学位論文要旨



No 125258
著者(漢字) 円山,拓子
著者(英字)
著者(カナ) マルヤマ,ヒロコ
標題(和) 韓国語助動詞citaの多義性 : 用法間の相互関係と意味拡張
標題(洋)
報告番号 125258
報告番号 甲25258
学位授与日 2009.09.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第930号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 生越,直樹
 東京大学 准教授 大堀,壽夫
 東京大学 准教授 坪井,栄治郎
 東京大学 准教授 福井,玲
 学習院大学 教授 鷲尾,龍一
内容要旨 要旨を表示する

1.問題提起と論文の概要

韓国語のcitaは、動詞・形容詞等の用言に付く助動詞であり、状態変化・受身・自発・可能など多様な意味を表す多義語である。本研究はcitaの多義性について、文法的側面と意味的側面の両方からアプローチし、その全体像を捉えることを目標とする。それとともに、citaの意味の広がりが語彙的・統語的・語用論的な条件と密接に連動していることを述べる。そして、最終的な目的は、文法的特徴と意味的特徴が相互に作用しながら、citaの多義性を成り立たせていることを論じる点にある。上記の目標のもと、本稿では次の4つの問題を提起する。

・ citaにはどのような用法があるのか?

・ citaの各用法はどのような文法的特徴と結びついているのか?

・ citaの用法間の相互関係はどのように位置づけられるのか?

・ citaはどのような意味拡張の経路を経て多義語になったのか?

先行研究を概観すると、・「citaの用法」については、研究者によってさまざまな意見が出されており、統一的な見解には至っていない状況である。・「各用法の文法的特徴」に関しては、先行用言の品詞と受身用法という2つの部分のみに研究が集中しており、citaの用法全体の文法的特徴を網羅的に捉える作業はほぼ手付かずの状態である。そして、・「用法間の相互関係」は、まだ部分的な記述にとどまっており、・「意味拡張の経路」については、これまで本格的な考察の対象とはされてこなかった。したがって、citaの多様な用法について文法的側面と意味的側面の両側からアプローチし、全体像を把握する作業は課題として残されている状況にある。

2.citaの用法

問題提起(1)「citaにはどのような用法があるのか?」に関しては、先行研究の掲げる用法を整理・検討することを通じて、用法設定の妥当性を論じた。まず、先行研究でも指摘されている状態変化・受身・自発・可能の4つを用法として設定する。すると、citaにはこれら4つの用法のいずれにも該当しない用例が見られる。それらの用例は「動作主を概念化の枠組みからはずして、事態の終結局面を重点的に表す」という意味的な特徴を共通して持つことから、「事態実現用法」としてまとめ、citaの第5の用法として提案した。

上記の5つの用法に基づいてコーパスを分析すると、状態変化用法の例が最も多く、全体の4割を占める。その次に受身用法、事態実現用法の順で頻度が高かった。自発・可能の2つの用法は頻度が低く、数量的に見るとcitaの周辺的な用法である。また、コーパス調査においては、「受身と事態実現」「自発と可能」のように、2つの用法にまたがる用例も多く見られた。

3.citaの文法的特徴

問題提起(2)「citaの各用法はどのような文法的特徴と結びついているか?」に関しては、先行用言の品詞、語彙アスペクト、構文的な特徴、名詞句の属性、話者の予想との一致/不一致という5つの項目を取り上げ、分析をおこなった。その結果、用法内で共通していて、バリエーションに制限がある項目、本稿で述べるところの「不可欠な文法的特徴」が明らかになった。用法によって何を不可欠な文法的特徴とするかは異なる。また、先行用言の品詞のような単一の条件ではなく、語彙レベル・構文レベル・語用論レベルそれぞれに属する複数の文法的特徴がcitaの用法に関与していることを指摘した。

4.citaの用法の相互関係

問題提起(3)「citaの用法間の相互関係はどのように位置づけられるか?」に関しては、まず、各用法の不可欠な文法的特徴に基づいたレイヤーモデルを提示した。レイヤーモデルは本稿が作業仮説として提案するもので、他動性と名詞句階層、文法的レベルという抽象度の高い3つの概念を軸として、それぞれの文法的特徴を表すレイヤーを複数重ねたモデルである。このモデルを用いることによって、citaの用法の解釈が決定していくプロセスが把握できる。さらに、2つの用法にまたがる例がどのように生まれるのかも説明できるという利点がある。このモデルから、「他動性×名詞句階層」「他動詞×文法的レベル」という2つの概念を平面軸とした2種類の意味地図を導き出した。これにより、citaの用法間の相互関係が図表上の位置関係として把握できるようになる。この意味地図の文法的レベルに沿って見ると、citaの用法は「状態変化→事態実現→自発・受身→可能」の順で、局所的な文法的特徴が関与するものから、より包括的な文法的特徴が関与するものへと並ぶ。他動性の軸に沿って見ると、「状態変化→事態実現→可能→受身→自発」という順で、他動性の低いものから高いものへと配置されることが読み取れる。

