学位論文要旨



No 125323
著者(漢字) 鈴木,佐夜香
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,サヤカ
標題(和) すす粒子の熱泳動現象に関する研究
標題(洋)
報告番号 125323
報告番号 甲25323
学位授与日 2009.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7167号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 土橋,律
 東京大学 教授 山口,由岐夫
 東京大学 教授 新井,充
 東京大学 教授 津江,光洋
 東京大学 准教授 野田,優
内容要旨 要旨を表示する

1 緒言

温度勾配のある場に微小な粒子が存在する場合、粒子は低温側に向かう力を受け移動する。この現象を熱泳動(Thermophoresis)という。この現象は、粒子に対して周囲の気体が連続気体とみなせなくなる場合(希薄気体の状態)に生じる。粒子が高温側の気体から受ける運動量が低温側の気体から受ける運動量よりも大きくなり、力が働く。この力を熱泳動力といい、このとき移動する粒子の終端速度を熱泳動速度という。温度勾配のある場で微小な粒子を扱う際には、粒子に働く熱泳動効果は無視できなくなる。特にすすは、その一次粒子のサイズが非常に小さく、大きな温度勾配のある燃焼場近傍で生成されるため、すすの発生、成長や燃焼場近傍での挙動において熱泳動効果が大きな影響をもつことが知られている[1-7]。球形粒子の場合、熱泳動効果は粒子径に依存し、粒径が小さくなるほど熱泳動効果は顕著になる。すなわち、粒子径を特性サイズとした希薄度に現象は依存する。一方、すす粒子は微小な一次粒子が凝集して形成された複雑な形状を持つため、熱泳動現象を考える上でのすす粒子の特性サイズをどのように決めるかが問題となる。

そこで本研究では、微小な1次粒子が多数凝集して形成されている、複雑な形状を有する凝集体に関して凝集体の形状が熱泳動効果に及ぼす影響を検討する。形状を表す因子として具体的な要因を検討し、熱泳動効果との定量的な関係を示すことを目的とする。

2. 実験

2-1 試料

本研究では、試料粒子の性質を一定とするため、製品として製造されているカーボンブラック(三菱化学社製)20種をすす粒子の代表として、および比較のためアクリル樹脂2種を、試料として用いた。これらの粒子は一次粒子径と凝集の構造が違うものを採用し,熱泳動速度との関連を検討することとした、試料の性質を表す数値はTable 1のようであった。

これらの特性値は、凝集体の幾何学的構造の違いを表していると考えられる。かさ密度は、全体的な凝集の構造を示すものと考えられ、今回の試料では、真密度に対して1/10程度であり、隙間の多い凝集体構造をしていることがわかる。また今回はかさ密度を真密度で割った無次元密度を凝集の程度を示す因子として用いている。

2-2 実験装置

温度の異なる2枚のアルミ製板(90mm×90mm)の隙間に温度勾配のある場を形成し、その隙間で粒子試料を熱泳動させた。試料粒子は、空気中に分散し、気流とともに測定場に導入した。隙間を狭くすることで、流動を短時間で停止させ、静止気体中での粒子挙動を観察した。粒子試料の観察では、後方に照明を設置した状態で粒子試料を顕微鏡光学系を取り付けたデジタルビデオに録画することによって粒子挙動を記録する手法を確立した。この手法により、泳動する粒子の様子を顕微鏡光学系で拡大観察することにができ、すすの凝集体サイズと熱泳動速度を同時に測定することを実現した。顕微鏡光学系での倍率を150~450倍に変化させながら拡大観察した。観察系の分解能は数μm程度である。

今回の実験は、重力のある場でおこなったので、粒子速度の測定値には重力による速度も含まれることになる。そこで、温度勾配を有する場合の測定値から温度勾配がない場合における重力のみによる終端落下速度を差し引いて熱泳動速度とすることにした。終端落下速度は、凝集体サイズが決まればほぼ一意的に定まることがわかり、このデータを用いて熱泳動速度を算出した。

3. 実験結果と考察

前述した試料(Table 1)を用い、温度勾配0.42から26.3K/mmの条件において熱泳動速度と凝集体サイズの同時測定の実験をおこなった。測定した熱泳動速度の結果をFig.1に示す。

熱泳動速度は一般的に〓と示すことが出来る。ここでK(th)は熱泳動係数であり、気体の希薄の程度によって分けられた領域ごとに様々な値や式が提案されている。すす粒子に関してはK(th) = 0.55とすると実測値と比較的合うということが知られている[10]。

自由分子領域の条件での球形単一粒子について適用される理論式は以下のようになる。

ここに、UTは熱泳動速度、vは空気の動粘性係数、αmは運動量に関する適応係数であり、0から1までの任意の値をとる。上記の式におけるK(th)は、αmを1であるとした場合およそ0.53をとる。尾野らの研究[8,9]では、空隙率の大きいすす粒子の熱泳動速度は、この式にほぼ従うことが示されている。

Fig.1より、各々の粒子試料に対して熱泳動速度と温度に関する項の間に比例関係があることがわかり、さらに粒子の種類によって傾きが異なることがわかった。Kthの違いは粒子の形状の影響を受けていると考えられるため、形状を表す因子との関連を検討した。そこで本研究では無次元密度に注目し解析を行った。無次元密度が大きくなるということは真密度に対してかさ密度が大きくなるということであり、これは全体的により隙間の少ない、密に凝集した構造をとることを示す。凝集体が隙間の少ない構造をとる場合には、周囲の気体との相互作用を考えると、個々の一次粒子の影響よりも全体としてひとつの大きな粒子とみなせる部分が多くなり、すなわち希薄の程度が小さくなっていくことを表すと考えられる。希薄の程度が小さくなれば、熱泳動の効果が小さくなるという形で粒子挙動に影響が現れると考えられる。

粒子の凝集の程度と無次元密度の関連を確認するため無次元密度とK(th)の関係をFig. 2に示した。 Fig.2より無次元密度が小さくなるとKthが大きくなるという関係が見られた。またその関係は実験した試料の範囲において一次の負の相関関係となることがわかった。この関係は無次元密度が非常に小さくなると一定値に漸近しており、その値は理論値に近付いていることも確認できた。このように、無次元密度という比較的測定しやすい一つの指標で熱泳動速度を見積もることができることを見いだした。

4. 理論的検討

すす粒子を模した同一サイズの一次粒子で形成された凝集体に関して、その形状と熱泳動挙動に関して理論的検討を行った。形状による違いの影響をみるため一次粒子を様々な形状で配置して検討した。今回の検討では対象とした凝集体に関して非常にシンプルなモデル化を行い、その熱泳動速度等を計算した。

通常気体分子の速度分布式にはMaxwellの速度分布式が用いられる。自由分子領域ではMaxwellの速度分布式を簡略化したChapman-Enskogを適用することができる。そこでこの速度式を用い、周囲気体分子から粒子への運動量輸送を計算し、幾何学的に簡単な形状を持つ凝集体に関してその形状の基本的な影響を検討した。

理論的検討においては充填率を様々に変化させて充填率と熱泳動速度の関係を検討することにした。充填率を計算する際、物理的に単純な形状を仮定するため、今回の検討では体心立方構造と面心立方構造、体心立方構造の対角線を一次粒子で結んだものを仮定した。導入する気体分子の体積から計算した熱泳動速度の比、U(T,aggregate)/UT,1,と充填率の関係はFig. 3のようになった。ここでU(T,aggregate)は凝集体の熱泳動速度を示し、U(T,1)は同じサイズの単一の球形粒子における熱泳動速度を示す。

Fig.3より、充填率と熱泳動速度の比にはほぼ反比例の関係が見られた。すなわち、充填率が大きくなるとU(T,aggregate)/UT,1,は小さくなることがわかった。充填率が大きいということは凝集体内で一次粒子同士の隙間が小さいことを意味し、この結果は実験での測定結果と傾向が一致する。

充填率の定義より、充填率と(1-細孔率)の積が無次元密度に相当する。したがって、細孔率が一定の場合には、充填率と無次元密度は比例することとなる。さらに、今回使用した試料においては、細孔率は1より十分小さいといえるため、充填率と無次元密度はほぼ等しいと考えられる。実験における無次元密度を充填率と同じとして扱い、Fig. 3において実験によるデータと比較したところ、理論解析で得られた充填率が大きくなると熱泳動速度の比が小さくなるという結果は、実験結果にほぼ一致した。このように今回の実験結果に一定の理論的解釈を与えることができたと考えられる。定量的な差異については、シンプルなモデルを使用したことによると推定される。

5. 結論

微小な一次粒子が凝集した構造を持つすす粒子の熱泳動挙動について、その凝集体形状の影響を実験により検討した。形状を示す因子として無次元密度を提案し、これを用いて結果を整理し解析を行った。今回の試料では、無次元密度が大きくなるほど熱泳動速度は遅くなった。この関係は、試料によらず無次元密度のみで一意的に整理できることが見いだされた。また、無次元密度が非常に小さくなるとその熱泳動係数は自由分子領域の値に近付くことが分かった。すなわち、無次元密度という1つの指標で熱泳動速度が定量的に推算できることとなり、熱泳動速度の予測手法としての種々の活用可能性が期待できる。

実験結果の理論的検証のため、自由分子領域を仮定して、全て同じ大きさの一次粒子により構成される幾何学的に構造が簡単な凝集体の熱泳動挙動について理論的な解析を行った。このようなシンプルなモデルを用いて充填率を変化させて熱泳動速度との関係を計算した結果、充填率が大きくなると熱泳動速度が遅くなるという関係が見られた。今回の試料では、理論的解析で使用した充填率は無次元密度とほぼ等しくなると考えられ、シンプルなモデル化による解析ではあるが、理論的解析の結果が実験結果を支持していることが確認された。

[1] 土橋律, 戸田顕, 大井洋介, 平野敏右, 燃焼の科学と技術, Vol 5, pp. 243-255 (1998).[2] Goren, S. L., J. Colloid and Interface Sci. 61:77-85 (1977).[3] Rosner, D. E., and Seshadri, K., Proc. Comb. Inst. 18:1385-1394 (1981).[4] Morse, T. F., and Cipolla, Jr., J. W., J. Colloid and Interface Sci. 97:137-148 (1984)[5] Sun, C. J., Law, C. K., and Axelbaum, R. L., Combust. Flame 105:189-201 (1994).[6] Dobbins, R. A., and Megaridis, C. M., Langmuir 3:254-259 (1987).[7] 藤田修, 井口祥伯, 竹内篤史, 伊藤献一, 第34回燃焼シンポジウム前刷集, pp517-519 (1996).[8] 尾野秀樹 東京大学修士論文(2002)[9] Ono, H., Dobashi, R., and Sakuraya, T., Proceedings of The Combustion Institute, Vol. 29 , p.2375 (2002)[10] Messerer, A., Niessner, R., and Poeschl, U., Journal of Aerosol Science 34:1009-1021(2003)

Fig. 1 Thermophoretic velocities

Fig. 2 Dimensionless density

Fig. 3 Theoretical approach

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「すす粒子の熱泳動現象に関する研究」と題し、凝集体の熱泳動現象における凝集体形状と熱泳動挙動の関係について実験および理論的解析の双方から論じており、全5章からなる。

第1章は緒言であり、研究の背景について述べている。まず、熱泳動現象の原理および熱泳動現象に関する既往の研究内容についてまとめている。次に熱泳動現象が、温度勾配のある場で微小粒子を扱う際に考慮すべき重要な要因のひとつである一方で、微小粒子は凝集しやすく、また既往の研究が球形の単一粒子を対象とした研究がほとんどであることから、現実の場で問題となる凝集体の熱泳動挙動に関する知見が不足していることを述べている。

第2章では、本研究の目的と方針について述べている。凝集体形状が熱泳動挙動及ぼす影響を解明することを目的に、実験および理論により解析する方針を示している。

第3章では、本研究に用いた実験装置や実験手順、実験結果とその解析など実験全般に関して記している。本研究では、粒子の移動速度と凝集体全体の大きさの同時測定を可能とする実験装置を作製し、それを用いることで熱泳動挙動解析に有用なデータの取得を可能としている。凝集体の熱泳動挙動に影響する種々の要因に関して整理して実験を実施しているが、特に凝集体形状を系統的に変化させるため、試料粒子としては、すす粒子の代表物質としてのカーボンブラック粒子および真密度の効果の確認のため真密度の小さいアクリル樹脂粒子を用いている。結果の解析において、凝集体粒子の形状を表す特性値として、一次粒子サイズ、凝集体サイズ、真密度、かさ密度、DBP吸着量、窒素吸着比表面積などを用い、それらの特性値と熱泳動挙動の特性値である熱泳動速度との関係を詳細に検討している。凝集体中の隙間の体積割合を示す新たな特性値として無次元密度(かさ密度を真密度で除したもの)を導入することにより、無次元密度と熱泳動速度のグラフ上で全ての測定データがほぼ一つの線上に乗ることを見いだしている。熱泳動速度は、無次元密度が小さくなると増加するが、無次元密度が0.05程度以下になるとほぼ一定値となり、その値は自由分子流れ領域の粒子の熱泳動速度とほぼ等しくなっている。このような結果について、無次元密度が小さく隙間の多い凝集体構造では自由分子流れ領域に相当するサイズである一次粒子の熱泳動挙動が現象を支配し、無次元密度が大きく隙間の少ない構造となると凝集体全体のサイズでの熱泳動挙動が支配的になってくるためであると考察している。

第4章では、本研究で行った理論的解析について述べている。ここでは一次粒子が非常に微小で自由分子流れ領域の仮定が成り立つとして凝集体をモデル化し、その熱泳動挙動を計算している。一次粒子が数個でかつ幾何学的に単純な形状の凝集体から解析を開始し、熱泳動速度と凝集体形状の関係について論じている。さらにその結果を基にして充填率を変化させて解析をおこない、無次元密度と熱泳動速度の関係について推定している。これらの理論的解析で得られた結果と実験結果に関して比較検討を行い、それらが定性的に一致していることを示し、実験結果について一定の理論的な説明が可能であることを論じている。

第5章では、第1章から第4章の総括を述べている。特に、本研究の結果は、熱泳動挙動が凝集体の無次元密度から算出できるという工学的にも大変有意義なものであることを述べている。

以上のように本論文では、すす粒子を対象とする凝集体の熱泳動挙動に及ぼす凝集体形状の影響に関して、実験と理論的解析の双方から検討した成果に関して述べている。凝集体の熱泳動挙動に影響を及ぼす因子に関して詳細に検討した結果、凝集体の隙間の割合を表す無次元密度に対して定量的な関係があることを明らかにし、理論的解析においても計測された結果と同様の傾向を得ている。このように本論文で得られた結果は、温度勾配のある場で微小粒子の凝集体を扱う際にその粒子の挙動を解析するために非常に重要であり、燃焼学、化学流体力学、化学システム工学への貢献が大きいものと考えられる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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