学位論文要旨



No 125348
著者(漢字) 垣本,悠太
著者(英字)
著者(カナ) カキモト,ユウタ
標題(和) 数理モデル及び脳波解析を用いた視覚認知過程に関する研究
標題(洋) A Study on Visual Recognition Processes with Mathematical Models and EEG Analyses
報告番号 125348
報告番号 甲25348
学位授与日 2009.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第510号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 複雑理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 合原,一幸
 東京大学 教授 鳥海,光弘
 東京大学 教授 岡田,真人
 東京大学 准教授 眞溪,歩
 東京大学 准教授 河野,崇
 東京大学 講師 小林,徹也
内容要旨 要旨を表示する

1.General Introduction

視覚認知過程は生物にとって不可欠な能力である.外界の情報は感覚器官を通して脳神経系に伝達され,その情報が処理され知覚や行動が生み出される.視覚刺激に対する行動的,神経的応答とともに,主観的な知覚の生成は大変興味深い研究課題である.近年の脳機能計測法の発達により,主観的な視知覚に対応する脳部位が明らかになってきている.これらの研究から,視覚情報処理に関与すると考えられている視覚領野内においても,その部位に応じて主観的な視知覚との対応に大きな差があることが示されている.多くの研究の示すことは,後頭葉の初期視覚野よりも側頭葉の高次視覚野の活動が主観的な視知覚と強く相関をもつことである.また視覚野に限らず前頭葉,頭頂葉の寄与が不可欠であることが示唆されてきている.しかし視覚認知過程,特に視覚入力から主観的な視知覚が生み出され仕組みは未だ解明されていない.

本論文の目的は,主観的な視知覚の生成過程を明らかにすることである.上記の背景を踏まえ,とくに視覚野に限らない脳の広範囲にわたる協調的な活動に注目した.第2章では両眼視野闘争という現象についての数理モデル研究について述べる.第3章,第4章では視覚認知過程における脳活動の変化を捉えるための脳波計測実験について述べる.第5章で本論文全体に関して議論を行い,結論を述べる.

2.Hierarchical CNN model for multistable binocular rivalry

第2章では,主観的知覚の生成過程についての数理モデル研究として,多安定両眼視野闘争の数理モデル化について述べる.左右の眼に異なる2つの画像を呈示すると,それらを重ね合わせた画像は知覚されず,左右眼に呈示された画像が交互に知覚される.この現象は両眼視野闘争と呼ばれており,精力的に研究が行われている.左右眼の呈示画像が適当な組み合わせのとき,3つ以上の安定な知覚状態が存在することが知られている(図1).この多安定な両眼視野闘争においては,同じ図形的特徴を有する知覚の間での交替が起きやすくなるという報告がなされている.この報告から,図形の特徴をコードする高次の脳領域が知覚交替に影響を与えていることが示唆される.この多安定両眼視野闘争における知覚交替の偏りのモデルとして,階層型のニューラルネットワークによるモデルを提案した.

ネットワークは上位層,下位層の2つの階層を持ち,各々カオスニューロン素子で構成される.層間の結合にはプレディクティブコーディングを採用し,フィードバック結合は上位層による下位層の活動の予測を,フィードフォワード結合はその予測と実際の下位層の活動の差分を送る.下位層,上位層の各層はそれぞれ複数のパターンを自己想起型連想記憶として保持し,上位層のあるパターンが下位層の複数の記憶パターンを想起するように層間に結合をもつ.

このネットワークに下位層の記憶パターンの中間のパターンを入力すると,両階層ともに各層の記憶パターンの間で遷移する活動が見られた.各記憶パターンに留まる時間の長さはガンマ分布となり,これは先行研究の結果と一致する.また下位層において,ペアとなったパターンの間での遷移確率が高くなる傾向がみられた.これらの結果は,多安定な両眼視野闘争において上位層からのフィードバックが重要な役割を果たすこと,またカオス的な状態遷移が知覚遷移のメカニズムとして働いている可能性を示唆する.

