学位論文要旨



No 125263
著者(漢字) 奥村,曉
著者(英字)
著者(カナ) オクムラ,アキラ
標題(和) フェルミ大面積望遠鏡を用いたオリオン分子雲のガンマ線による観測
標題(洋) Gamma-Ray Observations of the Orion Molecular Clouds using the Fermi Large Area Telescope
報告番号 125263
報告番号 甲25263
学位授与日 2009.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5434号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,智
 東京大学 教授 久保野,茂
 東京大学 教授 須藤,靖
 東京大学 准教授 瀧田,正人
 東京大学 准教授 山崎,典子
内容要旨 要旨を表示する

1研究の背景

宇宙線がどこで加速され、また地球近傍以外での宇宙線スペクトルはどのような分布なのかという疑問は、宇宙線物理学の古くからの謎である。しかし荷電粒子は伝播途中で星間磁場により進行方向を曲げられ、地球での観測時点では本来の位置情報を失っているため、宇宙線の直接観測から2つの謎に迫るのは困難である。この困難を避ける優れた方法の1つは、宇宙線の加速過程や伝播に伴い発生する中性で安定な2次粒子、特に光子を用いる観測である。

実際、1990年代のX線望遠鏡による超新星残骸の観測によって、宇宙線電子の加速の証拠がそのシンクロトロン放射の検出から明らかになった。しかし質量の大きい陽子は電磁相互作用で光子を放射しにくいため、宇宙線陽子成分を調べるためには他の放射機構を利用する必要がある。宇宙線陽子は星間物質とのハドロン相互作用でπ0粒子を生成し、さらにその二体崩壊によってガンマ線(π0ガンマ線)が発生する。このπ0ガンマ線の強度は宇宙線密度と物質密度の積に比例するため、その観測から視線方向の宇宙線と星間物質の情報を磁場に影響されずに調べることができる。この手段を用いることで、宇宙線陽子の加速現場や、銀河内での宇宙線の強度分布を知ることができると期待される。

星間物質からのπ0ガンマ線放射のスペクトルは、入射宇宙線と同様の光子指数を示すと考えられる。したがって、もし地球で測定された宇宙線スペクトルが銀河内宇宙線の典型値であるならば、π0ガンマ線の光子指数も~2.7になるはずである。しかし90年代にEGRETを用いて分子雲やHIガスからの広がったガンマ線放射が調べられた結果、「GeV Excess」と呼ばれるGeV領域での過剰な放射が普遍的に見られた。もしこれが宇宙線に起因するものならば、銀河内の宇宙線の平均スペクトルは地球近傍の測定値よりずっと硬いことになり、その意味は非常に大きい。

一方で、宇宙線衝突の標的となる分子雲にも、密度の不定性などの問題がある。分子雲の主成分であるH2は直接観測が困難なため、一酸化炭素(CO)の電波輝線が分子雲観測の代替手段として用いられてきた。その放射強度がH2の柱密度に比例するという仮定のもと、分子雲の形や質量分布が議論されてきた。しかしCOはH2に対して1000分の1程度しか存在しないため、CO観測が分子雲の真の姿を見ているかは不明である。EGRETでは角度分解能の低さと光子統計の少なさのため、ガンマ線とCO放射の表面輝度分布を詳しく比較することは困難であった。

2008年6月に打ち上げられたフェルミガンマ線宇宙望遠鏡(Fenui)搭載の大面積望遠鏡(LAT)は、先代のEGRETを上回る有効面積、エネルギー帯域、角度分解能を有する検出器である。π0ガンマ線の観測による宇宙線と星間物質の研究は、LATの主要研究テーマである。10GeV以上に伸びる観測帯域とEGRETの30倍の統計量を活かし、「GeV Excess」の謎をより高いエネルギーまで調べることができる。また優れた角度分解能によって、ガンマ線放射を用いて分子雲の形状を~1°のスケールで調べることが初めて可能になる。

