学位論文要旨



No 125313
著者(漢字) 近藤,雅裕
著者(英字)
著者(カナ) コンドウ,マサヒロ
標題(和) 粒子法の数値安定性とマイクロスケールの流体解析に関する研究
標題(洋)
報告番号 125313
報告番号 甲25313
学位授与日 2009.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7157号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 越塚,誠一
 東京大学 教授 大橋,弘忠
 東京大学 准教授 鈴木,克幸
 東京大学 准教授 酒井,幹夫
 東京大学 講師 石渡,祐樹
内容要旨 要旨を表示する

複雑な工学システムを支配している現象は、気体・液体・固体の運動、物質の拡散や表面張力などの複数の物理現象の相互作用の結果である場合が多い。また、単一スケールの現象のみならず、分子スケールから連続体スケールまで異なる空間スケールの複合現象となっている場合も多い。たとえば、固体高分子形燃料電池のMEA(Membrane Electrode Assembly)にはマイクロスケールの構造を持つ流路やガス拡散層、ナノスケールの構造を持つ多孔質体層、分子スケールの構造を持つ触媒層や電解質膜があり、それぞれの構造における空気と水の輸送メカニズムが問題となっている。そのため、マルチフィジクス、マルチスケールな現象を統一的に扱うことができる手法が望まれている。

近年、連続体の解析手法として有限要素法などのメッシュを用いる方法に対して、粒子法が注目されている。粒子法では連続体を離散粒子群で表現し、粒子に相互作用力を与えることで計算する。粒子法では単一の物理現象のみならず複数の物理現象の連成も粒子の相互作用力によって表現できるので、マルチフィジクスな問題を統一的に扱える可能性がある。また、分子動力学法も分子を粒子とみなして広義には粒子法と考えることができるので、分子スケールの現象を表現するのにも適していると期待できる。粒子法によるマルチスケール解析に向けて、空間スケールに共通な方法を適用することおよび粗視化モデルを開発することが有効である。共通の枠組みに従った手法同士の連成は比較的容易であるが、共通な方法を用いることが不可能な場合は粗視化モデルによって異なる空間スケールをつなぐ必要があるからである。

空間スケールに共通の方法のひとつにハミルトン力学に従って粒子の運動方程式を記述することがある。分子動力学法ではハミルトン力学に基づいた運動方程式が用いられているので、連続体解析のための粒子法においてもハミルトン力学に基づいて定式化できれば空間スケール同士の連成につながるからである。非粘性流体や弾性体などに対するハミルトン力学に基づいた粒子法が開発され、力学的エネルギーの保存性に優れた計算が可能になった。しかし、粒子の局所的振動などの問題が残されている。この局所的振動にエネルギーを奪われると大域的挙動に影響し計算結果が不自然になる。また、薄肉弾性体などハミルトン力学に基づいた定式化ができていないものも残されている。本研究では、ハミルトン力学に基づいた粒子法弾性体解析手法において、人工的なポテンシャルを用いて粒子の局所的振動の抑制を行なった。その際、振動抑制後にもハミルトン形式の定式化を維持するようにした。本手法を用いた片持ち梁の解析では人工的なポテンシャルの有無に関わらず粒子間隔を小さくするにつれて理論解へ収束した。弾性波の伝播の解析における弾性波の速度の理論との一致はよかった。ただし、安定に計算できるのは波長が粒子間隔に対して十分に大きい場合に限られていた。人工的なポテンシャルの有無に関わらず、梁の自由振動の計算における運動量、角運動量、力学的エネルギーの保存性がよかった。人工的なポテンシャルを用いる場合と用いない場合の粒子の局所的振動を比較して、人工的なポテンシャルの振動抑制効果が確認できた。また、薄肉弾性体の解析におけるハミルトン力学に基づく粒子法を提案した。提案した手法を用いて薄板の振動の計算を行った。ポアソン比がある場合およびない場合の解析を比較して、ポアソン比がある場合には曲げの振動の方向が変換される様子が得られた。また、剛体回転を含む薄板の振動を計算できた。これにより、粒子法による連続体解析にハミルトン力学に基づいた定式化を適用することの有効性を示した。

また、マルチスケール解析を行うためには、分子スケールの現象を粗視化した計算モデルを開発することも必要である。そのために、(1)分子スケールの現象のメカニズムを模擬すること、(2)統計的なパラメータを利用すること、(3)確率論的な手法を導入することが考えられる。本研究ではこの3つのアプローチを考えて、固体高分子形燃料電池の物質輸送の解析に向けた粗視化モデルを開発する。

燃料電池内の流路など空間スケールが小さい場合には、流速と比較して音速が非常に大きくなるので、非圧縮性近似が有効となる。非圧縮近似と自由表面および構造物との連成を容易に扱えるという粒子法の利点と組み合わせることができれば、自由界面を含んだマイクロスケールの問題に対して有力な解析方法となる。しかし、これまでの粒子法による非圧縮性自由表面流れの解析手法では、圧力の不自然な数値振動や粒子の運動の不安定性が問題となっていた。そこで本研究では、非圧縮流れを解析する粒子法の1つであるMPS(Moving Particle Semi-implicit)法における圧力値の不自然な数値振動の抑制方法を提案した。圧力の計算に密度の時間に関する1階微分および2階微分を用いることにより振動抑制を行なった。その際、流体の基礎方程式を変形することにより、MPS 法のみならず一般の粒子法へ適用できる方程式を導出した。静水圧解析、ダム崩壊解析、液滴の伸長解析における圧力を評価した。静水圧計算およびダム崩壊解析より得られた圧力履歴の波形は従来のMPS 法と比較して滑らかなものとなった。これにより、粒子法により非圧縮計算を効率的かつ安定にできるようになった。また、非圧縮近似とは圧縮率という統計的なパラメータをゼロにすることであり、分子スケールで考えると分子間力のうちの近距離の強い斥力部分を粗視化した意味がある。

また、燃料電池の流路およびガス拡散層から水を排出する際に、流路の濡れ性によって液滴の挙動がどのように変化するか、ガス拡散層内ではカーボンペーパーの撥水性の影響を受けてどのように液滴が分布するかを解明するために表面張力および濡れ性の計算モデルが必要である。これまで、粒子法に用いられた表面張力モデルには大きく2 種類のものがある。1つはCSF(Continuum Surface Force)モデルでナビエ・ストークス方程式の中に、表面張力係数、表面法線、表面曲率を用いて表面張力項を導入するモデルである。もう1つは、2つの粒子の間に分子間力に似たポテンシャルを導入する方法である。粒子法のCSF モデルでは粒子配置から表面法線および表面曲率の評価を行うために複雑な定式化が必要なのに対して、粒子間ポテンシャルを用いる方法は定式化が単純である。また、固体壁との間にも同様な引力を導入することで濡れ性も統一的に表現できる。その他の利点としても、連続体スケールのみならず分子スケールやメソスケールの問題にも適用できる可能性があること、小さな粒子数でも計算可能であること、ハミルトン力学との対応がよいことが挙げられる。しかし、粒子間ポテンシャルの大きさと表面張力係数および接触角との定量的な関係は示されていなかった。本研究では、CSF モデルに基づく方法および粒子間ポテンシャルを用いる方法をMPS 法に適用して液滴振動の計算を行なった。CSF モデルに基づく方法では表面粒子が散逸的になるのに対し、ポテンシャルによる方法では液滴がまとまる様子が計算できた。また、粒子間ポテンシャルから表面エネルギーを見積もることで表面張力係数および接触角と粒子間ポテンシャルの大きさとの関係を示した。液滴振動の周期および固体壁との接触角の計算では理論値と最大で30%程度の差異があったが、液滴が丸くなる様子および粒子間ポテンシャルの大きさにより接触角が変化する様子を計算できた。また、本研究で開発した粒子間ポテンシャルによる表面張力モデルは燃料電池の流路およびガス拡散層の解析に用いられた。これにより、分子スケールの現象のメカニズムを模擬することによる粗視化モデルの有効性を示した。

燃料電池の多孔質体層はナノスケールの構造を持つは撥水性の物質で、その中の物質輸送メカニズムが未解明である。多孔質体層のように空間スケールが小さいとレイノルズ数が小さくなるので、マクロな流動はほとんど生じず、ブラウン運動による物質拡散が支配的になっていると考えられる。また、ケルビン効果により撥水性の狭空間で気体になりやすくなるので、水は気体に近い状態で存在していて、物質拡散によって空気(酸素)と水(水蒸気)が逆方向に輸送されていると予測される。これらの仮説を確かめるためには、物質拡散の効果を含んだ計算モデルが必要となる。物質拡散の効果を含んだ粒子法としてDPD(Dissipative Particle Dynamics)法がある。粒子間の保存力に加えて、ランダム力と散逸力を組み合わせて用いることによってブラウン運動による物質拡散の効果を表現する。一方で、流動による物質輸送も同時に考えるためには、DPD 法のアルゴリズムに従った粒子運動を流体とみなしたときの粘性が実際の空気または水と同程度になるようにランダム力および散逸力を設定して解析する必要がある。本研究では、そのための初段階の研究として、DPD 法のアルゴリズムに従った粒子の運動から粘性および粒子の拡散係数を計算した。具体的には、単純せん断流および体積力を与えた並行平板流れにおける平均速度分布から粘性係数を計算した。拡散係数については熱平衡状態における粒子の移動量の分布と時間の関係から計算した。また、表面張力、気液の相変化、希薄効果による壁スリップについても定性的にではあるが表現できる計算モデルを開発した。

これらの研究を通して、マルチフィジクス・マルチスケールな解析にむけた粒子法の開発を行った。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は粒子法の数値安定性とマイクロスケール流体解析に関する研究で、6章より構成されている。

第1章は緒言で、研究の背景と目的が述べられている。複雑な工学システムを支配している現象は、気体・液体・固体の運動、表面張力などの複数の物理現象の相互作用の結果である場合が多い。また、分子スケールから連続体スケールまで異なる空間スケールの複合現象となっている場合も多い。その例として固体高分子形燃料電池における空気と水の輸送メカニズムの問題を挙げている。従って、マルチフィジクスおよびマルチスケールな現象を統一的に扱うことができる手法の開発が望まれているとしている。

第2章ではハミルトン力学に基づく粒子法の開発についてまとめられている。厚肉弾性体のためのMPS(Moving Particle Smi-implicit)法による3次元シンプレクティックスキームが開発され、検証計算により大変形を伴う場合においても力学的エネルギーの保存性に優れていることが示された。最小自乗法を用いる粒子法では、シンプレクティックスキームを維持しつつ人工的なポテンシャルを新たに導入し、局所的な振動の抑制に成功している。その有効性は、片持ち梁の釣り合いの解析、梁を伝わる弾性波の解析、複雑に振動する梁の解析によって示された。さらに、薄肉弾性体に対するハミルトン力学に基づく粒子法が提案さ、薄板の自由振動の解析によって計算手法が適切であることが確認された。

第3章では粒子法による非圧縮性流体解析の安定性の改善が述べられている。これまでのMPS法による非圧縮性自由表面流れの解析では、圧力の不自然な数値振動や粒子の運動の不安定性が問題となっていた。そこで、圧力の計算に密度の時間に関する1階微分および2階微分を用いることにより振動抑制が試みられた。静水圧解析、ダム崩壊解析、液滴の伸長解析において、本手法が圧力の数値的な振動を効果的に抑制することが示された。

第4章では粒子法による表面張力モデルの開発についてまとめられている。これまで粒子法に用いられた表面張力の計算方法には、CSF(Continuum Surface Force)モデルと粒子間にポテンシャルを導入するモデルがあった。CSFモデルでは粒子配置から表面法線および表面曲率の評価を行うために複雑な定式化が必要なのに対して、粒子間ポテンシャルを用いるモデルでは定式化が単純である。また、固体壁との間にも同様なポテンシャルを導入することで濡れ性も統一的に表現できる。本研究では、粒子間ポテンシャルから表面エネルギーを見積もることで表面張力係数および接触角と粒子間ポテンシャルの大きさとの関係を示した。これによって表面張力と濡れ性の物性値からポテンシャルを定量的に決定できるようになった。本研究で開発した粒子間ポテンシャルによる表面張力モデルは、燃料電池の流路およびガス拡散層の解析に適用された。

第5章では粒子法による物質拡散モデルの開発について述べられている。燃料電池のMPL(Micro Porous Layer)に存在する間隙はマイクロスケール以下であり、物質拡散が支配的になっていると考えられる。また、撥水性の狭空間ではケルビン効果により気体になりやすくなるので水は気体として存在していて、物質拡散によって空気(酸素)と水(水蒸気)が逆方向に輸送されていると予測される。これらの仮説を確かめるためには、マイクロスケール以下での物質拡散の効果を含んだ計算手法が求められている。マイクロスケール以下の物質拡散の効果を含んだ粒子法としてDPD (Dissipative Particle Dynamics)法がある。流動による物質輸送も同時に考慮できるためには、DPD法のアルゴリズムに従った粒子運動を流体とみなしたときの粘性が、実際の空気または水と同程度になる必要がある。そこで、DPD法を用いて単純せん断流および体積力を与えた並行平板流れの計算を行い、得られた平均速度分布から粘性係数を算出したところ、妥当な値であることが示された。さらに、表面張力、気液の相変化、希薄効果による壁スリップについても評価できる計算手法が開発された。

第6章は結言で、本研究のまとめが述べられている。

以上を要するに、本研究ではハミルトン力学に基づく弾性解析手法の開発、非圧縮性流体解析の安定性の改善、粒子間ポテンシャルを用いた表面張力モデルの開発、DPD法におけるマイクロスケール以下の現象に適用できる計算モデルの開発が行われた。これらの成果は粒子法によるマルチフィジクス・マルチスケール解析を大きく進展させるものであり、システム量子工学の進歩に貢献するところが少なくない。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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