学位論文要旨



No 125223
著者(漢字) 菊田,悠
著者(英字)
著者(カナ) キクタ,ハルカ
標題(和) 青い陶器の町の聖者 : ソヴィエト近代化を経たウズベキスタン・イスラームの民族誌
標題(洋)
報告番号 125223
報告番号 甲25223
学位授与日 2009.07.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第924号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 船曳,建夫
 東京大学 教授 山内,昌之
 東京大学 教授 岩本,通弥
 東京大学 教授 福島,真人
 東京大学 講師 渡邊,日日
内容要旨 要旨を表示する

本論文では、ソヴィエト連邦時代に進んだ近代化を「ソヴィエト近代化」と呼ぶことにし、旧ソ連領の中でもムスリム人口が最も多い地域であった中央アジアのウズベキスタン共和国におけるイスラーム信仰実践が、ソヴィエト近代化によって受けた影響と今日の姿を、陶業を主要産業としてきたフェルガナ州リシトン市の陶業史と陶工のイスラーム的守護聖者(ピール)崇敬を主要な対象として考察した。

まず第1章では、ソヴィエト近代化によってリシトン市がウズベキスタンの町となり、主要なインフラが整備され、今日の人々の生活に多大な影響を与えたこと、ソ連末期からはイスラームを再び生活理念の中心にすえようとする再イスラーム化が進んでいることを見た。また、陶業が町に古くから伝わる産業で、殊に19世紀初頭から20世紀初頭にかけては中央アジア随一の窯元として栄えたことを述べた。

こうしてリシトンのムスリム住民の生活および陶業について基本的な知識を確認した後、第2章では当地のイスラーム信仰実践の実態を捉えるための枠組みを模索した。従来、旧ソ連領のイスラームを説明する図式として最も頻繁に使用されてきたのは、フランスの地域研究者ベニグセンらによる、国家のお墨付きである「公的イスラーム」とそれ以外の「並行イスラーム」に二分する見方であった。それ以外の枠組みも、二項対立的で国家による制約や研究者の設定した神学的基準を「上から」当地のイスラームに当てはめるものが主流である。それらからは、一般ムスリムの生活における具体的な信仰の姿が見えにくい。

そこで本稿では、まず中央アジアのイスラーム化の歴史を概観した後、ギアツの地域的イスラームの捉え方をヒントにして、当地のイスラームを2つの原理と7種の指導者によって捉える構図を提案した。それによれば、まずムッラ、オティンといったイスラーム知識人は、宗教的知識を重んじるイルム原理によって地域社会で主に重んじられている。一方、スーフィーの指導者であるイシャーン、預言者ムハンマドらの血筋とされる「白い骨」の人々、占いや病治し等をするバフシ、キンナチといった人々は、社会には神の特別な恩寵に恵まれた人々が存在し、彼らを通じた請願成就や病治しが可能であるという観念、すなわちアウリヨ原理を主に体現している。また、この他に「見えない聖者」として聖者廟の主や、職業別の守護聖者ピールが尊敬されており、彼らは「見えない」ためにソ連時代の反イスラーム政策によって弾圧されることが少なく、人々のムスリム意識維持において大きな役割を果たしてきた可能性が高いという仮説を示した。中でもソ連時代以降のピール崇敬についてはほとんど先行研究がなく、それを扱うことが貴重な視角となることを述べた。

第3章から第5章にかけては、ソヴィエト時代を挟んで、リシトン陶業と陶工のピール崇敬がどのように変遷してきたかをたどった。それにより、従来の研究ではあまり取り上げられていなかった、手工業の集団化の具体的な様相が明らかになった。特に興味深い点は、陶工の組織形態や技術および製品の内容は効率的な大規模生産を目指したソヴィエト近代化の流れの中で特に1970年代以降に大きく変化したが、徒弟制という伝統的な技能伝承のシステムはほとんど変わらずに受け継がれたということである。徒弟制は陶工のアイデンティティー構築や古くからの観念や儀礼の維持にも大きな役割を果たし、それによってピール崇敬の多くの要素が受け継がれてきたのである。

ウズベキスタン独立後は、リシトン陶業が集約されていた国営陶芸工場が解体し、陶器作りの場が市内に拡散した。第5章ではその中でピール崇敬がどのように行なわれているかを、陶工を4集団に区分しながら検討した。その結果、ピール崇敬の集団統制の側面は現在では一部の陶工にのみ限られていること、しかしピールへの尊敬は陶業従事者全てに基本的に重要視されていることなどが示された。

