学位論文要旨



No 125153
著者(漢字) 稲垣,善律
著者(英字)
著者(カナ) イナガキ,ヨシノリ
標題(和) 日本人英語学習者の動機づけモデルの構築 : 学習動機、習得目標、学習行動、学習成果の関係性
標題(洋) Constructing Motivational Models of Japanese Learners of English: The Relationships between Motives, Acquisition Goals, Learning Effort, and Achievements
報告番号 125153
報告番号 甲25153
学位授与日 2009.04.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第909号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡,秀夫
 東京大学 教授 鈴木,英夫
 東京大学 教授 近藤,安月子
 東京大学 准教授 斎藤,兆史
 明治大学 教授 尾関,直子
内容要旨 要旨を表示する

外国語学習における動機づけの問題は,第2言語習得を社会心理学,あるいは教育心理学の見地から捉えようとする多くの研究者の関心を集めてきた。しかし,この分野においてこれまで行われてきた研究では,学習者が「なぜ学ぶのか」という学習動機の内容によって,動機づけそのもの,さらにはその結果としての学習成果を説明しようとするものがほとんどであった。これはつまり,学習動機と学習成果とを結ぶ過程で何が起きているのかということについて,これまでの研究では十分に注意が払われてこなかったことを意味しており,結果的に,外国語学習者の動機づけが実際の学習行動とどのような関係にあるのかということについては未だほとんど明らかにされていない。そこで,本研究では外国語学習者の学習動機と学習成果とを結ぶ要因としての学習行動,さらに学習動機と学習行動とを仲介する要因としての習得目標に焦点を当て,学習動機については自己決定理論(Deci & Ryan, 1985)の分類に基づく「種類」,習得目標についてはその「明確さ」と「内容」,学習行動に関してはその「量」(時間数,継続性)と「質」(内容,積極性,ストラテジー使用),そして学習成果については「上達率」と「上達内容」の各側面に着目しながら,学習動機,習得目標,学習行動,学習成果の各要因間にいかなる因果関係が存在するのかを明らかにすることを試みた。

本調査に先立ち,今回の調査対象となる日本人英語学習者の学習動機,習得目標,学習行動を記述するための質問紙,及び学習成果を測定するための英語習熟度テストを,7つの予備調査を通じて作成した。各予備調査では,関連する先行研究を基に質問紙と習熟度テストの原型を作成し,これらの妥当性と信頼性に関する検討を行った。その後,これらの予備調査を通じて作成された質問紙と習熟度テストを用い,関東圏の4大学で英語を学ぶ日本人学習者548名を対象に調査を実施した。調査では,まず英語習熟度テストを用いて被験者らの英語力を測定した後,英語学習に対する学習動機(種類),習得目標(明確さ,内容),日頃の学習行動(積極性,ストラテジー使用)に関する質問紙を実施した。その後,10ヵ月間にわたって彼らの授業以外での英語学習の時間とその中身について継続的に調査を行い,最後に再び英語習熟度テストを実施することで,被験者らの10ヵ月間の英語学習の成果(上達率,上達内容)を測定した。

調査後,収集されたデータの信頼性に関する検討を行ったうえで,被験者らの学習動機,習得目標,学習行動,学習成果の関係性について,ピアソンの相関係数による分析(SPSS10.0)と構造方程式モデリングを用いた分析(AMOS4.0)を行った。その結果,学習動機と習得目標,習得目標と学習行動,学習行動と学習成果の各関係性について,以下の(1)~(3)の結果が得られた。(1)学習動機の種類と習得目標の明確さとの関係については,自己決定理論に基づく5種類の動機のうち,同一視的動機や内発的動機といった自己決定度の高い動機を持つ学習者ほど習得スキル,レベル,時期のいずれの点においても目標が明確であることが判明し,特に同一視的動機がこうした目標の明確さと最も強い関わりを持つことが明らかになった。また,学習動機と習得目標の内容との関係については,動機の種類と習得スキル・習得時期に関する目標内容との間に有意な関係性が見られなかった一方で,習得レベルに関する目標内容については,動機の自己決定度が高まるにつれて目標レベルが高くなることが明らかになった。(2)習得目標の明確さと学習行動との関係については,習得目標の明確さが高い学習者ほど自主学習の時間が多く,その継続性が高いことが明らかになった。また,こうした学習者は授業内外での学習に対する積極性が高く,特に自主学習に対する積極性が高いことが判明した。また,習得目標が明確な学習者は学習時のストラテジー使用率が高く,特にメタ認知ストラテジーの使用においてその傾向が顕著であることが明らかになった。以上の関係性については,習得目標の3つの側面のうち,習得のスキルやレベルに関する明確さに比べ,その時期に関する明確さが学習行動の量・質とより強い関係を持つことが明らかになった。一方,習得目標の内容と学習行動との関係については,習得スキルに関する目標内容が自主学習の内容と直線的な関わりを持つことが明らかになった。また,習得レベルに関する目標内容については,目標レベルが高くなるにつれて自主学習の時間数が増加し,継続性が高まると同時に,学習に対する積極性,及び学習時のストラテジー使用率が向上することが判明した。(3)学習行動の量と学習成果との関係については,自主学習の時間,継続性が英語習熟度の伸び率と強い関わりを持ち,両者の間では特に学習の継続性が強い関係性を持つことが明らかになった。また,学習行動の質と学習成果との関係については,自主学習における学習内容が学習後に上達した技能の内容と直接的な関係を持つことが判明した。さらに,学習に対する積極性と学習時のストラテジー使用率は習熟度の伸び率と強い関わりを持ち,特に前者については自主学習に対する積極性の高さ,後者についてはメタ認知ストラテジーの使用率が学習成果と強い関係性を持つことが明らかになった。以上(1)~(3)の結果を統合し,学習動機(種類),習得目標(明確さ,内容),学習行動(量,質),学習成果(上達率,上達内容)の各要因を結ぶ7つの因果モデルを作成し,各モデルの精度に関する検討を行った結果,モデルはいずれも実際のデータとの適合度が高いことが確認された。これらのモデルからは,学習動機における自己決定度の高まりが,習得スキル,習得レベル,習得時期のいずれの点においても目標を明確化し,同時に目標レベルの向上をもたらすことが明らかになった。また,習得目標の明確化と目標レベルの向上は,その後の自主学習の時間を増加させるとともにその継続性を高め,学習に対する積極的姿勢と学習時のメタ認知ストラテジー使用を促進し,これが結果的に習熟度の向上をもたらすことが判明した。また,学習者の設定する習得目標のうち,習得スキルに関する目標内容は,学習動機の種類,つまり学習に対する自己決定度の高低に関わらず,彼らの自主学習における学習内容,そしてさらにはその後の技能の上達内容に直結することが明らかになった。

本研究のモデル化により,動機づけ過程の始点としての学習動機,その結果としての学習成果,そしてこれら両者を結ぶ習得目標,学習行動の各要因間の因果関係を実証データに基づいて明らかにすることができた。これらのモデルは,これまでの多くの研究において動機によってのみ論じられてきた動機づけ過程を学習動機,習得目標,学習行動の様々な側面によって多角的に説明するものであり,それゆえ動機づけと学習成果との関係をより詳細に説明可能にするものである。本研究において得られたモデルが,外国語学習者の動機づけに関するさらに説明力のある包括的モデルの構築へとつながることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、日本人英語学習者の動機づけ過程をモデル化することを目的とし、同過程において学習動機と学習成果とを結ぶ要因としての学習行動,さらに学習動機と学習行動とを仲介する要因としての習得目標にそれぞれ着目しながら,これら4つの要因-学習動機,習得目標,学習行動,学習成果-の因果関係を明らかにすることを試みている。論文は、研究全体の理論的枠組みを論じた第1章、予備調査を通じてデータ収集法の妥当性・信頼性を検討した第2章、本調査の実施方法、および結果の詳述とその考察を行った第3~5章、研究の教育的示唆と今後の課題を論じた第6~7章から成っている。

