学位論文要旨



No 125264
著者(漢字) 鈴木,秀幸
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,ヒデユキ
標題(和) 活性化マクロファージの高選択的ターゲティングを実現する方法及び細胞膜における過酸化水素の時空間動態を可視化する方法
標題(洋) Methods for accurate targeting of activated macrophages and imaging spatiotemporal dynamics of hydrogen peroxide in the plasma membrane
報告番号 125264
報告番号 甲25264
学位授与日 2009.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5435号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩谷,光彦
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 小澤,岳昌
 東京大学 准教授 辻,勇人
 東京大学 准教授 佐竹,真幸
内容要旨 要旨を表示する

【序】

疾患の発生機序の理解,それにもとづく新しい診断法・治療法の開発のためには,疾患細胞や疾患に関与する生体分子の挙動を正確に,感度よく追跡できる分析法が必要不可欠である.そのような分析法の構築には,酵素や抗体,受容体タンパク質などが生体分子を認識する精密なメカニズムを利用した分子プローブが有効である.本博士課程では,1)疾患細胞を選択的に可視化する分子プローブ,ならびに2)多様な生命機能と疾患に関与する過酸化水素の蛍光プローブの開発研究を行った.

【研究1:疾患細胞を選択的に可視化する分子プローブ】

[背景と目的]

疾患細胞の細胞膜に過剰発現した細胞表面タンパク質は,抗体などを利用して可視化試薬や薬物を疾患細胞に送達する際の目印とされる.しかし,目印となる細胞表面タンパク質が正常細胞にも発現している場合があり,選択性という点で,この手法は必ずしもすべての疾患細胞種に有効なアプローチではない.そこで筆者は,癌細胞や動脈硬化病変部位に集積した活性化マクロファージなど多くの疾患細胞において,細胞表面タンパク質の発現に加えてタンパク質分解酵素の発現が亢進していることに着目した.すなわち,特定の細胞表面タンパク質とタンパク質分解酵素を共に発現する細胞のみを認識するように分子プローブをデザインすれば,それは疾患細胞に対してより高い選択性を獲得すると考えた.

[原理]

免疫細胞であるマクロファージは,生体をウイルスや細菌の感染から防御する一方で,動脈硬化病変部位に集積して活性化し,病態の進行を促進する.この活性化マクロファージは,肝臓などの正常組織に常在しているマクロファージとは異なりマトリクスメタプロテアーゼ-9(MMP-9)を過剰に分泌し子プローブをデザインした(図1).本分子プローブの細胞表面タンパク質結合部位はアポリポタンパク質Bのペプチドセグメント(ApoB547-735)から成り,マクロファージのスカベンジャー受容体(SR)と結合する.このApoB547-735は,大腸菌シャペロンタンパク質Trigger Factor(TF)からなる自己阻害部位(図1,マゼンタ)によってマスクされており,一時的にSRとの結合が妨げられている.ApoB547-735部位とTF部位の間にはMMP-9で効率よく切断されるペプチド配列Val-Pro-Leu-Ser-Leu-Tyr-Ser-Gly(図1,赤)が挿入されており,MMP-9による切断に応じてApoB547-735部位がTF部位から解放され,SRと結合可能になる.従って本分子プローブは,SR,またはMMP-9のみを発現している細胞には取り込まれないが(図2,B,C),活性化マクロファージのように,SRとMMP-9を共発現した細胞によって選択的に取り込まれる(図2,A).また,リポーター部位(図1,緑)として蛍光タンパク質や生物発光タンパク質を導入することで,本プローブの細胞内への取り込みを光学的に検出できる.

[結果]

リポーター部位に緑色蛍光タンパク質GFPを導入した分子プローブを作製した(TF-M-ApoB-GFPと命名).活性化マクロファージのモデル細胞として,SRを内在的に発現するマウスマクロファージRAW細胞に活性型MMP-9を過剰発現させた(RAWMMP(-9(+))) .このRAWMMP(-9(+))細胞とウシ血管内皮細胞を共培養し,動脈硬化病変部位をin vitroで再現した.この共培養系にTF-M-ApoB-GFPを添加したところ,RAWMMP(-9(+))細胞にのみTF-M-ApoB-GFPの取り込みが見られた(図3)この結果は,TF-M-ApoB-GFPは血管内皮細胞のようにSR,MMP-9のどちらも発現していない細胞には取り込まれず,SRとMMP-9を共発現する活性化マクロファージにのみ選択的に取り込まれることを示している.次に,ヒト由来の細胞を対象として本分子プローブの取り込みを検証した.ヒト末梢血由来の単球(マクロファージ前駆細胞),及びヒト常在性マクロファージには本分子プローブは取り込まれなかった.一方,本プローブ分子はリポポリサッカライドによって活性型MMP-9の分泌を促進されたヒト活性化マクロファージに取り込まれた(図4).以上の結果から,動脈硬化病変部位に集積している活性化マクロファージのように,SRとMMP-9両者を発現している細胞によってTF-M-ApoB-GFPおよびTF-M-ApoB-rLucは限定的に取り込まれることが実証された.

本法は,動脈硬化などの炎症性疾患に重要な関わりを持つ活性化マクロファージを対象とした細胞選択的な治療法や早期診断法の開発に繋がると期待できる.また本法は,動脈硬化だけでなく癌や神経変性病などの疾患細胞のように,タンパク質分解酵素を過剰発現する多くの疾患細胞種に応用可能であると期待できる.

【研究2:過酸化水素の蛍光プローブ】

[背景と目的]

活性酸素種のひとつである過酸化水素(H2O2)は,新しい細胞内シグナル伝達物質として近年急速に認識されつつある.H2O2、のシグナル伝達物質としての役割は,細胞遊走や細胞増殖,遺伝子発現,神経伝達の調節など,実に多様な細胞機能の制御に関与していることがわかってきた.その調節機構の破錠は,癌や動脈硬化など多数の疾患の発症・進展と深く関連している.そのため,H2O2の細胞内動態を明らかにすることは,H2O2による細胞機能の調節機構を理解する上で鍵となる重要な問題である.しかし,H2O2の細胞内イメージングに用いられてきたジクロロフルオレセインのような有機蛍光色素は,H2O2と不可逆的に反応して蛍光を発するため,単一細胞内でH2O2濃度の増減を詳細に追跡することは不可能であった.また,H202に対する選択性・感度も既存の蛍光色素では不十分であった.更に,ほとんどの有機蛍光色素は細胞内の特定部位に局在化させることができないため,細胞内H2O2動態の空間的な情報が得ることが難しいという問題がある.そこで,既存の有機蛍光色素が抱える問題点を克服するH2O2の蛍光プローブを開発し,H2O2がどのように細胞機能を時空間的に制御しているかを明らかにする.

[原理]

H2O2の選択的な分子認識のため,酵母の酸化ストレスセンサータンパク質であるYap1とOrplを用いた.細胞内のH202濃度が上昇すると,本プローブのOrpl部位のCys36が選択的に酸化され,Yapl部位のカルボキシ末端側のcysteine-richdomain(cCRD)内のCys598と一過的にジスルフィド結合を形成する.そのOrpl-cCRD間のジスルフィド結合は,Yapl部位のアミノ末端側のcysteine-richdomain(nCRD)内のCys303とcCRD-Cys598とのジスルフィド結合に転移される.その結果,Yapl部位は図5aのように大きく構造変化する.このH2O2依存的なYapl部位の構造変化を,シアン色蛍光タンパク質CFPから黄色蛍光タンパク質YFPへの蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)効率の変化として検出する.本蛍光プローブの最大の特徴は,細胞内のH2O2濃度が減少すると,チオレドキシン等の細胞内に内在する抗酸化タンパク質によってnCRD-cCRD間のジスルフィド結合が還元され,再びH2O2と応答可能な状態に戻ることである.筆者は本蛍光プローブを「Peny」と命名した.

[結果]

遺伝子工学的手法を用いてPerryをコードするcDNAを作製し,大腸菌を用いてタンパク質(Perry)を発現,アフィニティクロマトグラフィで精製した.H2O2に対するPerryの選択性をin vitroで検討した.H2O2を添加するとPerryからFRETが観察されたが,NO,ONOO-,OCl-,O2(-)・添加時にはFRETは観察されなかった.また,Perryは0.5μMから100μMまでのH2O2を定量的に検出することを示した.Perryを発現する培養細胞にH202を繰り返し添加し,PerryはH2O2濃度の増減を可逆的に検出できることを示した.以上Perryが,既存の有機蛍光プローブでは不可能であった,H2O2の高選択的・高感度・可逆的可視化計測を実現することを実証した.次に,細胞膜上でのH2O2の動態を正確に知るために,遺伝子工学的にPerryを細胞膜へ局在化させた(Perry-PMと命名).Perry-PMを細胞膜上に発現する血管内皮細胞に,細胞遊走を促進することが知られているアンジオテンシンIIを添加した(図5b).その結果,H2O2は細胞膜上に一様に発生するのではなく,ラメリポディアと呼ばれる,細胞遊走に重要な特定の膜構造内に限局して発生していることが分かった.以上,Perryは,H2O2による細胞機能の時空間的な制御機構を解明するための強力なツールであることを示す.

【まとめ】

本博士課程では,動脈硬化の発症・進展に重要な活性化マクロファージを特異的に可視化する分子プローブを開発した.これにより,活性化マクロファージを対象とした細胞選択的な治療法や早期診断法の開発に繋がると期待できる.さらに,多様な疾患の病因・病態や老化現象と深く関与しているシグナル伝達物質H2O2を可視化する蛍光プローブを開発した.本蛍光プ「ローブにより,遊走する血管内皮細胞内において,H2O2の発生はラメリポディアと呼ばれる細胞遊走に重要な特定の膜構造内に限局していることを初めて明らかにした.

図1 疾愚細胞を高選択的にターゲティングする分子プローブの原理.

図2 疾患細胞に対する二重の選択性.Aのように,SRとMMP・9両方を発現する細胞はプローブを取り込む.SRのみ(B),またはMMP-9のみ(C)を発現する細胞はプローブを取り込まない.SRおよびMMP-9を発現しないDのような細胞もプローブを取り込まない.

図3 TF-M-ApoB-GFPによるマクロファージの選択的ターゲティング.RAWMMP(-9(+))細胞をウシ血管内皮細胞と共培養した.緑,細胞内へ取り込まれたプローブ分子の蛍光赤,細胞膜染色剤PKH26でラベルされたウシ血管内皮細胞.

図4 TF-M-ApoB-GFPによるヒト活性化マクロファージの選択的ターゲティング.ヒト常在性マクロファージはヒト末梢血由来単球を7日間無血清培地で培養して得た.ヒト活性化マクロファージはヒト正常マクロファージにリポポリサッカライドで24時間処理して得た.

図5 Perryによる過酸化水素(H2O2)の細胞内動態の可視化.a)Perryの原理.H2O2によってFRET効率が増加する.nCRD-cCRD間のジスルフィド結合が細胞内のチオレドキシ(Trx)などで還元されることで,Perryは再びH2O2と反応することができる.b)細胞膜におけるH2O2の動態.細胞膜に局在化させたPerry-PMを血管内皮細胞に発現させ,100nMアンジオテンシンIIで細胞遊走を促す刺激した.図5bは,血管内皮細胞内の,ラメリポディアが活発に形成されている領域を示す.矢頭は細胞膜に形成されたラメリポディアを指す.このようにH2O2は,ラメリポディアという,細胞が移動する際に重要な特定の膜構造内に限定して発生していることが分かった.

審査要旨 要旨を表示する

多様な細胞機能や、その破錠がもたらす疾患を理解するためには、生物を構成する種々の細胞、またはその細胞内でうごめく無数の生体分子それぞれを正確に追跡できる分析法が必要不可欠である。本研究では、疾患細胞のみをターゲティング可能な分子プローブを開発し、疾患細胞を高選択的に可視化することを目的とした。また、新たなシグナル伝達物質として認知され始めた過酸化水素の高感度、高選択的、可逆的な蛍光プローブを開発し、過酸化水素の細胞内時空間動態を明らかにすることを目指した。

本論文は4章からなり、第1章には、本研究の背景、動機、目的が詳述されている。

第2章は、疾患細胞を選択的に可視化する分子プローブの開発について述べている。疾患細胞の細胞膜上に過剰発現した細胞表面タンパク質は、抗体などを利用して可視化試薬や薬物を疾患細胞に送達する際の目印とされる。しかし、目印となる細胞表面タンパク質が正常な細胞にも発現している場合があり、選択性という点で、この手法は必ずしもすべての疾患細胞種に有効なアプローチではない。そこで、癌や動脈硬化などの多くの疾患細胞種において、細胞表面タンパク質の発現に加えてタンパク質分解酵素の発現が亢進していることに着目し、この両者を認識する分子プローブをデザインすることで、疾患細胞に対する選択性を向上させることを指向した。免疫細胞であるマクロファージは、動脈硬化病変部位に集積して活性化し、病態の進行を促進する。この活性化マクロファージは、肝臓などの正常組織に常在しているマクロファージとは異なり、マトリクスメタロプロテアーゼ-9(MMP-9)を過剰に分泌している。本研究で開発された分子プローブは、このプロテアーゼによる切断を受けた時に初めてマクロファージに取り込まれるようにデザインされている。本分子プローブの細胞表面タンパク質結合部位は、アポリポタンパク質Bのペプチドセグメント(ApoB547-735)から成る。このApoB547-735は、大腸菌シャペロンタンパク質Trigger Factor(TF)からなる自己阻害部位によってマスクされており、一時的にSRとの結合が妨げられている。ApoB547-735部位とTF部位の間にはMMP-9で効率よく切断されるペプチド配列が挿入されており、MMP-9による切断に応じてApoB547-735部位がTF部位から解放され、SRと結合可能になる、という仕組みである。また、リポーター部位として蛍光タンパク質や生物発光タンパク質を導入することで、本プローブの細胞内への取り込みを光学的に検出できるというものである。このようにデザインされた分子プローブは、SRしか持たない正常なマクロファージには取り込まれず、SRとMMP-9両方を発現する活性化マクロファージにのみ取り込まれることを、細胞培養系で実証している。また、活性化マクロファージと血管内皮細胞を共存させ、動脈硬化病変部位を再現した実験系においても、本プローブは活性化マクロファージにのみ細胞選択的に取り込まれることを示している。

第3章は、活性酸素種の一つである過酸化水素(H2O2)の蛍光プローブの開発について述べている。H2O2は新しい細胞内シグナル伝達物質として近年急速に認識されつつある。H2O2のシグナル伝達物質としての役割の一つに、血管内皮細胞の細胞遊走を制御することがあげられるが、H2O2が細胞内のどこで、どのように細胞遊走を制御しているのかについては、詳細が明らかにされていない。そこで、H2O2を高感度、選択的、可逆的に検出することができ、かつ細胞内の特定の場所にプローブを局在化させることが可能な、Perryという蛍光プローブを開発した。Perryは、酵母のH2O2センサータンパク質Orp1とYap1が、H2O2依存的にダイナミックかつ可逆的に構造変化することを活用した、蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)型プローブである。H2O2に対するPerryの選択性をin vitroで検討した結果、H2O2を添加するとPerryからFRETが観察される一方で、NO、ONOO-、OCl-、O2-添加時にはFRETは観察されないことがわかった。また,培養細胞に発現させたPerryは、1 μMから100 μMまでのH2O2を定量的に検出できることを示した。さらに、Perryを発現する培養細胞にH2O2を繰り返し添加することにより、PerryはH2O2濃度の増減を可逆的に検出できることが明らかになった。

遊走する血管内皮細胞の細胞膜上でのH2O2の動態を正確に知るために、遺伝子工学的にPerryを細胞膜へ局在化させたPerry-PMを開発した。Perry-PMを発現する血管内皮細胞に、細胞遊走を促進することが知られているアンジオテンシンIIを添加すると、H2O2は細胞膜上に一様に発生するのではなく、ラメリポディアと呼ばれる、細胞遊走に重要な特定の膜構造内に限局して発生していることを発見した。

第4章は、総合的結論を述べている。

以上のように、本研究では、動脈硬化の発症・進展に重要な活性化マクロファージを特異的に可視化する分子プローブを開発した。本法は、疾患細胞の二つの特徴(細胞表面タンパク質とタンパク質分解酵素)を認識することで、疾患細胞に対する選択性を向上させることができるという、従来にない方法論である。これにより、活性化マクロファージを対象とした細胞選択的な治療法や早期診断法の開発に繋がると期待できる。さらに、新たなシグナル伝達物質H2O2を可視化する蛍光プローブを開発した。本蛍光プローブにより、遊走する血管内皮細胞内において、H2O2の発生はラメリポディアと呼ばれる細胞遊走に重要な特定の膜構造内に限局していることが初めて明らかにされた。これらの研究は、理学はもちろんのこと、薬学、医学の発展にも大きく寄与する成果であり、博士(理学)取得を目的とする学術研究として十分な意義を有する。なお、本論文は各章の研究は他の複数の研究者との共同研究によるものであるが、論文提出者が主体となって実験、解析および考察を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を受けるのに十分な資格を有するものと認める。

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