2研究の目的

第一の目的は、LATデータを用いてHIガスと分子雲からのガンマ線放射スペクトルを精密に測定し、その放射機構が、地球近傍で測定されたスペクトルを持つ宇宙線と、電波観測で示唆される柱密度を持つガスとの衝突で生じる、π0ガンマ線だとして説明可能かを明らかにすることである。EGRETの観測以後、宇宙線伝播の理論計算の進歩、π0ガンマ線の放射率計算の精密化、そしてFermi衛星の登場等の進展により、~10%の精度でこの放射を議論することが可能になった。

第二の目的は、第一の結果を踏まえ、理論的に計算されたπ0ガンマ線の放射率と観測値を比較することで、観測領域における宇宙線の強度を推定することである。これにより、太陽系近傍から遠く隔たった場所での宇宙線量が、初めて明らかになり、また銀河系内の宇宙線伝播に観測的な手がかりを得られると期待される。

第三の目的は、オリオン分子雲に付随するガンマ線放射成分を取り出し、放射率の計算値と比較することで、分子雲質量を推定することである。これにより、分子雲の主体であるH2、Heガスの質量を、初めて直接に求めることができ、CO輝線の強度から換算していた従来の方法に比べ改善が見込まれる。

第四の目的は、LATの角度分解能を活かし、CO輝線、星間減光といった分子雲柱密度の指標になる量と、ガンマ線輝度分布が空間的にどのように相関しているかを明らかにすることである。宇宙線強度が空間的に一様と考えるなら、各種の指標の較正を行うことができる。逆にそれらの指標を頼りに、宇宙線強度の空間的な非一様性を探ることも可能になると期待される。

3オリオン分子雲の観測と解析結果

我々は観測対象としてオリオン分子雲AとBを選択した。オリオン分子雲は地球から約400pcしか離れていない、質量が~105Mθの巨大分子雲である。分子雲からのガンマ線強度は距離の逆二乗と質量に比例するため、最もガンマ線で明るい分子雲である。また銀河面や強いガンマ線点源から離れた場所にあり、分子雲以外の放射との切り分けが比較的容易である。さらに見かけの大きさが~10。あり、他波長の観測と空間的な比較が容易である。図1に、LATによるガンマ線観測で得られたオリオン分子雲AとBの画像を示す。比較のため、同じ領域のCO観測の強度分布も並べた。これらの図から見て取れるように、ガンマ線の強度分布は、CO輝線で観測される局在した分子雲、より広く分布するHIガス、および点源からの放射の和として定性的に理解できる。

我々はまず、分子雲周辺のHI領域のみのLATデータを解析したところ、ガンマ線の表面輝度は、電波21cm輝線の強度と良い1次の相関を示すことがわかった。さらに、一様なバックグラウンドを差し引いたガンマ線スペクトルを求めたところ、図2の赤いデータ点となった。比較のため、21cm測定から求まるHIガスの量、太陽系近傍での宇宙線スペクトル、およびπ0生成過程によるガンマ線生成という、3つの仮定から予想されるガンマ線スペクトルを計算したところ、その強度を87±5%(X2/ndf=12.2/6)にスケールすることで、観測データをよく再現できた。とくに、EGRETの結果に見られた「GeV Excess」は見られなかった。したがって、地球の大気上層で観測される宇宙線スペクトルとフラックスは決して局所的な観測値ではなく、太陽系から遠く隔たった星間空間にも適用できることが示された。オリオン領域では宇宙線強度が太陽系近傍より10%程度低いことが示唆され、これは同領域が銀河系外側へ地球から0.5~1kpc、また銀河面から~0.2kpc離れていることで説明がつく。

次に我々は、オリオン分子雲のコアを含む領域のLATデータを解析した。HIガスに比例したガンマ線放射、逆コンプトン散乱、および一様なバックグラウンドを差し引いたガンマ線スペクトルの形状は、オリオンAでもオリオンBでも、図3に示すように、やはり宇宙線と物質の相互作用から期待されるものと良い一致を示した。さらに、宇宙線フラックスを太陽系近傍の92%、分子雲までの距離が400pcであると仮定し、ガンマ線スペクトルの規格化因子から、ターゲットとなる分子雲の質量を求めたところ、

MA=(78.1±8.4(stat)±4.9(π0)±0.4(Brems))×103Mθ (1)

MB=(38.4±5.8(stat)±2.9(π0)±0.2(Brems))×103Mθ (2)

という値を得た。これらの値は、電波CO輝線の強度から推定される値と30%程度で一致しており、GeVガンマ線が、分子雲の質量推定の新たな手段となりうることが示された。

以上は、オリオンAおよびオリオンBそれぞれの全体を積分した議論だったが、より細かい1。×1。領域に分割してガンマ線の表面輝度を調べたところ、図4に示すように、CO輝線から予想される局所的なガンマ線放射率とは、必ずしも十分に相関しないことが明らかになった。すなわち、(i)オリオンAとオリオンBでは、観測と予測の1次の比例係数は次式で示すように場所ごとに最大60%(統計的有意度は4.8σ)食い違い、

P1,A,l>211=0.75±0.03(stat)±0.06(π0)±0.00(Brems) (3)

P1,A,l>211=0.95±0.03(stat)±0.08(π0)±0.01(Brems) (4)

P1,B=1.16±0.05(stat)±0.09(π0)±0.00(Brems) (5)

(ii)オリオンA全体では1次相関からのばらつきが大きく(X2/ndf=194/74)、また(iii)オリオンBでは相関が線形よりも下に凸な形を好む。これらの結果は、宇宙線の強度が場所ごとにばらつくか、CO輝線の強度が必ずしも分子雲質量を正確に現していないか、あるいは両方の可能性を示唆する。

そこで分子雲質量の別の指標として、背景恒星光の可視減光指数(Av)を用いて同様に相関を調べたところ、図5に示すように、Avの大きな領域を除いて良い比例関係が見られ、かっオリオンAとBでは有意な差は無かった。またオリオンAのうちガンマ線とCOの大きな不一致が見られた領域で、COに基づいたモデルと実観測の差の有意度分布を調べたところ、図6に示すように、観測値が予測値を大きく上回る領域(図6a)の空間分布は、Av(図6b)で観測されているがCOでは検出されない(図6d)、オリオンAの裾に広がる物質分布と空間的に一致することが分かった。すなわち、ガンマ線の超過がもっとも有意な領域では、CO輝線放射は弱いが可視減光は~2magと大きく、またその左方向と右上方向に延びる領域では、COとAvの差がさらに顕著である。したがって、図4で見られた3つの問題の少なくとも一部は、分子雲の周辺部では星間分子の形成もしくは励起が十分に進んでおらず、CO輝線の強度が分子雲の質量密度を過小評価してしまう結果である可能性がある。しかし、COの形成が進んでいると考えられる分子雲のコア領域だけ見た場合でも、オリオンAとBの差違は残る。

CO輝線の飽和、分子雲コアでのCOの光解離を考慮したとしても、観測された相関の非一様性とは逆の方向に作用する。そこで別の可能性として、分子雲コアの強い磁場よる宇宙線の反射が存在しうるか検討した。エネルギー帯域を分けてガンマ線とCOの相関を調べても、その形状に有為な差は見られなかった。また分解能のよい事象だけを取り出してCO強度と比較したところ、統計量が不十分なものの、オリオンBからのガンマ線放射はコアから~0.2。離れた場所で最大となる傾向が見えた。宇宙線の密度差は現時点では明らかでないが、ひとつの可能性として残る。

図1 (左)LATによるオリオン分子雲のガンマ線(0.2-20GeV)観測結果。(右)同じ領域をCOの電波輝線で観測したもの。

図2 LATで観測されたHIガス(赤)、H2ガス(緑)それぞれのガンマ線放射率と、宇宙線陽子のスペクトルから計算された放射率予想(黒線、青線)との比較。

図3 LATで観測された、オリオン分子雲A(黒)とB(赤)のエネルギースペクトル。それぞπ0成分(破線)と電子制動放射成分(点線)でフィットしてある。図2と異なり、縦軸表示をνFνにしてある。

図4 1° ×1° スケールにおける、ガンマ線強度と、CO観測から予想される強度の相関。(a)オリオンA分子雲、(b)オリオンB分子雲。

図5 図4と同様に、縦軸をAvにした相関。

図6 オリオンA領域における、(a)COだけでは説明できないガンマ線放射の有意度の分布、(b)CO観測との比較(緑の等高線は図aと同じ)、(c)可視減光との比較。

審査要旨 要旨を表示する

我々の銀河系において、100 MeV以上のエネルギーをもつガンマ線が、銀河面全体から放射されていることが知られている。このようなガンマ線は、高エネルギー宇宙線と星間物質との衝突で生じたπ0中間子の崩壊によるものと考えられている。従って、その詳細な観測により、銀河系における宇宙線の強度分布、星間物質の分布などについて、本質的情報を得ることができると期待される。本論文は、2008年に打ち上げられたフェルミ・ガンマ線宇宙望遠鏡を用いて、近傍巨大分子雲であるオリオン座分子雲を対象に、この問題に本格的に取り組んだものである。

本論文は7章から構成されている。第1章で研究の背景と目的について、第2章で宇宙線、星間物質、観測領域などの概要について、第3章で観測に用いたフェルミ・ガンマ線宇宙望遠鏡の装置について、それぞれ述べている。第4章で観測の概要と取得した生データについて触れた後、第5章と第6章でその本格的な解析・議論を行っている。第7章は結論である。

申請者は、まず、取得したガンマ線のスペクトルを調べ、それが宇宙線と星間物質の衝突で生じたπ0中間子の崩壊によるものであることをシミュレーション結果と比較して結論している。銀河面からのガンマ線放射にはGeV領域にπ0崩壊では説明できない超過が存在する可能性が過去のEGRET衛星の観測で示唆されていたが、今回の観測ではそのような成分は存在しないことが確認できた。また、太陽系近傍と比べて、オリオン座分子雲では宇宙線強度がやや低い可能性を指摘した。その上で、オリオン座分子雲からのガンマ線放射分布を詳しく調べた。HIガスによる寄与を周辺のHI雲の情報をもとに差し引き、分子雲に由来する成分を取り出して、CO分子の電波スペクトル線強度、可視減光度などと比較した。ガンマ線強度とCO強度は概ねよい相関を示すが、相関の傾きがオリオン座分子雲内部の3つの領域で±20%程度有意に異なることが示された。特に、Orion A+と名付けた領域については、COの強度の割にはガンマ線強度が顕著に強い。その理由として、CO分子の電波スペクトル線強度が必ずしも分子雲質量を正確に反映しない可能性を指摘した。これまでCO分子の電波スペクトル線強度は銀河系分子雲の質量のよい指標であると考えられ、多くの研究で用いられてきた。その際、強度と質量との間の比例係数としては一定の値が使われることが多かった。本論文の結果は、ガンマ線観測というまったく独立な手法により、その妥当性に限界があることを明確に示し、警鐘を鳴らしたもので、宇宙物理学において基本的重要性がある。さらに、本研究は、銀河系における宇宙線強度の分布の理解にとっても一里塚となる成果であり、大きな学術的意義と先進性がある。

本論文は、指導教員である牧島一夫教授、およびSLACの釜江常好教授との共同研究であるが、データ解析、議論、および論文執筆はすべて申請者が主体となって行ったものであり、申請者の寄与は十分であると判断する。従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク