学位論文要旨



No 125300
著者(漢字) 杵淵,紀世志
著者(英字)
著者(カナ) キネフチ,キヨシ
標題(和) 固体ロケットモータ排気噴煙と通信波の干渉
標題(洋)
報告番号 125300
報告番号 甲25300
学位授与日 2009.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7144号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安部,隆士
 東京大学 教授 荒川,義博
 東京大学 教授 鈴木,宏二郎
 東京大学 教授 小紫,公也
 (独)宇宙航空研究開発機構 教授 山本,善一
内容要旨 要旨を表示する

飛行中のロケットは地上の基地局との間で電波による通信を行う。このとき、固体ロケットモータの排気噴煙と電波が干渉し、通信の品質が低下、時には通信の途絶を招き、大きな問題を引き起こすことがある。この現象は噴煙損失と呼ばれ、噴煙中のプラズマと電波が干渉することにより発生することが知られている。本研究ではこの固体モータ噴煙と電波の干渉について、実機大モータの地上燃焼試験の機会を利用した実験、および噴煙の流体解析、電波伝播解析等を行い、地上燃焼試験での現象を詳細に解明した。さらに、地上燃焼試験で得られた知見を利用し、ロケット飛行中の噴煙をモデル化し、地上局での受信レベルを解析的に求め、それが実際にロケット飛行中に得られた受信レベルを再現することを確認した。

固体モータの推進剤グレイン中には、製造工程においてやむを得ずナトリウム、カリウム等の低電離エネルギーの元素が不純物として含まれてしまう。これらの元素は容易に電離し、噴煙中のプラズマ密度に強い影響を及ぼす。グレイン中には一般に燃焼温度を上昇させ性能を向上させるためにアルミニウム粒子が含まれ、酸化剤は塩素を含むため、これらもプラズマ密度の増減に寄与する。液体ロケットエンジンの推進剤には一般にこれらの元素は含まれないため、噴煙損失は固体モータほど大きな問題とはならない。電波とプラズマの干渉は、電子の運動方程式とマクスウェル方程式にて説明される。この理論によれば、プラズマにより電波の減衰・位相進みが生じ、これらは電子プラズマ周波数(プラズマ密度)、電子衝突周波数の2つのパラメータにより支配される。

固体モータ噴煙と電波の干渉に関しては、アメリカでは60年代から研究が進められており、噴煙中のプラズマが原因であること、ロケット飛行中は電波の回折(噴煙周りを迂回する伝播経路)を示唆するデータが得られること、実験室レベルでの小型モータ実験では、回折の影響が現れないために、実機における噴煙損失現象を模擬できないこと等が明らかにされている。しかし、定量的に十分な電波減衰の予測手法は未だ存在せず、その確立が望まれている。実際、日本で現在運用中のロケットにおいても、電波リンク解析に噴煙損失の効果を経験的に入れ込み、号機毎に慎重な運用を余儀なくされているというのが現状である。新たにロケットを設計する際には、噴煙損失の定量予測は不可能であるため、多大なマージンを見込んだロケットの軌道設計を行うこととなり、打上げ能力(ペイロード搭載能力)の低下を招いてしまう。

実機大モータを使用した電波干渉試験は世界的に筆者の知る限りスペースシャトルの固体ロケットブースタ(SRM)を使用したもののみであり、回折の影響を示唆するデータが得られているものの、減衰量の定量評価のみならず現象の解明も十分に為されていない。以上、煙損失損現象に対する詳細理解、定量予測手法の確立が望まれているにもかかわらず、未だ未解明な部分が多い。また、地上実験を行う上では、小型モータでは回折の影響が現れないため不足であり、実機大モータを使用する必要があると考えられる。実機大モータを使用した電波干渉実験は例が少なく、この意味でも有益なデータ取得が期待される。

そこで、実機大固体モータの燃焼試験の機会を利用し、5種の実機固体モータについて計8回の電波干渉実験を実施した。実験のコンフィギュレーションは、アンテナの視線が噴煙に対し垂直になるよう、送受信アンテナを噴煙を挟んで対向させるシンプルなものとした。これにより、試験後に実施する電波伝播解析が二次元平面上で実施可能となり、解析が容易となる。さらに、前述した過去の研究から、電波は噴煙中のプラズマと干渉し、減衰しながらも貫通する経路のほか、噴煙を迂回し回折する経路も取り得ることが予測される。この2つの事象に対する考察が試験後に必要となるが、これを明瞭かつ容易とすることも意図している。

実験では、電波周波数としてS、C、Xバンドの3周波数を用いた。また、一部の試験ではSバンドの位相遅れの計測も行った。実験結果の一例を図1に示す。減衰は電圧比(燃焼前の受信電圧に対する燃焼中の受信電圧)にて表示してある。位相は遅れるときを正としている。図1では、90秒付近までは減衰は大きい方からS、C、Xバンドの順だが、90秒以降はこの順序が変化している。また、90秒付近から位相遅れが増大している。燃焼圧力と3つの減衰に明確な相関がある点にも注目すべきである。

ここで、電波がプルームを貫通する場合、およびプルームを迂回し回折する場合の電波減衰の周波数依存性、および位相遅れ特性について説明する。貫通による減衰は上述した電波・プラズマ干渉理論によれば、低周波ほど減衰が大きくなる。すなわち、実験において貫通が支配的であれば、減衰は大きい方からS、C、Xバンドの順になるはずである。また、このとき電波の位相は進む。一方、回折する経路が支配的であれば、高周波ほど指向性が強いため、回折し難くなる。すなわち、この場合減衰は大きい方からX、C、Sバンドとなり、貫通の場合とは逆の特性を示すこととなる。位相については伝播経路が長くなるから遅れる。以上から、90秒までは電波は噴煙を貫通しており、90秒以降は少なくともSバンドについては噴煙を貫通できず回折したものと予測される。

地上燃焼試験にて得られたこの現象を詳細に解明するために、噴煙の数値流体解析を実施した。結果(温度分布)を図2に示す。図中の破線はアンテナ視線である。燃焼圧力の変化とともに噴煙中の衝撃波構造が変化していることがわかる。この衝撃波構造の変化により、図1では減衰と燃焼圧に相関が現れたものと考えられる。90秒以降の減衰の増大、周波数依存性の変化と、位相遅れの増大はマッハディスク(垂直衝撃波)の発生とリンクしている。マッハディスク下流では流れは圧縮、加熱され、プラズマ密度は増大する。このため減衰は増大し、Sバンドはこの領域を貫通できず迂回するため、回折したものと考えられる。

流体解析の結果からは、噴煙下流では噴煙と空気との混合が生じ、未燃燃料と空気の再燃焼(アフターバーニング)が発生することも示唆された。再燃焼層内部では、プラズマ密度が上昇する。アンテナを再燃焼層が形成される位置に設置した実験では、回折を示唆する減衰の周波数依存性(高周波ほど減衰大)が得られた。高プラズマ密度の再燃焼層を電波は貫通できないため、噴煙を迂回し回折したものと考えられる。

電波伝播状況を詳細に解明するために、地上燃焼試験に対しFDTD法による二次元電波伝播解析を実施した。この手法はマクスウェル方程式の差分解法であるため、プラズマとの干渉による減衰、反射、噴煙周りの回折、さらには地面による反射まで包含した解析となる。解析結果は実験により得られた受信レベルを高精度で再現でき、解析の有用性を確認した。さらに、噴煙を貫通する伝播モードから、回折への遷移、地面反射の影響等、詳細な電波伝播状況を解明した。解析結果の一例を図3に示す。噴煙での減衰、回折による干渉縞、地面反射による干渉縞等の現象が見られる。

前述の通り、過去の研究によれば、飛行中の電波減衰特性には、回折支配の電波伝播を予想させる周波数依存性、干渉縞が現れる。飛行中の噴煙のCFD結果にFDTD法を適用し、地上における受信レベルを求めることは原理的には可能であるが、高空での噴煙流れを高精度で解析することは簡単ではないし、大きく膨張した噴煙に対し差分法であるFDTD法を適用するには膨大な計算リソースを要し、現状では現実的ではない。

そこで、噴煙を単純に固体の障害物としてモデル化し、回折理論を適用して電波減衰量を求めることを考える。噴煙の形状設定に当たっては、まずは実際の飛行中の減衰データを基に、解析結果がこのデータと最もよく一致するような噴煙形状を見出した。見出された形状は下流に向かって末広がりの台形状であった。実際の飛行中の受信レベル(Sバンド)と回折理論による解析結果を比較したものを図4に示す。横軸はルックアングルであり、ロケット機軸とアンテナ視線とが為す角度である。解析結果は実データをよく再現できていることが確認された。同様の解析をCバンドについても行っており、Sバンドと同じく、実データと解析値が非常によく一致することを確認している。ルックアングル21度付近以上の波打ちは回折による干渉縞であり、21度付近以下から減衰が急減するのは、ロケットから見て地上局が噴煙の陰に隠れていくことを示している。この手法により、ひとたび図4のような飛行中の噴煙形状が定められれば、電波周波数の変更や、ルックアングルの変更(飛行姿勢、地上局位置の変更)に対しては、この手法により減衰量を定量予測できる。しかし、噴煙形状が変化する場合(飛行速度・高度の変更、モータの設計変更等)には対応できず、これについては今後の課題となる。

図1 実験結果の一例

図2 流体解析結果の一例(温度分布、破線はアンテナ視線、Pc:燃焼圧力)

図3 地上燃焼試験における電波伝播状況(鉛直方向電界分布)

図4 飛行中の受信レベルと回折理論による解析値の比較

審査要旨 要旨を表示する

修士(工学)杵淵紀世志提出の論文は「固体ロケットモータ排気噴煙と通信波との干渉」と題し、7章及び付録9項から成っている。

固体ロケットモータ排気噴煙と通信波との干渉により通信波の損失が起こるため、その現象の理解と、通信波損失の予測法の確立が必要とされている。このような背景から、本論文では、実機大の固体ロケットモータを用いて、排気噴煙と通信波との干渉を実験的に計測するとともに、そこで生じる現象を把握し、その結果をもとに飛行中のロケットにおける通信波損失についての予測の可能性を検討している。

第1章は序論であり、固体ロケットモータ排気噴煙と通信波の干渉について、ロケットを運用する際の問題点を概観するとともに、過去の研究を概観している。さらに、実機大固体ロケットモータによる干渉効果を十分把握する必要があり、それを踏まえることによって、ロケットを運用する際の干渉効果の予測が可能となることが述べられている。

第2章では、ロケットモータの排気噴煙と電磁波の干渉についての理論的知見が概観される。まず、排気噴煙中にはプラズマが存在し得ることを述べ、さらに、電磁波との干渉効果として、そのようなプラズマによるもの、及び、排気噴煙に含まれる固体粒子群によるものが概観されている。

第3章では、実験の概要を示している。実験では、実機大の固体モータ(5種類)の地上燃焼試験の機会を利用した電波干渉現象が利用され、その計測系が述べられている。通信波として、S、C、X波帯の電磁波を用い、排気噴煙に対して直角に向き合った送信、受信アンテナ間の電磁波と排気噴煙との干渉を計測している。計測では、それぞれの電波の減衰を計るとともに、S波については位相のずれも計測している。

第4章では、計測結果を把握するために必要な解析手法を述べている。ひとつは、燃焼圧変動に伴うロケット排気噴煙の形状変化を把握するための、排気噴煙に対する数値解析手法である。さらに、送・受信アンテナ間の電波伝播を把握するための、マックスウェル方程式に基づく解析手法について述べている。

第5章では、実験結果とそれに対する考察が述べられている。計測結果は、モータの燃焼圧に応じており、燃焼中期までの比較的燃焼圧の高い領域と、それ以降の比較的燃焼圧の低い領域に分けて理解することができる。いずれの領域においても、排気噴煙に生じる弱電離プラズマが電波干渉の原因であり、第1の領域では、S、C、X波ともに、排気噴煙を直進する成分が卓越しているとみなすことで、その損失が理解できるのに対して、第2の領域では、特に低周波数のS波については、排気噴煙を迂回して伝播する(回折する)成分が卓越するものであるとして、その損失を理解することが可能となる。この解釈は、排気噴煙の流れ構造の変化を考慮した電磁波伝播解析の結果とも符合する。具体的には、排気噴煙の流れ解析により、第1の領域では、電波がマッハデスクの上流側を通過しているのに対して、第2の領域では、その下流側を通過していることが判明している。即ち、このような流れ構造の変化に伴い、第1、第2の領域が出現することになると結論づけている。5つのモータに関する結果は、それぞれの試験条件に応じた違いが見られるものの、基本的には共通している。

第6章では、ロケット飛行中の噴煙損失について、第5章で得られた知見をもとに論じている。即ち、ロケットから送信され、地上で受信される電波が被る損失のうち、噴煙により回折されることによる損失が卓越するとのモデルを提案し、そのモデルにより予想される電波損失と観測された電波損失が符号することが示されている。

第7章は結論であり、実機大の固体ロケットモータ排気噴煙と通信波との干渉が合理的に理解できること、及び、それをもとに、飛行中のロケットにおける通信波損失についての予測の可能性を示したことを結論としている。

以上要するに、本論文は固体ロケットモータ排気噴煙により通信波が被る損失について、実機大の固体ロケットモータを用いて実験的、数値的手法により多角的に調べ、その損失効果を把握し、さらに、その把握に基づいて飛行中のロケットにおける通信波損失についての予測の可能性を示したものであり、航空宇宙工学に貢献するところが大きい。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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