学位論文要旨



No 125234
著者(漢字) 臼井,公人
著者(英字)
著者(カナ) ウスイ,キミヒト
標題(和) カイコ感染モデルを用いた環境中の病原性細菌の検出およびその病原性メカニズムの研究
標題(洋)
報告番号 125234
報告番号 甲25234
学位授与日 2009.09.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1327号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 准教授 折原,裕
 東京大学 准教授 富田,泰輔
内容要旨 要旨を表示する

【序】

感染症は死亡率上位の疾患であり、それに対する対策は公衆衛生上重要な課題である。感染症の原因となる病原性細菌は、環境中に常在しているものが多い。その中には、病原性について未だよく理解がなされておらず、将来、深刻な新興感染症を引き起こすものがある可能性が懸念される。これらの環境中に存在する病原性細菌が引き起こす感染症を予防するためには、病原性細菌の効率的な検出方法の確立が必要である。さらに病原性細菌の病原性メカニズムの解明が、治療方法を考える上で重要である。従来、病原性細菌の検出においては、細菌の形態、表面抗原、代謝能及びDNAシークエンスが既知の病原性細菌と一致するか否かを検討するという手法がとられ、動物個体に対する殺傷活性を指標とした評価はほとんど行われていなかった。そのため、検体中に未知の病原性細菌が存在している場合、それを見逃してしまう可能性があった。また、環境に見出される細菌の病原性メカニズムの研究においても、培養細胞に対する病原性を調べたり、特定の酵素活性を指標として病原性因子を同定する場合がほとんどであり、対象となる菌の動物個体に対する病原性を調べることは多くの場合困難であった。細菌の動物個体に対する病原性評価をするためには、モデル動物が必要である。マウスなどの哺乳動物を感染実験に供することに対しては、コストおよび動物愛護の観点から問題が指摘されており、新たなモデル動物の確立が求められている。私が所属する研究室では、カイコが黄色ブドウ球菌や緑膿菌という、ヒトに対する病原性細菌により感染死することを見出している。私は、カイコ感染モデルが、環境中に存在する様々な病原性細菌の検出およびその病原性メカニズムの解明に役立つと考え、本研究に着手した。

【方法・結果】

<カイコ感染モデルを用いた、環境中に存在する病原性細菌の検出>

1,カイコを用いた環境細菌の病原性評価

土壌懸濁液あるいは海産物の腸内容物を栄養寒天培地上に塗布し、30℃あるいは37℃で一晩培養した。形成されたコロニーをさらに培養して、カイコの体液内に注射し、病原性を評価した。その結果、土壌中から分離した25株中16株が、カイコを殺傷することが分かった。そのうち5株について、菌を除いた遠心上清にカイコに対する殺傷活性が認められた。さらに、海産物腸内容物から分離した127株中55株がカイコを殺傷した。これらの土壌・海産物腸内容物から分離した菌株の属種を、16S rRNAの塩基配列から決定した。

2,カイコに対して強い病原性を示す細菌のマウスに対する病原性

海産物の腸内容物より分離した病原性細菌中から、カイコに対して強い病原性を示した菌株12株について、一晩培養液を作成し、マウスに腹腔内注射した。その結果、試験した12株はすべてマウスを殺傷することが分かった。この中には、哺乳動物に対する病原性について報告のない、Staphylococcus simiae及びStaphylococcus pasteuriが含まれていた。以上の結果は、カイコ感染モデルを用いることにより、環境中に存在する哺乳動物に対する病原性細菌を検出できることを示唆している。

