学位論文要旨



No 125328
著者(漢字) 藤井,美也子
著者(英字)
著者(カナ) フジイ,ミヤコ
標題(和) ヒト血管内皮細胞における核内受容体COUP-TFIIによる遺伝子発現制御解析
標題(洋)
報告番号 125328
報告番号 甲25328
学位授与日 2009.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7172号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 児玉,龍彦
 東京大学 教授 浜窪,隆雄
 東京大学 教授 油谷,浩幸
 東京大学 教授 酒井,寿郎
 東京大学 特任准教授 南,敬
 東京大学 教授 宮園,浩平
内容要旨 要旨を表示する

核内受容体は真核生物において発生・分化やホメオスタシスの維持に重要な役割を果たしている。ステロイドホルモンや甲状腺ホルモンといった細胞外からの刺激を受容し、下流の遺伝子の発現を制御するとされている。核内受容体はDNA結合能を有しており、結合した場所の遺伝子発現を制御することから転写因子としても分類される。最初に発見された核内受容体は、ステロイドホルモンが結合するステロイドホルモン受容体であり、遺伝子のクローニングと配列解析の進歩で、配列の相同性を手掛りとして、多数の核内受容体類似のタンパク質が発見された。ヒトゲノム解読では、類似タンパク質の数は48に達し、これらは核内受容体スーパーファミリーと呼ばれている。ゲノム配列から同定された受容体は当初リガンドが未知であったために、オーファン(孤児)受容体と呼ばれていたが、その後これらの一部が脂肪酸など脂質分子をリガンドとすることが判明し、(養子となって最早孤児でなくなったという意味の)Adapted Orphan Receptorsと呼ばれるようになった。

COUP-TFII(Chicken Ovalbumin Upstream Promoter -Transcription FactorII)は、原始的な生物(ウニ等)からヒトまで全ての後口生物で保存されている核内受容体であり、リガンド不明のオーファン受容体でもある。Apolipoprotein AIというコレステロール代謝に関わる遺伝子のプロモーター上にdimerを形成して結合する遺伝子としてクローニングされた。生化学的な解析により、DR(Direct Repeat)と呼ばれる配列に非常に高いを親和性もって結合すると報告されている。ノックアウトマウスでの解析が行われており、COUP・TFIIへテロノックアウトマウスは2/3が離乳前に死亡し、ホモノックアウトは胎生10日で死亡する。このことから、COUP-TFIIは発生において非常に重要な役割を果たしていることが示唆される。このマウスは頭蓋と心臓の発生が遅延しており、重度の出血、浮腫を胎生9.5日までに起こす。組織学的に解析すると、肥大した血管、動静脈の発生異常、心血管の異常等が見られる。血管新生、血管再構築の異常の原因がAng1・Tie2シグナルの異常に起因するという報告もあり、COUP-TFIIは発生期において間葉系と血管内皮細胞とのシグナル系を制御している可能性は高い。

発現解析によるとCOUP-TFIIは発生期において全ての胚葉において発現しており、その発現分布は上皮に分化しうる間葉系細胞において発現が高い傾向がある。COUP-TFIIの発現が高い組織は唾液腺、心房、肺、胃、膵臓原基、中腎、腎臓、前立腺である。

当初より血管系とのかかわりが指摘されていたCOUP-TFIIであるが、2005年に報告された文献により、血管内皮細胞における動静脈分化機構のキーとなる分子であることが明らかとなった。当時までは静脈はデフォルト分化であり、VEGFからNOTCHシグナルが入った場合のみ動脈に分化すると考えられていた。具体的にはNotchはシグナルが入るとその細胞内ドメインが切り離され核内移行し、標的遺伝子であるephrinB2(動脈のマーカー)とhey1,hey2を活性化し、heyが静脈のマーカーであるEphB4を抑制するというものである。この動脈分化の機構内においてCOUP-TFIIはNotchを抑制し、同時にVEGF受容体の一つであるNP1(Neuropilin1)を抑制することでephrin B2,Heyの発現を抑制することで静脈へと分化させる。報告によると、血管内皮細胞においてCOUP・TFIIを恒常的にノックダウンすると、動脈マーカーであるNP1,ephrinB2,Notchといった分子の発現が上昇し、逆に異所性に発現させると動脈と静脈の境があいまいになる。これらの事象からCOUP・TFIIは血管内皮細胞の分化(特に動静脈分化)に必須の因子であることがわかるが、その詳細なメカニズムはいまだ不明である。

そこで血管内皮細胞における核内受容体COUP-TFIIがヒトゲノム上でどこに結合し、どの遺伝子をどのように発現制御しているのか明らかにするために次の3点の実証的研究を行った。

(1)COUP-TFIIを特異的に認識するモノクローナル抗体を作成し、血管内皮細胞におけるタンパク発現を生化学的、および病理学的に明らかにする。

血管内皮細胞におけるCOUP-TFIIの機能を解析するには優れた抗体が必要である。現段階では未だ内在性のCOUP-TFIIを認識できる抗体がないため、抗ヒトCOUP-TFIIモノクローナル抗体の作成を最初に行った。当研究室で確立されたバキュロウイルスを用いた発現―抗体作成系を用いてヒトCOUP-TFIIの43-64アミノ酸をエピトープとしてマウスモノクローナル抗体H7147を作成した。

