学位論文要旨



No 125187
著者(漢字) 閔,由眞
著者(英字)
著者(カナ) ミン,ユジン
標題(和) 日韓両語における視覚動詞の多義性と意味連鎖 : [みる]・[ pota]と[てみる]・[/ e/ko pota]の対照を中心に
標題(洋)
報告番号 125187
報告番号 甲25187
学位授与日 2009.06.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第918号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 生越,直樹
 東京大学 教授 坂原,茂
 東京大学 准教授 坪井,栄治郎
 東京大学 准教授 福井,玲
 東京大学 准教授 西村,義樹
内容要旨 要旨を表示する

本論文は日韓両語の視覚動詞[みる]と[〓 pota]およびその派生形式である[てみる]と[〓/ e/ko pota]を取りあげ、これらの意味の全体像を把握することを目的とし、分析を行ったものである。

第一に、日韓両語の視覚動詞である[みる]と[〓 pota]は人間の基本的な感覚を表す語彙である故、多くの類似性を持つことが観察される。しかし、その細部においてはお互い対応しない用例が多く見られる。本稿ではまず、既存の先行研究に修正を加え、日本語の視覚動詞[みる]の多義的な意味がどのような動機づけを持って、如何なる多義構造を持つかについて考察した。[みる]のプロトタイプ的な意味は「視覚認知」であり、この基本的な意味から、人間の「理解・判断」「一般的な経験」などの意味への拡張を見せる。本稿では「視覚」と各多義的意味間の拡張の動機付けについて再整理し、これによる[みる]の多義構造を提示した。

第二に、本稿で提示する[みる]の多義構造を根底に据え、韓国語の視覚動詞[〓 pota]の意味と日本語の[みる]の意味における類似性と相異点を考察した。その結果、日韓両語の視覚動詞は同様の多義拡張を見せることを確認し、なお[みる]に対応しない[〓 pota]の個別例も多義構造のいずれかの意味カテゴリーに編入できることが分かった。今まで、韓国語の[〓 pota]に関してはその多義性が指摘されつつも、拡張の動機付けや多義の全体像が把握されていなかった。本稿ではこのような問題を解決すべく、[みる]の多義構造に[〓 pota]を照らし合わせて考察することで、[〓 pota]の多義性の全体像を捉えると共に、両者の対応関係を明確にした。

第三に、本稿では目韓両語の視覚動詞と意味的な連続性を持つと思われる形式である[てみる]と[〓 e/ko pota]の意味の問題に取り組んだ。日韓両語において[てみる]と[〓 e/ko pota]はお互い対応するとされるが、[てみる]という一つの形式に韓国語の〓 e pota]と[〓 ko pota]という二つの形式が対応しているため、両者の対応関係は明確にされていなかった。このような問題点を踏まえ、本稿では[てみる]と[〓 e/ko pota]の意味的根源が本動詞[みる]と[〓 pota]にあることを主張し、補助形式[〓 pota]と[〓 e/ko pota]の持つとされてきた意味はこれらが出現する構文構造と本動詞の意味の相互作用により、再解釈を通して生成される意味であることを主張する。

まず、[てみる〕に関して言えば、通常[てみる]が持つとされる最も顕著な意味は「試行」であるが、複文環境においては複文の後件の内容に対する「認識」を表すとされる。一つの意味形式に二つの一見無関係にも見える二つの意味が結び付く現象について、その根底にある意味的共通基盤を与えることは大変意義のあることである。本稿では[てみる]の持つ二つの意味の共通基盤には本動詞[みる]の多義的な意味の一つである「判断」の意味があり、[てみる]が持つとされる意味は、この[みる]と構文構造の関わり合いから生成されることを主張する。

