学位論文要旨



No 125148
著者(漢字) 荒木,剛
著者(英字)
著者(カナ) アラキ,ツヨシ
標題(和) Go/No-go課題遂行時の事象関連電位計測による統合失調症における抑制機能障害の検討
標題(洋)
報告番号 125148
報告番号 甲25148
学位授与日 2009.04.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3353号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 坂井,克之
 東京大学 准教授 川合,謙介
 東京大学 教授 大友,邦
 東京大学 講師 湯本,真人
 東京大学 准教授 熊野,宏昭
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

統合失調症(schizophrenia)は主として青年期に発症し、特徴的な幻覚・妄想などの陽性症状、思考障害・感情鈍麻などの陰性症状、言語性記憶学習障害・実行機能障害など認知機能障害を呈する精神疾患である。このうち認知機能障害は、中核的障害であり、統合失調症患者の社会機能を左右し、その重症度が予後を左右する。

認知機能の中でも抑制は、統合失調症の臨床においても自殺の背景に関係する可能性もあり、抑制の障害を解明することは大きな意義がある。すでに抑制の制御を要する行動課題を用いて、統合失調症患者の抑制の障害が報告されている。このような抑制制御の障害は精神生理学的手法を用いて評価することが可能である。

事象関連電位(event-related potential; ERP)は、脳波を用いて非侵襲的に脳の情報処理過程を精神生理学的に測定する方法である。ERP成分は、様々な認知機能を反映し、客観的な指標となりうる。

反応抑制を要するGo/No-go課題を用いて「抑制」を反映するERPが測定できる。Go条件においては反応を、No-go条件においては反応の抑制を求められる。No-go条件において前頭部から頭頂部に刺激後200から300ミリ秒にかけて出現する陰性電位であるN2成分と刺激後300から600ミリ秒にかけて出現する陽性電位であるP3成分の2つのERP成分が反応抑制に関わる神経活動を反映している。つまり、Go/ No-go課題を用いて、ERPを測定し、P3成分とN2成分を検証し、反応抑制を精神生理学的に検討できる。

統合失調症におけるGo/ No-go課題を用いたERP先行研究ではNo-go条件におけるN2振幅の減衰、P3振幅の減衰や頭皮上分布の差異が報告されている。しかし、これまで統合失調症における抑制制御の障害と臨床症状や社会生活機能との関連を詳細に検討したものはない。

抑制制御の障害と強く関連する臨床症状に衝動性があげられる。この衝動性を評価する尺度にはBarratt Impulsiveness Scale, 11th version (BIS-11)がある。このBISを用いることにより、統合失調症の衝動性も評価できる。

抑制の障害がみられる統合失調症患者においては、No-go条件におけるERP成分異常がみられ、それらがBISによって得られた衝動性のスコアと相関を示し、さらには、臨床症状や社会生活機能との関連がみられることが考えられる。そこで、本研究においては、統合失調症患者を対象にGo/ No-go課題を施行し、事象関連電位を測定し、抑制を反映するERP成分を検討し、評価尺度を用いて得られた衝動性、臨床症状、社会生活機能との関連を検証した。

2.方法

対象は、東大病院精神科に通院中の統合失調症患者21名(男性13名、女性8名;平均年齢39.1歳)。年齢・性比を一致させた健常群22名を対照とした。全ての被験者に電気けいれん療法の既往やアルコール・薬物の乱用や依存歴、いかなる神経疾患の既往もみられない。本研究は東京大学医学部倫理委員会の承認を得ており(No. 629-1)、対象者には研究の内容を十分説明した後、文書にて同意を得た。

事象関連電位を測定する検査課題は、視覚Go/ No-go課題を施行した。被験者には、スクリーン中央に赤と緑の円を呈示した。刺激呈示時間は500ms、刺激間隔は3~5秒でランダムに変化させ、赤:緑=1:1の比率で呈示した。総刺激呈示数は100とした。赤い円(Go刺激)が見えたときはボタン押しを求め、緑の円(No-go刺激)が見えたときはボタンを押さないよう求めた。

記録はGeodesic社製64ch脳波を用いた。各電極より脳波を導出し、記録後、派形処理をおこなった。解析区間は、刺激前200msecの平均電位を基準とし、刺激前200msecから刺激後1000msecとし、刺激条件ごとに平均加算を行った。患者群と健常群における総平均加算波形を求め、No-go刺激に対するN2, P3成分の頂点潜時を求め、頂点前50msecから頂点後50msecの平均電位を求めた。解析対象とする電極は「F region」として前頭部の6電極、「C region」として頭頂部の6電極とし、平均電位をデータとして使用した。

統合失調症患者の衝動性評価はBISを、精神症状評価は陽性・陰性症状評価尺度を、社会生活機能評価はLSPとDSM-IV に含まれるGAFを用いた。

統計方法は反応時間、誤答率、BISの統計比較にはindependent samples t-testを用いた。さらに、No-go条件におけるN2振幅とP3振幅は、診断、電極部位を反復測定とする分散分析を用いた。さらに事象関連電位成分と各スコアとの関連は相関解析を用いた。

3.結果

反応時間は、有意に患者群が延長していた。誤答率は有意差を認めなかった。

N2成分では、有意な電極部位・診断の主効果を認めた。P3成分では、有意な主効果、交互作用を認めなかった。さらに性差の影響の有無を検討するため、性を被験者間因子に加えたANOVAを行い、N2成分、P3成分ともに、有意な性の主効果、性×診断の交互作用を認めなかった。

BISによる衝動性の評価は患者群がやや高い平均値を示すが、健常群との有意差はみられなかった。

ERP成分と衝動性の指標であるBISとの相関は、健常群において、P3振幅とBISのスコアとの間に有意な負の相関を認めた。また両群を合わせた解析で同様な相関を認めた。ERP成分とPANSSによる臨床指標では、P3振幅と総合精神病理尺度との間に有意な負の相関を認めた。ERP成分とGAFやLSPによる社会生活機能のスコアでは、P3振幅とGAFやLSPの下位項目のスコアとの間に有意な正の相関を認めた。ERP成分への加齢や罹病期間や服薬の影響の有無を検討したところ、P3振幅と服薬量との間に有意な負の相関を認めた。また統合失調症患者においてN2とP3との間に有意な相関関係を認めた。

4.考察

本研究では、統合失調症患者を対象に、Go/ No-go課題を用いた抑制を反映するとされる事象関連電位成分と評価尺度を用いて得られた衝動性、臨床症状、社会生活機能との関連を検証した。

患者群にてN2振幅の有意な減衰を認めた。健常者においてP3振幅とBISのスコアとの有意な正の相関を認め、さらに両群共に解析した場合にも認められた。また患者群において、P3振幅と精神症状、LSPやGAFによって得られた生活指標との有意な相関が認められた。

Go/ No-go課題を用いたERP研究は、統合失調症患者において数は多くはないが行われている。その中でも、より反応抑制を評価できるGo条件とNo-go条件が同比率に設定された本研究と同じ課題を用いた先行研究は、減衰したN2と減衰したP3を報告した2研究、P3振幅の減衰は認めないが、Go刺激に比べNo-go刺激でみられるP3の前頭部への偏り具合が減衰していることを報告した2研究の4編である。本研究で得られた患者群におけるERP成分の解析結果は先行研究とほぼ一致しており、統合失調症におけるN2振幅減衰に反映される抑制の障害の存在が示唆され、前部帯状回や腹側前頭前野皮質の機能異常の存在が示唆される。

次に、仮説では、患者群に衝動性を反映するBISのスコアと抑制を反映するERP成分との関連がみられると思われたが、健常群にP3振幅とBISのスコアとの間に有意な負の相関がみられた。患者群では相関傾向が認められた。このような関連を解析した先行研究は統合失調症ではないが、BISによって評価される「衝動性」の脳内基盤の一部が、「抑制」を反映するERP成分であるP3成分に関係する可能性が示唆された。その他の臨床症状や生活指標とERP成分との相関は、Go/ No-go課題を用いた先行研究では検討されていないが、本研究よりNo-go P3に反映される抑制機能障害が強いほど、臨床症状もより重症であり、より生活機能が低下する傾向にあることが示された。

本研究の問題点としては、第一に、自己記入式にて評価するBISでは衝動性の群間差がみられないものの、客観的な指標であるERPでは抑制を反映するNo-go N2の群間差がみられていたことがある。統合失調症患者の抑制障害をよりspecificに反映しているのはERPである可能性が高いが、今後も検討の余地が残る。また、同じ被験者間での縦断的な検討が行われておらず、抑制障害の指標としてのERPがtrait markerなのかstate markerなのか特定できてはいない。また性、服薬、罹病期間の影響なども検討するために新たな母集団での検討が今後必要になると思われる。

本研究の問題点は、以下の3つが挙げられる。第一に、統合失調症の生物学的病態に性差が示唆されており、抑制機能障害に性差が影響する可能性があるが、それらを検討できるほどの十分な被験者数を得られなかった。第二に、本研究では、慢性期統合失調症患者を対象としているため、長期の服薬や罹病期間による抑制機能への影響が存在していた可能性がある。ERP成分と服薬量との間に有意な負の相関がみられたが、相関解析について服薬量を共変量とした偏相関を行ったが結果は同じであった。したがって、服薬量が今回の主要な結果に影響を及ぼすとは考えにくいが、今後は、未治療・未服薬の被験者を対象とした研究を行う必要がある。第三に、BISによって得られた衝動性のスコアが両群間で有意な差がなく、統合失調症内でも衝動性のスコアの幅が狭かったため、相関が得られにくかった。健常群において相関を認め、さらに両群を合わせるとより強い相関が得られたことからも、衝動性のスコアに幅のある群に対して本課題を行い、さらに被験者数を増やせば、より強固な相関が得られたことが予想される。

5.結論

本研究では、統合失調症患者を対象に、Go/ No-go課題を用いた事象関連電位成分と評価尺度を用いて得られた衝動性、臨床症状、社会生活機能との関連を検討した。患者群にてNo-go N2振幅の有意な減衰が認められ、抑制機能の障害が示唆された。また、相関解析では、健常者もしくは、両群をまとめた場合においてNo-go P3振幅とBISのスコアとの有意な正の相関を認めた。また患者群において、No-go P3振幅と精神症状、生活指標との有意な相関が認められた。これらにより、Go/ No-go課題を用いたERP成分は、抑制機能障害を反映し、衝動性の障害、生活機能の障害や精神症状などとの相関も示し、統合失調症の認知機能障害を評価する上で有用であることが示された。なお、今後、より被験者数を増やし、性差の検討、服薬や罹病期間の影響をさらに検証し、衝動性を含めた精神症状により幅のある患者群も含めて検討する必要が示された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は統合失調症における抑制制御の障害を明らかにするため、Go/No-go課題を用いた事象関連電位を行い精神生理学的指標を得て、さらにBarratt Impulsiveness Scale, 11th version (BIS-11)を用いて衝動性の評価をおこない、それらの関連を検討し、さらに抑制の障害が生活機能や臨床症状に関連があるかどうかを検討したものであり、下記の結果を得ている。

1. 統合失調症患者21名、健常群22名を対象に視覚Go/ No-go課題を施行し、抑制を反映する事象関連電位成分であるNo-go P3振幅とNo-go N2振幅を前頭部領域(F-region)と頭頂部領域(C-region)において、被験者毎に測定した。反応時間は、有意に患者群が延長していた。誤答率は有意差を認めなかった。N2成分では、有意な電極部位・診断の主効果を認めた。P3成分では、有意な主効果、交互作用を認めなかった。さらに性差の影響の有無を検討するため、性を被験者間因子に加えたANOVAを行い、N2成分、P3成分ともに、有意な性の主効果、性×診断の交互作用を認めなかった。これらより、統合失調症において抑制を反映するNo-go N2振幅が健常者に比べ減衰しており、抑制の障害が存在することが示唆された。また、No-go P3振幅は有意差は得られないものの、統合失調症患者においてNo-go N2とNo-go P3の相関がみられており、統合失調症患者におけるNo-go P3にも抑制の障害の影響が関連している可能性が示された。

2. 衝動性評価はBISを用いて行ったところ、下位項目も含め、患者群がやや高い平均値を示すが、健常群との有意差はみられなかった。

3. ERPとBISの相関では、No-goP3振幅においては、健常者では有意な負の相関、患者群において負の相関傾向がみとめられた。これらより、抑制を反映する精神生理学的指標であるERPと衝動性を反映する指標であるBISとの間に関連があることが示された。抑制の指標となるERPの脳内基盤である前部帯状回や腹側前頭前野皮質が、衝動性の脳内基盤にもなりうる可能性が示された。

4. No-go P3振幅と社会生活機能を反映するGAFやLSPとの間に有意な正の相関が認められ、抑制障害が重度にみられるほど、生活機能が低下することが示された。

5. またNo-go P3振幅とPANSSによって得られた臨床症状との間にも有意な相関が示された。

以上、本論文は、統合失調症患者において、事象関連電位を用いて、抑制制御の障害が存在することを明らかにした。またそれらとの、衝動性や社会生活機能、臨床症状との関連を明らかにした。本研究は、これまで検討されていなかった事象関連電位成分と様々な臨床症状との相関を検討したものであり、統合失調症の病態解明や事象関連電位の臨床的応用に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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