学位論文要旨



No 125232
著者(漢字) 川上,泰彦
著者(英字)
著者(カナ) カワカミ,ヤスヒコ
標題(和) 公立学校教員の人事システムを規定する要因とその効果に関する研究
標題(洋)
報告番号 125232
報告番号 甲25232
学位授与日 2009.09.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第159号
研究科 教育学研究科
専攻 学校教育高度化専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 勝野,正章
 東京大学 教授 大桃,敏行
 東京大学 教授 苅谷,剛彦
 東京大学 教授 秋田,喜代美
 東京大学 准教授 橋本,鉱市
 放送大学 教授 小川,正人
内容要旨 要旨を表示する

地方分権化後の地方教育行政では、自治体による教育施策の企画・立案や実施などにおいて、教育委員会(教委)と各学校との関係や学校間の関係のあり方が、その成否を左右するということが指摘されはじめている。また従来以上に自主的・自律的な運営が求められている公立学校にあっても、学校と教委の関係や学校間の関係のあり方は学校の経営行動に影響を及ぼすと考えられる。地方分権を本旨とする戦後教育行政の性格を考えると、本来はもっと早くからこうした関心が集められてきているべきであったとも言えるが、教育行政の地方分権がようやく実質化してきた近年になって、自治体内部の教育(行政)組織や関係者間の「関係」に注目が集められつつある。

そして、自治体内部の教育(行政)組織や関係者間の「関係」や意識を左右する条件のひとつとして、教員人事行政に対する政策的な関心も高まりつつある。ただし公立学校の教員人事行政は、県費負担教職員制度という全国一律の法制度に依拠しながらもその運用は多様であるが、この多様性については必ずしも十分に知られている訳ではない。また、教師や学校を扱ったこれまでの研究の多くも、その行動や意識の制度的文脈として機能しているはずの教員人事をあまり重要視しておらず、異動や昇進の及ぼす影響を捨象しているものや、地域間に大きな差がないことを前提としているものが目立つ。

そこで本論文では、このような公立学校教員の人事行政の持つ「多様性」に着目する。教員人事の方針やルールのほか、その運用と動態がどの程度多様なのか、またそうした多様性はどのような要因から導き出されているのか、さらにそうした多様性は地方教育行政や学校経営に対してどのような影響を及ぼしているのか、これらの問いを以下の三部構成(七章構成)に整理して検証を行った。

まず第1部では、これまでの教育行政研究や学校経営研究などでも明らかにされてこなかった、公立学校教員の人事行政の多様性を整理した。異動および昇進に関する人事権者(都道府県教委・政令指定都市教委)の方針やそれに応じた個々のルール設定のほか、実際にそうした方針やルールの運用状況も多様であり、各人事権者ではそれぞれの「教員人事システム」が構築されているということを明らかにした。またその結果として、教員人事システムの出力(アウトプット)である異動や昇進の動態も多様であることを明らかにした。

このうち第1章では、公立学校教員の異動の制度とその運用に着目した。異動の地理的範囲(広域的かそうでないか)や異動サイクル(長いか短いか)に関する方針やルールは決して画一的に設けられてはいないほか、一般教員と管理職でもその方針やルールは異なっていた。また異動の「流動性」等の分布からは、そうした方針やルールを実際に運用した結果(出力)の多様性も示された。そして異動のルールを実際に運用する事務体制も実は多様であり、具体的には都道府県教委(本庁)―教育事務所―市町村教委での分担関係の違いとして現われていた。具体的には都道府県教委(本庁)が教員人事の事務過程で中心的な役割を果たす「本庁型」から、その中心的な役割を市町村教委が担っている「市町村型」までのバリエーションがあり、教育事務所が中心的な役割を果たすケースは両タイプの中間に位置づけることができた。

第2章では、公立学校教員の昇進管理制度とその運用に着目した。昇進管理の制度に関しては、選考試験の実施状況についても、また教委―学校の人事交流のように特定のキャリアパスが昇進管理に結びつくような人事慣行についても、人事権者ごとの多様性が確認された。さらにこのうち複数の自治体を取り上げて、昇進管理の制度や慣習の状況と実際のキャリアパターンを比較したところ、学校と教委事務局との人事交流を管理職への選抜手段として(ファスト・トラックとして)機能させるかどうかという方針の違いや試験制度の活用方法の違いは、管理職への昇進パターンの違いに反映されており、異動とともに昇進管理についても多様性が裏付けられた。

次に第2部では、自治体による教員人事システムの違いがどのような要因に規定されているのかを検証した。その結果、教員人事システムは、自治体の抱える諸条件(人口地理的条件、社会経済的条件)と教委の戦略・方針に規定されており、どちらかだけで決まるものではないということが判明した。また実際の異動・昇進の動態は教員人事システムの出力として位置づけられるが、これも自治体の抱える諸条件等から影響を受けているということが明らかになった。

このうち第3章では、異動に関する教員人事システムについて、自治体が置かれた環境や自治体に内在する諸条件と、教委レベルでの慣習や戦略の影響力について検証した。アンケート調査のデータと公式統計を用いた計量分析からは、都道府県教委(本庁)―出先機関(教育事務所)―市町村教委の事務処理能力のバランスが、教員人事異動の事務における分担関係を規定しているということを示した。またケーススタディを通じた比較からは、自治体の社会経済条件や人口地理的条件とそれに対する人事権者の戦略(異動方針)は多様で、これらをどのように組み合わせるかが異動範囲や異動サイクルのルールのほか、それらの運用に必要な教員人事行政の分担関係を規定し、異動の動態にも反映されているということが明らかになった。

次に第4章と第5章では、昇進に関する教員人事システムについて、自治体による慣習や戦略と、自治体内の諸条件の影響力を検証した。このうち第4章では、二つの県における教委―学校間の人事交流と昇進選抜の関係の変化を整理し、昇進選抜における慣行として人事交流を定着させるために必要な働きかけについて明らかにした。昇進選抜においてある制度や慣習を定着させるための人事方針(戦略)には、教委が中長期的に維持するものと、学校の増設期などにのみ適用できる短期的なものがあり、教委にはそれらをどのように組み合わせて適用するかという裁量があるということが判明した。

そして第5章では、学校管理職への昇進年齢に関する計量分析とケーススタディを通じて、各自治体の抱える人口地理的条件(教員の年齢構成や中山間地・離島など僻地の状況)やそれに応じて人事権者が設けている選抜・昇進の制度によって、昇進に関する教員人事システムの出力が規定されているということを明らかにした。これにより、教委の昇進管理のあり方やその出力についても、自治体の置かれた環境や自治体に内在する諸条件と、それに対応する人事権者の方針の「組み合わせ」から影響を受けているということが示された。

最後に第3部では、教員人事システムの相違が学校経営や教育行政にどのような効果をもたらすのかを明らかにした。その結果、自治体の教員人事システムは、その出力にあたる個々の教員のキャリアや地域内・地域間での異動の流動性を媒介として、日常的な(ルーティンの)自治体教育行政や学校経営のほか、非ルーティン的な教育政策過程に対しても影響を及ぼしているということが判明した。

このうち第6章では、公立小・中学校の校長や教頭が、個々のキャリアパスに依存する形で様々な紐帯(人間関係)を構築し、学校間や学校―教委間に社会的ネットワークを形成しているということが明らかになった。またそこでは、教委や校長会で伝達される公式情報とは質の異なる情報が流通しており、これが学校経営に活用されているという様子も明らかになった。このことから、教員人事システムの違いは日常的な自治体教育行政や学校経営にも影響を与えているということが示された。

そして第7章では、教育関係の構造改革特区を対象とした計量分析から、教員人事システムの出力である都道府県―市町村間での指導主事の配置バランスや、校長の異動の流動性が、自治体教育政策過程に直接的または間接的に影響しているということを明らかにした。これにより、教員人事システムの運用結果が自治体の教育政策立案能力や非政治(教育行政)アクター間のコミュニケーションに影響し、これが自治体の教育政策過程を左右しているということが示された。

以上のような検証の結果、本論文では、公立学校教員の異動や昇進は全国同一の法制度のもとで運用されているものの、実際には都道府県教委(本庁)とその出先機関(教育事務所)と市町村教委が重層的に教員人事に関与するという仕組みを取っているため、その実態には多様性があるということを確認した。またその多様性は自治体の与えられた環境や自治体に内在する諸条件と、それに対する人事権者の戦略の組み合わせによって生み出されているということも明らかになった。そして多様な教員人事システムとそのアウトプットは、学校経営や自治体教育行政のあり方に対し、制度的コンテクストとして影響を及ぼしているということも判明した。

本論文の政策的含意としては、第一に、自治体による意図的・政策的な人事システムへの働きかけは、自治体教育行政や学校経営に広く影響が及ぶため、教員人事行政に限定されない教育行政改革や学校改善を助けることができるという点が挙げられる。いっぽう第二の政策的含意としては、教員人事システムによる出力(教員人事の動態)は可変的であるものの、その変革は容易ではないということが挙げられる。教員人事システムとその出力を政策的に組み替えてゆくには、自治体を取り巻き、自治体に内在する諸条件を視野に入れた人事の方針を構想して具体的なルールを作ること、さらにその運用に必要な組織体制の変革も含めた継続的な働きかけが求められる。以上のような点を、本論文の政策的な含意として指摘することができる。

審査要旨 要旨を表示する

教員人事は、学校教育の平等や質の向上の問題を考えるうえで重要な事項である。このことを否定する者はまずいないにも関わらず、その実態を明らかにしようとする研究はこれまでほぼ皆無であった。本論文は、経験的な知識や実感としては広く共有されている、都道府県ごとにみられる教員人事システムの多様性に注目し、(1)実際にどれくらい多様であるのか、(2)そうした多様性はいかなる条件のもとで生じているのかをデータに基づいて検証している。さらに、教員人事システムの多様性が認められるとすれば、(3)教育行政や学校経営にどのような影響を及ぼしているのか、すなわち教員人事行政の「効果」についても明らかにしようと試みている。

本論文は、序章で先行する研究を概観し、上記(1)~(3)の問いを設定した後、それぞれの問いに対応する3部から構成されている。

第1部の第1章では、全国の都道府県及び政令市教育委員会を対象に実施したアンケート調査の結果から、教員異動の地理的範囲やサイクルが実際に多様であることを明らかにしている。続く第2章では、管理職への昇進選抜についても、試験の活用方法や教育委員会との人事交流(指導主事への登用)に着目して、その多様性を実証している。

第2部の第3章では、第1章で教員人事システムの運用に関して「本庁型」と「市町村型」に類型化されるイニシアチブの違いが観察されたことを受け、教育行政機関の事務処理能力が教育人事システムの多様性と関連していることを計量分析と事例研究によって明らかにしている。第4章では、2県における校長経験者のキャリアパスに関する詳細な調査を行い、学校管理職の登用に人事交流が浸透する過程の県間比較を行っている。両県間の違いには、自治体の人事方針が関係している。続く第5章では、教員の年齢構成や地理的条件も、昇進管理システムに影響を及ぼしていることを全国調査に基づく計量分析と事例研究によって示している。

第3部では、第6章で他校の管理職や教員との間で情報収集や相談をすることが管理職の力量の一部なのではないか、そして、この力量の形成に異動に伴って生じうる「紐帯」や「ネットワーク」が関係しているのではないかという仮説について検証している。続く第7章では、教員人事システムの多様性が教育特区という教育政策の導入に影響を与えているのではないかという仮説の検証を「アクター間関係」に着目して試みている。終章では、3つの問いに関して得られた知見とその政策的含意、及び今後の課題を整理している。

審査委員会では、研究の間隙となっていた教員人事システムについて、本論文が全国調査に基づく計量分析と丹念な事例研究によって、その実態を示すことに成功しており、さらに多様性を規定する要因についても明らかにしたことが高く評価された。教員人事システムが教育行政、学校経営に及ぼす影響については、まだ十分に検証されているとは言えないが、そのアイディアは今後のより豊かな研究につながる可能性を持っている。以上のことから、本論文は博士(教育学)の学位論文として十分な水準に達しているものと認めることができる。

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