[てみる]は接続助詞[テ]と[みる]が連結された形態であり、視覚動詞との意味の関連性が窺える。日本語の接続助詞[テ]による連結は、文レベルにおいて、前件と後件の関係に多様な解釈の可能性を持ち、時間的な前後関係から〈原因―結果〉の関係や〈手段―目的〉関係へと解釈される。このような接続助詞[テ]の機能は[V1テV2]構文においても連続して見られ、[てみる]は先行する動詞との関係解釈によって、複数の意味を持つようになる。「試行」の意味に関して言えば、[てみる]に先行する意志動詞と[てみる]の関係は〈手段―目的〉の関係として解釈される。このような〈手段―目的〉の関係による再分析の結果、[てみる]の「試行」の意味は生まれる。また、無意志動詞に後続する[てみる]は「結果認識」の意味を表すが、これも複文という限られた環境で、先行する動詞と[てみる]は〈原因―結果〉の関係にあると解釈され、複文の後件の内容に対する「認識」の意味を持つようになる。「試行」の意味も、「認識」の意味も、本動詞[みる]の持つ多義的意味の一つである「判断」の意味と連続しており、これらと構文構造との相互作用によって[てみる]の意味が生成されるのである。[てみる]と[みる]の意味の関連性は先行研究においてもしばしば指摘されてきたが、「試行」や「認識」の意味が生成される仕組みについて明示的な説明はされていなかった。この点を解決すべく、[てみる]の「試行」や「認識」の意味生成の仕組みを明確にすることを試みた。

第四に、日本語の[てみる]に対応するとされる韓国語の[〓 e/ko pota]の形式について考察を行った。韓国語研究において[〓 e pota]と[〓 ko pota]の二つの形式は微妙な意味の重なりとずれが見られ、その意味記述が明確にされていないことが問題点として挙げられる。特に複文において、両者が適格に用いられる場合とそうでない場合が混在しており、韓国語母語話者が感じ取る両者の違いはあるものの、出現の適格性を決めるものは何かという点と、両者の意味の違いは何かについての明示的な説明はなされていなかった。さらに、[〓 e/ko pota]内部の意味規定が明確でないことから、当然ながら、この二つの形式が対応するとされる日本語の[てみる]との対応関係も明確なものではなかった。

本稿ではまず、[〓 e/ko pota]の意味の問題に取り組み、両者の重なりとずれの原因がどこにあるかを究明することを試みた。[〓 e/ko pota]は連結語尾[〓 e]と[〓 ko]に視覚動詞[〓 pota]が結合した形態である故、本動詞との意味的関連性が予想されるものである。この連続性を認めるならば、[〓 e/ko pota]両者の意味の重なりやずれの原因が連結語尾[〓]にあるとの予想は当然の帰結であろう。従って、本稿では[(〓 e/ko pota]の意味規定における混乱を解決するため、連結語尾の違いに注目し、考察を行った。文末において[〓 e pota]は「試行」の意味を持つとされ、[〓 ko pota]は先行する「行為の達成」を表すと考えられる。これは時制との関連で「行為達成への意志」あるいは「行為達成」そのものを表すようになる。このような違いは、[〓]による連結の様相の違いに起因していると思われる。連結語尾[〓e]は、文レベルにおいて、前件と後件を一つの連続した事象として捉えるという特徴を持つ。一方、[〓 ko]の場合は前件と後件を二つの別個の事態として捉える。このような傾向性は動詞連結にも一貫している。[〓 e pota]の場合、先行する動詞と[〓 pota]の間には〈手段―目的〉の関係が読み取られ、「試行」の意味へ再解釈される。[〓 ko pota]の場合は、[〓 ko]で連結される先行動詞と[〓 pota]は別個の事態として捉えられ、この場合、[〓 e pota]で見られる〈手段―目的〉関係は読み取られない。さらに、文末においては[〓 pota]の認識の対象が示されないため、[〓 ko pota]における[〓 pota]の認識の意味は薄れ、もっぱら先行する行為の達成に意味的焦点が当てられるようになる。文末においては比較的[〓 e/ko pota]の意味区別は明確なものである。両者の意味の違いが最も見えにくいのは両者が複文環境に現れる場合である。複文構造の特性上、[〓 e/ko pota]は両者ともに後件に対する「認識」や「判断」の意味を持つとされ、両者が問題なく複文の用いられる場合と片方しか成立しない場合があることが両者の意味規定に混乱をもたらす要因であった。本稿ではこれに[〓 e/ko]による連結の違いを持って適切な説明を与えることを試みた。複文環境において、[〓 e pota]が先行する行為と連続した事象として捉えられるということは前述の通りであるが、この場合[〓 e pota]はそれに先行する行為の結果生じた、結果状態を要求する。これは連結語尾[〓 e]の特性によるものであると考えられる。換言すれば、先行する行為の結果としてふさわしくない、あるいは先行する行為の結果として関連性に欠ける後件への認識は[〓 e pota]で表わすことができないということである。反面、[〓 ko pota]の場合は先行する動詞と[〓 pota]による認識を別個のものとして捉えるという特徴を持つため、行為後のランダムな認識を表すことも可能である。整理すると、[〓e pota]が先行する行為の結果としての後件を要求するのに対し、[〓 ko pota]はこのような制限はなく、先行する行為の結果としての後件であっても、先行する行為との関連性が希薄なランダムな後件であっても、適格に用いられる。以上の考察から[〓e/ko pota]の重なりやずれの原因は連結語尾[〓]の違いにあり、[〓 pota]で表わされる認識を先行する行為と関連性のあるものに限定するか、そうでないかが両者の意味区分の基準となるということを明確にした。

最後に[〓 e/ko pota]と[てみる]の対照の問題を考える。[〓e/ko pota]は両方とも[てみる]に対応するとされるが、これは[てみる]が[〓e/ko pota]の特徴を合わせ持つものであるということを意味する。まず、[〓 e pota]と[てみる]は文末で「試行」表すという点ではその類似性を見せる。しかし、文末で[〓 e pota]は「試行」の意味以外に「経験」の意味を持つが、これに[てみる]は対応しない。さらに、文末においては[〓ko pota]と[てみる]の対応は見られない。複文においては、[〓e/ko pota]が先行する行為と関連性を持つ後件に対する認識を表す場合、[てみる]は[〓e/ko pota]両方ともに対応するが、[〓 ko pota]の持つランダムな後件への認識には対応しない。このような考察から[てみる]と[〓e/ko pota]の対応関係を明確に示した。

審査要旨 要旨を表示する

閔由眞氏の博士論文「日韓両語における視覚動詞の多義性と意味連鎖 ‐[みる]・[〓 pota]と[てみる]・[〓 e/ko pota]の対照を中心に-」の審査結果について報告する。

本論文は日韓両語の視覚動詞[みる]と[〓 pota]およびその派生形式である[てみる]と[〓 e/ko pota]を取りあげ、両言語を対照しつつ、これらの意味の全体像を把握することを目的としたものである。従来の研究では、動詞[みる]の意味とその派生形である [てみる]の意味の関連性が十分考察されておらず、多義性と意味連鎖の観点から詳細な検討が必要である。また、類似した用法を持つ韓国語[〓 pota]と[〓 e/ko pota]を比較対照し、その共通点と相違点を明らかにすることにより、視覚動詞の多義性と意味連鎖に関し、普遍性と個別性という観点からの考察が可能となる。

本論文は6章からなり、まず第1章では、多義に関する先行研究と本論文の分析に必要な諸概念整理・提示している。

第2章では、日本語の視覚動詞[みる]の多義的な意味がどのような動機づけにより、如何なる多義構造を持つかについて考察している。その結果、[みる]のプロトタイプ的な意味は「視覚認知」であり、この基本的な意味から、人間の「理解・判断」「一般的な経験」などの意味への拡張を見せていることを明らかにし、「視覚」からその他の意味への拡張の動機付けを検討することにより、[みる]の多義構造を提示した。

第3章では、視覚動詞と意味的な連続性を持つと思われる[てみる]の意味の問題に取り組んでいる。本論文では、[てみる]が持つとされる「試行」「認識」という二つの意味の共通基盤は、本動詞[みる]の多義的な意味の一つである「判断」であるとし、この二つの意味は視覚動詞[みる]の意味と構文構造の関わり合いから生成されるものであることを主張している。用例の詳細な検討の結果、[Vてみる]は[V1テV2]の構文構造により、<手段-目的><原因-結果>の関係に再解釈され、「試行」「認識」の意味を持つことを示した。

