学位論文要旨



No 125190
著者(漢字) 硯川,潤
著者(英字)
著者(カナ) スズリカワ,ジュン
標題(和) 薄膜形光アドレス電極の開発とその応用
標題(洋)
報告番号 125190
報告番号 甲25190
学位授与日 2009.06.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(情報理工学)
学位記番号 博情第246号
研究科 情報理工学系研究科
専攻 知能機械情報学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 講師 高橋,宏知
 東京大学 教授 廣瀬,通孝
 東京大学 教授 神崎,亮平
 東京大学 教授 中尾,政之
 東京大学 教授 神保,泰彦
 国立障害者リハビリテーションセンター 福祉機器開発部長 井上,剛伸
内容要旨 要旨を表示する

微小電極を用いた電気化学的な生体計測・操作は,電極‐溶液界面での電子移動を伴う「酸化還元形」と,電子移動を伴わない「容量形」とに大別できる. 光導電性半導体への光照射で仮想的に微小電極を生成する「光アドレス法」では,主に後者への応用が試みられてきた. しかし,酸化還元形への応用は,i) バルク半導体中での電荷担体の側方拡散が大きくなる,ii) 半導体表面の劣化が顕著になる,などの理由から発展していない. 本研究では,これらの問題を解決するために,薄膜型光アドレス電極を提案・開発・試用する. まず,保護膜の有無や電気伝導率が,電極の光電特性に与える影響を網羅的に調査・検討し,薄膜形光アドレス電極の設計指針を構築する. さらに,神経細胞の電気刺激や,微小 pH 勾配生成への応用を通じて,同電極の有用性を実証する.

まず,様々な薄膜構成を有する光アドレス電極の性能を評価・比較することで,同電極の設計指針を構築した.酸化還元形光アドレス電極の性能は,電圧印加で得られる明電流の大きさに加えて,光照射部外の暗電流をどの程度抑制できているか,という視点で議論されるべきである. そこで,電圧パルスの印加で明暗部を通過する単位面積当たりの電荷量 (明/暗電荷密度) を測定し,一定の暗電荷密度または明暗電荷密度比を保って得られる最大明電荷密度を性能の指標とした. 薄膜半導体のモデル材料には,水素化アモルファスシリコンを用いた. 電極性能の向上には,アバランシェ効果による暗電荷密度の上昇を抑えることが重要であり,光導電層の厚膜化や低導電性保護膜の導入が有用であることがわかった. また,各層の伝導率・膜厚は,「膜厚方向への伝導率」を考慮することで,適切に設定できることがわかった. これらの知見は,薄膜半導体を二酸化チタン焼結膜に置き換えても確認できたため,材料に依存しない一般化された設計指針を構築できたと考える

培養神経細胞を用いた脳機能研究では,従来,電気生理計測・刺激のために微小多点電極アレイ (Microelectrode array, MEA) が用いられてきた. しかし,MEAを用いた計測・刺激の分解能は,微小電極の数や密度に制約を受ける. 本章では,薄膜形光アドレス電極の有用性を実証するために,同電極を用いた刺激・計測系の構築を試みる. 提案した実験系は,電極基板下部からのアドレス光照射系と,同上部からのカルシウムイメージング光学系とから成る. 基板上に培養された神経細胞に,アドレス光照射下で刺激を与えたところ,照射部周辺で局所的な発火活動を計測できた. また,計測と刺激の空間分解能は,共に単一細胞レベルであることを確認できた.

次に,薄膜形光アドレス電極上での酸化還元反応を,微小 pH 勾配の生成に利用することを試みた. 電気分解による pH 勾配生成に用いられてきた微小金属電極を,光照射でのパターニングが可能な陽極・陰極で代替する. 前章で構築した実験系を用い,電極基板上方からの蛍光イメージングで,光照射部周辺の pH 変化を計測した. 光照射下で正・負の電圧パルスを印加したところ,局所的な pH の下降・上昇を確認できた. 変形・切換が可能な光陽陰極は,i) 電極形状に依存した勾配プロファイルの変化を容易に評価できる点,ii) 勾配プロファイルの微調整が可能な点,iii) 多様な勾配の生成が可能な点で有用であることがわかった.

本研究では,薄膜半導体を光導電層に用いて,酸化還元形の光アドレス電極を開発した. バルク半導体とは異なり,薄膜半導体中では低電圧の印加でも高電界が発生する. この電界が原因で生じる暗電流の抑制が,薄膜形光アドレス電極を設計する上での最重要事項である. これまでにも,空間分解能向上を狙った薄膜形電極は開発されてきたが,容量形電位計測への利用が主であった. そのため暗電流の影響は顕在化せず,その抑制を扱った研究も例が無い. 暗電流抑制に有用な低導電膜は,電極上での安定した酸化還元反応を可能にする不活性保護膜としての機能も果たす. 高分解能・低暗電流・高安定性の全てが達成されたことで,光アドレス法は微小電極法を完全に代替できる強力な手法となった. 時空間的に,かつ,in situ での制御が可能な仮想電極を用いることで,バイオチップの構造は大きく簡略化できる. 例えば,細胞の搬送,接着・培養,剥離,破砕,分子計測という一連の電気化学処理を,一枚の光アドレス電極上で実行することも可能になる.

本研究で提案・開発した薄膜形光アドレス電極は,従来のバルク形光アドレス電極と比較して,i) 電荷担体の側方拡散が小さい,ii) 不活性な溶液接触面 (導電性防水保護膜や酸化物半導体) を有する,iii) 基板両面からの光学的アプローチが可能,という機能的特徴を持つ. 第二章では,薄膜半導体を用いることで問題となる暗電荷密度に着目し,酸化還元形電極としての設計指針を構築した. バルク形電極と比較して設計項目が多い薄膜形電極を,一貫して材料横断的に扱える理論を構築できた意義は大きい. 第三,四章では,前述した3点の特徴がもたらす有用性を,応用的に実証した. その結果,i) 従来のバルク形光アドレス電極よりも高い刺激空間分解能を有する,ii) 長期間の細胞培養や電気分解反応に耐える,iii) アドレス光照射のための光学系に加えて独立した光学系を設けられる,という有用性を確認できた.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,光導電性半導体への光照射で仮想的に微小電極を生成する光アドレス法を薄膜半導体で実現し,その設計指針を示している.さらに,薄膜形光アドレス電極の応用例として,神経細胞への光アドレス刺激や微小pH勾配の生成を実現し,同電極の有用性を実証している.

本論文は,序論(第一章),光アドレス電極の設計指針の構築(第二章),光アドレス電極の応用の具体例(第三章,四章),考察(第五章),結論(第六章)からなり,全6章で構成される.

第一章では,光アドレス電極に関して,本研究の背景と従来手法の問題点を概説し,本論文の研究目的を導出している.微小電極を用いた電気化学的な生体計測・操作は,電極‐溶液界面での電子移動を伴う「酸化還元形」と,電子移動を伴わない「容量形」とに大別できる.光導電性半導体への光照射で仮想的に微小電極を生成する「光アドレス法」では,主に後者への応用が試みられてきた. しかし,酸化還元形への応用は,バルク半導体中での電荷担体の側方拡散が大きくなることや,半導体表面の劣化が顕著になることから発展していない.これらを踏まえて,本研究の目的が,この電極の概念を補強・拡張し,界面での酸化還元反応が可能な光アドレス電極を開発することに定められている.また,具体的な研究項目として,i) 薄膜形光アドレス電極の設計指針の構築と,同電極の基本特性の評価(第二章),ii) 培養神経細胞刺激への応用を通しての有用性評価(第三章),iii)電気分解による微小 pH 勾配生成への応用を通しての有用性評価(第四章)の三項目を設定している.

第二章では,様々な薄膜構成を有する光アドレス電極の性能を評価・比較することで,同電極の設計指針を構築している.酸化還元形光アドレス電極の性能は,電圧印加で得られる明電流の大きさに加えて,光照射部外の暗電流をどの程度抑制できているか,という視点で議論されている.具体的には,薄膜半導体のモデル材料には,水素化アモルファスシリコンを用い,電圧パルスの印加で明暗部を通過する単位面積当たりの電荷量 (明/暗電荷密度) を測定し,一定の暗電荷密度または明暗電荷密度比を保って得られる最大明電荷密度を性能の指標とした.実験結果から,電極性能の向上には,アバランシェ効果による暗電荷密度の上昇を抑えることが重要であり,光導電層の厚膜化や低導電性保護膜の導入が有用であること,また,各層の伝導率・膜厚は,「膜厚方向への伝導率」を考慮することで,適切に設定できることを明らかにした.さらに,これらの知見は,薄膜半導体を二酸化チタン焼結膜に置き換えても確認されたことから,材料に依存しない一般化された設計指針が構築されている.

第三章では,薄膜形光アドレス電極の有用性を実証するために,同電極を用いて,培養神経細胞の刺激・計測系を構築している.神経細胞への光アドレス刺激では,電極基板下部からのアドレス光照射系と,同上部からのカルシウムイメージング光学系とを組合せ,培養神経細胞への光アドレス刺激と同時蛍光計測を実現している.基板上に培養された神経細胞に,アドレス光照射下で刺激を与えたところ,照射部周辺で局所的な発火活動を計測できる.また,計測と刺激の空間分解能は,共に単一細胞レベルであることが確認された.

第四章では,薄膜形光アドレス電極上での酸化還元反応を,微小 pH 勾配の生成に利用することを試みている.微小pH勾配の生成では,電気分解による pH 勾配生成に用いられてきた微小金属電極を,光照射でのパターニングが可能な陽極・陰極で代替した.電極基板上方からの蛍光イメージングで,光照射部周辺のpH 変化を計測したところ,光照射下で正・負の電圧パルスを印加すると,局所的な pHの下降・上昇が確認された.このような変形・切換が可能な光陽陰極は,電極形状に依存した勾配プロファイルの変化を容易に評価できること,勾配プロファイルを微調整できること,多様な勾配を生成できることなど,実験手法として有用であることが示されている.

第五章では,これまでの前章までの知見を総括・考察するとともに,将来の研究の展開を議論している.本研究では,薄膜半導体を光導電層に用いて,酸化還元形の光アドレス電極を開発した.バルク半導体とは異なり,薄膜半導体中では低電圧の印加でも高電界が発生する.この電界が原因で生じる暗電流の抑制が,薄膜形光アドレス電極を設計する上での最重要事項である.これまでにも,空間分解能向上を狙った薄膜形電極は開発されてきたが,容量形電位計測への利用が主であった.そのため暗電流の影響は顕在化せず,その抑制を扱った研究も例が無い.暗電流抑制に有用な低導電膜は,電極上での安定した酸化還元反応を可能にする不活性保護膜としての機能も果たす.高分解能・低暗電流・高安定性の全てが達成されたことで,光アドレス法は微小電極法を完全に代替できる強力な手法となった.時空間的に,かつ,in situ での制御が可能な仮想電極を用いることで,バイオチップの構造は大きく簡略化できる.例えば,細胞の搬送,接着・培養,剥離,破砕,分子計測という一連の電気化学処理を,一枚の光アドレス電極上で実行することも可能になる.

第六章では,結論として,第一に,薄膜半導体の問題点である暗電荷密度に着目することで,バルク形電極と比較して設計項目が多い薄膜形電極に対して,一貫して材料横断的に扱える理論と設計指針を構築したこと,第二に,薄膜形光アドレス電極の具体的な応用例から,i)従来のバルク形光アドレス電極よりも高い刺激空間分解能を有する,ii)長期間の細胞培養や電気分解反応に耐える,iii)アドレス光照射のための光学系に加えて独立した光学系を設けられる,という有用性を実証したことが主張されている.

本論文は,光アドレス電極に関して,従来の問題点を克服できる理論と設計指針を構築したことに学術的な価値が認められる.さらに,二つの応用例から,同理論・指針を実証していることに工学的な価値が認められる.

よって本論文は博士(情報理工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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