学位論文要旨



No 125170
著者(漢字) 高橋,亮介
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,リョウスケ
標題(和) 述語分解に基づくドイツ語与格動詞の語彙意味論的研究
標題(洋) A Predicate Decomposition Approach to Dative Verbs in German
報告番号 125170
報告番号 甲25170
学位授与日 2009.05.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第914号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 幸田,薫
 東京大学 教授 伊藤,たかね
 東京大学 准教授 大堀,壽夫
 東京大学 准教授 森,芳樹
 東京大学 教授 重藤,実
内容要旨 要旨を表示する

本論文は,ドイツ語において唯一の目的語項を与格で実現する非規範的な二項動詞を研究対象とし,これら二項与格動詞 (two-place dative verbs) を語彙意味論の観点から精密に分析することにより,その項実現にとって関与的な動詞の意味成分の抽出を試みるものである。(1) に,該当する動詞例の一部を挙げる。

(1) ahneln 'resemble', antworten 'answer', begegnen 'occur to', danken 'thank', fehlen/ mangeln 'lack', gefallen 'please', gehoren 'belong', helfen 'help', trotzen 'resist

本論文は全8 章から構成されている。各章の概要は下記のとおりである。

第1 章 Introduction(導入)

本章では,まず1.1 節で,伝統的な記述文法ならびに近年の語彙意味論研究のいずれにおいても (1) のような二項与格動詞の項実現が動詞ごとの個癖性 (idiosyncrasy) に帰される傾向にあるという点について触れる。その上で,これら動詞が相互に意味的な関連性を有する可能性を指摘し,その項実現が動詞の意味から説明されるべきであることを主張する。続く1.2 節では分析対象の認定を行う。具体的には,動詞の項構造と直接的に関係しない「自由な与格 (free datives)」や,与格付与の特性をもつ接頭辞を含んだ不変化詞動詞・非分離動詞を考察対象から除外し,(1) のように形態的に単純な二項動詞を本論文における意味分析上の対象とすることを論じる。1.3 節では,様々な二項与格動詞に共通する意味成分の究明,および同動詞と他の意味的に近似する動詞の厳密な差異の追究,という二通りの具体的な課題について述べ,第2 章以降の構成について概観する。

第2 章 Previous Studies on the Dative Object in German(ドイツ語の与格目的語に関する先行研究)

本章では,動詞の目的語としての与格名詞句に対して意味的な特徴付けを試みている先行研究を批判的に検討する。2.1 節では意味役割分析 (role-centered approach) の具体例として Heidolph et al. (1981) および Wegener (1985) を取上げ,意味役割 (semanticroles) を言語学上の原初概念として設定することに起因する様々な問題点を論じる。また,与格目的語に係る有生性制約 (animacy constraint) についても言及し,意味素性"amnimate" の設定に基づいた与格目的語の意味記述が説明的妥当性に欠けることを指摘する。続く2.2 節ではプロトロール理論 (proto-role approach) の枠組に基づき二項与格動詞の項実現に対して意味的な説明を試みている Blume (1998, 2000) の妥当性を検証する。その上で,プロトロールの概念に基づく動詞項の特徴付けが,様々な二項与格動詞に共通する意味特徴,およびこれら動詞と他の意味的に近似する動詞との項実現上の違いを適切に捉えられないことを指摘し,動詞によって表される事象の構造的な把握を可能とする語彙表示レベルが必要であることを論じる。

第3章 Predicate Decomposition(述語分解)

本章では,第4 章以降で展開される意味分析上の道具立てとして述語分解 (predicatedecomposition) と呼ばれる分析手法を導入し,同手法の利点ならびに適用上の注意点を概観する。3.1 節では意味構造 (semantic structure) と定項 (root) という二種類の語彙意味成分の区別を仮定することの重要性を論じ,いくつかの原初述語 (primitive predicates)およびその組合せからなる意味構造鋳型 (semantic structure templates) を提示する。さらに,第2 章で検討した二通りの分析手法には当てはまらない述語分解の利点を指摘する。続く3.2 節では,意味構造という語彙表示レベルに加えて項構造 (argument structure) という独立した語彙表示レベルを仮定することの必要性について論じ,両レベル間における項のリンキング (linking) 関係を規定する。3.3 節では,空間的な意味を表す動詞によって示される体系的な多義性を包括的に捉える上で,場所理論 (localist theory) と呼ばれる意味論において提唱されている意味野 (semantic field) の概念を意味構造表記に取入れることが有用であることを論じる。