〈カイコ感染モデルを用いた、病原性細菌の病原性メカニズムの解明〉

1.カイコ殺傷活性を指標にした分泌毒素の精製

土壌より分離したカイコに対する病原性細菌の1株(Bacillus sp.)の培養上清から、カイコに対する殺傷活性を指標にして、分泌性病原性因子の精製を行った。培養液上清に、硫酸アンモニウムを飽和濃度の60%になるように添加し、活性物質を沈殿として回収した。続いて、DEAEセルロースカラムおよびMonoQカラムにより精製を行った。半数のカイコを殺傷する活性を1 unitと定義し、比活性の上昇を指標にして精製を行った。MonoQカラムクロマトグラフィーにおいて、活性と挙動が一致するタンパク質をSDS-PAGE上で見出した。LC/MS/MSによりこのタンパク質を、スフィンゴミエリナーゼと同定した。スフィンゴミエリナーゼは、哺乳類に対する病原性因子として知られている。

2.Serratia marcescensの病原性メカニズムの解明

環境常在菌で、ヒトの日和見感染菌として知られているS.marcescensの病原性メカニズムには不明な点が多い。私は、カイコ感染モデルを用いることにより、この菌の病原性の理解を試みた。

<a>Serratia marcescensのカイコに対する病原性の発現には生菌が必要である

S.marcescensの一晩培養液、一晩培養液の遠心上清およびオートクレープ処理した死菌をそれぞれ、カイコ体液内に注射し、カイコに対する病原性を調べた。その結果、一晩培養液は一日以内にカイコを殺傷したが、培養上清及び死菌については、三日後においてもカイコは生存していた。黄色ブドウ球菌や歯周病菌のオートクレープ処理菌体は、カイコに対して過剰な免疫反応を誘導し、致死へ導くことが分かっている。したがって、S.marcescensのカイコに対する病原性の発現には、これらの細菌とは異なり、生菌が必要であることを示唆している。

<b>Serratia marcescensはカイコに対して強い病原性を示す

S.marcescensおよび黄色ブドウ球菌をカイコ体液内に注射し、24時間後のLD50を算出した。その結果、黄色ブドウ球菌のカイコに対するLD(50)は3.6×106 CFUであるのに対して、SmarcescensのLD(50)は1 CFUであった。この結果は、S.marcescensがカイコに対して非常に強い病原性を示すことを示唆している。

<c>Serratia marcescensは、カイコ体液中のヘモサイトによる排除を受けない

カイコ体液内にS.marcescensおよび黄色ブドウ球菌を注射し、体液中の生菌数を経時的に測定した。黄色ブドウ球菌は、注射後10minで生菌数が30分の1に減少したが、S.marcescensの生菌数の減少は、認められなかった。従って、S.marcescensはカイコの体液中での菌排除システムに抵抗性を有すると考えられる。

ヘモサイトは、カイコ体液内で細胞性免疫を司る細胞である。ヘモサイトを調製し、S.marcescens又は黄色ブドウ球菌とPBS(-)中で、27℃で3時間共培養した。ヘモサイトの生存率は、菌非添加群では53%、黄色ブドウ球菌添加群では43%、S.marcescens添加群では0%であった。したがって、S.marcescensはヘモサイトを殺傷すると考えられる。このS.mareescensによるヘモサイトの殺傷は、ヘモサイトをカスパーゼ阻害剤で前処理することにより抑えられた。以上の結果は、S.mareescensの生菌は、ヘモサイトにアポトーシスを誘導することにより、細胞性免疫から免れることを示唆している。

<d>Serratia marcescensのヘモサイト殺傷能は、カイコに対する病原性に関与する

S.marcescensを変異剤Ethylmethane sulfonateで処理し、親株に比べヘモサイト殺傷能が低下している変異株を得た。この株は、カイコに対する病原性が親株に比べて低下していた。以上の結果から、S.marcescensのヘモサイト殺傷能がカイコに対する強い病原性を説明すると考えられる。

【まとめ】

私は、カイコ感染モデルを用いることにより、環境中に存在する哺乳動物に対する病原性細菌を効率的に検出できることを示した。さらに私は、カイコに対する殺傷活性を指標に、病原性細菌の培養上清からカイコ殺傷因子の精製ができることを示した。この結果は、カイコ感染モデルが夫知の病原性細菌の分泌毒素の研究に右用であることを示唆している.また、カイコ感染モデルを用いることにより、S.marcescensによる免疫細胞の殺傷が、この菌の病原性発現に重要であることを示した。この結果は、カイコが細菌感染時における細胞性免疫の役割を研究するのに有用であることを示唆している。以上の結果から私は、カイコ感染モデルを用いて、環境病原性細菌の検出、および病原性メカニズムの解明ができることを提唱したい。

Usui,K.,Miyazaki,S.,Kaito,C.& Sekimizu,K.(2009).Purification of a soil bacteria exotoxin using silkworm toxicity to measure specific activity.Microb Pathog 46(2),59-62.

図1.カイコ殺傷活性因子のMono Qカラムクロマトグラフィー

表1.カイコ殺傷活性を有する分泌毒素の精製

図2.カイコ体液内におけるS.marcescens及びS.aureusの挙動

図3.S.marcescensのヘモサイト殺傷能とカイコに対する病原性

審査要旨 要旨を表示する

感染症は死亡率上位の疾患であり、それに対する対策は公衆衛生上重要な課題である。感染症を引き起こす病原性細菌は、環境中に存在するものが多く、その中には将来深刻な新興感染症を引き起こす可能性がある未同定の菌の存在が懸念される。このような病原性細菌による感染症を予防するためには、病原性細菌の効率的な検出方法の確立が必要である。さらに病原性細菌の病原性メカニズムの解明が、治療方法を考える上で重要である。従来、病原性細菌の検出においては、細菌の形態、表面抗原、代謝能及びDNAシークエスが既知の病原性細菌と一致するか否かを検討するという手法がとられ、動物個体に対する殺傷活性を指標とした評価はほとんど行われていなかった。そのため、検体中に未知の病原性細菌が存在している場合、それを見逃してしまう可能性があった。また、環境に見出される細菌の病原性メカニズムの研究においても、培養細胞に対する病原性や、特定の酵素活性を指標として病原性因子を同定する場合がほとんどであり、対象となる菌の動物個体に対する病原性を調べることは多くの場合困難であった。細菌の動物個体に対する病原性評価をするためには、モデル動物が必要であるが、マウスなどの哺乳動物を感染実験に供することに対しては、コストおよび動物愛護の観点から問題が指摘されており、新たなモデル動物の確立が求められている。本研究では、環境中の病原性細菌の検出と、病原性メカニズムの研究におけるカイコ感染モデルの有用性について考察した。

カイコ感染モデルを用いた、環境中に存在する病原性細菌の検出

本論文第一章において、環境中に存在する病原性細菌を検出する系としてのカイコの有用性について検討を行った。土壌懸濁液あるいは海産物の腸内容物を栄養寒天培地上に塗布し、分離したコロニーから一晩培養液を作成してカイコの体液内に注射し、病原性を評価した。その結果、土壌中から分離した25株中16株が、カイコを殺傷することを明らかにした。そのうち5株について、菌を除いた遠心上清にカイコに対する殺傷活性があることを示した。さらに、海産物腸内容物から分離した127株中55株がカイコを殺傷することを示した。これらの土壌・海産物腸内容物から分離した菌株の属種を、16S rRNAの塩基配列により決定した結果、今回新たにカイコを殺傷する菌として17株を同定した。海産物の腸内容物より分離した病原性細菌中から、カイコに対して強い病原性を示した菌株12株について、マウスに対する病原性を評価した。その結果、試験した12株はすべてマウスを殺傷することを示した。この中には、哺乳動物に対する病原性について報告のない、Staphylococcus pasteuri及びStaphylococeus simiaeが含まれていた。本研究は、カイコ感染モデルが、環境中に存在する哺乳動物に対する病原性細菌の検出において有用であることを示した。

