学位論文要旨



No 125224
著者(漢字) クロードエヴ,デュビュック
著者(英字) Claude-Eve,Dubuc
著者(カナ) クロードエヴ,デュビュック
標題(和) 日本社会における女性語の再解釈 : 女性管理職の経験と選択行動を解き明かす
標題(洋) A Reinterpretation of Japanese Women's Language : Unfolding Female Managers' Experiences and Choices
報告番号 125224
報告番号 甲25224
学位授与日 2009.07.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第925号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 船曳,建夫
 東京大学 教授 関本,照夫
 東京大学 准教授 箭内,匡
 東京大学 准教授 名和,克郎
 東京大学 専任講師 渡邊,日日
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、日本研究の対象にされることの少ない日本人女性管理職に焦点を当てるものである。そうすることによって、日本で一生仕事をし続ける選択をし、男性中心であったビジネスの世界で成功している女性に対する理解と知識を獲得し、単純化される傾向にある日本人女性のイメージを多様な現実に一歩近付けたい。また、研究テーマとして不足している高い社会的地位にいる日本人女性に注目するだけではなく、日本における女性の言葉遣いに関する研究で欠けている、文脈や参加者などの要因に注目する長期フィールドワークによって集められた自然会話のデータを分析し、この分野にテーマとアプローチの両面で新たな光を当てたい。

日本語を始め、女ことばは一般的に女性の男性に対して低い社会的地位を表す「弱い」・「柔らかい」言葉遣いであり、権力のない立場にいる人間の話し方だ、と考えられている。殊に日本社会の場合、「女ことば」に結びつけられている言語イデオロギーと、そのイデオロギーが作り出した社会的文化的価値に対する人々の意識が高いことが特徴として挙げられ、それは無視できない強い影響力を持つ要因である。その背景の下、女性管理職は、日本社会の一員であるため、「女ことば」に特徴付けられる女性であることの基準から完全に離れることが出来ない。しかし、同時に、「女ことば」の特徴である「弱さ」や「自己主張の無さ」はビジネスパーソンであることと矛盾しているため、女性管理職は様々な葛藤を生む立場に置かれている。本論文では、東京の大手広告会社、家電メーカー、金融会社、自動車メーカーの合計4社の中で、そういった立場に置かれている女性管理職4人の言語活動の分析を通じて、彼女たちの現状と経験を明らかにする。

本論文は二部に分かれている。「Portraying Women's Reality(女性の現状を描く)」とタイトルを付けた第1部では、文化人類学の立場から言葉の研究を行う上で、意識し理解しなければならない、日本で働いている女性たちの現状と、文化的・歴史的な背景を紹介する。まず、第1章では、日本の女性解放運動とその重要人物を紹介し、歴史における日本人女性と仕事の関係、それに関わる、本研究にとって影響のある法律、企業組織と現在の労働者の様々な立場を紹介する。第2章では、今日までの日本の教育制度における女性の立場、また、数字から見られる女性のおかれている現状、仕事をする女性と女性管理に対する社会的文化的イメージと評価、等を分析する。そのためには、フィールドワーク時である2006年から2008年にかけて、放送されたテレビドラマや出版された雑誌に見られる、働く女性のイメージとステレオタイプを分析する。さらに、第3章では、ジェンダーと言語に関する一般的な研究と重要な研究者、「deficit theory」、「dominance theory」、「difference theory」などについての議論、ジェンダーと言語の研究で見られる主なアプローチを紹介し、本研究を学説史的に位置付ける。第1部の最終章である第4章では、日本語における「女ことば」の歴史と言語イデオロギー、一般的に挙げられている語彙、音韻体系、統語法などにみられる日本の「女ことば」の特徴を説明し、それらを対象にした研究と議論を紹介する。女性管理職の言語活動と選択、それが意味すること、それが彼女たちの現状をどう反映しているのかを理解し、深みのある分析を行うためには、個人の今までの経験と働いている仕事環境以外にも、日本社会で女性の関係する領域における彼女たちの一般的な立場、その歴史的背景、女性の活動に対する社会的価値と知覚、また「女ことば」と呼ばれているものと結びつかれている言語イデオロギーを意識する必要がある。従って、第1部の計4章によって、文化人類学という分野の中で、女性管理職の言葉遣いの分析を行うための基礎的な知識を議論の背景として設定する。