第4章では、第2章で提示した[みる]の多義構造を根底に据え、韓国語の視覚動詞[〓 pota]の意味と日本語の[みる]の意味における類似性と相異点を考察している。その結果、日韓両語の視覚動詞は同様の多義拡張を見せることを確認し、[みる]に対応しない[〓 pota]の個別例も分析の結果、多義構造のいずれかの意味カテゴリーに編入できることがわかった。このような考察によって、従来明確ではなかった[〓 pota]の多義性の全体像を捉えると同時に、[みる]と[〓 pota]の対応関係を明確にしている。

第5章では、日本語の[てみる]に対応するとされる韓国語の形式[〓 e/ko pota]について考察を行っている。まず、[〓 e/ko pota]の意味について、両者の重なりとずれの原因を究明するため、特に連結語尾[〓 e]と[〓 ko]の違いに注目して考察を行った。文末における[〓 e/ko pota]の意味については、[〓 e pota]は「試行」の意味を表し、一方、[〓 ko pota]は先行する「行為の達成」を表し、さらに時制との関連で「行為達成 への意志」あるいは「行為達成」そのものを表すようになる。このような[〓 e/ko pota]の違いは[〓]による連結の様相の違いに起因しており、連結語尾[〓 e]は、文レベルにおいて前件と後件を一つの連続した事象として捉えるという特徴を持つ、一方、[〓 ko]の場合は前件と後件を二つの別個の事態として捉えることを指摘した。

さらに、[〓 e/ko pota]の意味の違いが最も見えにくい複文環境に現れる場合についても、両者の違いが[〓 e/ko]による連結の違いによって説明可能であることを示した。すなわち、[〓 e pota]が先行する行為の結果としての後件を要求するのに対して、[〓 ko pota]はこのような制限はなく、行為の結果としての後件であっても、行為との関連性が希薄でランダムな後件であっても、適格に用いられることを明らかにした。以上の考察から[〓 e/ko pota]の重なりやずれの原因は連結語尾[〓]の違いにあり、[〓 pota]で表わされる認識を先行する行為と関連性のあるものに限定するか、そうでないかが両者の意味区分の基準となるということを明確にした。

第5章では最後に、[〓 e/ko pota]と[てみる]の対照の問題を考えている。考察の結果、文末で[〓 e pota]は「試行」の意味以外に「経験」の意味を持つが、これに[てみる]は対応しないこと、文末の[〓 ko pota]と[てみる]の対応は見られないこと、複文においては、[〓 e/ko pota]が前件と関連性を持つ後件に対する認識を表す場合、[てみる]は[〓 e/ko pota]両方ともに対応するが、[〓 ko pota]の持つランダムな後件への認識には対応しないことを明らかにし、[てみる]と[〓 e/ko pota]の対応関係を明確に示している。

第6章では、結論と今後の課題を述べている。

本論文は、日韓両語における視覚動詞と、それから派生した補助形式について、その意味の関係を緻密に分析することによって、両言語の類似点と相違点を明確にしている。特に、両言語の補助形式の意味が、いずれも視覚動詞の意味と構文構造の関わり合いから生成されることを指摘するとともに、両言語の違いが連結語尾による構文構造の違いに起因することを明らかにした点は、従来の研究にはない独自の成果である。また、韓国語の[〓 pota]の多義構造を提示したこと、[〓 e/ko pota]の意味を明確にしたことは、韓国語学における新たな成果である。このような点において、本論文は、言語学、日本語学、韓国語学の分野において高く評価される論文だと考える。なお、一部の論述において不十分な点が見られること、日本語と韓国語の違いの背景についての考察が不足していることなど、今後検討すべき課題も指摘されたが、それらが本論文の価値を損ねるほどのものではないことが確認された。

したがって、本審査委員会は本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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