学位論文要旨



No 125189
著者(漢字) 阪本,拓人
著者(英字)
著者(カナ) サカモト,タクト
標題(和) 領域統治の統合と分裂 : 東北アフリカ諸国を事例とするマルチエージェント・シミュレーション分析
標題(洋)
報告番号 125189
報告番号 甲25189
学位授与日 2009.06.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第920号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山影,進
 東京大学 教授 田中,明彦
 東京大学 教授 石田,淳
 東京大学 教授 遠藤,貢
 東京大学 准教授 永田,淳嗣
内容要旨 要旨を表示する

1.問題

近代主権国家体系においては、各々の国家の領域とそこに住む住民とが単一の政府の実効的な統治によってひとつにまとまっている状況が想定されている。だが、こうした状況は世界各国で一様に成立しているわけではない。地方に恒常的な反乱を抱えている国家、政府と反政府組織との間で統治が二分されている国家、国土が四分五裂し政府が消滅してしまう国家など、国家の領域上におけるまとまりと分裂―領域統治の統合と分裂―の様態は、実際にはきわめて多様である。

このような多様性は、いかなる要因によってどのように生じるのであろうか。本研究では、エチオピア、スーダン、ソマリア、ケニアといった東北アフリカの国々を事例に、この問題に取り組んだ。

2.背景

こうした取り組みには、国家の領域統治の統合と分裂の動態を理解し説明するための枠組み、すなわち理論がまず必要になる。ところが、関連する先行研究―国家の「破綻」「崩壊」をめぐる研究や国家内の武力紛争をめぐる研究―には、このような理論がことごとく欠けている。

一方で、政府が領域内で実効的な支配を維持できなくなるために、主権国家の一体性が損なわれるという状況は、当該国家の「破綻」「崩壊」を明瞭に示す深刻な事態である。だが、こうした状況がどのようにもたらされるのかを問うても、「破綻」「崩壊」国家を扱う既存の研究は、確かな因果論理を提供してはくれない。これらの研究では、記述的概念の山積と政策論議の活発さのみが際だっており、因果関係を説明する理論の発達が総じて十分ではないからである。

他方、国家の領域統治の統合と分裂は、多くの場合、領域上での武力紛争の拡大や縮退を伴う。近年理論とモデルの蓄積が著しい国内紛争研究であるが、領域統治の動態の理解に資する理論を見いだすことはここでも容易ではない。紛争の空間的な動態が、明示的な理論化の対象としてこれまで十分に取り上げられてこなかったからである。

したがって、領域統治の統合・分裂の多様性を問題にすることは、先行研究の欠乏を補う理論の構築を不可避にする。本研究の学術的な貢献は、主にこの点に求められる。

3.方法

国家の統合・分裂のマクロな動態は、領域を構成する無数のローカリティにおいて、政府とその対抗組織とが、そこに住む多数の住民を巻き込みながら展開するミクロな相互作用の積み重ねによって惹起される。言い換えると、領域統治の動態の基底にあるのは、空間に強く拘束された多主体間のローカルな相互作用である。理論構築にあたって求められたのは、この相互作用を形式化し、経験世界との対応を十分に図りながら、そこから推論を進めていくことであった。

こうした要請に応える技法として、マルチエージェント・シミュレーション(MAS)と地理情報システム(GIS)が挙げられる。前者は多主体間のローカルな相互作用を扱うのに適したコンピュータ・シミュレーションの技法であり、後者は実世界のデジタル化された地理空間データを扱うためのプラットフォームである。本研究では、両者を統合的に活用し、現実の国家の地理空間構成と関連づけた仮想空間のなかで、領域と住民の占有をめぐる組織間の競合を展開させた。現実国家と似通った仮想国家において領域統治の統合と分裂をシミュレートしたわけである。

4.モデルとデータ

具体的には、以下のようなモデルとデータを用いてシミュレーションと分析を行った。

仮想国家のモデルは、領域上における政府と反政府組織との軍事的・政治的競合を形式化した確率モデルである。このモデルはPopCellとRulerという二種類のエージェントから構成される。前者は、格子状に仕切られた仮想空間の各区画とそこに居住する住民とを表現するエージェントであり、住民が保有する物的資源の量および民族・宗教・地域といった住民の社会・文化属性によって類別される。後者は、政府と反政府組織を表現するエージェントであり、住民の属性に対する偏重の有無によって特徴づけられる。Rulerは、傘下の住民から資源を動員しこれを空間上に配備することで、各々の版図の拡大を目指す。仮想国家の統合と分裂のマクロな動態は、これらエージェントの間の局所的な相互作用により、各PopCellを統治するRulerが確率的に変転していくことで惹起される。PopCellは、その近隣により多くの資源を配備し、その住民の属性により偏重したRulerの傘下に入りやすいというのが、この相互作用を方向づける基本的な論理である。

