学位論文要旨



No 125162
著者(漢字) 北沢,裕
著者(英字)
著者(カナ) キタザワ,ユタカ
標題(和) 「死後世界旅行記」の研究 : 西欧中世からの系譜とその普遍的機能の考察
標題(洋)
報告番号 125162
報告番号 甲25162
学位授与日 2009.05.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第700号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鶴岡,賀雄
 東洋英和女学院 教授 渡辺,和子
 立教大学 教授 河東,仁
 國学院大学 教授 小池,寿子
 東京大学 教授 島薗,進
内容要旨 要旨を表示する

本論文の目的の一つは、現代の死生学研究の出発点の一つでもある西欧中・近世の死の歴史的研究を「死後世界旅行記」の内容と照らし合わせて検討することである。「死後世界旅行記」とは死後の世界を垣間見て蘇生した者の体験記の形をとった説話群である。

ゴーラー、アリエスに先導された死の歴史研究は傾向として、過去の死の理想化というべき点が見られる。現代の冷酷な死に対して過去の、特に中世の死は暖かく、穏やかなものであった、という見方である。このような死の理解は現代の死生学研究の前提の一つともなっている。果たして過去の死は本当に穏やかな死であったのか、本論文はこの点を死後世界旅行記の内容の検討を通して考察する。

本論文のもう一つの目的は、人類史において普遍的に見いだしうる死(後)の物語の意味の考察である。古代から現代に至るまで人類は死後の想像を様々な物語の中に表現し続けてきた。これは死に対する強い好奇心の表れである以上に、この種の物語の持つ普遍的機能を表すと考えられる。したがって、生を支える死の物語の機能の考察が本論文のもう一つの目的となる。この点の考察からは現代の死の状況、死の研究に欠けているものが指摘しうるものと思われる。そこから、死後の想像とその価値を認めることなしに死の問題を扱いうるかという論点が導かれる。本論文は死後世界旅行記の機能の検討を通して、死を考察する営為における死の物語の重要性を指摘する。

本論文の構成は以下の通りである。

れる。アリエスの研究は「過去の死」のあり方を問う歴史研究であるが、同時に「現代の死」に対する批判研究として構想されている。それゆえ「過去の死」は多分に理想化される傾向にある。しかし、過去の人々は本当に死を「飼いなら」し得たのか、また、そのような理想像を現代に持ち込むことが果たして適切なのかは、疑問が残る。

より人間らしい死を回復しようとの企図が、逆に死の多様性を狭め、死にゆく者を圧迫しかねないという問題は、エリザベス・キューブラー=ロスの死の受容過程論などにも見いだしうる。死の物語の復権という彼女らの企図の重要性は疑い得ないが、そこで新たに提起された現代の死の物語が、むしろ死にゆく者の「あるべき姿」を固定化してしまうという問題があるのである。そこには、「過去の死」と「現代の死」の接合の微妙な困難が見て取れる。本論文は、人類史の中で示されてきた死の物語、特にアリエスの議論の核となった西欧中世の死の物語を再考し、あらためて「過去の死」から「現代の死」を見直すことを目指す。

実際に検討するのは、西欧中世における死後世界についての「幻視」(visio)をめぐる文献群である。本論文ではこれを「死後世界旅行記」と総称する。死後世界旅行記は、6世紀にグレゴリウス1世が著した『対話篇』中の物語をその端緒とし、12世紀には教化文学としての地位を確立し、13世紀初頭の作品をもってその歴史を閉じる。この間、西欧中世では質量ともに特異なまでに豊かな異界物語が生産された。その背景には西欧中世の文化的、時代的特殊性があるが、しかしその「死後の物語」の底流は、さらに遠く広く辿りうる。死後世界旅行記はキリスト教説話の体裁を持つが、その内容には聖書の記述や正統教義からこぼれ落ちる様々な要素が見いだせる。そこには黙示文学の伝統も、古典古代の様々な神話世界も、またヨーロッパ古来の異教的な他界観も流れ込んでいる。そこで本論文では、西欧中世の死後世界旅行記の検討に先立ち、以上の問題関心と問題設定を明示した序章に続いて、第2章で、西欧中世の死後世界旅行記に先行し直接間接の影響を与えたであろう先行文化の死後世界の物語を概観し、この物語形式の通文化的特徴と文化的特殊性の双方の確認と、死後世界の類型の抽出を行う。その上で第3章において西欧中世の死後世界旅行記を検討するが、先行諸文化の内、特にケルト文化の影響についてもここで詳論する。ケルト文化は中世初期におけるアイルランド修道院の成立とケルト系修道士たちによる大陸伝道によって、西欧中世文化の形成と展開に決定的な役割を果たしたからである。

西欧中世の死後世界旅行記の検討にあたっては、まず初期中世から盛期中世にかけてこの物語群が次第に詳細になり具体的になっていく過程を、6世紀の『対話篇』中の物語から13世紀初頭の「サーキルの幻視」まで、12本の死後世界旅行記からたどる。ここで特に着目するのが「煉獄」概念の意義と展開である。煉獄概念の研究ではJ.ル・ゴフのそれが極めて重要であるが、彼はpurgatoriumという語彙の出現を重視した結果、12-13世紀に「煉獄の誕生」を見て取り、そこに中世の社会・精神の二極から三極への構造的転換を読みとった。しかし、死後世界旅行記の展開を見ると、天国でも地獄でもない第三の場所である煉獄的空間は、当初は名前もなく空間としての独立性も低かったとはいえ、すでに6世紀よりテクスト化されている。つまり12-13世紀に起きたことは煉獄の公認であって誕生ではなく、そこに思考パターン自体の大きな変容を見るのは難しいと思われる。

むしろ問うべきは、数世紀にも渡って煉獄的空間が求められ続けた要因と、それが公認されるにいたった経緯であろう。第2章で見たように、広く比較宗教学的視野に立って世界の多様な死後世界のあり方を見ると、審判による正義の完遂と、死後の運命についての個人の不安解消の欲求とが時に矛盾することが見出される。キリスト教成立以来、個々人の死後の運命をどう説明するかは大きな問題であった。最後の審判を認めるならば、死後にあるのは審判までの無限に長い待機であり、そして最後の裁きは決して覆らないこととなる。この厳格な審判観は、義者と不義者の運命については明確な答えを与えるが、「死んだらどうなるのか、どのような世界に行くのか」という根元的な疑問に対する答えとしては受け容れにくいものである。煉獄概念はこの二つの欲求を調停する機能を持ちうる。これによって、神の裁きの原理は保たれるが、同時に各人が死後行くべき場所、すべきことが与えられるのである。人々の根元的な要求をキリスト教教義中に実現したものが「煉獄」概念と考えられる。そこにはA.グレーヴィチが指摘するような教会文化(ラテン語文化)と俗人文化(俗語文化)との交流混合の過程が見いだせるともいえよう。

このような説話的な死後世界物語はしかし後期中世には終息する。本論文ではこの時代の死生観の変容を、『死の舞踏』や『往生術』、また腐敗死骸墓像や祈祷書の挿画などの視覚的史料を参考に考察した。そこでは死をめぐる関心が、死後の異世界から、この世の全ての人間が抱える死の運命とその過程へと移行している。背景にはペスト、戦乱、農業生産の低下による死亡率の上昇があった。死を「向こう側」の世界にではなく、生と同じパースペクティブの内に捉える視点は、現代にも共通するものである。しかしあらためて確認すべきは、後期中世の作品もまた、死と死にゆくことをやはり「物語」化しているということである。そこでは死に具体的表現が与えられ、これに面した人間の心の揺れが描かれている。ここには死後世界旅行記と共通する死の物語の機能が見いだせる。そしてそれは彼らが諦念をもって死を受け容れていたからではなく、受け容れられなかったからこそ求められたものだったと考えられるのである。

終章では、死の物語が過去にどのような機能を果たし、それが現在の我々にどのような意味を持ちうるのか、今日の我々はどのような死の物語を持ちうるのかを考察する。中世の死の像は、過去において死がいかに語られ、受け容れられたかを示すかに見える。しかし、本論文の結論として主張したいことは、死の「語りえなさ」と「受け容れがたさ」である。死は個々人の主体性と社会的な文脈の双方に関わる問題であるが、死にはまた、まったく異質な一面が存在している。災害や戦災などに明らかなように、いかなる主体的対応の介在もゆるさない、当事者も、家族も、あるいは医療者を含むいかなる第三者もまったく介入不可能な、いわば人知を超えた一面である。死は、究極的には決して備ええない脅威なのである。アリエスが指摘したように、死を「飼いならす」ことの目的はそもそもこのような制御不能な荒ぶる「野性の」死が存在しているためであった。だからこそ人は「死の物語」を紡ぎ、死を囲い込むための儀礼を社会全体で行ってきたと考えられる。しかしそのようなアリエスらの指摘が一人歩きしたとき、死の実相とそれに対する人間の営みの理解が単純化され、その意味が反転してしまうのではなかろうか。西欧中世の研究から導き出された「飼いならされた死」の像は、死が受け容れがたく飼いならしえないものだからこそ求められたと理解すべきである。死後世界旅行記が多様なヴァリエーションを持って語られ、様々な図像表現を生み出したのは、常に新たな生きた物語によって死への不安と疑問に答える必要があったからこそである。それがたやすく「飼いならされ」「受け容れられる」死のイメージにすりかわる時、「過去の死」から「現代の死」を見ようとのアリエスらの企図は崩れてしまうのである。従来の死の研究テーマは、人が死に対していかに処すべきか/処しうるか、という点に集約してきた。しかし生死の問題が究極において人間存在を超えたところにあるという認識が欠如すれば、死の物語の意義は問いえないのである。

審査要旨 要旨を表示する

北沢裕氏の『「死後世界旅行記」の研究――西欧中世からの系譜とその普遍的機能の考察――』は、西欧中世に多く書かれた死後世界に関する幻視や見聞譚を「死後世界旅行記」と捉えて、その内容の変遷を大きな歴史的観点にたってたどり、それを通じて、人間にとって死後世界を何らかの物語としてイメージすることの必然性、およびその今日的意義を、宗教学および死生学的問題枠組みの中で探究した意欲的な論文である。

第一章では、人々の死に対する態度のあり方の変遷と現状を、ゴーラー、アリエス、キューブラー=ロス等の先駆者の仕事を軸にあとづける。とくに、死に行く人の「自己決定」を重視する現代の状況の問題性を指摘し、死後世界を具体的に想定することの困難が現代人の死の受容を難しくしている点が強調される。この問題意識のもとに、アリエスによって「飼い馴らされた死」の時代として描かれた西欧中世において死後世界がいかに想定され、それが死の受容に際してどのように機能していたかが北沢氏自身の視点から再検討される。これが論文の主題となる。死生学と宗教学にまたがる有意義な問題設定といえよう。

第二章では、西欧中世における死後世界イメージの主要構成要素となる、死後世界の「地理」、「往還」、「死者との再会」、「審判」、世界の「終末」といったモチーフの宗教史的源流が、古代中近東から地中海世界の諸宗教伝統の中に手際よく探られる。それらはキリスト教教義形成の素材となったが、教義にはじゅうぶん取り込まれなかったモチーフもさまざまな水路で西欧中世に受容されていたことが、続く第三章において、各種の死後世界歴訪譚や幻視の検討によって示される。初期中世の「フルセウスの幻視」「ドリテルムスの幻視」(7世紀)等から、盛期中世の「アルベリクスの幻視」「聖パトリキウスの煉獄伝」(12世紀)等である。その過程で、死後世界イメージが、聖職者による教導的意図の勝ったものから広義の民衆的想像力が表現されたものへと展開していくことが指摘される。その諸相はケルト文化の異界歴訪譚や教会堂の彫刻、祈祷書の挿画等、図像資料の検討によっても探究され、立論を補強している。中世後期になると、死後世界旅行記はダンテの『神曲』を頂点として終熄し、この時代の死のイメージは往生術文献や「死の舞踏」「腐敗死骸墓像」といった図像によって探られるべきものとされる。そこでは、死後世界の具体的描出よりも、死に至るまでの魂の態度が人々の関心の中心となっていくことに着目される。多様な史料を併用する研究の方法論的困難に挑んで、一貫した問題関心のもとに諸史料を解釈していく手法には一定の説得力がある。第四章では、それまでの検討を踏まえて、いつの時代も実は死は「飼い馴らし」難いものだったことが主張され、それとともに、現代における死後世界物語の想定可能性が示唆されて、結論となっている。

広い領域を扱う論文であるため、古代の宗教史理解や、中世の諸資料の検討・分析については不十分な点が残るが、今後の研究の精緻化を期待させる独自の見解が随所に提出されており、宗教史研究が現代の死生学の問題に寄与しうる方途を説得的に示し得ている。よって本委員会は、本論文が博士(文学)の学位を授与するに値するものと判断する。

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