第4 章 Dative Verb Gehoren and the Notion of Possession(与格動詞 Gehoren と「所有」概念)

本章では,分析上の出発点として与格所有動詞 gehoren 'belong' を取上げ,同動詞をhaben 'have', sein 'be' という意味的ないし統語的に関連し合う二つの動詞と比較することにより,与格目的語の実現にとって関与的な意味成分の抽出を試みる。4.1 節では,gehoren 'belong' と haben 'have' が示すリンキング・パラドクスおよびこの問題に対する先行研究での解決案を検討する。その上で,haben 'have' と異なり gehoren 'belong' には様々な意味的・統語的制約が係ることを指摘し,両動詞の違いが意味構造の観点から説明されるべきであることを主張する。4.2 節では,gehoren 'belong' と sein 'be' との並行性を的確に把握するため,これら両動詞に対して原初述語 BE-AT から成る (2a)の意味構造鋳型を提案する。さらにgehoren 'belong' に対しては,BE-AT に所有の意味野を指示する素性 POSS が付加された (2b) の意味構造を設定する。

(2) a. [y BE-AT z]

b. gehoren 'belong': [y BE-ATPOSS z]

その上で,BE-ATPOSS の第二項である z 項は与格として実現されると仮定し,gehoren'belong' に係る様々な制約が (2b) の意味構造によって統一的に説明されることを示す。4.3 節では,haben 'have' の表す所有概念が,BE-ATPOSS とは異なる原初述語 HAVE によって特徴付けられるべきであることを主張し,haben 'have' と同様の統語的・意味的振舞いを示すいくつかの所有動詞の存在を指摘することにより,HAVE の設定の妥当性を裏付ける。4.4 節では主に,与格交替 (dative alternation) を示す schicken 'send' などの三項動詞を取上げて分析し,これら動詞の示す項交替が sein 'be' の示す項交替と意味的に関連し合うことを指摘する。その上で,与格交替動詞の意味構造が (2a) / (2b) の意味構造を繰り込むことを論証し,以って意味述語 BE-ATPOSS の汎用性を示す。

第5 章 Relational Verbs with the Dative Object(与格目的語を伴う関係動詞)

本章では,主格名詞の指示対象と与格名詞の指示対象との静的な関係を表す様々な状態動詞を関係動詞 (relational verbs) と名付け,意味的・統語的な基準に即して関係動詞を三通りの下位類に区分した上で,これら下位類相互ならびに関係動詞と他の動詞類との比較分析を行う。まず5.1 節で,関係動詞が示す能格的な振舞い (ergativity) を概観し,続く5.2 節で動詞 fehlen / mangeln 'lack' を欠如動詞 (dative verbs of correspondence) と名付けた上で,これら動詞と所有動詞 gehoren 'belong' との異同を明らかにする。具体的には,欠如動詞に対して否定関数 NOT を含んだ意味構造を提案する一部の先行研究の問題点を指摘し,これら動詞と regnen 'rain' のような天候動詞および sein 'be' との文法的な並行性を包括的に捉えるため,意味述語 BE-ATPOSS の第一項位置が,変項をしたがえる定項によって充足された (3) のような意味構造鋳型を提案する。

(3) fehlen / mangeln 'lack': [<LACK>(y) BE-ATPOSS z]

5.3 節では,欠如動詞と gefallen 'please' のような与格心理動詞 (psychological dativeverbs) との間に様々な統語的・意味的な並行性があることを指摘し,前者の意味構造鋳型が後者に対しても適用可能であることを主張する。さらに,与格心理動詞を,意味的に近似しつつも異なる項実現パターンを示す argern 'anger' のような対格心理動詞(psychological accusative verbs) と比較し,両動詞類の項実現パターンの違いが,主に使役性の有無といった意味構造上の相違に基づくものであることを論じる。続く5.4 節では,ahneln 'resemble' のような与格対称動詞 (dative verbs of correspondence) を取上げ,これら動詞が他の関係動詞とは異なる文法的振舞いを示しながらも,やはり (3) のような意味構造鋳型によって特徴付けられることを主張する。5.5 節の要約を挟み,5.6 節では begegnen 'occur to' のような出現・発生動詞 (dative verbs occurrence) を取上げ,これらの動詞と関係動詞および gehoren 'belong' とが,起動相述語 BECOME の有無という点を除いて意味構造的に並行であることを示す。

第6 章 Dative Verbs of Activity(与格活動動詞)

本章では,第4 章および第5 章における分析上の成果に基づき,danken 'thank', helfen'help', trotzen 'resist' といった活動事象を表す二項与格動詞を与格活動動詞 (dativeverbs of activity) と名付けた上で,これら動詞類と他の動詞類との比較分析を試みる。6.1 節では,与格目的語をしたがえない arbeiten 'work', tanzen 'dance' などの活動動詞と与格活動動詞との意味的・統語的共通点ならびに相違点を明らかにすることにより,前者に対して一般的に仮定されている単純事象構造分析が後者に対しては当てはまらないことを指摘する。その上で,与格活動動詞が,(4) に例示されるような,三項動詞の意味構造と並行する複雑的な意味構造を有することを主張し,複数の文法的な根拠を提示することにより同主張の妥当性を示す。

(4) helfen 'help': [x ACT] CAUSE [<HELP> BE-ATPOSS z]

6.2 節では,第5 章で取上げた関係動詞と与格活動動詞とが意味的・統語的振舞いの点で密接に関連し合うことを指摘し,その関連性を意味構造の観点から体系的に捉える。6.3 節では,与格活動動詞を,意味的に近似しつつも目的語項を対格で実現する loben'praise', kritisieren 'criticize' といった動詞と対比させることにより,Blume (1998, 2000)が与格活動動詞の項実現にとって関与的であると主張する「前提状況 (presupposedsituation)」という意味要素が実際には有意義でないことを論じる。6.4 節では,与格活動動詞における与格目的語の選択制限が一様でないことを指摘し,その動詞ごとの差が何に起因するのかを検討する。その上で,「前提状況」という意味要素が個々の動詞の定項の意味内容に還元されるべきものであることを主張し,与格活動動詞の項実現にとって関与的な意味成分が BE-ATPOSS に基づく所有概念であることを改めて論じる。

第7 章 Complex Word Formation and Interpretations of the Dative NP(複合語形成と与格名詞句の意味解釈)

本章では,不変化詞 zu- を伴う二項動詞および三項動詞を取上げ,この不変化詞によって導入される与格名詞句が「到達点 (goal)」としての解釈に加えて「受容者 (recipient)」としての解釈を副次的に示す場合があることを指摘し,いかなる場合にこの副次的な解釈が生じるのかを検討する。その上で,与格名詞句の「受容者」解釈は,同名詞句に該当する項が意味構造レベルにおいて直接内項と同一の副事象内に位置付けられる場合にのみ可能であることを明らかにし,この条件が,第4 章から第6 章までで取上げた二項与格動詞に係る意味構造レベルの条件と相同的であることを指摘する。

第8章 Concluding Remarks and Future Direction(結語と今後の課題)

本章では,第1 章から第7 章までの議論を要約し,意味述語 BE-ATPOSS を仮定する本論文での分析が,様々な二項与格動詞相互の意味的関連性を適切に捉えられるだけでなく,これら二項動詞と三項動詞との統一的な把握にとっても有用となり得ることを指摘する。さらには,本論文における分析の結果から導き出される理論的な帰結ならびに語彙意味論全般に向けた提言について触れ,最後に,同分析の他言語への応用可能性の検討を将来的な課題として挙げる。

審査要旨 要旨を表示する

高橋亮介氏の博士論文"A Predicate Decomposition Approach to Dative Verbs inGerman"(述語分解に基づくドイツ語与格動詞の語彙意味論的研究)は、与格を目的語とするドイツ語の二項動詞(以下、二項与格動詞)を語彙意味論の観点から精密に分析することにより、その項実現にとって関与的な動詞の意味成分の抽出を試みるものである。

本論文は8 章からなり、まず第1 章では、研究の対象と目的について述べる。語彙意味論において非規範的とされる二項の与格動詞を中心の研究対象とし、三項動詞と自由与格は扱わない。従来の研究では、二項与格動詞の項実現がそれぞれの動詞の個癖性に帰される傾向にあったが、これらの動詞が共通に持つ意味から説明され得ることを明らかにし、その結果、語彙意味論の基本的枠組みに新たな提案を行うことが目的である。

第2 章では、ドイツ語の与格目的語に関する代表的な先行研究を検討し、問題点を指摘する。意味役割分析に基づく研究は、言語学上の原初概念として設定される「意味役割」によって説明できない与格目的語の意味を有生性という意味素性によって記述するが、与格目的語が非有生の場合の説明に妥当性を欠く。また、プロトロール理論に基づく研究は、様々な二項与格動詞に共通する意味特徴、およびこれらの動詞と意味的に近似する二項対格動詞との項実現上の違いを適切に捉えられない。

第3 章では、第4 章以降で展開される意味分析で用いられる述語分解の分析手法を検討し、2 章で取り上げた先行研究よりも同手法が優れていることが主張される。述語分解とは、意味構造と定項(root)、いくつかの原初述語からなる意味構造鋳型と項構造をリンキングによって結ぶものである。

第4 章では、所有を表すhaben'have' とgehoren'belong to' のリンキングパラドックスの解決法を示すことを通じて二項与格動詞の基本的な意味構造が提案される。haben と異なりgehoren には様々な意味的・統語的制約が係ること、gehoren とsein に並行性があることを指摘し、二項与格動詞であるgehoren に対してBE-AT に所有の意味野を表す素性POSS が付加された以下の意味構造が設定される。

gehoren 'belong to': [y BE-ATPOSS z]

第5 章では、主格名詞句と与格名詞句との所有以外の静的関係を表している「関係動詞」を扱う。関係動詞は、意味的にfehlen / mangeln 'lack' などの欠如動詞、'gefallen'please' などの与格心理動詞、ahneln 'resemble' などの与格対称動詞に分けられるが、統語的・意味的振舞いの共通性によって、意味述語BE-ATPOSS の第一項位置が、変項を従える定項によって充足された以下の意味構造鋳型が共通に認められる。

fehlen / mangeln 'lack': [<LACK>(y) BE-ATPOSS z]

第5 章では、さらにbegegnen 'occur to' のような出現・発生動詞について以下が提案される。

begegnen 'occur to': [BECOME [y BE-ATPOSS z]]

第6 章では、danken 'thank'、helfen 'help'、trotzen 'resist' などのように主格名詞句が何らかの活動を行う「活動動詞」を扱う。与格目的語を従えないarbeiten'work'、'tanzen 'dance' などの活動動詞と与格活動動詞との意味的・統語的共通点ならびに相違点を明らかにすることにより、前者が単純事象構造を成しているのに対して、後者が三項与格動詞と並行する複雑な意味構造を有することを示し、以下の意味構造鋳型を提案する。

helfen 'help': [x ACT] CAUSE [<HELP> BE-ATPOSS z]

第7 章では、与格目的語を従える複合動詞を扱う。複合動詞の場合は、基礎動詞の意味構造によってではなく、接頭辞によって与格が導入される。接頭辞zu- を伴う動詞を取上げ、zu-によって導入される与格目的語が到達点としての解釈に加えて受容者としての解釈を示す場合は、同目的語に該当する項が意味構造レベルにおいて直接内項と同一の副事象内に位置付けられる場合であることが示される。この条件は、これまでに扱った単一動詞の二項与格動詞に設定された意味構造レベルの条件と同一である。

第8 章では、これまでの議論を要約した上、意味述語BE-ATPOSS を仮定する本論文の分析が二項与格動詞のみならず、三項の与格動詞をも統一的に説明し得ること、さらには、日本語との対照分析への応用が可能であることが示唆され、本論文の語彙意味論全般への理論的意義を明らかにしている。

審査委員からは、複合動詞の分析では、zu-以外の接頭辞を伴う動詞でも、接頭辞の意味と基礎動詞の意味との関係を検証する必要があること、述語分解の枠組みによって捉えられる意味だけを文法的に有意義であるとするのは問題であることなどの指摘がなされた。しかし、二項与格動詞を統語的・意味的な特徴に基づいて精確に分類し、各グループに共通する意味特徴を明らかにしたこと、また、述語分解の枠組みに新たに導入した意味述語BE-ATPOSS を軸に二項与格動詞の意味を統一的に説明したことによって、記述面と理論面の双方において大きな貢献をなしており、課程博士論文として高いレベルに達しているとの結論となった。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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