MASを使った研究として本研究が特徴的なのは、上記の各エージェントを特徴づける変数の値を、GISデータを含む実データを用いて付与した点である。対象としたのは東北アフリカの国々であり、これらの国の人口分布・民族分布・宗教分布等のGISデータおよび国民所得・政権の支持基盤といった非空間データを収集し活用した。たとえば、図1左は現実のスーダンの民族分布を表す。これをPopCellの属性に「流し込む」ことで、同図右の「仮想スーダン」の民族分布が得られる。このようにして、東北アフリカ諸国を近似した仮想国家をコンピュータのなかに構成していったのである。

5.シミュレーション

仮想国家のシミュレーションは、政府に相当する単一のRulerがすべてのPopCellを一元的に統治している状況から開始される。他の多数のRulerは潜在的な反政府組織として、無作為に選ばれた領域上の各地点から当該国家への浸透を伺っている。上述したような相互作用をエージェント間で展開させることで、このような「初期状態」がどう変化していくのかを、東北アフリカ諸国を模した各仮想国家において、広範に条件を操作しながら観察した。操作の対象となった仮想国家の条件は、各国の物的資源の水準や政府に対する外部からの支援の量といった変数である。

シミュレーションを実行すると、それぞれの仮想国家には、固有の統合・分裂の空間的パターンが現れる。図2はこれを例示するものである。図中のPopCellの色の違いは、当該のセルを統治するRulerの違いを表す。赤塗りされた領域は、政府の統治下にあるPopCellを示す。これらのパターンやそれらの出方は、仮想国家を規定する諸々の条件に影響されるが、注目されるのは、広範な条件のもとで、対応する現実の国家において観察されたものと似通った領域統治の動態が、仮想国家のなかで観察された点である。仮想スーダンは南北分裂、仮想ソマリアは四分五裂といった具合に、多くの仮想国家は、現実の国家の領域統治のあり方を特徴的に捉えた振る舞いを示した。

6.分析

現実の国家に似せて作った仮想国家のなかで、現実のものと似通った領域統治の動態が観察された。このことは、領域統治の統合と分裂に対する国家の空間的構成(spatial configuration)の規定力の大きさを強く示唆している。なぜなら、相異なる動態を示す仮想国家に大きな違いをもたらしているのは、主に地理空間上のデータの差異になるからである。それでは、どのような側面における空間構成の違いがどのように統合・分裂の様態を規定しているのだろうか。シミュレーションの結果の分析を通じて、以下の二種類の要因の重要性が明らかにされた。

ひとつは、政治的な排除・包摂の空間構造である。特定の属性の住民に対する政府の偏重は、多様な住民が分布する国家の領域上に、政権に取り込まれている人々・排除されている人々の不均質な分布を生み出す。この分布の様態―包摂・排除されている住民の広がり、各々の同質性・異質性や混住・分住の程度など―は、領域のどの場所で統治の侵食・分裂が起きやすいのかを強く規定することになる。

もうひとつは、物的な資源の空間分布である。人口や所得の違いなどにより、国家の領域上には、物的に豊かな場所・不毛な場所が不均質に形成されている。統治が物的な下支えを要する以上、この資源分布の様態は、領域各所における政府・反政府組織の統治の維持と拡大のしやすさを規定することになる。国家全体の統合・分裂のあり方は、これによっても大きく変化する。

分析では、こうした側面における国家の空間構成と領域統治の動態とを結びつける具体的な因果論理を、東北アフリカ諸国の文脈に引きつけながら構築していった。

7.拡張

このように領域統治と空間構成との間の規定関係を強調しつつも、本研究では、国家の統合と分裂に作用しうる他の要因にも検討を加えている。対象となったのは、政府による収奪、国外からの敵対的介入、組織間の提携、統治構造の分権化である。たとえば、分権化に関する検討では、連邦制や特定地域の自治といった重層的な統治構造を仮想国家の中にも導入するという、政策的にも興味深いシミュレーションが行われた。こうした拡張を通じて示されたのは、領域統治の統合と分裂を取り巻く多様な問題群に対して、コンピュータのなかの仮想国家が持つオープンエンドな可能性である。

