学位論文要旨



No 125219
著者(漢字) 長井,裕之
著者(英字)
著者(カナ) ナガイ,ヒロユキ
標題(和) 日本における組換えDNA実験規制の歴史的考察
標題(洋)
報告番号 125219
報告番号 甲25219
学位授与日 2009.07.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3362号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 数間,恵子
 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 准教授 島津,明人
内容要旨 要旨を表示する

生命科学の技術革新は基礎研究と産業応用の双方に画期的な進展を生みだす一方で,作られる生体物質への潜在的なリスク懸念が,技術利用におけるジレンマをもたらしてきた.その一つの事例として,1970年代以降に開発が進んだ「組換えDNA技術」が挙げられる.現在の先端的な生命科学の基盤技術である組換えDNA実験の規制プロセスは,生命科学の社会的規制のあり方を考察する上で重要である.

これまでの歴史研究は,欧米諸国の事例を中心に「基礎研究指針の導入期・緩和期」として分析されてきた.導入期は,1970年代後半に米国国立衛生研究所(NIH)の指針など「行政機関が指針を策定するまでの期間」である.緩和期は,1980年代を中心に「指針内容が緩和された期間」である.また,近年における技術革新の規制に関する理論研究は,科学的な専門性と行政機関における調整能力を備えた「科学的助言者」が基礎研究と産業応用の間で生じる「規制のギャップ」を埋める省庁横断的な役割をはたしたことを示唆している.

しかし,日本の組換えDNA実験規制を事例とする研究のうち,上記のような問題意識を共有した分析は,これまでほとんどなされてこなかった.日本では,1975年から1979年にかけて基礎研究用の指針が策定された後,1991年までに文部省,科学技術会議,通商産業省,厚生省,農林水産省ら多くの省庁が,基礎研究や産業応用に配慮した指針を形成した.それにもかかわらず,日本の科学者や行政官らがどのようにして指針作成に関与したのかについて,ほとんど明らかにされていない.

本研究は,日本の組換えDNA実験規制における「1975年から1979年までの導入期」と「1991年までの緩和期」に焦点を当て,科学者や行政官がはたした役割に注目した歴史的な分析を行うものである.

方法

1.研究対象:日本の組換えDNA実験規制に関連する主要な歴史的文献・同じく実験規制に関与した有識者10名(行政官6名,科学者4名)である.

2.データ収集:日米の組換えDNA実験規制に関する「歴史的文献調査」と,日本の実験規制に関与した科学者および行政官への「半構造的聞き取り調査」の2つの調査方法を実施した.歴史的文献調査は,国立国会図書館一般資料及び雑誌記事索引を中心に,日本における組換えDNA実験規制関連の文献リストを作成し,歴史的傾向を分析した.半構造的聞き取り調査は,2006年9月から2007年2月に,日本の組換えDNA実験規制に関する有識者10名を対象に45分から214分(平均81分)をかけて実施した.

3.データ分析:最初の実験指針が策定されるまでの期間(1974-1979年)を「導入期」,指針内容が緩和されるまでの期間(1979-1991年)までを「緩和期」と時期区分した.その上で,歴史的文献及び聞き取り逐語録データに対し(1)各データを要約し,(2)時期区分にしたがい歴史的説明を行う「内容分析」を行った.

結果

1.日本における組換えDNA実験規制の導入(1974-1979年)

遺伝学者や分子生物学者らを中心に組換えDNA研究を推進する「科学者グループ」が,日本学術会議,文部省学術審議会,科学技術会議ライフサイエンス部会の3つの機関の審議に関与することで展開した.このため,渡辺格や飯野徹雄らが実験指針案を作成し,国内の実験全てに適用される「組換えDNA実験指針」が策定された.

1)日本学術会議:科学者グループは,1975年2月に全米科学アカデミーによる実験のモラトリアム勧告に応じて実験の自粛を申し合わせた.彼らは日本学術会議に自主的な小委員会を設置し,アシロマ会議の声明について自然科学者以外の研究者の意見を求めた.だが,人文・社会系会員が実験の実施自体に反対したため,実験規制の検討はほとんど進展しなかった.

2)文部省学術審議会:1976年6月にNIH指針が告示された後に,科学者グループは文部省行政官と協力して規制方法の検討を開始した.1977年10月に日本学術会議が研究の推進を認める声明を採択すると,科学者と文部省は, NIH指針を参考にしながら, 学術審議会の「科学と社会特別委員会」で具体的な実験指針案を作成した.文部省は,1979年3月に封じ込め基準の遵守と安全委員会の設置を求めた大学等の指針を告示した.

3)科学技術会議ライフサイエンス部会:1978年12月以降,米国ではNIH指針の基準緩和が進められたにもかかわらず,科学技術庁と文部省の行政官における協力関係を背景に,1979年8月に国内の実験すべてを対象とする「組換えDNA実験指針」が文部省指針の形式に基づいて決定された.

2.日本における組換えDNA実験規制の緩和(1979-1991年)

分子生物学者,遺伝学者,応用微生物学者ら科学者グループが,文部省学術審議会,科学技術会議ライフサイエンス部会,通商産業省化学品審議会の3つの機関の審議にそれぞれ関与することで展開した.このため,斉藤日向や内田久雄らが「実験指針案の改訂」や「大量培養など生産実験基準の新設」に関与し,アシロマ会議で提唱された「封じ込め」を必要条件とはしない規制が実現した.

1)文部省学術審議会:科学者グループは,文部省を通じて米国NIHと実験指針の運用をめぐり協力関係を結び,国内の実験指針に非常に小さいとされるようになった組換えDNAのリスク評価の枠組を導入した.その結果,実験指針は1982年8月に封じ込め基準を大幅に緩和する方向で改訂された.

2)科学技術会議ライフサイエンス部会:1982年8月の実験指針改訂後に,それまで文部省学術審議会と指針内容を調整していた科学技術会議ライフサイエンス部会で,科学者グループが工業生産などに用いる大量培養実験基準の新設を審議した.科学技術会議の指針は,1983年9月に個別審査を条件に従来の「封じ込め」のように密閉を必要としない「特別の封じ込め方法」の設定を示唆した.

3)通商産業省化学品審議会:科学者グループは,OECDと通商産業省化学品審議会の内外双方の工業化指針の審議に関与した.その結果,アシロマ会議以来の「封じ込め」は,大量培養基準の新設によって必要条件ではなくなった.1991年までに,文部省,科学技術会議,通商産業省,厚生省,農林水産省の指針は,組換えDNAのリスク評価を安全確保の枠組としつつ,行政機関の個別審査により必ずしも密閉ではない既存の大量培養設備を活用できるようにした.

考察

1.導入期(1974-1979年)

1)生命科学の安全管理の審議:日本では「リスク評価」よりも「安全管理」の議論が中心であった.初の具体的な実験指針は文部省学術審議会で作られた.学術審議会の組換えDNA小委員会では,原子力の行政経験から物理的封じ込めに関する知見を有する科学技術庁出身の行政官と渡辺ら科学者グループが協力して指針作成にあたった.このことから,日本が生命科学のリスク問題に対してハザードの発生を想定した安全管理体制を構築したとみることができる.

2)安全委員会など審査機関の導入:文部省学術審議会や科学技術会議ライフサイエンス部会における安全管理の審議は,安全委員会など審査機関の導入につながった.実験指針の作成において,文部省と科学技術庁の行政官は文部省学術審議会の審議を先行させた.この協力関係を反映して,大学等の研究機関で行われる組換えDNA実験の省庁における安全性審査は,文部省学術審議会特定研究領域推進分科会の「組換えDNA部会」が担当することになった.

2.緩和期(1979-1991年)

1)生命科学の安全管理の審議:日本の組換えDNA実験規制は,1980年代にかけて,米国NIHによる組換えDNAの「リスク評価」を安全確保の枠組とする指針と,行政機関の中央委員会による設備の「個別審査」を通じた安全管理体制として構築されたといえる.

2)安全委員会など審査機関の導入:導入期における文部省,科学技術会議と同様に,組換えDNA技術の産業応用をはかる通商産業省,厚生省,農林水産省も,1986年の指針(案)公表を契機に,それぞれ実験施設が施設内で実施される研究計画を審査にあたる「安全委員会」の設置を進めた.

3.日本における生命科学技術規制のあり方について

日本の実験規制に関する政策調整は,分子生物学者や遺伝学者ら「科学者グループ」による省庁横断的な活動により担われた.その結果,国内では複数の省庁がそれぞれ,(1)具体的な実験指針を作成する「小委員会」の技術的な審議だけでなく,(2)学際的な背景を持つ委員が倫理的側面など幅広い観点から行う「親委員会」で技術利用の是非に関する検討をも行った.

しかし,上記のような日本の実験規制をめぐる政策調整のあり方は,指導的な科学者層にとって大きな負担を伴ったのではないだろうか.そこで,本研究から得られた示唆として,組換えDNA実験規制で指導的な科学者が担った役割に相当する機能を,日本政府内に新設することを提言したい.例えば,複数の省庁間における生命科学の社会的規制を横断的に調整する機関の設置が有効であろう.

結論

本研究では,1970年代から1980年代の日本における組換えDNA実験規制の歴史的考察を目的として,日米の組換えDNA実験規制に関する「歴史的文献調査」と,日本の実験規制に関与した科学者および行政官10名への「半構造的聞き取り調査」の2つの調査方法を実施した.

その結果,分子生物学者,遺伝学者,応用微生物学者らを中心とする「科学者グループ」が,日本学術会議,文部省学術審議会,科学技術会議ライフサイエンス部会,通商産業省化学品審議会など複数の省庁審議会で,基本方針の決定や具体的な指針案の作成を通じて,実験規制の内容に関する政策上の調整が行われた過程を主導したことが明らかになった.日本の組換えDNA実験規制は,科学者の自主規制を唱えたアシロマ会議の影響だけでなく,日本学術会議の組換えDNA実験への反応,米国のNIH指針に関する意見照会,OECD加盟国の規制審議,民間企業の工業生産に関するニーズなど,より多様な契機を反映して展開したのである.

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、日本における生命科学の社会的規制のあり方を考察する上で重要と考えられる、組換えDNA実験規制の導入から緩和に至るプロセスを明らかにするため、1970年代から1980年代を中心に科学者や行政官らがはたした役割に焦点を当てた歴史的な分析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.1974年から1979年における日米の組換えDNA実験規制に関する「歴史的文献調査」と、日本の実験規制に関与した科学者および行政官への「半構造的聞き取り調査」の2つの調査方法を実施し、歴史的分析を行った。その結果、日本における組換えDNA実験規制の導入プロセスについて、遺伝学者や分子生物学者らを中心に組換えDNA研究を推進する「科学者グループ」が、日本学術会議、文部省学術審議会、科学技術会議ライフサイエンス部会の3つの機関の審議に関与することで展開し、グループの中心メンバーである渡辺格や飯野徹雄らが実験指針案の作成を主導したことを通じて、国内の実験全てに適用される「組換えDNA実験指針」が策定されたことが示された。

2.1970年代の日本学術会議を中心とする規制審議の分析から、次のような展開が示された:科学者グループは、1975年2月に全米科学アカデミーによる実験のモラトリアム勧告に応じて実験の自粛を申し合わせた。彼らは日本学術会議に自主的な小委員会を設置し、アシロマ会議の声明について自然科学者以外の研究者の意見を求めた。だが、人文・社会系会員が実験の実施自体に反対したため、実験規制の検討はほとんど進展しなかった。

3.1970年代の文部省学術審議会を中心とする規制審議の分析から、次のような展開が示された:1976年6月に米国国立衛生研究所(NIH)の「組換えDNA実験指針」が告示された後に、科学者グループは文部省行政官と協力して規制方法の検討を開始した。1977年10月に日本学術会議が研究の推進を認める声明を採択すると、科学者と文部省は、NIH指針を参考にしながら、学術審議会の「科学と社会特別委員会」で具体的な実験指針案を作成した。文部省は、1979年3月に封じ込め基準の遵守と安全委員会の設置を求めた大学等の指針を告示した。

4.1970年代の科学技術会議ライフサイエンス部会を中心とする規制審議の分析から、次のような展開が示された:1978年12月以降、米国ではNIH指針の基準緩和が進められたにもかかわらず、科学技術庁と文部省の行政官における協力関係を背景に、1979年8月に国内の実験すべてを対象とする「組換えDNA実験指針」が文部省指針の形式に基づいて決定された。

5.1979年から1991年における日米の組換えDNA実験規制に関する「歴史的文献調査」を実施し、歴史的分析を行った。その結果、日本における組換えDNA実験規制の緩和プロセスについて、分子生物学者、遺伝学者、応用微生物学者ら科学者グループが、文部省学術審議会、科学技術会議ライフサイエンス部会、通商産業省化学品審議会の3つの機関の審議にそれぞれ関与することで展開し、グループの中心メンバーである斉藤日向や内田久雄らが実験指針案の改訂や大量培養など生産実験基準の新設に関与することを通じて、1970年代中盤に生命科学の社会的規制手段として国際的に提唱された「封じ込め」を必要条件とはしない規制が実現したことが示された。

6.1980年代の文部省学術審議会を中心とする規制審議の分析から、次のような展開が示された:科学者グループは、文部省を通じて米国NIHと実験指針の運用をめぐり協力関係を結び、国内の実験指針に、非常に小さいとみなされるようになった組換えDNAのリスク評価の枠組を導入した。その結果、実験指針は1982年8月に封じ込め基準を大幅に緩和する方向で改訂された。

7.1980年代の科学技術会議ライフサイエンス部会を中心とする規制審議の分析から、次のような展開が示された:1982年8月の実験指針改訂後に、それまで文部省学術審議会と指針内容を調整していた科学技術会議ライフサイエンス部会で、科学者グループが工業生産などに用いる大量培養実験基準の新設について独自の審議を展開した。その結果、科学技術会議の指針は、1983年9月に個別審査を条件に従来の「封じ込め」のように密閉を必要としない「特別の封じ込め方法」の設定を示唆する内容となった。

8.1980年代の通商産業省化学品審議会を中心とする規制審議の分析から、次のような展開が示された:科学者グループは、経済協力開発機構(OECD)と通商産業省化学品審議会の内外双方の工業化指針の審議に関与した。その結果、アシロマ会議以来の「封じ込め」は、大量培養基準の新設によって必要条件ではなくなった。その結果、文部省、科学技術会議、通商産業省、厚生省、農林水産省の指針は、1991年までに、組換えDNAのリスク評価を安全確保の枠組としつつ、行政機関の個別審査により必ずしも密閉ではない既存の大量培養設備を活用可能とする内容へと順次改訂されていった。

以上、本研究は、現在の先端的な生命科学の基盤技術である組換えDNA技術の規制について、日本を対象事例とした初の本格的な歴史研究である点で独創性が高く、またわが国の生命科学に対する社会的規制のあり方を展望する上で、今後欧米諸国の事例研究との比較に基づく提言を可能にした点で社会的な有用性も兼ね備えており、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク