学位論文要旨



No 125317
著者(漢字) 前田,康弘
著者(英字)
著者(カナ) マエダ,ヤスヒロ
標題(和) 高秩序ハニカム構造を持つ温度応答性マイクロパターン化ゲルの作製と細胞足場材料への応用
標題(洋) Fabrication of micropatterned thermosensitive gels with highly-ordered honeycomb structure and their application to cell scaffolds
報告番号 125317
報告番号 甲25317
学位授与日 2009.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7161号
研究科 工学系研究科
専攻 マテリアル工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 吉田,亮
 東京大学 教授 片岡,一則
 東京大学 教授 石原,一彦
 東京大学 教授 鄭,雄一
 東京大学 教授 宮原,裕二
内容要旨 要旨を表示する

分子細胞生物学などの進展にともなう細胞生理の理解と再建外科における生体材料学の進歩とを基礎にして,生体組織工学などの新分野が誕生し,再生誘導治療の実現に向けて活発に研究がなされている.同時に,細胞や微生物およびその組織体の高度な情報処理能力や材料合成能が明らかになり,これらをセンサやプロセッサなどの生物素子として,または物質合成装置として工学的に応用する研究もおこなわれている.他方,細胞外基質(ECM)に関する研究から,ある種の細胞が,足場の化学的および物理的性質によって,その接着性だけでなく,その形態や活性に関して明白に影響を受けることが分かってきた.足場の表面特性と細胞挙動の相関は近年取り組まれている課題の1つであり,一方で,これら知見をもとに,生体タンパクや生体無機物質のマイクロパターニングや濡れ性の操作,また粘弾性分布制御など,足場表面特性を意図的かつ精密に操作することを通して,特定の細胞機能を選択的に誘導するという試みも始まっている.

本研究では,足場材料の表面微細形状制御を通したアプローチに着目した.A.C.G. Curtisらにより1960年代に始められたこのアプローチにおいては,半導体産業で培われた精密加工技術,また近年においては自己組織化現象を利用した合成技術を基本として,溝や突起そしてハニカムといった微細構造を有する足場材料を用いている.これら先行研究によれば,異種形状はもとより同種形状においても,溝の深さや突起間隔や孔径といった各種パラメータの差異により,発現する細胞機能が異なることを報告している.この事実は,細胞自体を最小構成材料として用い,生体組織の再構築を通して欠損機能の復元を図る再生医工学において大きな意味を持つと考えられている。組織再生は、細胞接着、増殖、分化の各段階が時系列になった過程であるが,増殖活性化や分化誘導向上が達成されれば,その期間の短縮が期待できるからである.そのため近年では、3次元足場作製による細胞の空間配置制御だけでなく,接着表面修飾による細胞の増殖・分化活性制御も足場設計における重要な指針となっている.

刺激応答性高分子ゲルは外部刺激を通してその物性・化学的性質を調節できるため,近年,スマート材料として注目を集めている.この刺激応答性ゲルを用いることにより微細形状を"動的に"制御することが可能になれば,金属やセラミックまたポリマーなどにより作製された従来の足場と異なり,増殖や分化段階を随時適切に促進させることのできる足場になることが期待できる.そこで本論文では,温度応答性ゲルのマイクロパターニングと表面微細構造形成および表面形状の温度応答挙動制御により,刺激応答性表面微細構造を有する細胞足場材料の開発を行った。同時にこの温度応答性マイクロパターン化ゲルを用いて骨芽細胞を培養することにより、その細胞足場材料としての可能性を評価した.

以下に本論文の各章の概要を示す.

第1章 緒論.本論文の主目的であるバイオマテリアル作製に関して,特にバイオミメティクスとバイオインスピレーションに基づく研究事例についてまとめた.さらに組織工学分野における細胞足場材料研究の背景について述べ,最近注目を集めている,細胞力覚や形状応答性に基づく先行研究例を紹介した.最後に本論文の目的と構成について述べた.

第2章 コロイド結晶の作製およびマイクロパターニングに関して述べた.毛細管マイクロモールド(MIMIC)やマイクロトランスファーモールド(μTM)等のソフトリソグラフィー法、およびシリコーンリングを利用した移流集積法によるシリカ微粒子単層/複層コロイド結晶の作製とマイクロパターン形成を行なった.その結果,静水圧や重力を利用することにより,MIMICやμTMで対象とされているサブミクロンサイズの微粒子だけでなく,数~10 μmの微粒子でもコロイド結晶およびそのマイクロパターンを作製できることが明らかになった.また流路やウェルの形状に従った構造体となり,積層数を制御することが可能であることも明らかになった.移流集積法により単結晶性の高い単層微粒子パターン作製を行なった結果,表面濡れ性だけでなく,懸濁溶媒組成や溶液注入用ピペットチップの先端孔径,また乾燥時においては水平固定が重要な要素であることが明らかになった.エタノール水溶液を利用することにより表面張力が低下したため塊状微粒子の形成を防げたこと,またピペットチップ孔径が大きくなったため事前に広面積の充填配列体を形成できたこと,さらに水平化によりシリコーンリング中央部に向かう移流集積効果を最大限に利用できるようになったことが理由として考えられる.

第3章 2章において示したコロイド結晶作製法に基づく温度応答性多孔材料の合成およびマイクロパターニングについて示し,かつその膨潤収縮挙動に由来する表面ハニカム形状の変化について述べた.種々の重合法での合成を通し,光重合法が本研究における最適な合成法であることを見出した.MIMICやμTMを利用することにより,流路パターンからドットアレイなど様々にマイクロパターン化したゲルが作製できることを明らかにした.またPDMSの溝形成面を接着して形成させた流路を利用することにより,流路接合部で化学架橋された2層構造を有するハニカムゲルを作製することが可能なことを示した.作製したゲルの温度応答性を観察した結果,基板固定化の有無により,円形状を保持したまま単純に孔径変化させることと,LCST以下で規則的な複屈折形状を出現させることを選択できるようになることを明らかにした.ハニカム多孔構造は,圧縮によりこのような複屈折現象を起こすことが有限要素法解析や均質化理論等で報告されており,基板固定により膨潤に制限が入ったことで,擬似的に圧縮がかかった状態になったからだと考えられる.固定化の有無により多様な表面微細形状変形を選択でき,従来の細胞足場とは異なる細胞足場の創製につながると示唆された.

第4章 3章までの考察をもとに,ハニカムゲルシートによる細胞培養実験について述べた.3種類のシリカ微粒子(2 μm,4 μm,10 μm)を用い移流集積法により作製したコロイド結晶を鋳型とし,エタノール水溶液を反応場として光重合によりゲルシートを作製した.温度応答性のN-isopropylacrylamide(NIPAAm)ゲルだけでなく,側鎖末端にリン酸基を持つmethacryloyloxyethyl phosphate (MOEP)との共重合ゲル,およびアミン基を有するN-(3-aminopropyl)methacrylamide hydrochloride(NAPMAm)との共重合ゲルを用いた.結果,エタノール水溶液を用いてゲルを作製した場合,プレゲル溶液のモノマー濃度に応じてゲルの構造が変化することが見出された.これらを足場とし,a-MEM(10% FBS)を培地として骨芽細胞様細胞MC3T3-E1を培養した.結果,いずれの場合でも細胞が接着することが確認された.同時に異なる孔径のハニカムゲル上で培養した細胞を顕微鏡観察した結果,孔径により異なる形態を示すことがあきらかになった.培養期間を14日間とし,poly(NIPAAm-co-NAPMAm)ゲルを用いて,37℃で培養した細胞に対してALP染色を施した.結果,ハニカム孔径に依存したALP活性があることが示唆見出された.この結果はハニカム孔径がMC3T3-E1の分化活性に影響を及ぼしうることを示唆している.

第5章 総括.本論文全体の内容をまとめるとともに,細胞足場としての刺激応答性表面形状の可能性について述べた.

本論文の遂行により,マイクロサイズの微粒子からなるコロイド結晶のマイクロパターニング法が開発されただけでなく,それらを鋳型として用いることにより生物様の高秩序ハニカム構造を有する温度応答性ゲルの合成およびマイクロパターニングが可能となった.またこれらハニカムゲルの表面形状が示す興味深い規則的な座屈現象を見出した.一方で,これら温度応答性ゲルで作製されたハニカム構造が細胞機能発現に影響を及ぼしうることを確認した.スマートソフトマテリアルを利用した新しい細胞足場材料の創製につながるものと期待できる.

審査要旨 要旨を表示する

分子細胞生物学などの進展に伴う細胞生理の理解と生体材料学の進歩を基礎にして生体組織工学などの新分野が誕生し、組織再生医療の実現に向けて活発に研究が行われている。同時に、細胞や微生物の高度な情報処理能力や物質合成能が明らかになり、これらをセンサやプロセッサなど生物素子として、または物質合成装置として応用する研究も行われている。他方、細胞外基質に関する研究から、ある種の細胞が、足場の化学的および物理的性質によって細胞形態や細胞機能に明白な影響を受けることが報告されている。足場の表面特性と接着細胞の相関が近年幅広く研究されている一方で、生体物質のマイクロパターニングや濡れ性の操作、また粘弾性分布制御など、足場表面特性を意図的かつ精密に操作することを通して特定の細胞機能を選択的に誘導するという試みも始まっている。

本研究では特に、表面微細形状変化に対する細胞応答に着目した。この研究分野においては、半導体産業で培われた微細加工技術、また近年では自己組織化現象を利用した技術を基盤として作製する溝や突起そしてハニカムといった微細構造と細胞応答との相関が研究対象とされてきた。異種はもとより同種形状においても、溝深さや突起間隔や孔径といったパラメータ差異により発現する細胞機能が異なることが報告されている。そのため組織工学においては、近年、3次元立体構造だけでなく表面微細構造設計も足場作製における重要な設計指針として注目を集めるようになってきている。