審査要旨 要旨を表示する

「領域統治の統合と分裂:東北アフリカ諸国を事例とするマルチエージェント・シミュレーション分析」と題する論文は、破綻国家論を始めとする近年の国家論や紛争論が注目するアフリカについて、国家の領域統治の動態をマルチエージェント・シミュレーション(MAS)技法を用いて分析したものである。7章の本論と2つの付録(A4用紙で約290枚の分量)からなる本論文は、政府や反政府政治勢力、分離独立勢力などによる領域統治をめぐる対立を理解するに当たり、地域社会の属性と統治勢力の動員形態との間の局所的な相互作用が国家の領域統治の分裂・統合という大局的な様相を確率的に決めるというモデルを提案し、その妥当性を、スーダン、エチオピア(エリトリアを含む)、ソマリア、ケニアの4つのケースについて検証したものである。

第1章では、国家の破綻や崩壊について、先行研究が現象の説明に終始し、明確な因果的説明をできないでいることを指摘する。そして、本論文の目的が、局所的な空間構成に基づいた領域統治の様相という一般的なモデルを構築することにより現象の背景にある論理を析出することをめざすとする。第2章では、地域社会の量的・文化的属性(人口、民族、宗教、経済水準)と統治勢力の動員形態との間の局所的な相互作用についてのMASモデルを定式化する。ある地域社会をどの勢力が統治するかは、当該地域社会とその近傍の地域社会の様相と既存統治勢力との相性の関数として逐次決定される。モデルがきわめて抽象的なので、地理的分布に関する仮想的な単純な例について、どのような大局的特徴が現れるのかも本章で示される。第3章では、分析対象となる東北アフリカ諸国における領域統治の歴史的概観が叙述され、MAS結果の評価軸が示されるとともに、対象国をコンピュータ上の仮想国家として構築するための地理情報システム(GIS)に基づいて作成されたデータについて解説される。第4章では、4つの仮想国家についてのMASの結果が、著者が独自に考案した図表化表現によって、比較対照が容易になるように示される。第5章では、MAS結果と現実の歴史とを比較させながら、モデルの一般的特徴の検証と、個別ケースにとっての妥当性の検討がなされ、モデルの現実との適合性が説得的に示される。第6章では、モデルの妥当性を前提にして、仮想国家を現実の国家に近づけるためのモデル拡張と、拡張されたモデルのMAS結果と現実との比較が行われる。第7章では、結論の要旨と今後の課題が示される。

以上のような構成と内容の本論文は、MAS技法を国際関係論・比較政治学に初めて本格的に導入した画期的な論文である。第1に、地域社会と政治勢力との局所的な相互作用が領域統治の大局的な様相を生み出す仮想国家モデルは、国家論の定性的理論やMASの既存モデルから大きく飛躍したもので、この種の研究の可能性を切りひらくものである。特に強調すべき点として、既存の内戦・国家破綻研究が国家の集合的属性を表す指標(たとえば総人口に占めるマイノリティ集団の比率や天然資源の総保有量)に着目してきたのに対して、本論文は、住民や資源の空間配置が競合する統治勢力間の領域争奪戦の帰趨を左右することを示した。第2に、MASが抽象的な結論しか出せないという従来からの批判に正面から立ち向かって、GISを駆使して既存の調査結果をデータ化し、仮想国家を現実の国家に近づけることに成功し、MASの結果を現実に対照させて評価できるようにしたことも高く評価できる。第3に、MAS結果がアフリカ国家論の再検討につながっている(第5章の議論)点は、モデルの妥当性、実証分析との適合性という観点から、MASが実証研究にも資することを例証したものであり、単に方法論的な評価を超えて高く評価できる。第4に、様々な条件で多数回繰り返されるMAS結果を示すに際し、本論文では筆者が独自に考案した図表化方法により、大局的な領域統治の様相が一目瞭然となったことも、技術的な点ではあるが高く評価できる。

もっとも、このように高く評価できる本論文ではあるが、不十分な点がないわけではない。第1に、破綻国家論などについて一般的な説明論理が欠如していると批判しながら、本論文の結論は、局所的相互作用が大局的様相を導出するという主張はきわめて斬新な理論提起ではあるものの、既存理論を否定しそれらに置き換わるものではないという意味で、自身の批判に十分応えていない。第2に、モデルの拡張について、いくつかの興味深い方向性は示されているものの、必ずしも体系的ではない。第3に、空間の拘束性を強調しているが、モデルの特徴は近傍の属性を踏まえた局所的決定であり、空間のあり方(たとえば領域の形)が結果を左右するかどうかについての理論的検討が伴っていない。

以上のような本論文の短所は、MASと実証的研究とを架橋し、領域統治に関する局所的相互作用モデルにより大局的様相を再現できることを示したという画期的な成果をいささかも損なうものではない。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するのにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク