学位論文要旨



No 125221
著者(漢字) 金,智賢
著者(英字)
著者(カナ) キム,ジヒョン
標題(和) 現代韓国語と日本語の談話における無助詞について : 主語名詞句及び文頭名詞句を中心に
標題(洋)
報告番号 125221
報告番号 甲25221
学位授与日 2009.07.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第922号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 生越,直樹
 東京大学 教授 近藤,安月子
 東京大学 准教授 藤井,聖子
 東京大学 准教授 福井,玲
 大阪府立大学 教授 野田,尚史
内容要旨 要旨を表示する

本論文は日韓両語の主語における無助詞(有形の助詞が現れない現象)と助詞「i/ga」「が」及び「eun/neun」「は」を取り上げ、両言語を対照しながら、それぞれの言語におけるこれら助詞類の意味を明らかにし、無助詞の文法的位置付けを把握することを目的としたものである。従来の研究では、統語レベルにおいて無助詞を助詞の省略と処理する他、談話レベルの研究でもデータの検証が十分とは言えず、談話・語用論レベルにおける無助詞の位置づけに関する詳細な検討が必要である。さらに、両言語の実際の談話データの計量的・質的分析を並行、比較対照し、その共通点と相違点を明らかにすることにより、無助詞を含む助詞類の普遍的な特徴と個別言語における無助詞の文法的な位置付けの確立という観点からの分析が可能となる。

本論文は7 章からなり、まず第1 章では、研究目的と研究範囲を述べ、無助詞に関する日韓の先行研究を整理している。本研究の目的は、現代韓国語と日本語の談話における「無助詞」を、実際の談話資料から量的・質的に分析し、汎言語的な現象としての無助詞の特徴を明らかにすることである。特に主語や文頭名詞句に現れる無助詞を、格助詞「i/ga」「が」そして助詞「eun/neun」「は」と比較することによって、三つの助詞類に同等な文法的位置付けを与えることを目指す。

第2 章では、本論文に用いられる主要用語を定義し、本論文の分析における理論的背景を提示している。無助詞と関わる概念として、名詞句の省略に関する考え方を提示し、どのような現象を無助詞と見るのか具体的な判定を行った。本研究のベースとなる基本的な考え方は、言語のレベルを統語・意味論レベルと談話・語用論レベルに概念的に区別し、「i/ga」「が」などの所謂格助詞は統語・意味論レベルで統語機能を担う助詞類で、「eun/neun」「は」や無助詞は談話・語用論レベルで固有の意味・用法を持つ助詞類として位置づけることである。談話資料の質的分析で論じる各助詞類の用法は談話・語用論レベルにおけるもので、統語・意味論レベルにおける各助詞類の働きとは異なる。また、この章では、各助詞類の統語・意味論レベルにおける日韓両言語の特徴をまとめ、考察の対象となる主語の判定も行った。第2 章の最後には、本論文に用いられるデータを紹介している。

第3 章では、文単位調査として韓国語の談話データの計量的な調査を行い、その結果を分析している。調査項目として、主語名詞句の種類と助詞類の使用との関係、述語と主語名詞句における助詞類の使用との関係、文のタイプと主語名詞句における助詞類の使用との関係、目的語など他成分名詞句における助詞類の使用との関係を調べるため、それぞれのカテゴリーにおいてデータを統計的に処理した。その結果、無助詞は発話の現場に存在するものを指す主語名詞句に用いられやすく、疑問文の主語に現れやすいことが分かった。このような結果から、無助詞は統語・意味論レベルを超え談話・語用論レベルと深い関係があるということを主張した。

第4 章では、同じく文単位調査として、日本語の談話データの計量的調査を行い、その結果を韓国語の結果と比較しながら分析している。主語名詞句の種類と助詞類の使用との関係、述語と主語名詞句における助詞類の使用との関係、文のタイプと主語名詞句における助詞類の使用との関係、目的語など他成分名詞句における助詞類の使用との関係など、韓国語の場合と同じカテゴリーの調査を行った。その結果、無助詞は発話の現場に存在するものを指す主語名詞句に用いられやすく、疑問文の主語に現れやすいという点は日韓共通であることが分かった。また、「i/ga」「が」及び「eun/neun」「は」など有形の助詞類の使い分けにおいて、統計的な面における日韓の共通点と相違点を確認することができた。

第5 章では、第3 章と4 章の調査結果を踏まえ、談話・語用論レベルにおける日韓の無助詞及び無助詞と関わる部分の有形の助詞類の意味を、データの質的な分析から追究している。まず、無助詞の最も大きな特徴を「現場性」と捉え、主語名詞句の指示対象が発話現場に実在する場合の助詞類の使い分けと指示対象が発話現場に実在しない場合の無助詞の使用を調べるべく、韓国語と日本語のデータを分析した。その結果、日韓の無助詞は、発話の現場に具体的・抽象的に存在するものや活性化しているものを指差すように取り上げ、それについて述べる「説明」用法を持つとまとめることができた。一方、助詞「i/ga」「が」と「eun/neun」「は」は、それぞれ「排他」や「対比」のような用法を持つことを確認した。無助詞と有形の助詞類は現場性を持つか持たないかで区別できるが、談話・語用論レベルにおいては、無助詞は有形の助詞類と同等のレベルで固有の働きをすると主張した。

さらに、「現場性」について、特定の発話現場における話し手と聞き手の共有情報として限定的に現場性を得る場合があることについて考察し、日常会話で無助詞文として定着した存在の疑問文について、本論文の主張からも説明できることを示した。

第5 章では、無助詞と関わる表現において日韓で異なる場合を取り上げ、談話データを比較対照しながら分析した。主語名詞句が話し手を表す場合、韓国語は「i/ga」や「eun/neun」が相対的に多いのに対し日本語は無助詞文が多い現象について、韓国語の格助詞「i/ga」の「指定」用法や特定の言語形式のパターン化の影響などが関わっていることを指摘した。また、従来の日韓対照研究で盛んに取り上げられてきた疑問詞疑問文における助詞類の日韓の違いについて、やはり「i/ga」の用法が日本語と異なることが働いていることを確認した。その他、日本語の「は」には韓国語の「eun/neun」には存在しない「設定」という用法があることを示した。このような議論を通して、有形の助詞類は日韓で共通点や相違点を有するが、無助詞は両言語で同様の意味用法を持つことを明らかにしている。

第6 章では、主題や情報構造と無助詞の関係について考察している。まず、従来様々な議論があった主題の概念を、助詞類の意味記述に適用できるようにまとめ、文頭名詞句の概念を規定した。無助詞とその他の助詞類が「主題-解説」構造の文に現れた例をデータから抽出し、助詞類の働きを観察した結果、第5 章で論じた助詞類の意味は文の情報構造とは独立して存在し、その意味が主題の概念と本質的に矛盾しない助詞類は、「主題-解説」構造の文に現れることを確認した。無助詞の「説明」用法は、その基本的な性質が「主題-解説」構造と矛盾しないことから「現場主題」を作ることができる。また、計量的・質的分析を通して、無助詞文の主題は、談話・語用論レベルにおいては無標の主題であることを明確にした。「eun/neun」「は」も、その意味・用法を保ったまま「対比主題」に現れる。一方、排他用法を持つ「i/ga」と「が」は主題の基本的な性質と相容れないことから主題に現れることはない。しかし、「i/ga」は「が」にはない「指定主題」を作ることが確認できる。このような主題と助詞類の関係についての議論は、各助詞類の特徴をより明確にすることができ、無助詞を含む助詞類の文法的位置付けに貢献するものと思われる。

第7 章では、結論と今後の課題を述べている。特に、主語以外の名詞句における無助詞について考えるべく、目的語における助詞類の働きについてデータの分析を交え少し検討した。本研究は基本的に、名詞句の格と関係なく談話・語用論レベルにおける助詞類の用法は同様であると考えるが、目的語などに関する細かい考察と分析は今後の課題である。さらに、社会言語学的な観点について述べた。本研究では談話参加者の年齢、性別、職業などの身上情報や、発話のフォーマリティ、丁寧さなど、対人関係と関わる情報など、所謂社会言語学的な観点については詳しく見ていないが、これらの要素が無助詞の使用に影響を与える可能性は十分あり、今後詳しい分析が必要とされる。

審査要旨 要旨を表示する

金智賢氏の博士論文「現代韓国語と日本語の談話における無助詞について -主語名詞句及び文頭名詞句を中心に-」の審査結果について報告する。

本論文は日韓両語の主語における無助詞(有形の助詞が現れない現象)と助詞[i/ga][が]及び[eun/neun][は]を取り上げ、両言語を対照しながら、それぞれの言語におけるこれら助詞類の意味を明らかにし、無助詞の文法的位置付けを把握することを目的としたものである。従来の研究では、統語レベルにおいて無助詞を助詞の省略と処理する他、談話レベルの研究でもデータの検証が十分とは言えず、談話・語用論レベルにおける無助詞の位置づけに関する詳細な検討が必要である。本論文では、両言語の実際の談話データの計量的・質的分析を並行、比較対照し、その共通点と相違点を明らかにすることにより、無助詞を含む助詞類の普遍的な特徴と個別言語における無助詞の文法的な位置付けの確立をめざした。

本論文は7章からなり、まず第1章では、研究目的と研究範囲を述べ、無助詞に関する日韓の先行研究を整理している。

第2章では、本論文に用いられる主要用語を定義し、本論文の分析における理論的背景を提示している。無助詞と関わる概念として、名詞句の省略に関する考え方を提示し、どのような現象を無助詞と見るのか具体的な判定を行っている。また、各助詞類の統語・意味論レベルにおける日韓両言語の特徴をまとめ、考察の対象となる主語の判定も行った。

第3章では、文単位調査として韓国語の談話データの計量的な調査を行い、その結果を分析している。分析は、主語名詞句の種類と助詞類の使用との関係、述語と主語名詞句における助詞類の使用との関係、文のタイプと主語名詞句における助詞類の使用との関係、目的語など他成分名詞句における助詞類の使用との関係について行い、それぞれのカテゴリーにおいてデータを統計的に処理している。その結果、無助詞は発話の現場に存在するものを指す主語名詞句に用いられやすく、疑問文の主語に現れやすいことを明らかにした。このような結果から、無助詞は統語・意味論レベルを超え談話・語用論レベルと深い関係があるということを主張している。

第4章では、同じく文単位調査として、日本語の談話データの計量的調査を行い、その結果を韓国語の結果と比較しながら分析している。分析した項目は韓国語の場合と同じで、分析の結果、無助詞は発話の現場に存在するものを指す主語名詞句に用いられやすく、疑問文の主語に現れやすいという点は日韓共通であることを指摘した。また、[i/ga][が]及び[eun/neun][は]など有形の助詞類の使い分けにおいて、統計的な面における日韓の共通点と相違点を明らかにしている。

第5章では、第3章と4章の調査結果を踏まえ、談話・語用論レベルにおける日韓の無助詞及び無助詞と関わる部分の有形の助詞類の意味を、データの質的な分析から追究している。まず、無助詞の最も大きな特徴を「現場性」と捉え、主語名詞句の指示対象が発話現場に実在する場合の助詞類の使い分けを、韓国語と日本語の談話データをもとに分析した。さらに、指示対象が発話現場に実在しない場合の無助詞の使用についても、韓国語と日本語のデータを分析した。その結果、日韓の無助詞は、発話の現場に具体的・抽象的に存在するものや活性化しているものを指差すように取り上げ、それについて述べる「説明」用法という形で全体の用法をまとめられることを明らかにした。一方、助詞[i/ga][が]と[eun/neun][は]は、それぞれ「排他」や「対比」のような用法を持つことを指摘している。これらの分析の結果、無助詞と有形の助詞類は現場性を持つか持たないかで区別できること、無助詞は談話・語用論レベルにおいて、有形の助詞類と同等のレベルで固有の働きをすることを明らかにしている。

第5章では、無助詞と関わる表現において日韓で異なる場合を取り上げ、談話データを比較対照しながら分析した。まず、主語名詞句が話し手を表す場合、韓国語は[i/ga]や[eun/neun]が相対的に多いのに対し日本語は無助詞文が多い現象について分析を行い、韓国語の格助詞[i/ga]の「指定」用法や特定の言語形式のパターン化の影響などが関わっていることを指摘した。さらに、従来の日韓対照研究で盛んに取り上げられてきた疑問詞疑問文における助詞類の日韓の違いについても考察を行い、やはり[i/ga]の用法が日本語と異なる点が違いをもたらしていることを明らかにした。その他、日本語の[は]には韓国語の[eun/neun]には存在しない「設定」という用法があることも指摘している。このような議論を通して、有形の助詞類は日韓で共通点や相違点を有するが、無助詞は両言語で同様の意味用法を持つことを明らかにしている。

第6章では、主題や情報構造と無助詞の関係について考察している。まず、従来様々な議論があった主題の概念を、助詞類の意味記述に適用できるようにまとめ、文頭名詞句の概念を規定した。無助詞とその他の助詞類が「主題-解説」構造の文に現れた例をデータから抽出し、助詞類の働きを観察した結果、第5章で論じた助詞類の意味は文の情報構造とは独立して存在し、その意味が主題の概念と本質的に矛盾しない助詞類は、「主題-解説」構造の文に現れることを確認している。また、計量的・質的分析を通して、無助詞文の主題は、談話・語用論レベルにおいては無標の主題であることを明確にしている。

第7章では、結論と今後の課題を述べている。今後の課題として、主語以外の名詞句における無助詞と社会言語学的な観点を挙げ、それらに関する簡単な分析を示すとともに、今度の見通しを述べている。

本論文は、言語現象でも扱いの難しい無助詞を取り上げ、実際の談話データを詳細に分析することによって、従来明確でなかった日韓両語の無助詞の使用条件とその役割を明らかにした意欲的な論文である。まず、分析データとして実際の談話データを使っている点は、従来の作例中心の議論を乗り越え、新たな次元での考察を可能にした。そのデータの分析によって、特に、日韓両語とも無助詞の使用に際しては「現場性」がもっとも大きな条件であること、無助詞の談話・語用論レベルにおける働きを、「説明」用法という形でまとめたことは、本論文の大きな成果と言えよう。本論文は、特に研究が不足していた韓国語の無助詞研究を大きく前進させるものであり、言語学、韓国語学、日本語学のいずれの分野でも高く評価されるものである。なお、「現場性」「指示性」の説明に不十分な点があること、他の助詞の用法との違いについてさらに検討が必要な部分があることなど、今後検討すべき課題も指摘されたが、それらが本論文の価値を損ねるほどのものではないことが確認された。

したがって、本審査委員会は本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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