5.citaの意味拡張

問題提起(4)「citaはどのような意味拡張の経路を経て多義語へと発展したのか?」に関しては、共時的な意味の分析を通じて論じた。citaのプロトタイプ的な意味は、本動詞の「落ちる」という下方向への空間移動である。そして、citaの多義全体に共通するスキーマ的意味は「人・モノが背景的な力によって変化し、ある到達点に至る」というものであると仮定した。そして、「落ちる」を出発点として、助動詞の多様な意味に至るまでの意味拡張の経路を論じた。

本稿の特色は、本動詞から直接、助動詞が派生したと考えるのではなく、本動詞と助動詞の間に<動詞+cita>型の複合動詞が介在すると考える点にある。これによって、助動詞が<用言の連用形+cita>という構文をどのようにして獲得したのかを説明することができる。また、これまでcitaの意味拡張に関しては言及されることのなかった複合動詞を説明に組み込むことが可能になる。先行研究においては、本動詞から助動詞への意味拡張は明確な説明がないまま、漠然と捉えられてきたが、複合動詞を介在させることによって、段階を踏んで派生していく具体的な経路を描くことができる。

この意味拡張の経路は、15世紀の段階でのcitaの用法とも整合性がある。また、レイヤーモデルから導き出した意味地図と比較すると、用法間の位置関係が共通している。さらに、用法ごとの数量的分布を重ね合わせると、プロトタイプ的意味に近い用法(状態変化・事態実現・受身)ほど用例数が多く、意味拡張の中で多くの段階を経た用法(自発・可能)ほど用例数が少ないという傾向が見られた。

6.citaの言語学的位置づけ

以上の4つの問題提起に基づく議論を土台として、メタファーと文法化、ヴォイス体系の中で位置づけという3つの観点から本稿の分析を言語学的に捉えなおした。

メタファーに関しては、方向に関するメタファー、空間的概念から時間的概念へのメタファー的写像、広義のメトニミーという3つの点から検討した。

文法化に関しては、citaの意味拡張の経路を一方向性仮説と照らし合わせ、一般化と意味の漂白化、脱範疇化という3つの点で、本稿の主張する意味拡張の経路が、文法化の順序としても十分に妥当性があることを述べた。また、Traugott (1989)の述べる「主観化」が、citaについては部分的に当てはまらないことを述べ、citaを通じて、英語とはタイプの異なる主観化の過程を提示できる可能性があることを指摘した。

ヴォイスの体系の中でのcitaの位置づけに関しては、「出来文」「BECOME型受動」「構文ネットワークの広がり」という3つの点から論じた。構文ネットワークの広がりという観点からは、これまで受身の機能領域と指摘されてきた3つの機能が、citaの用法ではどのように関わるかを論じた。citaにおいて「状態化」は事態実現用法、「被動者の話題化」は受身用法、「動作主の非焦点化」は自発用法に卓立して表れている。さらに、機能領域の広がりとして、「コントロールの消失」から拡張して、モダリティ的な側面の強い可能用法が派生していることを主張した。

これらの議論からわかるように、citaは1つの形態でアスペクト・ヴォイス・モダリティにまたがる意味を表している。この3つの文法カテゴリーが連続性を示すところにcitaの独自性・特殊性がある。

7.スキーマ的意味と文法的特徴の相互作用

citaの意味的特徴と文法的特徴に関する議論は、「スキーマ的意味と文法的特徴の相互作用」という形で統合することができる。言語運用においては、citaに共通するスキーマ的意味から、文法的特徴という手がかりを通じて個別の意味を引き出し、曖昧性を除去している。つまり、スキーマ的意味という抽象的・概念的なものと、文法的特徴という具体的・個別的なものが車の両輪となり、それぞれの側面からcitaの多義性を支え、両方が連動することで多義語としてのcitaの意味機能を成り立たせている。それにより、記憶の負担に対する経済性とコミュニケーション上の確実性を確保しているのである。このように、citaの多義性はスキーマ的意味と文法的特徴がそれぞれ別の側面から働き、それらが相互作用することで成立していると主張した。

審査要旨 要旨を表示する

円山拓子氏の博士論文「韓国語助動詞citaの多義性 -用法間の相互関係と意味拡張-」の審査結果について報告する。

本論文は韓国語の助動詞citaを取り上げ,citaの持つ多義性について文法と意味の両側面から考察を行うとともに,多義性を支えるメカニズムを明らかにしようとしたものである。従来の研究では,citaの用法についての統一的な見解は得られておらず,その多義性に関しても本格的な考察はほとんどなされていない。本論文は,citaの用法を詳細に分析した上で,各用法と文法的特徴との結びつき,各用法の相互関係,意味拡張の経路について考察することにより,citaの多義性の全体像を把握しようとする。

本論文は7章からなる。まず1章では論文の目的を述べるとともに,citaをめぐる4つの問題を提起している。さらに,citaに関する先行研究の検討し,提起した4つの問題についていずれも十分な解決がなされておらず, citaの全体像の把握には文法的側面と意味的側面の双方からの分析が必要であることを示した。

2章では,問題提起(1)「citaにはどのような用法があるのか?」について考察している。先行研究の掲げる用法を整理・検討することを通じて,citaにどのような用法を設定するのが妥当かを論じた。分析の結果,先行研究で指摘されている状態変化・受身・自発・可能の4つの用法のほか,「動作主を概念化の枠組みからはずして,事態の終結局面を重点的に表す」という意味的な特徴を持つ用例が見られることを指摘し,これを新たに「事態実現用法」とした。

3章では問題提起(2)「citaの用法はどのような文法的特徴と結びついているか?」,つまり,citaの各用法が語彙レベル・構文レベル・語用論レベルにおいてどのような特徴を持つのかを分析している。具体的には,先行用言の品詞,語彙アスペクト,構文的な特徴,名詞句の属性,話者の予想との一致/不一致という5つの項目について分析を行った。その結果,用法内で共通していてバリエーションに制限がある項目,本論文で述べるところの「不可欠な文法的特徴」が明らかになった。そして,これら不可欠な文法的特徴は用法ごとに異なっており,用法の区別には従来言われていた単一の条件(先行用言の品詞など)ではなく,語彙レベル・構文レベル・語用論レベルそれぞれに属する複数の文法的特徴が関与していることを指摘した。

4章では問題提起(3)「citaの用法間の相互関係はどのように位置づけられるか?」について,3章で得られた各用法の文法的特徴を用いて,用法間の親疎関係を考察している。ここでは,作業仮説としてレイヤーモデルという図式を提案し,このレイヤーモデルを用いることによって,citaの用法の解釈が決定していくプロセスが把握できること,さらに,2つの用法にまたがる例が生まれる理由について説明できることを示した。また,レイヤーモデルからは「他動性×名詞句階層」「他動詞×文法的レベル」という2つの概念を平面軸とした2種類の意味地図を導き出すことができること,これにより, citaの用法間の相互関係を図表上の位置関係に置き換えて把握できることを示した。

5章では,問題提起(4)の「citaはどのような意味拡張の経路を経て多義語になったのか?」について,通時的な研究を踏まえつつ,意味的な側面から考察している。citaのプロトタイプ的な意味は、本動詞の「落ちる」という下方向への空間移動であり, citaの多義全体に共通する抽象度の高いスキーマ的意味は「人・モノが背景的な力によって変化し,ある到達点に至る」であると考えることにより,助動詞の多様な意味にたどりつくまでの意味拡張の経路を明示的に示している。本論文の特色は,本動詞から直接,助動詞が派生したと考えるのではなく,本動詞と助動詞の間に<動詞+cita>型の複合動詞が介在すると考える点にある。これによって,<用言の連用形+助動詞cita>という構文の出現を矛盾なく説明できることを示した。

6章においては,5章までの議論にもとづき,メタファーと文法化,ヴォイスの体系の中での位置づけという3つの観点から, citaの意味的特徴と文法的特徴が言語学的にどのように位置づけられるのかを検討している。メタファーに関しては,方向に関するメタファー,空間的概念から時間的概念へのメタファー的写像,広義のメトニミーという3つの点から検討し,時間的概念へのメタファー的写像においては,時間的概念からさらに意味拡張していく段階で参与者の性質等も大きく関与すること,などを指摘した。文法化に関しては,citaの意味拡張の経路を一方向性仮説と照らし合わせ,一般化と意味の漂白化,脱範疇化という3つの点で,本論文の主張する意味拡張の経路が文法化の順序としても十分に妥当性があることを述べている。ヴォイスの体系の中でのcitaの位置づけに関しては,「出来文」「BECOME型受動」「構文ネットワークの広がり」という3つの点から論じ,日本語学で論じられている「出来文」「出来スキーマ」は,citaの用法のうち,特に事態実現用法と共通点があることを指摘し,これは日本語と韓国語の事態の捉え方の類似点を示唆するものであることなどを述べた。以上の議論を通じて,citaは1つの形態でアスペクト・ヴォイス・モダリティにまたがる意味を表しており,この3つの文法カテゴリーの連続性を示すところにcitaの独自性・特殊性があることを明らかにした。

7章では,論文全体の議論を整理してまとめるとともに,スキーマ的意味と文法的特徴の相互作用によって,citaの多義性が成り立っていること,意味的側面と文法的側面が互いに異なる方向からcitaの多義性を支えていることを指摘した。

本論文は,韓国語の助動詞citaの用法を詳細に分析し,その多義性の全体像を文法と意味の両面から明らかにしている。さらに,レイヤーモデルを使うことにより,用法相互の関係を明確にし,スキーマ的意味を考えることにより,意味拡張の経路を示すことができた。特に,各用法と語彙レベル・構文レベル・語用論レベルの文法的特徴との関係を明確にし,事態実現用法を設定する必要性を示したことは,従来の研究を大きく進展させるものである。また,各用法間の関係と意味拡張の経路を示す試みも,従来の研究にはない独創的な成果と言えよう。このような点において,本論文は,韓国語学,言語学の分野において高く評価される論文だと考える。なお,レイヤーモデルに関してはさらに検討が必要な部分があること,複合動詞に関する通時的な分析が不足していることなど,今後検討すべき課題も指摘されたが,それらが本論文の価値を損ねるほどのものではないことが確認された。

したがって,本審査委員会は本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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