刺激応答性高分子ゲルは、外部刺激を通してその物性・化学的性質を可逆的に調節できるスマート材料である。これを利用することにより、表面微細形状を"動的"に調節しうる、全く新しい足場の創製につながるものと考えられる。そこで本論文では、温度応答性ゲルのマイクロパターニングと表面微細構造形成および表面形状の温度応答挙動制御により、刺激応答性表面微細構造を有する足場材料の開発を行った。同時にこの足場材料を骨芽細胞前駆細胞株の培養に用いることにより、その細胞足場材料としての可能性を評価した。本論文は以下の五章から成る。

第一章では、本論文の主目的であるスマート材料を用いたバイオマテリアル作製に関してまとめている。スマート材料によるバイオマテリアル研究の背景について述べ、最近注目を集めている、バイオマテリアルを通した基礎細胞生物学研究や細胞工学研究に関する先行研究例を紹介している。最後に本論文の目的と構成について述べている。

第二章では、コロイド結晶の作製およびマイクロパターニングに関して論じている。ソフトリソグラフィーおよび移流集積法を改良することにより、積層数を制御したコロイド結晶作製やマイクロパターン化を実現している。ソフトリソグラフィーにおいては、静水圧で発生する水流に由来する剪断力により、従来対象とされていたナノ微粒子だけでなく、10μm程度の微粒子でもコロイド結晶およびそのマイクロパターンが作製可能であることを示している。一方移流集積法においては、懸濁溶媒組成や水平固定化が微粒子膜の結晶性や広面積化に影響することを明らかにし、また表面張力の低減により、10μmより小さい微粒子のコロイド結晶膜形成が可能であることを明らかにしている。

第三章では、コロイド結晶を鋳型とする温度応答性多孔材料合成とマイクロパターニング、およびゲルの膨潤収縮に伴う表面ハニカム構造の変化について述べている。光重合法とソフトリソグラフィーや移流集積法の組み合わせにより、流路やドットアレイやシートなど多様な形状のゲルの作製が可能であることを見いだしている。立体流路構造は2層構造体ゲルの作製を可能にし、多層構造体作製の可能性を示している。ゲルは内部連結した多孔構造を保持する高規則的なハニカム構造を有することを明らかにしている。このハニカム構造は、基板固定化の有無により(1)円形状を保持したまま単純に孔径変化させる場合と(2)相転移温度以下で規則的な座屈構造を発生させる場合との2通りの変形過程を経ることを見いだしている。有限要素法解析など材料力学的研究事例からこのような複屈折形状が圧縮により引き起こされることを確認し、本研究にみられた座屈現象に関しても同様の発生メカニズムが働いているものと推測している。多様な表面形状変形プロセスを選択できる足場材料を提案している。

第四章では、異なる表面形状を有する温度応答性ゲルシートを用いた細胞培養について述べた。温度応答性のN-isopropylacrylamide(NIPAAm)ゲルの他、側鎖末端にリン酸基を持つmethacryloyloxyethyl phosphate(MOEP)やアミン基を有するN-(3-aminopropyl) methacrylamide hydrochloride(NAPMAm)とNIPAAmの共重合ゲルを用いている。重合溶媒組成を調製することより、接着表面積の大きい繊維状微細構造を有するゲルが作製可能であることを示している。平膜およびハニカム孔径の異なるゲルシートを足場とし、骨芽細胞前駆細胞株MC3T3-E1(MC3T3)を培養した結果、いずれの場合も細胞が接着するがハニカム孔径やゲル組成により異なる接着形態を示すことを明らかにしている。Poly(NIPAAm-co-NAPMAm)ゲルを用いてMC3T3を14日間培養した結果、平膜やハニカム構造で異なる増殖応答を示すと同時に、分化指標であるALP活性にも差があることを見いだしている。

第五章は総括であり、本論文全体の内容をまとめるとともに、細胞足場としての刺激応答性表面形状の可能性について述べている。

以上のように、本学位請求論文においては、10μm程度の微粒子からなるコロイド結晶の作製やマイクロパターン化を実現し、それらを鋳型として用いることにより高秩序ハニカム構造を有する温度応答性ゲルの合成およびマイクロパターン化の可能性を見いだしている。刺激応答性ゲルのハニカム構造が示す興味深い変形プロセスを見いだした一方で、これら温度応答性ゲルで作製されたハニカム形状が細胞機能発現に影響を及ぼしうることを確認している。今後、温度変化によるゲル表面上での細胞機能変化の評価や、微細構造が接着形態や機能にどのように作用するかなどへの展開により、スマートソフトマテリアルによる新しい細胞足場の提案につながるものと考えられ、マテリアル工学に対する貢献は大きい。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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