の保障可能な範囲が雇用の境界の1つの決定要因となっていた。また、社外労働者の知識・技能面での質的基幹化が進むことがあるが、その場合に業務に関する実質的権限が社外労働者に移され、知識・ノウハウのブラックボックス化という問題が生ずることも見出された。

終章では、全体のまとめと結論、および本研究のインプリケーションを述べた。本研究の主な貢献は、人的資源管理における人的資源ポートフォリオの考え方の重要性を指摘したことと、人的資源ポートフォリオの構築における動学的な論理を明らかにしたことである。従来の人的資源ポートフォリオ論では、業務に必要とされる知識・技能の水準が、雇用の境界を決めるものとされてきた。しかし、人的資源の知識・技能は向上するものであるから、雇用の境界を決定づける要因とはならない。

社外労働力という社外の主体の職務範囲を限定することの論理的基礎は、知識・技能よりも権限に求められる。企業では、他の作業組織の行動を拘束することにつながる権限は、社外労働力には委譲されていない。職務権限の範囲が、社外労働力の活用範囲の限界線となっており、「雇用の境界」の決定要因となっている。

また、長期的に存在し、企業にとって重要な知識・技能を要する中核的業務であっても、直接雇用のうち長期の雇用関係を前提とする正社員は、中長期的なキャリア形成の保障が可能な範囲内にとどめられる。正社員雇用はキャリア形成の保障が可能な範囲に限定し、キャリア形成の保障が不可能な領域では、他の組織を拘束する権限が求められる場合は有期雇用の従業員、求められない場合は有期雇用または社外労働力の活用を選択するというのが、動学的視点を取り入れたポートフォリオモデルとなる。そして、それぞれに配分する業務は、個々の人材の知識・技能や、社外労働力の場合は雇用主である請負会社・派遣会社の人材育成能力などを考慮して、適材適所の配置をすればよいものと考えられる。

また、本研究で提示したモデルは、過度な権限の集中による、少数精鋭化された正社員の負担の増加や、労働市場の需給状況にアドホックに対応した人材調達に対して警鐘を鳴らすものでもある。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、人材活用において企業が直接雇用する労働力と企業とは雇用関係のない社外労働力の両者の組合せに関する理論(人的資源ポートフォリオ論)の再構築を試みるものである。ここでの「社外労働力」は、請負社員・派遣社員に代表されるもので、雇用関係なしに企業が自社の事業所内で活用する人材を指す。

近年における企業の人材活用をみると、社外労働力の活用が多様な職種において量的だけでなく、高度な業務においても活用が進展するなど質的にも増加している。しかし、従来の人的資源管理論にかかわる実証的な研究や理論(人的資源ポートフォリオ論など)は、直接雇用の労働力を対象としたものが大半を占め、社外労働力の活用を実証的、理論的に把握する研究はきわめて少なかったと言える。こうしたことから本研究では、直接雇用の労働力と社外労働力の組合せに関する先行研究を整理し、その上で、製造業の製造部門と設計部門における社外労働力の活用に関して実証分析を行い、明らかにされた論点に基づき、社外労働力を含めた人的資源ポートフォリオ論のうち、「雇用の境界」(直接雇用と社外労働力の範囲)に関して新たな仮説を設定し、その実証を試みる。

企業の人材活用における人的資源ポートフォリオ論では、「雇用の境界」の確定を踏まえ、「雇用形態の選択」(直接雇用する人材の雇用形態)と「社外労働力の選択」(派遣や請負など)が行われることになる。本研究では、人的資源ポートフォリオ論のうち「雇用の境界」を取り上げ、直接雇用の労働力と社外労働力の「活用範囲」を決める論理、つまり社外労働力の活用では代替できない直接雇用による労働力の「活用範囲」、逆にいえば、社外労働力の「質的基幹化」の上限を確定する理論の構築を目指すものである。