本論文の主要部である「Field Research and Data Analysis(フィールド研究とデータ分析 )」の第2部では、フィールドに対する情報、フィールドワーク中に集めたデータを記述し、 その分析を行う。第5章では、研究対象の企業と女性管理職、フィールド期間、研究方法、分析方法などの選択とその理由を述べる。第6章では、一年間にわたって行った大手企業4社での長期フィールドワークのデータを記述し、広告会社、家電メーカー、金融会社、自動車メーカーといった職場で活躍している女性管理職の現状と言葉遣いを、実例に基づいて、精細に分析する。そのため、フィールド別に分けられている第6章の4つの項では、それぞれの会社の歴史と実績、研究に協力して下さった女性管理職の入社前・入社後の経験、部署の構成と仕事の内容や行い方、フィールドワークの状況、その他の特徴などを紹介し、それらが意味することを整理、解釈してから、言語データの分析を行う。それによって、ある特徴的な社会的文脈と人間関係におかれた彼女たちが、部下や上司と接する時に、意識的あるいは無意識的にとる、Compartmentalizing、Balancing、Levelling、Interactivityと論者が名付けた言語的行動、言語戦略を中心に取り上げ、それらが意味することを明らかにし、分析を行う。第7章では、第6章の分析を受けて、それらの解釈を行う。

本論文の主要部である第2部の内、さらに主要部である第6章と、それをまとめた第7章では以下の議論が行われている。

女性管理職は、ビジネスパーソンとして決定、命令しなければならない立場にいるため、ビジネスという文脈において「女性らしさ」を表し過ぎないようにしなければならないが、一方、日本社会・文化の中で生活している女性としても行動しなければならない。そのため、彼女たちは、「女ことば」に対する言語イデオロギーの中で価値を持つ言語目的(対立を避けること、相手を気遣うことなど)を持ちながらも、ビジネスの場面では、顕在的には女性らしさを示さない言葉遣いをしている。したがって、言語イデオロギーによって定義されている「女ことば」を受容しつつ、職場に適しないと思われる言葉遣いを避け、その外形を変えることによって、女性管理職は自分たちの立場、活動、コミュニケーションの目的などに合った、多様で幅広い言語活動を行っている。

その言語活動は様々な形をとり、文脈、相手、目的などに合わせた多くの言語戦略に表表されている。それらを研究対象者ごとに、以下のごとく、大きく纏めた。

ヒエラルキーの非常に強い会社でありながらも、とてもインフォーマルな仕事環境である広告会社ACでは、対象者の女性管理職は、場に合わせて、極端に言葉遣いを分けた、compartmentalizationとここで呼ぶ戦略を行っていたことが明らかになった。例えば、同じ相手に対して、チームの打ち合わせでは極端な敬語を使う一方、普段のやり取りでは、母親が使うような非常にインフォーマルな言葉遣いをしている。そうすることによって、彼女は管理職としてフォーマルで、場合によって命令的な内容を伝えながらも、インフォーマルな場においての団結を守り、職場と立場によって作り出された言語活動を行っていることが分かった。

一方、非常にインフォーマルで非ヒエラルキー的な職場であった家電メーカーHEMでは、対象者の女性管理職は部下を管理するうえで、balancingと呼ぶことの出来る戦略を使っていることが明らかになった。そこでは、管理職である彼女が置かれている職場での、権威を比較的に強く表現する必要性を、笑いなどによる親しさと団結を強調する表現を使うことによって、調和させていたことが分かった。

また、非常にヒエラルキー的でフォーマルな社風を持つ金融会社FGで活躍する女性管理職の言語活動では、levellingと呼ぶ戦略が特徴的であることが明らかになった。会社によって、既にはっきりと権力者、デシジョンメーカーである上司の立場に確固として置かれた研究対象者は、むしろ自身の権力的位置や部下とヒエラルキー的ギャップを強調する言葉遣いを避け、団結を表現していることが分かった。

最後に、ヒエラルキーを弱めたいという、はっきりとした目標を持っていた、フォーマルでヒエラルキー的な自動車メーカーCMの女性管理職はinteractivityと呼ぶ戦略を利用していたことが明らかになった。相手の考え方や意見に対する評価を積極的に表す言語活動によって、権威ではなく団結を管理手段とし、そのようなことを巧みな言葉遣いを通じて、表していたことが分かった。

これらの言語戦略は、無数の文脈や話の相手などという、長期間の密着したフィールドワークによってのみ明らかになる要因を取り入れた分析でしか理解できないことを、第7章で結論として主張する。また、以上のように、大企業の女性管理職の経験、彼女たちが出会う言語的葛藤、その葛藤が作り出す言語的戦略などを観察し、分析することによって、今まで男性にしか開かれていなかった分野と地位にいる現在の日本の女性たちの実態を明らかにしている。そうすることによって、「女ことば」という概念を考え直し、今までの研究でほとんど注目されなかった現場での多様性を明らかにし、言語イデオロギーと使用実態の両方を取り入れた、女性が話す言葉に対する新しい概念を提案している。

審査要旨 要旨を表示する

クロードエヴ・デュビュック氏の論文、『A Reinterpretation of Japanese Women's Language: Unfolding Female Managers' Experiences and Choices (日本社会における女性語の再解釈―女性管理職の経験と選択行動を解き明かす)』 の目的は、日本の企業における女性管理職の、職場での言語活動を詳細に観察記録し、そのデータを解析することで、日本の「女性語」を再検討し、その理解を深めようとするものである。論者の研究動機には、これまで日本人女性に関する研究の中で、対象にされることの少なかった、社会的に確立した地位を占めている女性たちの姿を浮き彫りにすることで、日本人女性の、とりわけ海外におけるステレオタイプ的な像を正し、理解の偏りを改めようとする意図があった。

準備期間とデータの整理期間をのぞくと、実際の現場における調査は、2006年4月より、2007年3月までの12ヶ月間、4つの企業において行われた。いずれの企業でも調査者はオフィスの中で、特別の場合の他は、常時、自由な観察、音響映像機器の使用が許され、主要インフォーマントには、ピンマイクを付けてその会話を録音することが出来た。その結果、フィールドノートの他にも総計で314時間の音声データ、320時間の映像データという、相当量の重要な資料を得ることが出来た。

本論は、二部に分かれて、第1部は、「Portraying Women's Reality(女性の現状を描く)」と題されている。第1章と第2章では、本研究に関わる日本人女性の社会的地位に関する歴史的な背景と現状が描かれ、第3章では女性語研究の言語学的理論が紹介され、そして、第4章では、日本語における女性語研究のこれまでを検討すると共に、本研究が、文化人類学的な言語研究の学説史の中に位置づけられている。第1部は、全体として、第2部に対する歴史的、理論的背景となっており、とりわけ、日本語における「女性語」に関連する「言語イデオロギー」の諸側面を記述することで、第2部の分析の導入としている。

第2部の「Field Research and Data Analysis (フィールド研究とデータ分析)」は、本論文の主要部である。第5章では、調査対象の選択の経緯、調査、分析の方法が述べられる。その中で、のちに述べる女性管理職の言語活動における「葛藤」が浮き彫りになるよう、ヒエラルキーの強弱とフォーマリティの強弱、からなるマトリックスにより、4つの企業の4人の女性管理職が主たる調査の対象者として選ばれた。第6章では、その4人を中心とした会話の、詳細で精密なデータが提示され、分析が行われている。第7章では、それらの分析を総合し、解釈を加え、結論としている。

この第2部では、論者によって、ある一つの作業仮説が設定されている。それを前提として調査対象の選定が行われ、そのインフォーマントの言語行為のどこに焦点を当てるかが決められ、そのデータの分析が進められているのだ。その仮説とは、女性管理職は、ビジネスという文脈において、日々、決定、命令しなければならない立場にいるため、「女性らしさ」を過度に表現しないようにしなければならないが、一方、日本社会・文化の中での「女性」としても行動しなければならない。この二つの要請からなる「葛藤」の中で、彼女たちは女性語の諸特徴、たとえば、対立を避けること、相手を気遣うこと、などを受容しつつ、ビジネスの現場に適しないと思われる言葉遣いを避ける様々な戦略、工夫を行っているであろう、というものである。

それに基づいた分析によって、論者は、各企業における調査対象者が、それぞれの企業の持つ職場環境の性格、仕事の内容と目的、ビジネス上の会話を行う相手、といった複雑な要素が、一瞬にして交錯する発話の瞬間に、様々な言語戦略をとっていることを、多くのデータの分析から抽出した。それらの戦略が適用されている実態は、論者によって、実例で論証され、compartmentalization、balancing、interactivity、levellingと名付けられ、前述の作業仮説の正当性は十分に示された。

上記の内容を持つ本論文は、以下の三点において、文化人類学に対する貢献が顕著である。第一に、困難な調査をやり遂げ、膨大なデータを取得し、さらに、それらを分析にかなう形に整理したことで、堅固な言語資料を提示したことである。第二に、前述の仮説に基づき、現代の日本で管理職にある女性たちが、言語的「葛藤」の中から、多様な戦略をそれぞれ個別に取っていることを実例に基づき論証したことである。第三に、「女性語」と呼ばれるものが、固定した語彙や言い回し、また、固定的な発話態度にあるのではなく、すべての言語的可能性の中から、その文脈に応じた「使用」方法の中にあることを明らかにしたことである。

むろん、本論文にも残された問題点がある。「言語イデオロギー」というものの存在が前提されているが、そのことへの批判的検討が弱い。また、女性管理職の職場での言語活動における「葛藤」を、ジェンダーの要素から見ているが、職場における「権力関係」がもたらす側面への考察が十分になされていない。

しかしながら、こうした点は、本論文の本来の価値をそこなうものではなく、本論文は文化人類学の研究に対して重要な貢献をなしていると判断された。したがって、本審査委員会は、全員一致で、本論文提出者は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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