学位論文要旨



No 125211
著者(漢字) メルバルト,デイヴィッド
著者(英字) Mervart,David
著者(カナ) メルバルト,デイヴィッド
標題(和) 「市場」・「風俗」・「統治」 : 近世日本と西欧の思想における商業社会の問題
標題(洋)
報告番号 125211
報告番号 甲25211
学位授与日 2009.07.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第231号
研究科 法学政治学研究科
専攻 総合法政専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 苅部,直
 東京大学 教授 渡辺,浩
 東京大学 教授 川出,良枝
 東京大学 教授 白石,忠志
 東京大学 教授 高見澤,磨
内容要旨 要旨を表示する

博士学位論文として提出する本稿は、徳川日本の政治思想の研究の分野において、比較歴史的観点を提供している。本稿に、二つの目的がある。その一つは、「風俗」論の日本における系譜とその古典的拠り所(主に儒教的言説のそれ)を検討し、江戸時代中期から後期にかけての思想について、いわゆる「商業社会」の成立に対処する際、「風俗」が主な概念的道具となっていることを確認し、商業、道徳、統治をめぐる議論において「風俗」概念が交差的役割をもっている、と示すことである。そして、いま一つは、このような設定で、商業を政治的・道徳的・歴史的問題とする言説が登場し、中心的なテーマとなった、ほぼ同時代の西欧と日本の思想に、一つの可能な比較視点を提供することである。

本稿は、荻生徂徠、太宰春台、海保青陵を中心に、18世紀の日本列島で活躍していた思想家の著書を通して、商業発展が人間の共同生活とその政治的秩序にもたらした変化を理解することに取り組んだ理論的営みの有り様を辿っている。世の中のあらゆる面が市場で交換可能な商品となりつつあるなか、物質的安楽と消費生活水準の上昇の追求は、反面、道徳的に望ましくない現象の起原となり、政体に危機をもたらす、と分析する思想家が17世紀から18世紀にかけて、古典的前例を踏まえながらも、この新しい世の中と新しい人間条件を語るための新しい概念的枠組みを打ち出していく。一方、このような言説の枠組みでの分析を通してこそ、政治的・道徳的なるものと「経済的」なるものとの関わり合いに対する理解が、いっそう多面的なものとなり、多様な議論展開をなしていった。そして、以上の叙述は、日本についてだけでなく、ほぼ同時代の西洋、主にオランダ、イギリス、スコットランド、フランス、ナポリなどを中心に、西ヨーロッパの諸国における商業と統治をめぐる言説についても妥当する。

興味深いことに、このような変化を語る際、最も中心的概念用語となったのは、日本の場合、「風俗」であり、西欧の場合、「manners・moeurs」であった。これらの概念用語はそれぞれの言説的世界において類似性の高い位置づけと役割をもっていた。また、19世紀後半に、ヨーロッパ・アメリカから新しく導入された政治経済学・哲学・法学などの分野の著書をめぐる翻訳活動が大規模で展開される際、根本的概念用語を新規に定める必要性が相次いで生じたが、その中で、西洋語の「manners・moeurs」を訳す明治日本の知識人は、躊躇も無く、「風俗」(ときには「習俗」)を割り当てていた。

商業の発展がもたらしている(とみられた)変化のメカニズムは、「風俗」または「manners・moeurs」の変化として描かれ、理解された。商業発達により加速した歴史的変化が「風俗」の変化として描かれ、消費生活の「奢侈」が時代の「風俗」に根付いて火災や伝染病のように普及していくというのは、当時の典型的叙述パターンである。 市場における消費と利害が人間関係の中心的所在(そして最大の問題)と認められるとともに、これらが社会にもたらす変化を語るのは、「風俗」(そして、同じく、「 manners 」)の語彙を通してである。この「風俗」の言説は、一見、後ろ向き的態度を発揮した道徳主義的批判とみえるが、市場の広がりと商品経済の普及による「風俗」の変化の原因と規則性に着目することにおいて、多くの場合、ある種の「社会学」的側面をもっている。古典的材料を踏まえつつ、この思想は、都会を中心に新型消費生活様式の確立の構造と法則性を分析し、そして利益追求と消費への憧れの心理的メカニズムの理解の方向性を示している。このような現状意識を踏襲した政治思想は、商業の世における習慣的「風俗」の変遷と人間性における「常」の特徴である「利欲」を既成事実と受け止め、その前提の上で統治秩序の構想と政治的行為の概念の再解釈を試みていた。