作成した抗体の特異性を検討するために、siRNAによるCOUP-TFIIノックダウン細胞を作成した。本研究では血管内皮細胞のモデル細胞としてヒト臍帯静脈内皮細胞(HUVEC)を用いた。COUP-TFIIをノックダウンするように3種類のsiRNAを設計し、終濃度40nMでHUVECにトランスフェクトした。48時間後のRNAを抽出し、定量的PCRにより遺伝子発現量を確認した(図1A)。設計したsiRNAによりRNAレベルでCOUP-TFII遺伝子発現が抑制されたことを確認した。次に同条件にてタンパク質抽出を行い、作成した抗ヒトCOUP-TFII抗体を用いて、ウエスタンブロットにてタンパク質発現量を確認した(図1B)。コントロールでは予想されるサイズのバンドを検出し、siRNAではこのバンドが消えることから、HUVEC内因性のCOUP・TFIIが検出できたことがわかり、COUP・TFII特異的抗体が作成できたと言える。この抗体を用いて、ヒト胎児10週組織の免疫染色を行った(図2)。二種類の血管組織を免疫染色した。COUP-TFIIは冠動脈(A、矢印)においても、大動脈(B、矢印)においても染色されなかったが、冠静脈(A、矢頭)、毛細血管(B、矢頭)の内皮細胞に発現していた。ヒト血管組織ではCOUP-TFIIは、動脈系以外の細胞に発現することが分かった。

(2)COUP-TFIIの結合部位を明らかにするためHUVECにおけるChIP-seq法を開発し、ゲノムワイドに結合解析を行った。

血管内皮細胞においてCOUP-TFIIにより発現調節を受けている可能性のある遺伝子を特定するため、COUP-TFIIをノックダウンした場合のHUVECでの全遺伝子の発現量変化をマイクロアレイ解析により検討した。COUP-TFIIノックダウンにより発現が2倍以上に誘導された遺伝子は274遺伝子であり、また発現が半分以下に抑制された遺伝子は145遺伝子であった。COUP-TFIIが転写因子として、遺伝子発現制御をしている可能性のある遺伝子が多数あることが分かった。しかし発現アレイでは直接的、間接的制御の両方を含むので、発現調節の機序が、プロモーター領域におけるCOUP-TFIIの直接的な結合による遺伝子を明らかにするためにChIP-sequence法を行った。HUVECのゲノムとタンパク質をホルマリンによりクロスリンクしたのち、抗ヒトCOUP・TFII抗体を用いてクロマチン免疫沈降実験を行い、COUP-TFIIに結合しているDNAを回収した。イルミナ社のSOLEXA 1G Genome Analyzerという高速シーケンサーを用いて回収したDNAの塩基配列を解読した。その結果、発現アレイ解析でCOUP-TFIIノックダウンによる発現誘導が最上位であったGDF15(growth differentiation factor 15)遺伝子のプロモーター領域にCOUP-TFIIの強い結合を確認した(図3)。

(3)開発されたChIP-seqでの結合解析の妥当性を明らかとするため、結合の顕著であった領域が、実際に遺伝子制御にかかわっていることを検証する。

COUP-TFIIの標的遺伝子として予想されたGDF15に転写活性があるか検討するため、レポーターアッセイを行った。GDF15遺伝子のプロモーター領域をクローニングし、pGL3 basicに組み込むことでFireflyルシフェラーゼコンストラクトを作成した。COUP-TFIIの発現していないCOS7細胞にGDF15(-628/+32)-lucベクターとCOUP-TFIIを共トランスフェクションし、ルシフェラーゼ活性を測定した(図4A)。GDF15(-628/+32)-lucベクターのみで活性が見られ、この領域にプロモーター活性があることが確認できた。そこへCOUP-TFIIを強制発現させることによりルシフェラーゼ活性が減少した。このことからCOUP-TFIIによる発現抑制があることが示唆された。次に、COUP-TFIIの濃度を変えレポーターアッセイを行った。COUP-TFIIの濃度依存的にGDF15遺伝子のプロモーター活性は減少していった(図4B)。

これらのことからCOUP-TFIIは、確かにGDF15プロモーター領域に結合し、GDF15の転写に抑制的に働くことが確認された。

本研究により、h COUP-TFIIに特異的なモノクローナル抗体を作成し、ヒト血管内皮細胞でのタンパク質発現を示した。またHUVECにおいて発現アレイによりCOUP-TFIIの標的遺伝子を網羅的に解析した。作成した抗体を用いたChIP-seq法によりゲノムワイドにCOUP-TFII結合領域を同定した。発現アレイ解析とChIP-seq解析を組み合わせることでCOUP-TFIIの新規標的遺伝子を探索できる。その結果、GDF15遺伝子が候補として考えられ、レポーターアッセイによりChIP-seq法で示された結合がGDF15の転写誘導の抑制に関与していることが示された。以上の結果より、ChIP・seq法でシグナルのあった他の遺伝子についても同様にCOUP-TFIIによって制御されている可能性があり、ChIP-seq法がCOUP-TFIIの新規標的同定に有用であることを示唆している。

図1

図2

図3

図4

審査要旨 要旨を表示する

核内受容体は真核生物において発生・分化やホメオスタシスの維持に重要な役割を果たしている。Chicken Ovalbumin Upstream Promoter - Transcription Factor (COUP-TF) は原始的な生物(ウニ等)からヒトまで全ての後口生物で保存されている核内受容体であり、リガンド不明のオーファン受容体でもある。ヒトでは現在までにCOUP-TFI、COUP-TFII、COUP-TFγの3種類が報告されている。COUP-TFIIはDNA結合能を有しており、結合した場所の遺伝子発現を制御することから転写因子としても分類される。生化学的な解析により、COUP-TFは二量体として存在し、Direct Repeat (DR)と呼ばれるAGGTCAの繰り返し配列に非常に高い親和性をもって結合すると報告されている。COUP-TFIIノックアウトマウスの解析によりCOUP-TFIIのmutantでは肥大した血管、動静脈の発生異常、心血管の異常等が見られ、発生において非常に重要な役割を果たしていることが示唆されている。COUP-TFIIは発生期において間葉系と血管内皮細胞とのシグナル系を制御している可能性があり、一般に抑制型転写因子と考えられているが、抑制メカニズムは現段階では不明である。

本研究では、血管内皮細胞におけるCOUP-TFIIの機能を明らかにするために次に挙げる実証的研究を行った。

(1) COUP-TFIIを特異的に認識するモノクローナル抗体の作製

血管内皮細胞におけるCOUP-TFIIの機能を解析するには優れた抗体が必要である。現段階では未だ内在性のCOUP-TFIIを認識できる抗体がないため、抗ヒトCOUP-TFIIモノクローナル抗体の作製を行った。当研究室で確立されたバキュロウイルスを用いたタンパク質発現法と抗体作製系を用いてヒトCOUP-TFIIの43-64アミノ酸をエピトープとしてマウスモノクローナル抗体を作製した。

(2) Chromatin immunoprecipitation with deep sequencing (ChIP-seq)を用いた結合領域の探索、マイクロアレイを用いたCOUP-TFIIの下流遺伝子の解析

血管内皮細胞のゲノム上でのCOUP-TFII結合領域を明らかにするためChIP-seqを行った。COUP-TFII抗体を用いたChIP-seqはクロマチン構造を維持した状態で免疫沈降実験を行い、COUP-TFIIとゲノムの複合体を沈降させ、そのゲノムの塩基配列を決定することでCOUP-TFIIの結合領域を同定する手法である。本研究では血管内皮細胞のモデル細胞としてヒト臍帯静脈内皮細胞(HUVEC)を用いた。ChIP-seqの結果COUP-TFIIは遺伝子の転写開始点上流1 kb以内に多く結合していることが分かり、遺伝子のプロモーターを制御していることが示唆された。

血管内皮細胞においてCOUP-TFIIにより発現調節を受けている可能性のある遺伝子を特定するため、COUP-TFIIをノックダウンした場合のHUVECでの全遺伝子の発現量変化をマイクロアレイ解析により検討した。ChIP-seqでプロモーター領域に結合が見られ、COUP-TFIIノックダウンにより顕著に遺伝子発現量の増加したgrowth differentiation factor 15 (GDF15)遺伝子に着目した。

(3) レポーターアッセイによる転写制御解析

COUP-TFIIの標的遺伝子として予想されたGDF15に転写活性があるか検討するため、レポーターアッセイを行った。GDF15遺伝子のプロモーター領域をクローニングし、ルシフェラーゼコンストラクトを作製した。COUP-TFIIの発現していないCOS7細胞にGDF15 -luc ベクターとCOUP-TFIIを共トランスフェクションし、ルシフェラーゼ活性を測定した。その結果GDF15の転写活性はCOUP-TFIIの濃度依存的に減少することが分かった。このことからCOUP-TFIIによる発現抑制があることが示唆された。また、Genomatix (Genomatix Software GmbH)を用いたGDF15のプロモーター領域のDR配列を検索した結果、3か所あることがわかり、DR-A、DR-B、DR-Cとした。DR配列に変異を加え、それぞれのDRを潰したコンストラクトを作製し、HUVECにて内在性COUP-TFIIによる転写活性を測定した。その結果DR-Cを潰すことで活性が2.3倍に上昇した。COUP-TFIIによる抑制が解除されたと考えられる。

本研究は血管内皮細胞におけるCOUP-TFIIの機能解明を目的に行い、COUP-TF IIに特異的なモノクローナル抗体の作製、ChIP-seqによる結合領域の同定、マイクロアレイによる下流遺伝子の同定を行った。ChIP-seqとマイクロアレイの結果から、COUP-TFIIがGDF15のプロモーター領域に結合し、抑制的に制御するという仮説を導き、レポーターアッセイにより仮説の検証を行った。検証の結果、COUP-TFIIがGDF15の遺伝子発現を抑制的に制御することを明らかにした。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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