学位論文要旨



No 125339
著者(漢字) ウォンパニット,カニカ
著者(英字) WONGPANIT,Kannika
著者(カナ) ウォンパニット,カニカ
標題(和) 齧歯類の胎児卵巣と成体黄体における抗アポトーシス因子の発現変化
標題(洋) Changes in expression of anti-apoptotic factor, cellular FLICE-like inhibitory protein, in foetal ovaries and adult corpora lutea in rodents
報告番号 125339
報告番号 甲25339
学位授与日 2009.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3479号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 眞鍋,昇
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 九郎丸,正道
 東京大学 准教授 金井,克晃
内容要旨 要旨を表示する

成熟した哺乳類の卵巣には、胎児期に有糸分裂を終えて減数分裂を途中で停止した卵母細胞を卵胞上皮細胞が包み込んだ状態の原始卵胞が数万~数十万個含まれている。性周期毎に原始卵胞の一部が発育を開始して成熟した後排卵に至るが、この過程で99%以上の卵胞が選択的に閉鎖してしまい、排卵に至るのは極わずかである。排卵後、卵胞の細胞は再度分化して黄体細胞となり、黄体を形成する。妊娠した場合は、妊娠黄体として妊娠の維持につとめ、妊娠しない場合は速やかに退行して次の排卵を促す。この黄体の発育と維持および的確な退行は、妊娠の維持あるいは安定した性周期の起動と維持に対して支配的な役割を果たしている。黄体の退行に異常がある場合には性周期が乱れたり停止したりすることによって排卵不全に陥って不妊となり、効率的な増殖が阻害されるので、適切に黄体を退行させる手法を開発することは繁殖学の重要な課題である。しかし黄体の維持と退行を調節している分子機構には種族差があることが知られており、かつ未解明な点が多い。近年の研究から、卵胞の選択的閉鎖は卵胞上皮細胞のアポトーシスによって支配的に調節されていること、および卵胞上皮細胞では細胞死リガンド・受容体系(主にFas ligand・Fas系が発現している)に依存するアポトーシスシグナルの細胞内伝達を阻害する抗アポトーシス因子(cellular FLICE-1ike inhibitory protein:cFLIP)が発現しなくなった場合に細胞が死滅することなどが分かってきている。この抗アポトーシス因子には2種類のスプライシングバリアントがある。分子量の大きなスプライシングバリアント(cFLIPL)の構造はプロカスパーゼー8(FLICEとも呼ばれ、分子内に2つのdeath effector domain:DEDとタンパク分解酵素ドメインをもつ)と似た構造をしており、分子内に2つのDEDとタンパク分解酵素様偽酵素ドメインをもつ。小さなcFLIPsは、偽酵素ドメインが欠損しており、2つのDEDのみをもつ。主にcFLIPLはプロカスパーゼー8と、cFLIPsはアダプタータンパク[Fas-associated death domain(FADD):細胞死受容体の直下にあって分子内に2つのDEDをもつ]と各々のDED同士がホモフィリック結合することを介して複合体を形成する。このようにしてcFLIPはFADDとプロカスパーゼー8との会合を阻害し、その結果としてプロカスパーゼー8の活性化が阻止されて細胞内アポトーシスシグナル伝達が停止する。このような分子機構で卵胞上皮細胞の生存と死滅を制御している抗アポトーシス因子が、同様に細胞死リガンド・受容体系が発現している黄体細胞でも細胞の生存と死滅の制御に関わっているのではないかと考え、実験動物として多くの基盤的研究に用いられている齧歯類(マウス、シリアンハムスターおよびラット)を材料として本研究を行った。まず胎児期の卵巣の始原生殖細胞などの生存に抗アポトーシス因子が重要に関わっていることが分かり、ついで卵胞の細胞が再分化して形成される黄体細胞でもcFLIPが生存と死滅の制御に関して重要な役割を果たしていることが分かった。

第一章では、妊娠したマウス、シリアンハムスターおよびラットを材料として用い、各々の胎児の発生にともなう生殖腺における始原生殖細胞やそれを取り囲む間質細胞におけるcFLIPの発現の推移を調べた。個々の生殖腺におけるcFLIPLとcFLIPsのmRNAとタンパクの発現レベルを各々RT-PCR法とWestern blot法にて調べた結果、マウスとシリアンハムスターにおいてはcFLIPsが始原生殖細胞が体細胞分裂を繰り返す時期である妊娠中期から後期にかけての胎児の生殖腺に高発現していたが、ラットでは比較的初期から高発現を維持していることが分かった。生殖腺の連続組織切片を作製して免疫組織化学染色法にてcFHPと細胞分裂の指標であるproliferating cell nuclear antigen(PCNA)の局在を、 TUNEL染色法にてアポトーシス細胞の局在を調べたところ、cFLIPは細胞分裂を盛んに行っている始原生殖細胞に高発現しており、これの周辺の問質細胞にも発現していることが分かった。このような局在性は妊娠期間が短いシリアンハムスターでより明瞭であった。胎児期の生殖腺においては、主にcFLIPsがアポトーシスシグナル伝達を抑制して細胞死を阻止することで始原生殖細胞の増殖に役立っていることが推測された。

第二章では、性周期および妊娠の推移にともなうマウスの黄体におけるcFLIPの発現と局在の変化を調べた。マウスの性周期は4~5日であるので、膣垢試験およびELISA法にて測定した末梢血中プロゲステロン濃度に基づいて性周期ステージを発情前期、発情期、発情後期および発情間期に分類した後、各ステージの卵巣から黄体を個別に取り出した。組織の一部を用いて個々の黄体におけるcFLIPLとcFHPsのmRNAとタンパクの発現レベルを各々RT-PCR法とWestern blot法にて調べた結果、マウスではcFLIPLは検出できず、黄体が速やかに発育する発情後期をピークとしてcFLIPsが高発現していることが分かった。残りを用いて連続黄体組織切片を作製し、cFLIPおよびPCNAの局在を免疫組織化学染色法にて、アポトーシス細胞の局在をTUNEL染色法にて調べた結果、発情後期の黄体細胞の細胞質中に強いcFLIP陽性反応が観察され、この染色性は退行に伴って速やかに低下した。同様にして妊娠期間の20日間を通じてcFLIPの発現と局在の変化を調べたところ、妊娠中期(10.5~16.7日)の黄体細胞にcFLIPsが高発現していたが、 cFLIPLは検出できなかった。マウスの発育期および機能期の黄体の黄体細胞においては、cFHPsがアポトーシスシグナル伝達を阻害して細胞死を阻止し、黄体退行を停止させていると考えられた。

第三章では、前章と同様にしてシリアンハムスターの黄体におけるcFLIPの発現と局在の性周期および妊娠の推移にともなう変化を調べた。シリアンハムスターの性周期は4日である。マウスと同様にシリアンハムスターの黄体細胞でもcFLIPsは発情後期をピークとして高発現していた。しかし性周期中を通じて極低レベルのcFLIPLの発現が認められた。妊娠期間の17日間を通じてcFHPの発現と局在の変化を調べたところ、妊娠初期から中期(5.5~9.0日)の黄体細胞に主にcFLIPsが高発現しており、妊娠期間を通じて極低レベルのcFLIPLが発現し続けていることが分かった。シリアンハムスターの発育期および機能期の黄体の黄体細胞においては、主にcFLIPsがアポトーシスシグナル伝達を抑制して細胞死を阻止し、黄体の退行を阻害していることが推測されたが、極低レベル発現しているcFLIPLの役割は不明であり、今後の研究に委ねなくてはならない。

第四章では、第二章と同様にしてラットの黄体におけるcFLIPの発現と局在の性周期および妊娠の推移にともなう変化を調べた。ラットの性周期は4~5日である。マウスやシリアンハムスターと異なって発情後期をピークとして両スプライシングバリアント(cFLIPLとcFHPs)が高発現していた。妊娠期間の21日間を通じてcFHPの発現と局在の変化を調べたところ、妊娠中期(9.0~13.5日)の黄体細胞にcFHPsとcFLIPsとが高発現していることが分かった。ラットの発育期および機能期の黄体の黄体細胞ではcFLIPsとcFLIPsが高発現してアポトーシスシグナル伝達を抑制し、その結果細胞死が阻止されて黄体退行が阻害されていると考えられた。

本研究によって、cFLIPは、貴重な実験動物である謁歯類3種の性周期中および妊娠期間中の黄体細胞において細胞死リガンド・受容体を介したアポトーシスシグナルの伝達を細胞内で阻害することで生存因子として働き、黄体細胞の生存と死滅の制御に支配的に関わっていることが分かった。cFLIPは、このような機構を介して黄体退行の調節に重要な役割を果たしていると考えらる。また2種あるスプライシングバリアントのうちのどちらを用いるのか種間で異なることが明らかとなった。このことはcFLIPの発現を調節する機構が種間で異なることを示唆している。

審査要旨 要旨を表示する

成熟した哺乳類の卵巣には胎児期に有糸分裂を終えて減数分裂をディプロテン期で停止した卵母細胞を卵胞上皮細胞が包み込んだ状態の原始卵胞が数万~数十万個含まれている。性周期毎に原始卵胞の一部が発育を開始して成熟した後排卵に至る。排卵後、卵胞の細胞は再度分化して黄体細胞となり、黄体を形成する。妊娠した場合は妊娠黄体として妊娠の維持につとめ、妊娠しない場合は速やかに退行して次の性周期を起動する。この黄体の発育と維持および的確な退行は、妊娠の維持あるいは安定した性周期の起動と維持に対して重要な役割を果たしており、黄体退行に異常がある場合には性周期が乱れたり停止したりすることによって排卵不全に陥って不妊となって増殖が阻害されるので、適切に黄体を退行させる手法を開発することは繁殖学の重要な課題である。しかし黄体の維持と退行を調節している分子機構には種族差があり、未だに不明点が多い。近年の研究から、黄体の前駆組織である卵胞の選択的閉鎖は卵胞上皮細胞における細胞死リガンド・受容体依存性アポトーシスによって支配的に調節されていること、健常卵胞の上皮細胞ではシグナル伝達が抗アポトーシス因子(cellular FLICE-like inhibitory protein: cFLIP)によって阻害されており、これの発現が停止した場合に細胞が死滅して卵胞が閉鎖することなどが分かってきている。しかし排卵後に卵胞の細胞が再分化して形成される黄体の細胞においてもこのような細胞死制御機構が働いているか否か不明である。

申請者は重要な実験動物の齧歯類(マウス、シリアンハムスター、ラット)を材料として、まず胎児期の生殖腺の始原生殖細胞とそれを取り囲む間質細胞などにおけるcFLIPの発生にともなう発現と局在の推移を調べた。マウスとシリアンハムスターにおいてはcFLIPSが始原生殖細胞が体細胞分裂を繰り返す妊娠中期から後期にかけて始原生殖細胞と間質細胞に高発現していること、ラットでは比較的初期から高発現を維持していることを明らかにした。ついで申請者は各動物の黄体におけるcFLIPの発現と局在の性周期と妊娠にともなう変化を比較した。マウスでは、cFLIPLが検出されないこと、性周期中は黄体が速やかに発育する発情後期をピークとしてcFLIPSが黄体細胞に高発現しており、黄体退行に伴って速やかに低下すること、妊娠動物では妊娠中期の黄体細胞にcFLIPSが高発現していることなどが分かった。シリアンハムスターでは、性周期中は発情後期をピークとして黄体細胞にcFLIPSが高発現しており、黄体退行に伴って速やかに低下すること、性周期中を通じて黄体細胞に低レベルのcFLIPLが発現し続けること、妊娠動物では妊娠初期から中期の黄体細胞にcFLIPSが高発現し、cFLIPLは妊娠期間を通じて低レベル発現し続けていることなどが分かった。ラットにおいては、マウスやシリアンハムスターと異なって発情後期をピークとして黄体細胞にcFLIPLとcFLIPSが高発現しているおり、黄体退行に伴って速やかに低下すること、妊娠中期の黄体細胞にcFLIPSとcFLIPSとが高発現していることなどが分かった。

以上のようにいくつもの新規知見を含む申請者の研究によって、cFLIPは貴重な実験動物である齧歯類3種の性周期中および妊娠期間中の黄体細胞において細胞死リガンド・受容体を介したアポトーシスシグナルの伝達を細胞内で阻害することで生存因子として働き、黄体細胞の生存と死滅の制御に支配的に関わることで黄体退行の調節に重要な役割を果たしていると考えられた。また種間で2種あるスプライシングバリアントのどちらを用いるのか異なることが明らかとなり、cFLIPの発現を調節する機構が種間で異なると考えられた。申請者の研究業績をとりまとめた論文の内容および関連事項について試験を行った結果、審査委員一同が博士(農学)の学位を受けるに必要な学識を有する者と認め、合格と判定した。

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