学位論文要旨



No 125197
著者(漢字) 田中,裕一
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ユウイチ
標題(和) 成体マウス大脳新皮質ネスチン陽性細胞の機能活性化に関する解析
標題(洋)
報告番号 125197
報告番号 甲25197
学位授与日 2009.06.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第504号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 久恒,辰博
 東京大学 教授 後藤,由季子
 東京大学 准教授 青木,不学
 東京大学 准教授 松本,直樹
 東京大学 准教授 小嶋,徹也
内容要旨 要旨を表示する

<序論>

脳梗塞は脳内の血管が詰まる事により、細胞に酸素や栄養分が十分に行き渡らず、壊死する事で機能障害をもたらす病気であり、多くの人が、この病気によって死亡し、また、障害を受けている。中でも特に、脳の上部表面に存在し知覚や行動といったヒトの高次機能の働きを制御する大脳新皮質(図1)では、その位置的な観点から転倒などの物理的な傷害による脳出血も起き易く、また制御している機能の重要性から梗塞状態になると日常生活を営む上で必要な機能が失われてしまう。現在、脳梗塞後の回復メカニズムは未だ不明のままである。そのため、大脳新皮質におけるそのメカニズムの解明、特に細胞レベルでの解析は重要だと考えられる。

成体大脳新皮質は神経再生の観点からも興味深いエリアである。現在、脳科学の大きなトピックの一つとして成体脳でのニューロン新生が挙げられる。成体大脳新皮質においては、当研究室の纐纈による先行研究も含めて、自発的なニューロン新生に対して賛成、反対の両方の結果が出ており、まだコンセンサスは得られていない。これは成体大脳新皮質における神経前駆細胞に関する情報が少ない事に由来すると考えられる。そして、もし内在性の神経幹細胞からニューロン新生が起きているのならば、そのメカニズムを解明し活性化させれば脳梗塞後の失われたニューロンを補う事により機能回復が早まると考えられる。また逆に分化能力が無くとも何らかの保護的機能を有しているのなら、それを活性化させれば神経保護が進み、より良い治療につながるのではないかと考えられる。

そこで本研究では成体マウス大脳新皮質に存在するネスチンタンパク陽性な細胞に焦点を当てた。ネスチンタンパクは中間径フィラメントの1種で、有力な神経幹細胞のマーカーの1つである。このネスチン陽性細胞が成体大脳新皮質にも存在する事が当研究室の太田によるnestin-GFPトランスジェニックマウスを用いた解析により確かめられている(図2)。しかし、その性質や機能は未だ不明のままである。そこで今回、このネスチン陽性細胞に焦点を絞り、その性質、分化能の解析を通して特に脳梗塞後に見られる変化、そしてニューロンをサポートする保護的な役割の存在を追及した。また、これら解析を通して得た内在性神経栄養因子が脳梗塞後の回復に与える影響に関しても検討を行なった。

<実験結果>

(1)成体マウス大脳新皮質におけるネスチン陽性細胞の性質および分化能の解析

まず、成体大脳新皮質におけるネスチン陽性細胞の性質の解析を十分に成体と見なせる8週齢以上のnestin-GFPトランスジェニックマウスを用いて免疫染色による解析を行った。すると、90%以上のGFP陽性細胞でNG2を発現していた。また、ほぼ全ての細胞でグリア細胞に発現する転写因子Olig2の発現が見られた。さらに、これらの細胞の一部は未成熟オリゴデンドロサイトのマーカーのO4(約23%)、アストロサイトのマーカーであるS100β(約11%)、さらには成熟グリアのマーカーであるAPC(約3%)を発現していた。しかし海馬歯状回ネスチン陽性細胞で見られるPSA-NCAMなど神経前駆細胞のマーカーは発現せず、かつニューロン分化を促進させる転写因子のNeuroDとも共染する事は無かった。すなわち、この成体大脳新皮質のネスチン陽性細胞はグリア細胞のタイプに属しており、海馬歯状回の細胞とは性質が大きく異なる事が分かった。

