学位論文要旨



No 125256
著者(漢字) 長尾,翌手可
著者(英字)
著者(カナ) ナガオ,アステカ
標題(和) 哺乳動物ミトコンドリアtRNAのアミノアシル化と翻訳精度維持機構
標題(洋)
報告番号 125256
報告番号 甲25256
学位授与日 2009.09.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7108号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,勉
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 菅,裕明
 東京大学 准教授 上田,宏
 東京大学 准教授 泊,幸秀
内容要旨 要旨を表示する

序論

mRNAの遺伝情報がタンパク質へと翻訳される過程は精度の高い反応であり、一般にそのエラー頻度は10‐4~10‐5程度であると見積もられている。翻訳精度を保つ主な仕組みとしては、tRNAが正しいアミノ酸を受容するアミノアシル化過程と正確なコドン-アンチコドン対合を保つための校正機構が知られている。tRNAのアミノアシル化はアミノアシルtRNA合成酵素(aaRS)によって触媒され、そのエラー頻度はタンパク合成のエラー頻度とほぼ同程度であることが知られていることから、tRNAのアミノアシル化は翻訳精度の要であると言える。これまで、aaRSはtRNAそれぞれに備わっている特徴的な塩基や配列、高次構造などからなる「tRNAアイデンティティー決定因子」を認識し、対応するtRNAと他のtRNAを厳密に識別することでその精度を保っていると信じられてきた。しかし、当研究室の研究で、哺乳類ミトコンドリアの系において、セリルtRNA合成酵素(SerRS)が、セリンのtRNAだけでなく、グルタミンのtRNAをも誤認識し、セリル化するといったミスアミノアシル化の現象が観測された。このような同一系内でのミスアミノアシル化は細胞内では翻訳精度を低下させ致命的な事態を引き起こすと考えられる。しかし、ミトコンドリアの翻訳精度が維持されていることを考えると、従来のtRNAアイデンティティーによる識別機構だけでは不十分であり、他の新たな翻訳精度維持機構が存在することを示唆している。私はミトコンドリアの翻訳精度を維持するしくみとして、次の二つのシステムを提唱した(図1)。(1)aaRS同士が基質となるtRNAに対して競争的に反応し、正しい反応の反応速度が大きいために優先的に正しいアミノアシルtRNAが作られるといったaaRS-tRNAネットワークにおける反応速度論的識別機構。(2)aaRS-tRNAネットワークを潜り抜けたミスアミノアシル化tRNAを伸長因子EF-Tuが排除するといったEF-Tuによるフィルターリング機構である。本研究では哺乳類ミトコンドリア翻訳系を題材とし、これらの二つのシステムが連動して翻訳精度維持を達成しているという全く新しい概念の確立を目指した。

本論

ミスアミノアシル化反応の探索

本研究では、まず、哺乳類ミトコンドリアaaRSがどの程度ミスアミノアシル化を引き起こす可能性があるのかを観察するために、aaRSとしてヒトミトコンドリアaaRSの組み換え体を、tRNAとして野生型ウシミトコンドリアtRNAを用いて、全通りのアミノアシル化反応を行いミスアミノアシル化反応の探索を行った。みられたミスアミノアシル化反応については反応速度論的な解析をするとともに、伸長因子EF-Tuへの結合能の解析を行った。

野生型tRNAは本来のtRNA構造形成に必要な修飾塩基を含んでいるため、正確なアミノアシル化反応の検証には必要であると考えている。

その結果、5種類のaaRS(SerRS、LysRS、LeuRS、AlaRS、ThrRS、GluRS)についてミスアミノアシル化反応が観測された(図2:seryl-tRNAGlnはS-tRNAGlnと表記。他も同様に表記した)。これは予想以上の高い頻度であり、哺乳類ミトコンドリアtRNAアイデンティティーが弱体化していることを示唆しており、哺乳類ミトコンドリアtRNAが一般的なtRNA構造から逸脱していることに起因していると考えられる。次に、これらのミスアミノアシル化反応ついて反応速度パラメーターを決定したところ、GluRS以外はいずれもミスアミノアシル化活性は正しいアミノアシル化活性よりも著しく低くかった(表1)。このことから、これらのミスアミノアシルtRNAは反応速度論的識別機構によって翻訳系から排除されると考えられる。GluRSについては後述する。

EF-Tuによるフィルターリング

次に、これらのミスアミノアシルtRNAについてEF-Tuとの相互作用をtRNA加水分解プロテクションアッセイを用いて検証した。それぞれのアミノアシルtRNAについて得られた加水分解速度をEF-Tu濃度に対してプロットした結果、正しいアミノ酸を受容したアミノアシルtRNAはEF-Tu濃度依存的に加水分解速度が低下していることからEF-Tuに対して一定の結合能を持つと考えられる。一方、ミスアミノアシル化したK-tRNAGluとA-tRNASer(UCN)については正しいアミノアシルtRNAと同様のEF-Tu結合能を示した(図3C、D)。E-tRNAGln、S-tRNAGln、K-tRNAGlnに関しては、EF-Tuに対する結合能が低いことが判明した(図3A、B、C)。tRNAGlnについてはEF-Tu に対するtRNA自体の結合能が低く、EF-Tuがミスアミノアシル化されたtRNAGlnをタンパク合成に組み込まれないようにするフィルターとしての役割を果たしている可能性が示唆された。

これらの結果から、tRNAアイデンティティーが弱体化した哺乳類ミトコンドリア翻訳系では、いくつかのaaRSについては潜在的に対応しないtRNAをアミノアシル化してしまうがそれらの反応活性は低く、反応速度論的識別機構によって事実上排除されるということが示唆できる。また、EF-TuフィルターリングはtRNAGlnに機能していると考えられ、これは比較的tRNAGlnがミスアミノアシル化されやすい性質との相関が示唆できるものである。次に、tRNAGlnが例外的にそのTループに本来の保存配列を有していることから、これらの結果とtRNAGlnにおけるTループ配列の保存との関連性を調べるためにtRNAGlnに焦点を絞ってさらに研究を進めた。

哺乳類ミトコンドリアQ-tRNAGln生合成

緒言

古細菌や多くのバクテリア、または植物のクロロプラスト、ミトコンドリアといったオルガネラではQ-tRNAGln生合成にtRNA依存アミドトランスフェラーゼ(AdT)を介するQ-tRNAGln生合成経路が用いられている(図4:AdT経路)。哺乳類ミトコンドリアではGlnRSに相当するタンパク質が存在しないことから、AdT経路が暗示されてきたが、確証的な研究はなされていない。

GluRSがtRNAGlu、tRNAGlnをグルタミル化したことからGluRSはND-GluRSであるということが判明した。次に、哺乳類ミトコンドリアでのAdT経路の存在を確かめるために、バクテリアAdTのヒト相同性タンパク質であるmGatCABの同定を行ったところ、mGatCABはミトコンドリアに局在し、その組み換え体はE-tRNAGlnを基質として、Q-tRNAGlnの形成を行うことがわかった。(図5A)。また、RNA干渉法を用いてmGatCABを発現抑制したHeLa細胞からミトコンドリアtRNAGlnをアミノ酸が受容した状態で単離し、そのアミノ酸をLC/MS解析によって調べたところ、グルタミン酸を結合したtRNAの末端塩基を検出することに成功した(図5B)。これは、mGatCABを発現抑制したためにQ-tRNAGlnの中間体であるE-tRNAGlnの蓄積が起きていること示唆するものである。以上の結果から、哺乳類ミトコンドリアではAdTを介する経路でQ-tRNAGlnが合成されていることをつきとめた。

古細菌のGatCAB相同性タンパク質であるGatDEについてはtRNAGlnとの共結晶構造解析が行われており、GatDEはtRNAGlnのDループ-Tループ相互作用と接触していることが分っている。この観察がmGatCABについても当てはまると仮定すると、哺乳類ミトコンドリアtRNAGlnはmGatCABに認識されるためにDループ-Tループ相互作用が必要でありTループの保存配列を有していたという推測ができる。

考察

哺乳類ミトコンドリアtRNAの大きな特徴として、Dループ-Tループ相互作用に必要とされる塩基が保存されていないことがある。酵母ミトコンドリアtRNAが大腸菌などのtRNAとほぼ同様な特徴を備えていることから、本来ミトコンドリアtRNAは他の生物や細胞質と同じtRNA構造を持っていたと推測できる。しかし、ミトコンドリアの進化の過程でtRNASerがそのアイデンティティー決定因子である長いバリアブルアームを失い、SerRSがtRNA共通構造の一つであるTループ保存配列を認識することになった。その結果、この配列を持つ他のtRNAはミスセリル化を避ける必要があり、Tループ保存配列を変化させ翻訳精度を維持したと考えられる。また、本来のTループ構造が保存されているもう一つのtRNAであるtRNAGlnについては、本研究の結果から、Q-tRNAGln生合成の必要性によりこの構造を保持していることが示唆される。元来、tRNA本体のEF-Tuへの結合能が弱くミスセリル化が許容されることがTループ構造の保持を可能にした大きな要因と考えられる。

このようにミトコンドリアtRNAは翻訳精度維持の危機に対処してきたが、tRNAアイデンティティー決定因子だけではアミノアシル化精度を保てなくなったため、aaRS-tRNAネットワークによる反応速度論的識別機構およびEF-Tuによるフィルターリング機構を連動させることで、翻訳精度を維持するしくみを独自に進化させたと考えられる。この機構は単にミトコンドリアの特徴に留まらず、他のシステムでも同様な状況に置かれた場合機能を発揮するものであると考えている。

図1:反応速度論的識別機構とEF-Tuフィルターリング

図2ミスアミノアシレーション(反応1時間後)

表1反応速度パラメーターSerRSについては(Shimadaeta1.,2001)を参考

図3各アミノアシルtRNAのEF-Tu結合能

GluRS(A)、SerRS(B)、LysRS(C)、AlaRS(D)によって生じたミスアミノアシルtRNA(白抜き)と正しいアミノアシルtRNA(黒塗り)の加水分解速度のEF-Tu用量作用曲線

図4GlnRS非存在下のQ-tRNAGRn合成機構(AdT経路)

図5mGatCABの同定

mGatCABの試験管内AdT反応系構築(A)LC/MSによるtRNAGIn受容アミノ酸の解析(B)

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、哺乳動物ミトコンドリア翻訳系におけるtRNAのアミノシル化精度維持機構の解明を行ったものであり、また、本研究を通して得られた知見に基づき動物ミトコンドリアtRNA群特有にみられるtRNA構造の異常性、多様性の原因を探求するものである。

tRNAのアミノアシル化はアミノアシルtRNA合成酵素(aaRS)によって行われ、その精度はそれぞれのaaRS認識に必要なtRNA上の特徴的な塩基配列や高次構造(tRNAアイデンティティー)によって支配されていると考えられてきた。しかし、哺乳動物ミトコンドリアtRNAは通常のtRNAとは逸脱した構造を持っており、特に生物間で高度に保存されているTループ塩基配列が多様化していることや、個々のtRNAアイデンティティーの保存性も低いことが知られている。また、当研究室の先行研究により、哺乳動物ミトコンドリアSerRSがtRNAGlnをミスセリル化することが判明した。これらの知見から提出者は哺乳動物ミトコンドリア翻訳系ではtRNAアイデンティティーが弱体化している可能性を指摘し、それを補う翻訳精度維持機構の存在を考えた。まず、本研究では、(1)aaRS同士が基質となるtRNAに対して競争的に反応し、正しい反応の反応速度が大きいために優先的に正しいアミノアシルtRNAが作られるといったaaRS-tRNAネットワークにおける反応速度論的識別機構、(2)aaRS-tRNAネットワークを潜り抜けたミスアミノアシル化tRNAを伸長因子EF-Tuが排除するといったEF-Tuによるフィルターリング機構という二つの連動する機構によって翻訳精度維持を達成しているという概念を提唱し、実証することを第一の目的としており、それらを通して初期の真核生物から哺乳動物に至るまでのミトコンドリアtRNA構造の変化と翻訳精度維持機構の関連性を解明することを第二の目的としている。

まず、本論第一章では、哺乳動物ミトコンドリア翻訳系において実際にtRNAアイデンティティーが弱体化している論拠を示すために、aaRSとして8種類のヒトミトコンドリアaaRSの組み換え体を、tRNAとして全22種類の野生型ウシミトコンドリアtRNAを用いてin vitro実験系で網羅的なミスアミノアシル化反応の探索を行っている。その結果、5種類のaaRSについて7パターンの有意なミスアミノアシル化反応が観察され、哺乳動物ミトコンドリアtRNAアイデンティティーの弱体化を示唆することができている。

第二章では、第一章にみられたミスアミノアシル化反応が反応速度論的に翻訳系から排除されるものであることを示すために、正しいアミノアシル化反応とミスアミノアシル化反応の反応速度論的パラメーターを測定し比較している。その結果、ミスアミノアシル化反応は非常に低効率であり、反応速度論的識別機構によって翻訳系から排除できるものであることを実証した。また、第三章では、ウシミトコンドリアEF-Tuを使ったアミノアシルtRNA加水分解プロテクションアッセイを用いて、第一章でみられたミスアミノアシルtRNAのEF-Tuとの結合能を評価し、EF-Tuフィルターリングの検証を行っている。その結果、ミスアミノアシルtRNAGlnは全てEF-Tuとの結合能が低くEF-Tuフィルターリング機構の存在を示唆することに成功した。ここまでの経緯から、提出者はtRNAアイデンティティーが弱体化した哺乳動物ミトコンドリア翻訳系では、反応速度論的識別機構とEF-Tuフィルターリング機構によって翻訳精度が保たれることを実証したと考えられる。また、提出者は生物間においてtRNAのTループ構造は高度に保存されているのに対し、哺乳動物ミトコンドリアでは多様化していることに注目し、哺乳動物ミトコンドリアSerRSがTループを認識することから、その原因はSerRSによる誤認識を避けるためであると考えた。しかし、tRNAGlnが例外的にtRNASerと同様にTループに保存配列を保持していたため、第四章では哺乳動物ミトコンドリア翻訳系におけるGln-tRNAGln生合成機構について解析し、このことについて生物学的意義を探求した。自然界にはGln-tRNAGln生合成経路はGlnRSが直接行う経路とアミドトランスフェラーゼ(AdT)を介す経路があることが知られているが、解析の結果、哺乳動物ミトコンドリアでは後者の経路によってGln-tRNAGln生合成を行っていることが証明され、tRNAGlnにみられるTループの配列保存性はAdTによる認識への必要性であることを示唆している。そして、最終的な考察では、本研究で得られた結果に基づき、ミトコンドリアにおけるtRNAの構造変化と翻訳精度維持機構の関連性を進化的な観点から論じており、今まで未解明であった動物ミトコンドリアtRNAの異常構造の原因についての洞察を展開している。なお、以上の研究成果は、論文提出者が主体となって行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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