本論文の構成はつぎのようになる。

序章 本研究の課題

第I部 人的資源ポートフォリオ論の先行研究

第1章 雇用の境界に関する伝統的理論

第2章 社外労働力の活用と組織パフォーマンスに関する研究

第3章 人的資源ポートフォリオに関する理論

第II部 社外労働力活用の現状:製造業を事例として

第4章 製造部門における社外労働力の活用

第5章 設計部門における社外労働力の活用

第III部 人的資源ポートフォリオ論の課題:実証分析

第6章 人的資源ポートフォリオの実際

第7章 人的資源ポートフォリオ論の問題点

第IV部 人的資源ポートフォリオ論の再構築

第8章 職務権限と雇用の境界

第9章 キャリア形成機会と雇用の境界

終章 要約と結論

補論1 製造業務請負業の経営管理

補論2 戦略的人的資源管理論の再構築

各章の内容の要約・紹介

各章の内容を要約して紹介すると、以下のようになる。

第I部「人的資源ポートフォリオ論の先行研究」

実証分析における理論的基礎を整理するため、直接雇用の労働力と社外労働力の活用の境界設定に言及している理論的・実証的な先行研究のレビューを行う。

第1章 雇用の境界に関する伝統的理論

労働力を自社で直接雇用すべきか、それとも外部の社外労働力を活用すべきか、という「雇用の境界」に関する議論は、「企業の活動範囲の境界線をどこに置くか」という「企業の境界」の議論が応用される形で行われている。企業の境界に関する議論が依拠している主な理論は取引コスト理論であり、また、機会主義的行動に関する理論や企業のケイパビリティ理論に基づいても雇用の境界が議論されている。これらの議論では、「企業の境界」と「雇用の境界」は、概念として明確に区分されていない。また、「内製か購買か」という二者択一の議論であり、直接雇用の労働力と社外労働力の活用をいかにして適切に組み合わせるかという視点はない。

第2章 社外労働力の活用と組織パフォーマンスに関する研究

社外労働力の増加は、わが国のみならず、欧米諸国の企業にもみられる現象である。企業が社外労働力の活用を拡大させることに伴い、その活用が企業業績や組織パフォーマンスに及ぼす影響を実証的に明らかにする研究に関心が集まることになった。こうした実証研究の多くは、社外労働力の活用が組織パフォーマンスに負の影響をもたらすことを明らかにするものであった。ただし、企業業績に関する研究では、財務業績を従属変数として用いる分析も行われたが、業績に与える他の要因を統制しきれないこと、財務指標の構造的な問題点などによって、社外労働力活用が業績に及ぼす影響を十分に把握することができていない。またこれらの研究では、社外労働力の数的増加(構成比率の上昇)という「量的基幹化」のみに着目したものであり、業務範囲の拡大・高度化という「質的基幹化」が考慮されていない点に課題が残された。

第3章 人的資源ポートフォリオに関する理論

直接雇用による労働力と社外労働力をいかにして適切に組み合わせるかという労働力の「組み合わせ」の論理は、Atkinson(1985)の「柔軟な企業モデル」を端緒とする。しかしAtkinsonの研究は、第2章で整理した伝統的理論とは関連が薄いものであった。その後、取引コスト理論やケイパビリティ理論を応用しつつ、労働力の適切な「組み合わせ」を取り上げる人的資源ポートフォリオ論がBaron & Kreps(1999)やLepak & Snell(1999)の人的資源アーキテクチャ論によって展開された。Baron & KrepsやLepak & Snellは、直接雇用の労働力や社外労働力など人的資源のタイプ別に、それぞれの活用に適している職務内容を提示し、従来の研究では見落とされていた質的基幹化の「適切なあり方」という視点を理論モデルに組み込んでおり、この点において「雇用の境界」が質的基幹化によって決定されることを示唆するものであった。

ただし、これらの人的資源ポートフォリオ論は、企業が人材活用において実現すべき「適切な組み合わせ」を規範的なモデルとして提示されたものであり、実際にそうした人的資源ポートフォリオを実現していることと組織パフォーマンスが、プラスの相関関係にあることを証明したものではない。

第II部 社外労働力活用の現状:製造業を事例として

社外労働力の活用に関して実証的な研究が少ない製造業の製造部門と設計部門に焦点を当て、独自の調査結果に基づき、社外労働力の活用状況を概観する。

第4章 製造部門における社外労働力の活用

製造業の製造部門の製造業務では、1990年代以降、事業所内における業務請負の形で社外労働力の活用が増加した。活用理由は、主として業務の繁閑に応じた労働力投入量の調整とコスト削減にある。業務請負による請負労働者の活用は、業務量に応じて配置人数が増減されるものの、季節的・臨時的でなく恒常的に活用されるのが一般的な活用形態である。最近では、監督業務など非定型的な判断を要する業務も請負労働者が担うようになってきているが、一般的な傾向としては、請負労働者には習得の容易な単純作業が任されることが多い。