第6章ではこの結果を、スーフィー・聖者複合に関する研究の流れに位置付けつつ検討した。スーフィー・聖者複合の人類学的研究においては、人類学者アーネスト・ゲルナーの影響が長らく続いている。彼の提示したイスラームのモデルでは、スーフィー・聖者複合は特に部族社会や都市における少数派と親和性を持ち、イスラームに不可欠の要素であったが、近代以降の経典主義や合理主義を重視する世界状況とは合わず、周縁化するのが一般的であるとされている。

ゲルナーのモデルには、多くのムスリム社会の事例をひとつの見取り図の下に整理できるという有用さがある。しかし一方で、スーフィー・聖者複合の今日性が十分に論じられていないという問題もある。実際には、近年のいくつかの研究が示すように、現代社会への適応に成功したスーフィー・聖者複合の事例も存在する。この点をもっと掘り下げ、現代におけるスーフィー・聖者複合の積極的なあり方を捉える視座を鍛えるべきであろう。

本稿のピール崇敬の事例は、このような方向性の研究を深化させる手がかりになる。ピールは社会的に分節された特定の集団を象徴してメンバーのアイデンティティーの源になるという古典的かつ融即的な聖者であるが、ソヴィエト近代化以降の社会および産業構造の変化や価値観の多様化の中でも、徒弟制の下で育ってきたエリート的な陶工の間ではその性質を保ち続けている。そして近年の市場経済化のなかで伝統的な職人から個性を重視した作家へ変身しようとする新世代の陶工にとっては、個人的創造のインスピレーション源としての新たな価値をも帯びてきている。これは因果律を偏重する時代にもピール崇敬が適応し、融即的性質との調和を図っていることを示しており、スーフィー・聖者複合の今日性を考える上で示唆的な事例と考えられる。

第7章では視点をやや変えて、ルーフ儀礼を取り上げた。これは中央アジア各地のムスリム社会で行なわれている、死者霊の安寧と生者の幸せを祈る慣習である。本稿ではそれを従来のルーフ儀礼分析において主流であった起源論や機能主義ではなく、ブルデューのハビトゥス論を用いながら比較考察する方向を示した。そしてルーフ儀礼には、「宗教的に優れた仲介者に頼る」という中央アジア・ムスリムの宗教的伝統が反映されていることを明らかにした。

すなわち、当地のイスラーム信仰実践は神と信者の2者間関係のみならず、ルーフ儀礼に招かれた客や死者霊ら第3項を介しても行なわれるという特徴を持つ。そこでの第3項の役割は、儀礼主催者の願いを神に祈ってやるという仲介者的なものである。自分から神に祈るばかりでなく仲介者からも祈ってもらえば、より良い結果が期待できるとされるのである。そして仲介者は、できれば「より多く」、しかも普通の人よりも神に対して「より近くに」いる人であることが望ましい。ゆえにルーフ儀礼に招待する客の数は多いほど好ましいとされ、集いの最後の祈りにおいては単なる死者霊のみならず、預言者ムハンマドや地元で人気のある聖者やピールら、優れたムスリムとして知られる人物の名も唱えられる。

ピールへの崇敬も、このような「宗教的に優れた仲介者に頼る」という観念を背景としている。現地に行き渡った神学的解釈では、ピールや聖者廟の主たちは、神のような直接の信仰の対象ではない。あくまで神との間を取り持つ仲介者として崇敬されている。また、「見えない」が完全に死んだわけではなく、この世とあの世の間にいて、双方を行き来しながら人々を導いてくれる存在として語られている。「宗教的に優れた仲介者に頼る」という中央アジア・ムスリムの信仰実践のパターンにおいて、彼らは神との間に立つだけでなく、死を挟んだ二つの世界の間にも立つ、殊のほか優れた仲介者なのである。第8章ではこれらの点を確認した上で、ピール崇敬を含むウズベキスタン・イスラームの今後の展開を考察した。

それによれば、中央アジアにおけるソヴィエト近代化とは、単なるロシアによる植民地化や西欧化、ロシア化とはいえない。曲がりなりにも特定の民族主義を超えた理想の連邦を目指すイデオロギーがあり、それに基づいた社会建設のプロセスに地元民も参加し、ソヴィエト近代化を共に築いてきた側面が存在するのである。ゆえにウズベキスタン独立後も、ソヴィエト近代化が全否定されることはなく、そこに含まれていた政教分離の基本路線の踏襲に対しても一定の社会的賛同が得られ、イスラームの政治化を抑える現政権への支持が保たれてきたと思われる。

しかし、ソヴィエト近代化の遺産も、その上に新たな国家的理念や福利を築けなければいつか限りが来るだろう。また、ポスト・ソヴィエト時代の再イスラーム化の中で、宗教的知識を重んじるイルム原理は強まり、より正しいイスラーム知識とその実行を求める人々が増えている。聖者的な存在に頼るアウリヨ原理も強まっており、ピールら「見えない聖者」への崇敬に加えて、霊験あらたかな存在として広範な支持を集めるイシャーンや「白い骨」も現れ始めている。彼らを崇敬する人々と、イスラームの政治化を警戒する政権および正統的解釈を唱える宗務局の間で、今後衝突が起こらないとも限らない。今後ともウズベキスタンにおいてイスラームは、政治的にも社会的、文化的にも非常に大きな影響力を持つ、扱いの難しい重要な対象なのである。それはソヴィエト近代化が結局「見えない聖者」への崇敬や「宗教的に優れた仲介者に頼る」人々の姿勢を崩せず、当地を世俗化することができなかったということを示している。すなわち、近代化は世俗化を必然とするものではなく、思想的近代化は信仰実践の持続と両立しうるという結果が、無神論を公的イデオロギーとしていたはずのソヴィエト近代化の事例から導き出されるのである。

審査要旨 要旨を表示する

菊田悠氏の論文、『青い陶器の町の聖者-ソヴィエト近代化を経たウズベキスタン・イスラームの民族誌』の目的 は、中央アジアのウズベキスタン共和国におけるイスラーム信仰実践がソヴィエト近代化によって受けた影響と今日の姿を、陶業を主要産業としてきたフェルガナ州リシトン市の陶業史と、陶工の守護聖者(ピール)崇敬の変遷を主たる対象として考察するものである。この研究を始めるにあたって、論者には、ソヴィエト連邦時代に進んだ近代化、「ソヴィエト近代化」が、イスラームといった宗教伝統や、伝統的な社会システムを、どのように変容させたのか、またはさせなかったのか、を探ろうとする意図があった。

リシトンにおける調査は、論者が同地で日本語教師を務めながら、2002年3月~7月、同年9月~2003年1月、同年3月~7月、同年9月~11月に行われた。また、2004年以降は、2005年を除いて、毎年一ヶ月程度同地を訪れ、追加調査を行った。

本論文は、「序」に始まり、3部に分れた全8章が続き、最後に「結」が置かれる。「序」で先行研究を概観し、調査の概要を記した後、第1部「フィールド紹介と分析の枠組み」では、第1章で陶業の町として栄えたリシトンの歴史、現在の生活など調査地の全体図が示されたあと、第2章で、本論文の理論的な分析枠組みが説明される。これまで旧ソ連邦のイスラームには、ベニグセンらによる、国家的な「公的イスラーム」とそれ以外の「並行イスラーム」とに二分する見方が取られてきた。しかし、それら二項対立的な図式からは、ムスリムの生活における具体的な信仰の姿が見えにくい。そこで論者は、ギアツの地域的イスラームの捉え方をヒントに、2つの原理と7種の指導者によって捉える構図を提案する。それによれば、イスラーム知識人は、宗教的知識を重んじる「イルム原理」によって地域社会で重んじられている。一方、指導者であるイシャーン、預言者ムハンマドらの血筋とされる「白い骨」の人々、占いや病治し等をするバフシ、キンナチといった、神の特別な恩寵に恵まれた人々は、彼らを通じて請願成就や病治しが可能であるという観念、「アウリヨ原理」によって崇敬されている。この他に「見えない聖者」として聖者廟の主や、職業別の守護聖者、「ピール」が尊敬されている。論者は、彼らは「見えない」ためにソ連時代に弾圧されることが少なく、人々のムスリム意識維持において大きな役割を果たしてきた、という仮説を示す。

第2部「陶業とピール崇敬の変遷:ソ連時代を挟んで」は四章からなる。第3章から第5章の議論では、二つの発見が記述される。一つは、陶工の組織形態や生産内容は効率的な大規模生産を目指したソヴィエト近代化によって大きく変化したが、徒弟制という伝統的な技能伝承のシステムはほとんど変わらずに受け継がれたことである。その徒弟制によってピール崇敬の多くの要素が受け継がれてきた。さらに、ウズベキスタン独立後、国営陶芸工場が解体し、陶器作りの場が市内に拡散したが、そこでのピール崇敬を検証することによって、集団的なピール崇敬は一部の陶工に限られているが、ピールへの尊敬自体は、いまだ陶業従事者全てに基本的に重要視されているという、第二の発見がなされた。

第6章は、「スーフィー・聖者複合」の研究の流れを追い、ゲルナーの提出した、こうした聖者信仰は、近代以降では教典主義や合理主義を重視する世界的な状況の中で次第に周縁化せざるを得ない、という説に反論を加える。論者によれば、現代社会への適応に成功したスーフィー・聖者複合の事例は存在する。特に、論者の調査したピール崇敬では、強力に推し進められた「ソヴィエト近代化」にもかかわらず、徒弟制の下で育ったエリート的な陶工のあいだで、その力は保たれている。さらに、市場経済化のなかで個性的な作家になろうとする新世代の陶工にとっては、創造のインスピレーション源としての新たな価値をも帯びてきている。これはスーフィー・聖者複合の今日性を考える上で示唆的な事例と考えられる。

第3部「仲介者のいるイスラーム信仰実践」は、二章からなる。第7章では、これまでの議論とは視点の異なる、死者儀礼であるルーフ儀礼を取り上げ、そこに、「宗教的に優れた仲介者に頼る」という中央アジア・ムスリムの宗教的伝統が反映されていることを明らかにする。そうした、仲介者の存在は、第8章で取り上げられるピール崇敬にも見られる。すなわち、ピールや聖者廟の主たちは、「見えない」が完全に死んだわけではなく、人々と神との間を取り持つ仲介者として、また、死を挟んだ二つの世界の間をも仲介している。

第8章から「結」に至る議論は、本章の結論部をなしている。そこで論者は、ソヴィエト近代化とは、単なるロシアによる植民地化や西欧化、ロシア化とはいえない。そこには、民族主義を超えた理想の連邦を目指すイデオロギーがあったのであり、社会建設のプロセスに地元民も参加し、ソヴィエト近代化を共に築いてきた側面が存在した。それゆえに独立後も、ソヴィエト近代化は全否定されることはなく、政教分離を基本路線とし、イスラームの政治化を抑える現政権への支持が保たれてきた、と主張する。しかし現今の情勢を見ると、ポスト・ソヴィエト時代の再イスラーム化の中で、宗教的知識を重んじるイルム原理は強まる一方、聖者的な存在に頼るアウリヨ原理も新たな力を増している。ピールら「見えない聖者」や、霊験あらたかなイシャーンや「白い骨」も現れ始めている。彼らを崇敬する人々と、イスラームの政治化を警戒する政権および正統的解釈を唱える宗務局の間で、今後衝突が起こらないとも限らない。現代のウズベキスタンが、こうした衝突をはらんだ緊張の下にある、ということは、とりもなおさず、ソヴィエト近代化が結局「見えない聖者」への崇敬や「宗教的に優れた仲介者に頼る」人々の姿勢を崩せず、当地を世俗化することができなかったということを示している。

上記の内容を持つ本論文は、以下の三点において、文化人類学に対する貢献が顕著である。第一に、困難な調査をやり遂げ、現場に密着した詳細なデータを取得し、確固とした民族誌を提示した。第二に、「ソヴィエト近代化」という概念を設定し、それに照準を定めて執拗に検討することで、ウズベキスタンにおける近代化が、単なるロシアによる植民地化やロシア化、一過性のもの、ととらえるのは誤りで、いまもこの地の人々の中に、内在化されたものとしてあり続けていることを指摘した。その上で、そのソヴィエト近代が、生産システムの中核をしめる徒弟制や、彼らのイスラーム実践の重要な側面であるピール崇敬などには、大きな影響を与えてこなかった、ということも明らかにし、多面的な様相を持つことを論証した。第三に、そうした議論を通じて、思想的近代化が信仰実践の持続と両立しうるという事例を、無神論を公的イデオロギーとしていたはずのソヴィエト近代化のプロセスのただ中に見出した。

むろん、本論文にも問題点がないとはいえない。審査委員からは、いくつかの表記法の不十分さ、二項対立的図式を批判しながら自らそうした図式を用いていること、また、近年、文化人類学的儀礼研究では否定されて来ている「儀礼の意味」を、再び取り上げるためには必要であるはずの再批判的検討の不足、などが指摘された。

しかしながら、こうした点は、本論文の本来の価値をそこなうものではなく、本論文は文化人類学の研究に対して重要な貢献をなしていると判断された。したがって、本審査委員会は、全員一致で、本論文提出者は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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