学位論文要旨



No 125315
著者(漢字) 出口,知敬
著者(英字)
著者(カナ) デグチ,トモノリ
標題(和) 広域地盤変動計測への干渉SARの適用性と実用化に関する研究
標題(洋)
報告番号 125315
報告番号 甲25315
学位授与日 2009.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7159号
研究科 工学系研究科
専攻 地球システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 松島,潤
 東京大学 教授 登坂,博行
 東京大学 教授 六川,修一
 東京大学 准教授 福井,勝則
 東京大学 准教授 徳永,朋祥
内容要旨 要旨を表示する

【研究の背景】

世界的にエネルギー需要が増大する昨今,石油や金属鉱物,地下水などの資源開発や,放射性廃棄物の地層処分などの地下空間利用が地表面に与える影響を把握することは,エネルギーの安定供給と地球環境保全の両立の観点から重要な課題と言える。特に,地盤沈下現象は非常に緩やかな変位速度で進行するため,日常生活においてその直接的被害を認識できることは稀少であるものの,数十年単位で見れば都市基盤設備(地上構造物や浅層埋設物)に損傷を与えることが懸念される他,沿岸地域においては海岸線の後退やゼロメートル地帯の拡大が危惧され,台風襲来時の洪水や地球温暖化による海面上昇の影響が深刻化する可能性も否定できない。

このような場合,慣例的に利用される測量技術は水準測量,あるいは近年急速に普及しているGPS測量といった地上測量であるが,コストや作業時間に制限があるために測量点の面的展開範囲や計測頻度に限界が生じる。これに対して,地上に非接触で地盤の動きを計測できる干渉SARが近年脚光を浴びている。干渉SARは,航空機や人工衛星などから照射されたマイクロ波が地表面で後方散乱した成分の位相差を利用して,地表面変位の空間分布を計測する技術である。干渉SARの利点はリモートセンシング技術特有の広域同時性を有することで,数十km四方の広範な領域を数十mの高い地上分解能で一度に観測することができるユニークな測量技術である。

世界で最初の干渉画像(Landers地震に伴う地盤変動の検出)がNature誌の表紙を飾って以降,日本国内でも,2006年1月にPALSARを搭載した陸域観測技術衛星『だいち(ALOS)』が打ち上げられ,PALSARデータを用いた干渉SAR技術が徐々に普及している。しかし,火山噴火や大地震などの大規模な有事災害の解析において一部の大学や研究機関が利用するに留まっているのが現状で,実用的計測技術として浸透しているとは言い難い。

地表面変位を計測する技術として水準測量とGPS測量,そして干渉SARが挙げられるが,それぞれの測量技術には長所と短所があるため,相互の計測値をクロスチェックして精度向上を図り,計測結果の妥当性を担保するのが望ましいことは言うまでもない。しかし,干渉SARがどの程度の計測能力を有するのか,あるいは干渉SARが持つ計測誤差,地盤変動計測に対する干渉SARの適用性などを定量的に評価した研究は過去に例が少なく,水準測量やGPS測量と並べて使用できるかどうかも不透明な要素が多い。

以上のような背景から,本研究では以下に記す三つを研究項目に設定し,干渉SARの実用化に向けてその適用性を定量的に評価するとともに,水準測量やGPS測量と同程度の精度を有する計測手法の研究開発を行った。

1.干渉SARの計測精度に影響を与える誤差解析

2.平滑化拘束の時系列解析による解析手法の開発

3.実データを用いた実証試験

干渉SARの最大の利点は面的マッピング能力であり,これは他の計測技術が持ち得ない長所であるから,本研究の計測対象は広域地盤変動とした。

【研究成果】

地盤変動計測の誤差解析

干渉SARの計測原理から,計測誤差要因として以下の6種類7項目を挙げることができるので各項目について順に誤差解析を行った。

1.系統誤差の補正精度

(a)画像マッチングの誤差

(b)軌道間距離推定の誤差

2.Spatial Decorrelation

3.大気位相遅延

4.Temporal Decorrelation

5.センサーノイズ

6.DEMの標高誤差

大気位相遅延とTemporal Decorrelation以外の項目については,既存の研究成果が存在するが,本研究では干渉SARの計測誤差を総合的に解析することを目標としているため,既存の研究成果に関しても検証作業を行った。

大気位相遅延については,気象庁公開の気象データ(地上の温度,気圧,湿度の三種類)を用いて対流圏までの位相遅延量をシミュレートし,干渉SARの地盤変動計測に与える影響を解析した。その結果,年周期変動が約6cm,日単位の不規則変動が約2.5cm,計測誤差として含まれることが明らかとなった。

Temporal Decorrelationについては,Spatial Decorrelationと独立して考察することはできず,両Decorrelation成分に対するコヒーレンスの低下度を,SARの実データを用いた実験式で記述する方法を採った。また,コヒーレンス値は,土地被覆状態によって大きく変化するので,本研究では市街地と森林の二種類に分けて実験式を導出した。

上記6種類7項目の理論的な位相誤差から,任意の干渉SARペアが有する計測誤差を定量化することが可能となった。また,干渉SARが実現可能な計測精度を,軌道間距離情報のヒストグラムを参照して考察したところ,市街地を対象とした場合のJERS-1/SARは3年間で約3cm,森林を対象とした場合のJERS-1/SARは1年間で約4cm,市街地を対象とした場合のENVISAT/ASARは3年間で約1cmという結果を得ることができた。ただし,ここには大気位相遅延(年周期変動:約6cm,不規則変動:約2.5cm)を含んでいない。

精度向上と経時変化計測

干渉SARの計測精度を向上させることに加え,位相差(地盤変動)の時空間モデルを構築する目的で,平滑化拘束条件の時系列解析手法を開発した。本研究で開発した手法は,平滑化拘束条件のインバージョンを応用した方法で,PSInSARやSBASのようにノンパラメトリックなフィルタリングを用いてノイズを除去するのではなく,地盤変動成分と各種の雑音成分を生起確率に基づいて分離するアプローチを採っている。ここでは,先ず,既存手法のPSInSARとSBASの概要と処理フローを示したうえで,それぞれの問題点を明示した。そして,SBASの概念を基にして,それぞれの問題点を改善できるように解析手法の開発を行い,シミュレーションデータを用いた解析により開発手法の適用性と効果を検証した。また,位相アンラップエラーに対する補正処理や突発的変動への対応など,既存の手法が有さない新しい機能の有効性を確認した。

広域地盤変動計測への適用性評価

開発した時系列解析手法を実データに適用し,広域地盤変動計測への適用性評価のための実証試験を行った。適用対象地域は,(1)関東平野(ENVISAT/ASAR),(2)九十九里平野(JERS-1/SAR),(3)フィリピン共和国マニラ首都圏(ENVISAT/ASAR)とした。(1)および(2)に関しては,千葉県が年一回の頻度で実施する水準測量データや,国土地理院のGPS連続観測データ(GEONET)を用いた比較検証を行った。(3)に関しては,JICAが取得した地下水位データを使用して地盤変動計測結果の妥当性評価を行った。

ENVISAT/ASARを用いた地盤変動計測については,干渉SARの時系列解析で得られた面的な地盤変動量は,5年程度の長期間におよぶ計測値にもかかわらず,水準測量結果に対する関係性が傾き1の回帰直線で記述される結果となった。また,空間スケールの小さい局所的な変動を正確に捕捉していることを確認することができ,広域地盤の時空間変動を計測する実用的な手法として活用できると考えられた。

一方,JERS-1/SARに関しては,水準測量結果に対する回帰直線の傾きが約0.80となり,バイアス量および回帰直線に対するrms残差が共に,ENVISAT/ASARの解析結果よりも大きい数値となったが,2006年に打ち上げられたALOS/PALSARを用いた解析を行えば,精度が向上するものと考えられた。

実証試験においては,誤差解析で算出された干渉SARの計測誤差を大幅に改善できることが判明したので,干渉SARの実用化に向けた効果的な計測手法になると考えられた。

課題と展望

本研究では,主にCバンドのENVISAT/ASARとLバンドのJERS-1/SARを用いた解析を対象として研究を進めた。Cバンドの干渉SARの計測精度は極めて高い反面,森林地域では干渉が得られず,変位計測の実行が不可能となった。これに対して,Lバンドの干渉SARは森林地域でも安定した干渉位相を計測することができるが,計測精度そのものはCバンドに劣ることが明らかとなった。ただし,この結果はLバンドの干渉SARの限界を示すものではない。なぜなら,2006年に打ち上げられ,現在運用中のALOS/PALSARは,JERS-1/SARと比較してノイズレベルも低く,量子化ビット数も大きいため,センサーの性能は遥かに向上しているからである。また,ALOS/PALSARは上昇軌道と下降軌道の両方から観測することができるので,水平変位と鉛直変位を分離することにより計測精度の向上を図ることも可能となる。水準測量データやGEONETデータが豊富に蓄積されている九十九里平野において,ALOS/PALSARの計測誤差を十分に検証し,精度を向上させる試みは重要と考えられ,今後の研究において取り組むべき課題であろう。