第5章 設計部門における社外労働力の活用

製造業の設計部門でも、労働者派遣の形態で社外労働力の活用が増加している。活用理由は生産部門の場合と同様に、労働力投入量の調整とコスト削減にあるが、設計部門の設計技術職では、製造業務に比べて、高い技能水準を必要とする範囲まで労働者派遣の形態で社外労働力の活用が進んでいる。設計部門における社外労働力活用の一般的傾向として、企画的要素の強い上流工程は正社員、作業的要素の強い下流工程は派遣労働者というように両者の職域分担がなされている。しかし、正社員と同様の業務を担当し、設計技術者としては正社員以上の技能を持つ派遣労働者も存在し、必ずしも派遣労働者の職務範囲が狭く限定されているわけではない。

第III部 人的資源ポートフォリオ論の課題:実証分析

人的資源ポートフォリオ論は規範的モデルであり、その現実的な妥当性が実証されていない。そこで、人的資源ポートフォリオ論の基本的な考え方を検証する形で実証分析を行い、研究上の課題を明らかにする。

第6章 人的資源ポートフォリオの実際

本章では、製造業の製造部門の人材活用に関する調査データを用いて、社外労働力の活用が組織パフォーマンスに及ぼす影響に関する計量分析を行う。説明変数には量的基幹化と質的基幹化(業務の難易度・正社員のキャリア形成への影響度など担当業務の範囲で定義する)などを用いる。分析結果では、量的基幹化や質的基幹化は、組織パフォーマンスを低下させる要因とはなっていない。他方、社外労働力の活用によってパフォーマンスが低下している職場では、社外労働力の離職率が高いことが明らかとなった。社外労働力の定着化を進めるためには、請負労働者としてキャリア形成が可能となる仕組みが必要となるが、それは社外労働力の質的基幹化に結びつくことを意味する。従って、質的基幹化を進めれば、組織パフォーマンスの低下が避けられることになる。

これまでの人的資源ポートフォリオ論は、過度な質的基幹化は組織パフォーマンスを低下させることを想定しているが、本章の分析によれば、質的基幹化を進めることが組織パフォーマンスの低下を回避することに寄与するものとなった。実際に事例調査では、質的基幹化の進展によって組織パフォーマンスが低下しているという関係はあまり見られず、従来の人的資源ポートフォリオ論が主張したように「質的基幹化」が「雇用の境界」の決定要因とはならないことが想定される。

第7章 人的資源ポートフォリオ論の問題点

人的資源ポートフォリオ論は、労働力活用の組み合わせに関する規範的モデルであるが、それは現状の人材活用における一般的傾向としての労働力の組み合わせとかなりの程度まで一致している。しかし実際には、人的資源ポートフォリオ論が想定するよりも質的基幹化が進んでいる場合であっても、組織パフォーマンスの悪化につながるという傾向は見いだされないのである。

さらに、人的資源ポートフォリオ論の問題点は、静学的なモデルである点にある。実際の人的資源管理は、時間の経過に伴う人的資源の知識・技能水準の向上、および中長期視点に基づく人員計画という主に2つの点で、動学的な視点に基づいて行わなければならない。

上記の2つの点を踏まて、「雇用の境界」を確定する仮説構築のために、知識・技能に加えて、職務権限とキャリア形成機会の2つを、人的資源ポートフォリオ論の「新しいモデル」に導入することを試みる。社外労働者が保有する知識・技能は勤続に伴い上昇することが多く、知識・技能では「雇用の境界」を定めることはできないことによる。企業にとっては、誰に意思決定権限を持たせるのか、どこまで権限を委譲するかという権限範囲の決定が、直接雇用と社外労働力活用の選択に影響すると考えられる。さらに、中長期的視点での人的資源管理を考えれば、中核的な仕事であっても、将来のキャリア形成機会が保障できなければ、長期雇用とキャリア形成を前提とした正社員として雇用できないことになろう。

以上から、直接雇用の労働力と社外労働力の活用の選択の論理、とりわけ「雇用の境界」を確定する仮説を構築するために、知識・技能を人的資源ポートフォリオ論の軸とするのでなく、職務権限の配分とキャリア形成機会の可能性に着目することが重要であると仮定し、次章以下で検討を行う。

第IV部 人的資源ポートフォリオ論の再構築

前章で述べた先行研究における課題の検討に基づき、人的資源管理の動学的側面を人的資源ポートフォリオ論に組み込むために、職務権限とキャリア形成機会に着目したデータ分析、事例分析を行う。

第8章 職務権限と雇用の境界

伝統的な経営管理論の中で組織管理の基礎とされてきた職務権限は、人的資源管理においても重要な概念であるにもかかわらず、人的資源ポートフォリオ論では分析概念に組み込まれてこなかった。本章では、職務権限理論に基づいて職務権限を分類し、その権限配分の状況が直接雇用による労働力と社外労働力の活用の境界線を決定づけていることを実証する。

人材活用に関するアンケート調査の分析によれば、企業は、知識・技能面でみると社外労働力にも重要な業務を任せることがしばしばあるものの、組織の中で広範囲にわたって拘束力を及ぼす職務権限を伴う業務については社外労働力に任せず、直接雇用した労働力に担当させていることが明らかにされた。

第9章 キャリア形成機会と雇用の境界

製造業では、社外労働者の質的基幹化を進め、長期的に活用している職場が多く存在することが明らかにされている。人的資源ポートフォリオ論では、こうした社外労働者の活用は、数量的柔軟性の向上という社外労働力活用の主たる目的に反しており、また機会主義的行動の脅威をもたらすものと判断されることになる。しかし、中長期的視点に基づく人的資源管理を考えれば、基幹的業務にも社外労働者を配置せざるを得ない場合がある。事例調査によれば、企業が、正社員と同様の業務において長期的に社外労働者を活用している理由は、正社員を活用した場合に中長期的にキャリア形成機会を提供していくことが難しいことにあることが明らかにされている。

以上によれば、キャリア形成機会の保障が可能な範囲によって直接雇用による労働力の活用範囲つまり「雇用の境界」が区切られており、業務に必要な知識・技能水準による区分は、社外労働力の質的基幹化とともに曖昧なものとなる傾向がある。

終章 結論

従来の人的資源管理論の多くは、直接雇用の労働力の処遇・育成を対象としたものであり、社外労働力の活用は、理論の枠組みに含まれていないことが多かった。他方、人的資源ポートフォリオ論は、社外労働力をも人的資源管理の枠組みに取り入れたモデルであるが、静学的なものであり、人的資源の知識・技能が変化することや、人的資源管理の中長期的な計画とそれに向けた諸施策の実施という動学的な視点が欠けていた。そのため、人的資源の組合せに関する規範的モデルとして提示されたものの、その実証的な裏づけが得られなかったのである。

本研究では、人材活用における労働力の実際の組合せと規範的な組合せとを区別し、後者を決定づける論理について主に考察した。従来の人的資源ポートフォリオ論では、業務に必要とされる知識・技能の水準が、社外労働力の活用範囲の限界を決めるものとされてきた。しかし、人的資源の知識・技能は向上するため、社外労働力を中長期的に活用することによって、企業特殊的な業務や戦略的に重要な業務をも担当させることでより有効に活用することが可能となる。他方、経営管理の視点からいえば、社外労働力の活動範囲を限定することの論理的基礎は、知識・技能よりも職務権限に求められる。職務権限論の視点による分析によれば、他の組織の行動を拘束することにつながる権限を有する業務に関しては、社外労働力には任されていないことが明らかにされた。この権限を経営主体自らが行わないことは経営管理に混乱をきたすためと思われる。従って、職務権限の範囲が、社外労働力の活用範囲の限界線となり、直接雇用の労働力と社外労働力の活用範囲つまり「雇用の境界」を決める要因となる。

他方、長期的に存在し、企業にとって重要な知識・技能を要する中核的業務であっても、直接雇用のうち長期の雇用関係を前提とする正社員の活用は、中長期的なキャリア形成の保障が可能な範囲内にとどめておかなければならない。従って、中長期的なキャリア形成が不可能な範囲においては、いかに中核的業務であっても社外労働力などの労働力で補うことが望ましいこととなる。

つまり、上記の2つの論点を踏まえると、正社員はキャリア形成の保障が可能な範囲に活用が限定され、キャリア形成の保障が不可能な領域では、他の組織を拘束する権限が求められる場合は有期雇用の労働力を、求められない場合は社外労働力を活用するといった新しい人的資源ポートフォリオ論を提示することができる。それぞれの労働力に配分する業務は、個々の労働力の知識・技能や、社外労働力の場合はその雇用主である請負会社・派遣会社の人材育成能力などを考慮して、適材適所の配置をすればよいものと考えられる。

論文の評価

本研究の第1の貢献は、人的資源ポートフォリオ論を整理し、その限界を指摘するとともに、「雇用の境界」つまり直接雇用による労働力と外部労働力の活用の境界線を規定する要因として職務権限とキャリア形成の2つを取り上げ、「雇用の境界」を説明する仮説を提示するとともに、それを調査データで実証したことにある。この仮説は、「社外労働者の担当業務の範囲は、職務権限(形式的権限)により定まる」および「長期契約で直接雇用するのは、キャリア形成機会が保障できる範囲に限られる」というきわめて簡明なものである。しかし、これら2つの要因、特に職務権限と「雇用の境界」の関係は、人的資源管理論においてこれまで十分に議論されてこなかったものであり、木村氏の理論的な貢献と言える。氏の仮説によれば、いかに知識・技能水準や勤続意欲の高い社外労働者であっても、雇用関係のない社外労働力である以上、与えられる職務権限には限界があることになり、知識・技能水準の不足や勤続意欲の低さではなくこの権限範囲の限界が、社外労働者の活用範囲を規定することになる。

また、「企業が長期雇用を前提とした直接雇用である正社員採用をするのは、キャリア形成機会が保障できる範囲に限られる」という指摘は、企業の人的資源管理において意識されないことが多く、人的資源ポートフォリオ論においても、キャリア形成機会の保障可能性と(臨時的業務・季節的業務と対になるものとしての)担当業務の恒常性が明確に区別されてこなかったのである。この点を論理的に整理したことも氏の重要な貢献といえる。

第2の貢献は、製造業の生産部門と設計部門における外部労働力活用の実態を豊富な調査データに基づいて詳細に明らかにするとともに、その活用と組織パフォーマンスの関係を実証的に分析したことにある。さらに補論ではあるが、これまで明らかにされてこなかった製造請負業の経営管理の実態と課題を多くの事例研究で明らかにした点も大きな貢献といえる。

しかしながら本研究には、さらに実証的、理論的に検討を加えることが望ましい点がある。

第1に、「社外労働者の担当業務の範囲は、職務権限(形式的権限)により定まる」とする仮説に関して、職務権限をより具体的に定義するとともに、それを実証して、仮説をより精緻なものとすることが求められる。

第2に、本研究は、直接雇用の労働力(主に正社員)と社外労働力の活用の選択という、人的資源ポートフォリオ論の中でも特に「雇用の境界」に焦点を当てて分析を行っているが、多様な就業形態の組み合わせという点を考慮すると、直接雇用の正社員や社外労働者のほか、パートタイマーや契約社員といった非正社員も労働力活用の選択肢として加える必要がある。本研究では、直接雇用するか社外労働力を活用するかという「雇用の境界」に論点を絞ったため、正社員と非正社員の組み合わせについては十分な検討が行われていない。「雇用の境界」の選択に加えて、直接雇用の労働力活用における「雇用形態の選択」さらには外部労働力活用における「活用形態の選択」(派遣、請負など)を含めて、新しい人的資源ポートフォリオ論を構築することが期待される。

ただし上記のような改善点があるものの、これらは研究を今後さらに深化させる上で解決すべき課題であり、本論文にとって致命的な問題ではないと考えられる。

以上により、審査委員は全員一致で、本論文を博士(経済学)の学位授与に値するものであると判断した。

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