徂徠以来の江戸時代の思想において、「皆商賈の如く」なるこのような「商業社会」の問題は最も重大な課題の一つとなった。この史上異例な状況を分析するために確立した道具としての「風俗」の社会学、またその結果だった歴史的自意識は、江戸後期の思想において一種の「徂徠的モーメント」であると言える。また、「商業社会」という歴史的局面が孕んでいる道徳的・認識論的・政治的課題に対処しようとする思想は、おそらく近世日本と西欧との最大の共通点であった。徂徠以降のこのような問題意識を、フェネロン、フレッチャー、ルソー、ブラウン等の多くの西欧の思想家が、驚く程度まで共有していた。

近世日本の商業と統治をめぐる思想において、様々な意味で隠れたかなめである「風俗」については、これまで集中的に扱われた研究はほとんど存在していなかった。また、この設定での西洋との比較可能性が積極的に試みられたことも行われなかった。そこで、本稿では「風俗」論を入口に、「風俗」が前提となっている議論の視点から、主に江戸時代中期以降のいわゆる経世論的思想を再検討し、同時代のヨーロッパに目を配りつつ、西洋思想の諸材料との比較をした。

上記の見取り図を、本稿の序論と第一章で打ち立てた後で、第二章から第五章にかけては、それぞれの「風俗」論の展開と機能を取り上げている。日常生活における習慣形成とその結果としての「風俗」に内在している圧倒的慣性と時間経過があらゆる「制度」の安定に及ぼす影響をめぐる言説(第二章)、理想的古代の基準で量った「風俗」の変化と人欲増大の推量歴史的叙述(第三章)、堂島米会所という大規模取引を代表例に、商業一般をめぐる道徳的批判的と弁解的言説の論争(第四章)、そして市場における「風俗」の変化の慣性が統治体制と権力行使に突きつけている制限を指摘した議論(第五章)が主なテーマである。

市場における「人心」と「利欲」の有様を、政治的秩序の構想にいかに組み込めばよいのか、また「公共の政」と「利欲世界」をいかに両立可能なものにするか、といった課題を扱った維新前後の思想に着目した研究が、最近の日本思想史における一つの重要な新境地を開いた。本稿はこれらの研究が前提とした問題関心をもって、視野をさらに前時代にも広げた。そのことによって、維新前後の商業と統治をめぐる議論には、荻生徂徠まで遡る序言を書くことが可能である、と示した。そして、徳川の世における以上のような言説を、「日本」という排他的枠組みにおいて理解するに止まらず、近世のヨーロッパとも共通している課題としての「商業社会」の問題に取り組む思想一般の興味深い一例として扱い得る、ということを主張した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、徳川時代、とりわけ十八世紀の日本において、商業社会の発展を「風俗」の変化という概念でとらえ、それを統治論の重要課題とした政治思想の系譜をたどり、詳細な分析を試みたものである。荻生徂徠、太宰春臺、海保青陵を中心とする多くの思想家たちが、順次、研究の対象となっている。そして、同じく未曾有の経済発展期を迎えた同時期の西欧の政治思想との比較を通じて、経済成長・消費の拡大・都市の巨大化といった新たな状況に直面して、思想の枠組がいかに変容を迫られたのか、その様態を普遍的な視野において描こうとする。

序論も含め全六章分、そして短い結語で構成されている本論文の内容は、おおむね以下のとおりである。

序論において筆者は、本論文の問題設定を明示した上で、荻生徂徠は「金ナクテハ叶ハヌ世界」という言葉で、アダム・スミスはcommercial societyという言葉で、同じ種類の社会の変貌を、それぞれ言い表わし、それにどう対応するかを、統治の重要課題として論じたと指摘する。市場の発達を基盤として、遠い地方どうしが商品の流通によって結ばれ、貨幣と商品と情報の循環が、生活のあらゆる面に影響を及ぼすようになった。西欧と日本との思想交流がまだ始まっていない時代とはいえ、両地域の思想家たちは、同じような社会の変容に直面し、それをもはや覆しえない決定的な変化ととらえていたのである。

そして筆者は、荻生徂徠の登場以降、日本の思想家の言説に「風俗」の語が多用されるようになったことに注目する。そして多くの場合、先に述べた商業社会の登場を、「風俗」の重大な変化として論じる文脈で、この語は用いられている。さらに、徳川時代の「風俗」論をめぐる日本とアメリカの先行研究を批判的に検討し、従来理解されていなかった内容の豊富さと、統治論としての射程を、この「風俗」論はもっていたと指摘する。

第一章「「風俗」・「manners」「moeurs」」では、以上のような「風俗」言説について、西欧思想と比較しながら、詳しい分析を試みている。モンテスキューやジェイムズ・ステュアートが、政治と経済とのかかわりを議論するさいに、mannersを中心概念として用いていたことは、よく知られている。この言葉に対し、儒学の古典に由来する「風俗」の語が、明治以後、西欧思想の受容に際し訳語にすんなり採用され、新たな造語を必要としなかったのは、すでに徳川時代に、西欧と共通する論法での、「風俗」をめぐる議論の蓄積があったせいにほかならない。

古来、儒学の議論においては、新井白石の思想に見られるように、「風俗」は、あくまでも統治者個人の徳行が一般人の模範になるという、個人道徳の言説としてとりあげられていた。また、熊澤蕃山、西川如見といった、徳川時代前半期の思想家は、中国と日本の「風俗」の違いという具合に、文化の地理的・空間的な多様性を言い表わす概念として、この語を用いていた。

しかし、『政談』『太平策』といった統治論に見られる荻生徂徠の議論は、徳川時代の「風俗」論に変容をもたらした。ここで「風俗」は、市場と商業と消費生活の圧倒的な発達と密着したものとしてとりあげられ、個人の道徳の世界にはとどまらない、社会全体の構造変化を認識する言葉に変わったのである。そして同時に、社会の歴史上の変化を論じるための道具として、以前の空間的な「風俗」概念は、時間的なものへと変わっていった。

第二章「「年久シケレバ変ジ難シ」」では、徂徠にはじまるこうした「風俗」論が、社会習慣の定着をめぐる人間心理の考察と、「風俗」の改良を通じての対処という統治論を生み出していたことを指摘する。長く蓄積された習慣が人々の心性を染めあげてゆく。デイヴィッド・ヒュームやアダム・スミスとも共通する、そうした洞察が、荻生徂徠と、さらに朱子学の立場から徂徠を批判した中井竹山の統治構想にも、はっきりと見られるのである。

徂徠にとっても竹山にとっても、商業社会の発展は、身分に不相応な奢侈をあらゆる階層の人々に蔓延させ、大名家と武士の貧窮化を招き、秩序の上下関係をゆるがすものであった。彼らはこれを、一種の社会学的洞察に基づき「風俗」の変化として規定し、これにいかに対処するかが、統治の根幹にかかわる重大課題だと説く。そして、商業の抑制を通じ、この「風俗」が質朴なものに変わるよう、ゆるやかに導いてゆくことが、彼らの秩序構想の要であった。筆者はこうした徂徠の現実観と統治構想に、同時期のイングランドの思想家、ジョン・ブラウンと共通するものを見いだしている。

このようにして、商業社会の発展による「風俗」の変化を認識したことは、徂徠ののち、思想家たちの人間観を、しだいに変容させてゆく。第三章「「人情之常」」が扱うのは、そうしたポスト徂徠の思想状況である。そこでは、商業活動において個人をつき動かす、一身の富貴を欲する「利欲」や競争心が、世の人々のぬきさりがたい「人情」として、注目されるようになった。徂徠の弟子であった太宰春臺は、人間の本性をひたすら利己的なものととらえ、そうした「情」の制御を統治者の課題として説いた。その春臺を攻撃し、朱子学の性善論の立場を主張した大田錦城も、目前の人間の現実を語るさいには、実質上、同じような「争奪」が横行する世界を描いていたのである。

こうした人間観が深まってゆけば、やがては、イングランドで活躍した思想家、バーナード・マンデヴィルの思想のように、「利欲」や競争心につき動かされる人々の世界を、醒めた眼で眺め、それを所与の条件としてうけいれた上で、統治の方法を論じる言説が登場することになるだろう。そうした議論の萌芽を、筆者は瀧澤馬琴の著作に見る。そして、商品経済の発展を積極的に利用する統治論を唱えた、海保青陵の登場を展望するのである。

第四章「「過昌」の世と「アバレモノ」市場」は、たとえば堂島米会所に見られるように、高度に発展した市場取引の世界を、同時代の思想家がどう評したかを分析している。中井竹山や猪飼敬所といった儒学者は、米市場での投機に基づく利得を、博打と同様の、道徳に反するものとして批判した。それが、勤勉さと誠実な努力に基づいた、適切な商業活動を怠らせると、彼らは憂慮していたのである。しかし他方では、相場取引の入門書のような形で、市場活動の正当化を図る著作も、しだいに出回るようになる。そこでは、相場の変動は人力の及ばない「天運」によるものと説明され、相場取引もまた、物流を促進することで仁政を大いに助けると説かれることになった。また、節倹政策を批判し、奢侈こそがむしろ天下に恵みをゆきわたらせると肯定する議論(「山下幸内上書」)も、登場したのである。

第五章「「自由ニナラヌ」風俗」では、マンデヴィルの議論と対比させながら、海保青陵の思想を解明している。筆者は、商業の発展が決定的な「風俗」の変化をもたらしたとする徂徠の認識を、より徹底させたところから、青陵の思想は出発していると解釈する。市場の運動は、すでに統治者による統御など不可能なものに拡大しているのであり、徂徠の構想のように、新たな礼楽の制作を通じて「風俗」を改良することなど、もはやできない。したがって、この状況にあくまでも立脚し、市場経済を利用して財政を豊かにするのがよい。竹山とは対極にあるそうした構想を、青陵は諸大名に説いたのである。こうして、統治と市場との緊張関係をめぐる、十八世紀日本の思想世界は終わりを迎え、しだいに「風俗」の語も、天下の統治を論じるさいの主要な概念ではなくなってゆく。以上が、本論文の要旨である。

本論文の長所としては、以下の諸点を挙げることができる。

第一に、徳川時代、とくにその後半期の政治思想において、市場経済の未曾有の発展という現実認識が、統治をめぐる議論と密接に結びついていたことを、筆者は詳細に明らかにした。商業の発達をめぐる徳川時代の思想の歴史に関しては、これまでにもいくつかの研究がある。だが本論文は、一方で分析を統治論の論理の内部構造にまで深め、他方で多くの思想家を貫いて流れる議論の系譜を明らかにすることで、考察を新しい段階へ進め、政治思想史研究としての独創性を、十分に示している。

第二に、副題にも示されているように、同時代の西欧諸国の思想との対比を通じて、経済活動の厖大な発展にいかに対処するかという政治思想上の課題の、重要性と普遍性とを説得的に論証することに成功している。検討の範囲は、英国とフランスの思想にとどまらず、オランダやイタリアの論者にも及び、また現代の言説にも言及することを通じて、この課題が現代人にとっても真剣な考慮に値するものであると教えてくれる。

第三に、市場経済の発展と「風俗」論との関係を跡づけることによって、徳川時代における歴史意識の変化を、独自の側面から明らかにした。経済・社会の歴史的変遷をめぐる感覚が、やがて近代における進歩史観の受容を導いたとする見解は、すでに先行研究でも触れられていたが、本論文の詳細な分析を通じ、説得性が大きく高まったのである。

ただし、本論文にも短所がないわけではない。

第一に、西欧思想との比較に際して、同時代の日本の言説との共通点に注意が集中して、両者の差異については分析が深められていない。たとえば、西欧の、キリスト教に由来する徳の議論や、国家間の競争や戦争が問題視されていたことについても、言及があれば、より深みのある叙述が可能になったであろう。

第二に、徳川時代の「風俗」論をさまざまな角度から分析するという方法をとったために、叙述がいくぶん静態的となり、荻生徂徠の登場による変化の意味が、やや不鮮明という読後感を残す。時系列に即した思想史の展開を、もっと明確に整理するべきであった。

しかし、以上の短所も、本論文の意義と価値とを大きく損なうものではない。公刊された暁には、日本国内と諸外国での日本政治思想史研究に、おそらく新鮮な衝撃をもたらす、すぐれた学問業績である。以上から、本論文は、その筆者が自立した研究者としての高度な研究能力を有することを示すものであることはもとより、学界の発展に大きく貢献する特に優秀な論文であり、本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいと判定する。

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