本論文の評価すべき点は、大きく分けて三つ挙げることができる。第一の点は、その理論的枠組みの独自性である。本論文は、これまでの研究において必ずしも明確に区別されてこなかった「動機」と「動機づけ」との関係を最初に明示し、その上で、「動機」が「成果」につながるまでの過程に介在しうる数多くの変数の中から「習得目標」と「学習行動」に着目する必要性を詳細に論じている。この分野におけるこれまでの研究の多くが「動機」によって「動機づけ」そのもの、あるいはその結果としての「成果」を説明しようとしてきたことを鑑みれば、動機づけ過程の構成要素をそれぞれ明確に概念化し、これらによって動機づけの全体像を包括的に捉えようとする本論文の視点は、他の動機づけ研究と一線を画すものであると言える。

第二の点は、調査結果の信頼性である。本論文においては、調査で用いるすべてのデータ収集手段について、約2年間、7つの予備調査を通じてその妥当性と信頼性の検証を行っている。また、本調査の際には、入念に計画されたデータ収集を548名の被験者を対象として約10ヶ月間にわたって実施し、収集したデータについてはその信頼性を十分に検討したうえで分析を行っている。さらに、分析の中核を担う変数間の因果関係に関する検討には、誤差が比較的小さいとされる構造方程式モデルを用いた共分散構造分析を行っている。こうしたすべての取り組みや工夫は、本論文における調査データ、さらにその分析結果の信頼性を高めることに貢献しており、結果的に本論文が提示する7つの動機づけモデルの信憑性をも高めている。

第三の点としては、本論文が構築したモデルの意義が挙げられる。これまでの動機づけ研究では、動機づけ過程の始点としての動機と、結果としての成果を直線的に論じるものが多く、それゆえこれら両者を結ぶ過程で何が起きているのかがほとんど明らかにされてこなかった。しかし、本研究では、学習動機、習得目標、学習行動、学習成果のどの側面の間にどの向きの因果の流れがあり、それがどの程度の強さのものなのかを明確にモデル化したことで、これまで空白だった動機と成果とをつなぐ動機づけ過程の基本的構造を目に見える形で検証している。このことにより、これまでの研究では理論的想定の下で論じられてきた動機と成果との因果関係そのものが実証されただけでなく、これまでの研究では十分に説明することができなかった問題、例えば「なぜ動機の種類によって成果が異なりうるのか」といった点が習得目標、あるいは学習行動の観点から説明可能になったことは、本論文の大きな功績であると言える。したがって、本論文で提示されたモデルは今後の動機づけ研究の土台と成り得るものであるが、こうしたモデルのもう一つの強みは、これらが今日までの動機づけ研究の主流だった「統合的・道具的動機づけ」の枠組みではなく、自己決定理論に基づく「内発的・外発的動機づけ」の枠組みを用いていることである。自己決定理論に基づく枠組みが伝統的な「統合的・道具的」枠組みよりも幅広い学習動機を包含し、なおかつ各動機の種類の相互関係が明確であるという長所を考慮すれば、本論文のモデルは今後の動機づけ研究の発展に大きく寄与する可能性を秘めていると言える。

一方で、本論文の課題としては、モデルの説明力に関する以下の点が挙げられる。まず、本論文における動機づけモデルは「学習動機が習得目標と学習行動を通じて学習成果に影響を与える」という因果の流れを示すものであるが、動機づけとは動的な過程であり、ある「動機」によってもたらされた「成果」が、新たな「動機」へとつながることは十分に有り得るものと考えられる。したがって、今後は学習成果から学習動機への因果の流れについても検証した上で、動機づけのこの「動的特性」を今回得られたモデルがどのように説明しうるのかを検討していく必要がある。同様に、本論文のモデルにおいては、動機づけ過程に関わる要因として学習動機、習得目標、学習行動の3要因のみに着目しているが、実際の学習場面においては、学習者の動機づけには自信や不安といった情意要因、あるいは期待や価値といった認知要因も大きく関わっているはずである。例えば、学習者の不安の高まりが学習行動を抑制する、あるいは学習者の言語習得に対する期待の高まりが積極的な学習行動を生む、といったことは十分起こり得よう。今後は、本論文で得られたこれら7つのモデルに学習動機、習得目標、学習行動以外の様々な要因を段階的に組み入れていくことで、外国語学習者の動機づけに関するさらに説明力のあるモデルの構築へとつながっていくことが期待されよう。

以上の審査結果に基づき、本審査委員会は、本論文が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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