学位論文要旨



No 125169
著者(漢字) 山下,裕玄
著者(英字)
著者(カナ) ヤマシタ,ヒロハル
標題(和) 胃癌の進展に及ぼす組織因子の影響についての検討
標題(洋)
報告番号 125169
報告番号 甲25169
学位授与日 2009.05.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3359号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 瀬戸,泰之
 東京大学 准教授 川邊,隆夫
 東京大学 准教授 池田,均
 東京大学 准教授 宮田,哲郎
 東京大学 准教授 菅原,寧彦
内容要旨 要旨を表示する

1865年にTrousseauが内臓癌の患者に静脈血栓が多いことを報告して以来,癌と血液凝固との正の相関について多くの報告がなされてきた.一般に、癌患者は血液凝固亢進状態にあり,これが血栓症の要因であると考えられている.また,癌患者は血栓症を合併していない場合においても血液凝固検査では異常値を示すことが多く,臨床的血栓症が存在しない場合においても,血小板値や様々な凝固系マーカーの上昇が認められることが多い。一方,癌患者に播種性血管内凝固の合併が多いことも知られており,癌患者の凝固異常がその一因であると考えられている.進行胃癌においても播種性血管内凝固合併例の報告は多く,頻度は多くないものの,胃癌における致死的な合併症である。以上の事実から,胃癌患者は潜在的に凝固亢進状態にあると考えられる。凝固系システムは癌により活性化されると考えられているが,近年,血液凝固に関わる因子が腫瘍の増殖・浸潤・転移に影響を及ぼすことを示唆する事実が判ってきた.

血液凝固第I因子であるフィブリノゲンを欠損したマウスでは,背部皮下腫瘍からの自然転移モデルにおいて,肺転移と共にリンパ節転移もフィブリノゲン欠損マウスにおいて有意に減少することが報告された. フィブリノゲンは癌の新生血管を介して癌間質に流入しフィブリンに変換されると考えられるが,胃癌においても、癌間質にフィブリノゲンが豊富に存在し、フィブリンが腫瘍と非腫瘍部の境界に存在することが知られている.血液凝固第III因子である組織因子(Tissue factor; TF)は,活性型の血液凝固第VII因子(FVIIa)と複合体を形成して,第IX因子,第X因子を活性化する外因系凝固反応の開始因子である.癌に起因する凝固イベントは,癌細胞が発現するTFによるものであると考えられており,フィブリンが腫瘍と非腫瘍部の境界に存在する事実から,胃癌細胞においても,癌細胞上に発現したTFにより外因系凝固シグナルが誘導されていることが推測される.しかしながら,胃癌におけるTF発現とその臨床的意義についてはこれまでに十分な報告がされていない.そこで,切除胃癌標本を用い,TF発現と臨床病理学的因子との相関を検討した.次に,胃癌細胞株のTF発現を評価し,TFのリガンドであるFVIIa刺激による反応を検討した.

Epidermal growth factor receptor (EGFR)はerbB familyに属する膜貫通型の受容体チロシンキナーゼであり, EGFRの活性化は細胞増殖、アポトーシス阻害、転移、血管新生など,腫瘍増殖と進行に必要な過程に深く関わっていることが知られ,胃癌においてもその過剰発現は予後不良因子であることが分かっている.そこで,TF発現とEGFR発現の相関について切除胃癌標本,胃癌細胞株を用いて検討し,次に,TF発現胃癌細胞においてFVIIa刺激によりEGFRが活性化されるか,FVIIaにより誘導される反応がEGFRを介するかどうかを検討した.

1)胃癌におけるTFの発現とその意義

切除胃癌207例中,52例(25.1%)がTF陽性であった.多変量解析にてTF発現と独立した相関を有したのは組織型(分化型,Odds比6.109, 95%信頼区間2.595-15.561, P<0.0001)と腫瘍血管密度(Microvessel density, MVD)(CD34染色にて評価,Odds比4.884, 95%信頼区間1.971-13.253, P=0.001)であった.そこで,TF発現と臨床病理学的因子との相関を分化型胃癌と未分化型胃癌に分けて検討したところ,分化型胃癌においては,TF陽性群は陰性群と比較して,有意に深達度が高く,リンパ管侵襲,静脈侵襲,リンパ節転移の陽性率が高く,進行度が進んでいた.これらの結果と一致して,TF陽性群は陰性群と比較して5年生存率が有意に低値であった(log-rank test, P=0.0005).一方,未分化型胃癌においては,TF発現はMVD以外には相関を示す因子が認められず,5年生存率を見てみても有意差を認めなかった.MVDを,中間値をカットオフ値として高MVD群と低MVD群に分けてみると,分化型胃癌では高MVD群の方が有意に低い生存率を示したのに対し,未分化型胃癌では統計学的な有意差を認めなかった.次に胃癌細胞株7種においてTF発現を検討したところ,5種にその発現が認められた.切除胃癌組織を用いた検討で,血管新生とTFが密接な相関があることが分かり,血管新生因子VEGFとIL-8の産生をELISA法で検討した.VEGFは程度の差はあるが,全ての胃癌細胞が産生していた.一方、IL-8はTF発現胃癌細胞株全てが産生していたのに対し、TFを発現していないHGC-27,AZ-521細胞では産生が認められなかった.以上の結果からTF発現がIL-8産生と密接に関連している可能性が考えられた.各胃癌細胞のIL-8とTFのmRNAレベルでの発現量をreal time RT-PCR法で検討し比較したところ,それらは類似した発現を示した.VIIa刺激によるVEGF,IL-8産生を,TF高発現胃癌細胞NUGC-3と低発現のMKN28を用いて検討したところ,NUGC-3では、10 nMの濃度からFVIIaによりVEGFおよびIL-8の産生の有意な増加が認められた.これに対し、MKN28ではVEGF産生には統計学的に有意な影響を認めないものの、IL-8産生については50 nMにおいて有意な産生増加が認められた.これらの結果から,TF陽性の胃癌細胞はVEGF,IL-8を産生し、FVIIaはその産生を増強し,これが胃癌,特に分化型胃癌の進展を促進するTFの重要な機能であると考えられた.TFは、単に癌細胞の周囲で凝固系を活性化するだけでなく、癌細胞からの血管新生因子の産生を促進することを介して、癌の進展に促進的な役割を果たす機能分子であると言える。