カイコ感染モデルを用いた、病原性細菌の病原性メカニズムの解明

本論文第二章において、病原性細菌の病原性メカニズムの解明に対するカイコ感染モデルの有用性について検討を行った。まず第一節において、カイコ殺傷活性を指標に病原性細菌の分泌毒素の精製が可能であることを示した。土壌より分離したBacillus sp.の培養上清から、カイコに対する殺傷活性を指標にして、分泌性病原性因子の精製を行った。培養液上清に、硫酸アンモニウムを飽和濃度の60%になるように添加し、活性物質を沈殿として回収した。続いて、DEAEセルロースカラムおよびMonoQカラムにより精製を行った。半数のカイコを殺傷する活性を1 unitと定義し、比活性の上昇を指標にして精製を行った。MonoQカラムクロマトグラフィーにおいて、活性と挙動が一致するタンパク質をSDS・PAGE上で見出した。LC/MS/MSによりこのタンパク質を、哺乳動物に対する病原性因子として知られているスフィンゴミエリナーゼと同定した。本研究により、カイコに対する殺傷活性を指標にして、病原性細菌の分泌毒素の精製が可能であることが初めて示された。

第二節においては、環境常在菌で、ヒトの日和見感染菌として知られているSerratia marcescensの病原性について、カイコ感染モデルを用いて考察した。S.marcescensの一晩培養液、一晩培養液の遠心上清およびオートクレープ処理した死菌をそれぞれ、カイコ体液内に注射し、カイコに対する病原性を調べた。その結果、一晩培養液は一日以内にカイコを殺傷したが、培養上清及び死菌については、三日後においてもカイコは生存しており、S.marcescensのカイコに対する病原性の発現には、隼菌が必要であることを示した。続いてS.marcescensおよび黄色ブドウ球菌をカイコ体液内に注射し、24時間後のLD(50)を算出し、その病原性を評価した。その結果、黄色ブドウ球菌のカイコに対するLD(50)は3.6×106 CFUであるのに対して、S.marcescensのLD(50)は1 CFUであり、S.marcescensがカイコに対して非常に強い病原性を示すことを明らかにした。S.marcescensの非常に強い病原性から、カイコ体内で排除されない可能性が考えられたため、カイコ体液内にS.marcescensあるいは黄色ブドウ球菌を注射し、体液中の生菌数を経時的に測定した結果、黄色ブドウ球菌は、注射後10minで生菌数が30分の1に減少したが、S.marcescensの生菌数の減少は、認められなかった。本研究により、S.marcescensはカイコの体液中での菌排除システムに抵抗性を有することが示唆された。カイコ体液内で細胞性免疫を司る細胞であるヘモサイトに対する殺傷能を調べた結果、強い殺傷能を有することが示され、さらにその殺傷が、カスパーゼ阻害剤により抑制されることを示した。以上の結果より、S.marcescensの生菌は、ヘモサイトにアポトーシスを誘導することにより、細胞性免疫から免れることが示唆された。S.marcescensを変異剤処理し、親株に比べヘモサイト殺傷能が低下している変異株を得た。この株は、カイコに対する病原性が親株に比べて低下していたことから、S.marcescensのヘモサイト殺傷能がカイコに対する強い病原性を説明することが示唆された。本研究により、病原性メカニズムに不明な点が多い、S.marcescensのカイコに対する病原性について、カイコのヘモサイトにアポトーシスを誘導し殺傷することにより自然免疫から免れ、カイコを殺傷するというモデルが初めて提唱された。

本研究では、カイコ感染モデルを用いることにより、環境中に存在する哺乳動物に対する病原性細菌を効率的に検出することができることを示した。また、病原性細菌の分泌毒素が、カイコに対する殺傷活性を指標にして精製できることを示した。これにより遺伝学が確立していない未知の病原性細菌の病原性因子の精製に応用が可能であると考えられる。また、生体内で初めて病原性を発揮するような毒素の精製が可能になると考えられる。カイコ感染モデルを用いることにより、S.marcescensの病原性について、宿主の免疫担当細胞を殺傷することにより病原性を発揮するという、新たな知見を得ることができた。本研究により、カイコ感染モデルによる環境中の病原性細菌の検出およびその病原性メカニズムの解明の有用性が示され、感染症対策への応用が期待される。以上のことから、本研究は博士(薬学)の学位に値すると判定した。

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