また,上昇軌道と下降軌道の両方から観測データを用いて,水平変位と鉛直変位を分離することができれば,異なるセンサー間の入射角の違いによる不整合の問題を解消することができる。RADARSAT-2やTerraSAR-Xなど,SAR専用の地球観測衛星が続々と打ち上げられており,我が国のALOS-2もまたSAR専用機を予定していることから,天候や昼夜に左右されずに高い確度で地上を撮像できるSARは,近い将来,上昇/下降の両軌道からの画像が基本データとしてユーザーに提供されるであろう。人工衛星の寿命は永遠では無く,数~十数年程度で運用が終了するため,上昇軌道と下降軌道のデータを活用した複数センサーデータの連結により,継続性の高い計測手法を確立する研究開発が必要と考えられる。

以上のことから,(1)水準測量と比較しても遜色のない高い計測精度を維持するだけでなく,(2)被植生地域においても安定した観測カバレッジを確保し,そして(3)恒久的に継続可能な計測手法の開発に向けた研究を進めることにより,干渉SARは社会受容性の高い計測技術として位置づけられると思われる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、合成開口レーダ(SAR: Synthetic Aperture Radar)の応用技術の一つである干渉SARにおいて、地盤変動計測精度に影響を与える因子についての包括的検討、平滑化拘束条件を考慮したインバージョン手法を用いた時系列解析による解析手法の開発と数値実験による評価、実データを用いた実証試験を行うことにより、当該技術の広域地盤変動計測への適用性と実用化を追求したものである。広域地盤を長期的にモニタリングする技術は、資源開発・地下空間利用の影響評価、災害対策や震災被害予測などの観点から重要であり、とりわけ面的マッピング能力を有する干渉SARの計測・解析技術を高度に確立することは喫緊の課題となっている。しかしながら、現状は火山噴火や大地震などの有事災害発生時において、研究者レベルで単発的に処理が実施されるだけであり、計測精度等の実用的な観点からの包括的な体系が構築されていない。

そこで筆者はまず、干渉SARの地盤変動計測精度に影響を与える因子として、画像マッチング、軌道間距離推定、臨界軌道間距離、大気位相遅延、経時的変化に伴うコヒーレンス低下、センサーノイズ、DEM(Digital Elevation Model)の標高精度の7種類の誤差要因を取り上げ、干渉位相に含まれる誤差解析を詳細に実施し、JERS-1(地球資源衛星1号)/SARならびにENVISAT(欧州宇宙機関(ESA)の地球観測衛星)/ASARにおける計測精度を評価している。さらに、地表における気象データから鉛直方向の大気構造を推定する方法を試み、大気位相遅延の年周期変動と不規則変動幅を求めている。これらの包括的な評価は、実用的な観点から、現状の干渉SAR技術のポテンシャルを見極める上で有効な計測誤差を定量的に提供したことが評価できる。

次に、経時変化計測の精度向上を目的として、解析手法の提案を行っている。まず、既存の計測技術であるPSInSAR(Permanent Scatters Interferometric SAR)とSBAS(Small Baseline Subset)の2手法を詳細にレビューすることにより問題点を整理している。その上で筆者は、既存の手法の持つ問題点を改善するために、平滑化拘束のインバージョン手法を用いた時系列解析による手法を提案し、シミュレーションデータへの適用を試み、位相アンラップエラーや突発的変動への応答の点で、既存手法に対する提案手法の有効性を明確に示している。

最後に、実データを用いた実証として、JERS-1/SARならびにENVISAT/ASARのデータを用いて、実際に地盤変動が報告されている関東平野、九十九里平野、フィリピン国マニラにおける広域地盤変動の経時変化を求め、地上で取得された水準測量結果、GPS連続記録(国土地理院GPS連続観測システム:GEONET)、地下水位データなどと対比し、調和的な結果が得られていることを示している。とりわけ、植生地域でも干渉位相が維持され,5年を超えるような長期間の計測においても安定した変動計測をモニタリングできたことを示している。このような実データに対する適用結果は、本論文が提案している解析手法の有効性と適用性を示唆する明確な根拠となっている。さらに、波長の長いL-bandセンサーを用いるJERS-1/SARと波長の短いC-bandセンサーを搭載しているENVISAT/ASARとの精度比較や植生への応答の差異などにも言及することや、地盤の3次元的な変動情報を得るための衛星センサー仕様についても考察を行っており、今後の課題と展望についても適切に考察がなされている。

以上のように、本論文は、干渉SARの計測能力を実用的な観点から包括的に整理した上で、当該技術を用いて広域地盤の時空間変動を監視・計測できる手法を提案し、その有効性と適用性を明確に示しており、定常的な地盤変動モニタリングに向けた実用的計測技術のための方法論を確立した点での貢献は大きいと判断する。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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