次にチミジンアナログの1種のBrdUや分裂細胞マーカーのKi67を用いた染色により、この細胞は分裂能を保有する事を確認した。そして、この細胞のin vivoにおける分化能の有無を調べるため、nestin-GFPマウスにBrdUを飲水投与して分裂細胞をラべリングし、マウスを一定期間サバイバルさせて、その行方を追うパルスチェイス実験を行った。すると、1ヶ月後においても約10%の細胞がAPC陽性な成熟グリアに分化する以外、約80%のBrdU陽性細胞はGFPを発現したままだという事が分かった(図3)。この数値はBrdU最終投与日の翌日のサンプルを解析した場合の値と、変化が無かった。これに対して、成体ニューロン新生が続く海馬歯状回においてはBrdUラベル後1ヶ月を経過するとBrdU陽性なネスチン細胞がほとんど見られない事が知られている。2つの場合を比較して考えると、成体大脳新皮質に存在するネスチン陽性細胞は分化能をほとんど有していないと考えられる。さらに、BrdU投与後、1年間サバイバルさせたマウスにもBrdU陽性なネスチン陽性細胞の存在が確認され、この時点でも分化していない細胞もある事が分かった。さらにニューロン新生の有無に関しても解析を行なったが、BrdU陽性細胞におけるニューロンマーカーの発現は見られず、新生は起きていない事が示唆された。

しかし、先行研究で成体大脳新皮質におけるニューロン新生を主張している研究報告でも、新生ニューロンの数は極めて少ないため、見落としの可能性も否定できない。そこで、戸塚による先行研究の結果を踏まえて、GABA(γ-アミノ酪酸)アゴニスト投与による細胞の活性化を行なった。すると、細胞分裂は抑制され、成熟グリアへの分化促進は認められたもののニューロン新生の証拠は得られなかった。これとは別に、トロウイルスを用いてin vivoでのNeuroD1遺伝子の導入実験も試みたが、この場合でもニューロン新生の証拠は得られなかった。これは、脳梗塞モデルマウスにレトロウイルスを用いて遺伝子導入を行った場合も同様であった。以上の結果から、成体マウス大脳新皮質ネスチン陽性細胞からニューロンに分化する可能性は極めて低いと考えられる。

(2)脳梗塞後に見られるネスチン陽性細胞からのBDNFタンパク産生の活性化

前章の実験結果より、このネスチン陽性細胞は分化能を持たず、何らかの機能を有している事が示唆された。そこで機能解析のために、過去の戸塚、高田による先行研究の結果を踏まえてGABA刺激によるネスチン陽性細胞からのBDNF(Brain Derived Neurotrophic Factor)の活性化に着目した。そして、「成体大脳新皮質ネスチン陽性細胞が脳梗塞を受けると興奮性GABA入力により活性化される。そして、その活性化によりネスチン陽性細胞からのBDNF放出が促進されて機能回復に貢献する。」という仮説を立てて実験を行なった。

今回、光感受性物質のローズベンガルを用いて脳梗塞モデルマウスを作成した。そしてTTC染色により主に感覚野が特異的に破壊されている事を確認した(図4)。

まず、細胞分裂マーカーのKi67染色により、梗塞部周囲において梗塞後2日目にネスチン陽性細胞の活発な増殖が見られ、例え梗塞により細胞が失われたとしても細胞分裂により、その数を補える事が分かった。次に免疫染色によってネスチン陽性細胞からのBDNFの発現を調べた。すると、脳梗塞を受けてから2日目では、その発現が認められなかったが、4日目以降ではBDNFを発現しているネスチン陽性細胞が健常体と比較して数多く確認された。

しかし、免疫染色だけでは定量比較する事は難しい。そこでネスチン陽性細胞のBDNF量をフローサイトメトリーによって測定する実験系を立ち上げ、測定した。すると、梗塞部位周囲においては健常側と比較してネスチン陽性細胞からのBDNFの発現が上昇する事が確かめられた。次に、この上昇がGABA依存性である事を証明するために、私はネスチン陽性細胞が高いCl-イオン濃度により脱分極する点、かつ細胞内にCl-イオン濃度を制御するNKCC1トランスポーターがある点に着目した。そして、このトランスポーターの阻害剤であるbumetanideを脳梗塞後、マウスに腹腔内投与したところ、ネスチン陽性細胞からのBDNFの発現が減少した(図5)。

次に、このGABAシグナル増強によるBDNFの増加が脳梗塞後の機能回復に貢献しているのではないかと考え、運動感覚機能に関する行動実験を行なった。運動機能は回転車のロータロッドを用いた歩行機能の測定により評価し、感覚機能に関してはKomotarらがラットを用いて開発、報告した感覚機能テスト(Adhesive Removal Test)に倣って行った。すると、後者の実験ではbumetanideの投与により有意な回復の遅れが見られた(図6)。すなわち、このGABAによるシグナルの増強やBDNFの増加が、これら機能回復に貢献している事が示唆された。

以上の実験結果より、脳梗塞を受けた後このネスチン陽性細胞はGABA入力を受ける事で、BDNFの産生を活発化させ、感覚機能回復などのニューロン保護や修復に働いている事が分かった。

(3)脳梗塞後の機能回復における神経栄養因子の寄与に関する解析

前章の結果を受け、次にBDNFなどの神経栄養因子が回復に与える影響を解析した。これまで、外部から神経栄養因子を投与する事により脳梗塞後の機能回復を見た実験はいくつか報告があるが、これに対して、内在性の神経栄養因子が梗塞後の回復に与える影響についての検討はほとんど行なわれていない。特に大脳新皮質のニューロンではBDNFに対するTrkBレセプターとNT-3に対するTrkCレセプターが発現している事が過去に報告されているため、これら2つに絞って解析を行なった。そして前章と同じくローズベンガル脳梗塞モデルを作成し、浸透圧ポンプを用いて、これら神経栄養因子の働きを抑制する薬物を投与し、感覚機能テストにより、その薬物投与の回復への影響を評価した。

まず、Trkレセプターの阻害剤であるK252aを梗塞部に投与すると有意な感覚機能回復の遅れが見られ、神経栄養因子の回復への効果が示唆された。次に、Trkレセプターのキメラタンパクあるいは抗体を投与してBDNFあるいはNT-3の働きを抑制した。すると、BDNFの抑制時には変化は無かったが、NT-3の抑制時には回復の遅れが見られた(図7)。ここに内在性NT-3が感覚機能の回復に寄与している事を世界で初めて見出した。

しかし、これは前章の結果と大きく矛盾する。そこで私はBDNF阻害分を補うメカニズムとして脳梗塞後に見られるCREB1のリン酸化に着目した。このCREB(cAMP response element binding protein)はSer133がリン酸化されるとCREプロモーターに結合し、その機能が活性化される。特に脳梗塞時では、梗塞部位周囲においてリン酸化が進むため機能回復のためには重要だと考えられていた。また、in vitroでの実験によりBDNFそしてNT-3双方が大脳新皮質ニューロンでのCREBのリン酸化を促進する事が過去に報告されている。そこで、免疫染色およびウエスタンブロッティングにより、上記の神経栄養因子抑制時に、CREB1リン酸化がどのような影響を受けているのかを調べた。すると、梗塞後4日目の脳においてBDNF抑制時にはリン酸化が促進され、NT-3抑制時にはリン酸化が抑制される事が分かった(図8)。この違いが梗塞後の感覚機能回復にも影響を与えていると推察される。

<まとめ>

今回、大脳新皮質ネスチン陽性細胞はNG2陽性細胞でもある事が分かった。元来、このNG2陽性細胞はグリア前駆細胞として存在しオリゴデンドロサイトに分化してミエリンタンパクを軸索に巻きつける事で神経伝達を効率的にさせていると考えられていた。しかし、ミエリンタンパクの無い成体大脳新皮質灰白質においては、NG2陽性細胞の存在は認められていたものの、その役割は不明のままであった。今回の実験を通して、ネスチン陽性細胞が脳梗塞後に活性化されBDNFを放出して感覚機能回復に貢献するという、この細胞の機能的な役割の一面を解明できたと言える。しかし、単純にBDNFを抑制するだけでは、逆にニューロンにおいてCREB1のリン酸化が進むため、感覚機能回復に影響は見られなかった。これには一酸化窒素などが影響しているのではないかと考えられin vivoではネスチン陽性細胞以外にも様々な細胞やファクターが回復に貢献していると推察される。今後は、ネスチン陽性細胞でのBDNFの放出が回復にもたらす働きを細胞レベルで更に解析する事が重要ではないかと考えられる。また、今回得られた内在性NT-3の回復への役割を更に解析する事も重要であると考えられる。

図1.大脳新皮質の位置

大脳半球の表面に位置するのが大脳新皮質である

図2.NeStin-GFPマウスによる大脳新皮質ネスチン陽性細胞の同定

ネスチンタンパク(中,赤)の発現が見られる Scale bar:5μm

図3.BrdUパルスチェイス実験の結果

(上)免疫染色によるBrdUラベル後1ヵ月後のネスチン陽性細胞の様子Scale bar:20μm

この時点においてもネスチン陽性細胞がBrdU陽性のままであった

(下)BrdU陽性細胞カウント計測の結果分裂細胞をラベル後1ヶ月経過してもネスチン陽性細胞の割合の減少は見られず、分化せずに残る事が分かった

図4.ローズベンガル脳梗塞モデル

大脳新皮質において細胞が壊死している様子が伺えるScale bar:1mm

図5.フローサイトメトリーによるネスチン陽性細胞からのBDNF発現の解析

細線:健常側,太線:梗塞側での発現頻度

(上)コントロール

脳梗塞を受けるとネステシ陽性細胞から発現するBDNF量が増加した

(下)bumetanide投与時

bumetanide投与により、BDNF増大効果は消失する事が分かった

図6.感覚機能解析(Adhesive Removal Test)の実験結果

bumetanide投与により6日目以降の感覚機能回復に遅れが生じた

図7.抗体を用いた神経栄養因子抑制時での感覚機能回復への影響

(上)BDNF抑制時

抑制によって効果は見られなかった黒丸:BDNF抗体投与,白丸=コントロール

(下)NT-3抑制時

抑制により回復の遅れが見られた黒三角:NT-3抗体投与,白三角=コントロール

図8ウエスタンブロッティングで見た脳梗塞後の神経栄養因子抑制時に見られるCREBIリン酸化(p-CREBI)の違い

(上)p-CREBIの発現の違い

脳梗塞後にりン酸化は促進されるが、BDNF抗体投与による抑制で更に増加し、NT-3抗体投与による抑制で更に滅少した

(下)CREBIの発現量には違いは見られなかった

S:ネガティブコントロール,V:脳梗塞後、生理食塩水投与時,B:BDNF抗体投与時,N:NT-3抗体投与時

審査要旨 要旨を表示する

本研究論文は内在性細胞を用いた神経再生を最終的な目的とし、成体マウス大脳新皮質ネスチン陽性細胞に焦点を当てて遂行された。第1章は成体マウス大脳新皮質におけるネスチン陽性細胞の性質および分化能の解析について、第2章は脳梗塞後に見られるネスチン陽性細胞からのBDNFタンパク産生の活性化について、第3章では脳梗塞後の機能回復における神経栄養因子の寄与について、研究が実施され神経再生における意義を中心にその結果が考察されている。

脳梗塞は脳内の血管が詰まる事により、栄養枯渇になり脳細胞が壊死する事で機能障害をもたらす病気である。特に脳の上部表面に存在し知覚や行動といったヒトの高次機能の働きを制御する大脳新皮質では、梗塞を受けると日常生活を営む上で必要な機能が失われてしまう。そのため、有効な治療法の開発が望まれている。しかし現在、脳梗塞後の回復メカニズムは未だ不明のままであり、特に細胞レベルでのメカニズムの解析は重要だと考えられる。本研究論文では成体マウス大脳新皮質に存在するネスチンタンパク陽性な細胞に焦点を当てその性質、分化能の解析を行われた。このネスチンタンパクは中間系フィラメントの1種で神経幹細胞に発現する有力なマーカーの一つである。ネスチン陽性細胞の脳梗塞後に見られる変化、そしてニューロンをサポートする保護的な役割について解析が行われている。さらに、内在性神経栄養因子が脳梗塞後の回復に与える影響に関しても検討が実施された。

第1章では、成体大脳新皮質におけるネスチン陽性細胞の性質をNestin-GFPトランスジェニックマウスを用いて解析されている。ネスチン陽性細胞はオリゴデンドロサイト前駆細胞のマーカーのNG2や転写因子のOlig2を発現するグリア細胞である事が分かった。次に、ネスチン陽性細胞の分裂能を確認後、分化の性質を調べるためBrdUを用いて分裂細胞をラベルし、その行方を追った。すると、1ヶ月後においても約80%のBrdU陽性細胞はネスチン陽性細胞のままであった。すなわち、成体大脳新皮質に存在するネスチン陽性細胞は分化能をほとんど有していないと考えられる。また、これと同時に、ニューロン新生の有無に関しても解析を行なったが新生の証拠は得られなかった。さらに、GABAアゴニスト投与によるネスチン陽性細胞の活性化が細胞分化に影響を与えるかどうかについても調べた。すると、細胞分裂は抑制され、成熟グリアへの分化促進は認められたものの、この場合でもニューロン新生は見られず、神経新生は起きていないと考えられた。

第2章では、「成体大脳新皮質ネスチン陽性細胞が脳梗塞を受けると興奮性GABA入力により活性化される。そして、その活性化によりネスチン陽性細胞からのBDNF放出が促進されて機能回復に貢献する。」という仮説を立て、光感受性物質のローズベンガルを用いた脳梗塞モデルマウスを作成し解析が進められた。まず、脳梗塞を受けてから4日目以降でBDNFを発現しているネスチン陽性細胞が健常体と比較して数多く確認された。次に、フローサイトメトリ―を用いてネスチン陽性細胞のBDNF量を比較定量した。すると、梗塞部位周囲においては健常側と比較してネスチン陽性細胞からのBDNFの発現が上昇する事が確かめられた。次に、この上昇がGABA依存的かどうかを調べるためネスチン陽性細胞内のNKCC1トランスポーターに着目した。そして、阻害剤であるbumetanideを脳梗塞後に投与したところ、ネスチン陽性細胞からのBDNFの発現が減少した。このGABAシグナル増強によるBDNFの増加が脳梗塞後の機能回復に貢献しているのではないかと考え、運動感覚機能回復に関する行動実験を行なわれた。すると、bumetanideの投与により感覚機能回復の遅れが見られた。

第3章では、前章の結果を受け、次にBDNFなどの神経栄養因子が回復に与える影響を解析された。大脳新皮質のニューロンではBDNFとNT-3に対するレセプターの発現が過去に報告されているため、これら2つの因子について解析を行なわれた。そして、これら因子の働きを脳梗塞後に抑制すると、BDNF抑制時には変化は無かったが、NT-3の抑制時には感覚機能の回復に遅れが見られ、BDNFではなくNT-3が回復に貢献している事が示唆された。しかし、これは前章の結果と矛盾する。そのためBDNF抑制分を補うメカニズムがあるのではないかと考え、脳梗塞後に見られるCREBのリン酸化に着目した実験が実施された。すると、梗塞後では、BDNF抑制時にはリン酸化が促進され、NT-3抑制時にはリン酸化が抑制される事が分かり、この違いが行動回復の変化に現れたのではないかと示唆された。

本論文では、成体大脳新皮質のネスチン陽性細胞がグリア細胞の性質を保有し、分裂後もそのまま残る事を示した。また、この細胞は脳梗塞後、興奮性GABA刺激を受けて神経栄養因子BDNFの産生を促し、梗塞後の感覚機能の回復に寄与する事が分かった。この結果を受け、神経栄養因子の回復への影響を調べたところ、BDNFではなくNT-3阻害で回復の抑制が見られたが、これはCREBリン酸化の違いが関与しているためだと考えられた。以上、本論文は、脳梗塞後の機能回復における神経栄養因子の役割を明らかにした点で、神経再生治療法の開発に道を拓くものである。

なお本論文の内容は、戸塚祐介、高田徹夫、嶋津直行、松村直人、太田綾、および久恒辰博との共同研究である。しかしながら、論文に記した諸データは、論文提出者が主体となって分析及び検証を行った結果得られたものである。したがって、本研究において論文提出者の寄与は十分であると判断される。以上より、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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