3)胃癌におけるTFとEGFRの発現について

上記と同じ切除胃癌207例の検討では,EGFRは陰性51例、弱陽性91例、強陽性65例であった.EGFR陰性と評価された症例では全てTF陰性であった.さらに、TF陽性症例では全てEGFRは陽性であり、52例中40例(76.9%)がEGFR強陽性であった.また,胃癌細胞での検討では,TFの発現を欠く胃癌細胞株HGC-27,AZ-521の2種においては、他のTF発現細胞と比較しEGFRの発現量が極めて少なかった.TF発現細胞では,FVIIa刺激(50 nM)によりEGFRが活性化され,TFとEGFRのシグナルクロストークが存在することが分かった.FVIIa刺激(50 nM)によるIL-8産生はEGFR選択的抑制剤であるAG1478の前処置(250 ng/ml, 30分)により有意に減少し,TF/FVIIa複合体によるIL-8産生刺激は、少なくとも一部は、EGFRを介していることが示された.EGFRの発現はTF発現と密接に関連しており,TF/FVIIa複合体がEGFRのシグナルの上流に位置することが確認され、TFは胃癌における新たな分子標的となる可能性が示唆された。今後,TF/FVIIa複合体が誘導するシグナル経路を解明することにより、より有効な分子標的薬の開発につながると考えられる。

本研究が発端となり、生理的に存在する血液凝固システムによる胃癌の進展機序について更なる研究を加えることにより、未だ不十分な治療成績といっても過言ではない進行胃癌という病態に対する新たな治療戦略が開発されることを期待する.

審査要旨 要旨を表示する

本研究は胃癌患者に血液凝固検査値異常を高頻度に認めることから,胃癌の進展における凝固因子の役割を明らかにするため,外因系凝固反応の開始因子である第III因子(組織因子;tissue factor, 以下TF),および第VII因子に着目したものである。臨床病理学的検討および反応系の分子解析を試みたものであり,下記の結果を得ている。

1.TF発現は,切除胃癌組織を用いた検討において,組織型(分化型),腫瘍血管密度と相関した。TFは分化型胃癌に高頻度に発現し、リンパ節転移、脈管侵襲とともに術後生存率とも相関した.未分化型癌においては明らかな相関性は示さなかった.

2.TF発現胃癌細胞は血管新生因子VEGF、IL-8を産生するが、TF非発現細胞ではIL-8の産生は認められず、TF発現はIL-8と強い相関を持つと考えられた.TF陽性胃癌細胞においては活性型第VII因子(FVIIa)がVEGF,IL-8の産生を増強した.

3.切除胃癌組織を用いた検討において,TF発現とEGFR発現は強い相関が認められた.これは胃癌細胞株でも同様であった。

4.TF/FVIIa複合体によりEGFRリン酸化が誘導された.TFとEGFRは共発現しているだけでなくシグナルの連関が存在することが示された.TF/FVIIa複合体によるIL-8産生亢進は少なくとも一部EGFRのシグナルが関わっていることが判明した.

以上,本論文は血液凝固因子であるTFは胃癌細胞の周囲で凝固系を活性化するだけでなく、胃癌細胞からの血管新生因子の産生を促進することを介して、胃癌の進展に促進的な役割を果たす機能分子であることを明らかにした。また,抗癌治療の分子標的として近年注目されているEGFRとは,高頻度に共発現するだけでなくシグナル連関が存在するすることも明らかにした。生理的に存在する血液凝固システムによる胃癌の進展機序の解明と,未だ不十分な治療成績といっても過言ではない進行胃癌という病態に対する新たな治療戦略の開発に重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる。

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