3.Spatio-Temporal Dynamics of Theta Band Phase Synchronization in Active Perceptual Construction

第3章では,視覚認知過程における脳活動の時空間的変化,とくに同期現象に着目した脳波計測実験について述べる.本研究では二値画像を被験者に呈示し,能動的な視覚認知過程における脳活動の変化を観測した.二値画像とはモノトーン画像を適当な閾値で白と黒に二値化した画像で,一見では画像内容を把握することが困難であるが,適切な解釈のもとでは容易かつ頑強に画像内容を認知することができる(図2).被験者は未知の二値画像を呈示され,画像に描かれているものが分かったときにボタン押しで報告した.その際の脳活動を脳波計を用いて計測した.

その結果,ボタン押しの直前まで右前頭葉においてシータ波の顕著な活動が見られた.このシータ波の果たす機能的役割を調べるため,各EEGチャネル間の位相同期を解析した.

位相同期の指標としてPLVを用い,大域的な脳領域間の同期を見るために,left frontal (LF),midline frontal (MF),right frontal (RF),left temporal (LT),right temporal (RT),parietal (P),occipital (O) の各領野を定義し,そこに含まれるチャネル間のPLVの平均を計算した.その結果RF,LT,P,Oの間で相互にシータ同期が起き,時間とともに変化していくことが示された.具体的にはボタン押しの約1.3秒前(t1)にLT-PとP-O,約0.9秒前(t2)にRF-P,約0.7秒前(t3)にRF-LT,RF-O,LT-P,LT-Oで有意な位相同期を観測した(図3).

画像の切り替わりを判断する課題において,被験者の平均反応時間は626±118 msであったこと,また視覚認知に対応して前頭葉,側頭葉,後頭葉を含む広い領域で同期が起きることが先行研究で報告されていることから,t3のシータ同期が画像の認知に対応する脳活動であると考えられる.シータ同期はこれまで主に記憶機能との関わりが議論されてきたが,近年ワーキングメモリーのエグゼクティブファンクションとの関わりが強く示唆されている.多くの報告に共通することは,前頭葉・頭頂葉間のシータ同期であり,これはt2における同期と一致する.またRF-Pの同期はt2にピークを持っているが,少なくともボタン押しの3秒前から持続的に同期が強まっている.これはRF-P同期とエグゼクティブファンクションとの対応を支持する結果である.一方でt1における同期は,先行研究との対応からその機能的役割を断定することは困難である.二値画像認知においては,画像の各部分に矛盾の無い対応付けを行うボトムアップ的作業と,記憶との照合というトップダウン的作業の2つが要求される.このことから,頭頂葉をハブとした側頭葉,後頭葉の同期の機能として,視覚入力と記憶とのマッチングが考えられる.しかし現段階ではこの仮説について決定的な判断を下すことは困難であり,さらなる研究が必要である.

4.Brain Activities for Active Perceptual construction of Degraded Images with intermittent masking

第4章では第3章と同様に二値画像を呈示刺激として用いた脳波計測実験について述べる.本実験では被験者に未知の二値画像を間欠的に呈示した.二値画像刺激の呈示時間は300msとし,間にマスク刺激を700ms呈示した.

本実験においても右前頭葉に持続的なシータ波を観測した.このことは間欠呈示の条件でも持続呈示の条件と同様の脳活動,特にシータ波に依存する脳活動が起きていることを示唆する.一方で間欠呈示条件に特有の脳活動として,右頭頂葉にアルファ波を観測した.このアルファ波はマスク期間にのみ観測され,またボタン押しの3秒前から直前までのマスク期間で有意であった(図4).アルファ波と認知過程との対応については,非常に多数の報告がなされている.それらの報告では知覚,注意,記憶など幅広い機能へのアルファ波の関わりが示唆されている.本実験で観測されたアルファ波は,マスク期間にのみ観測されている.従って,視覚刺激の一時的な保持のための短期記憶としての役割が示唆される.このことから,脳内では視覚刺激のない期間にも視覚刺激の情報を保持し画像の意味の構築が進められていること,またその過程には視覚刺激がある場合とは異なる機構が関与している可能性が示唆される.

5.General Conclusion

本論文では主観的な視知覚の生成過程,とくにその際の脳内の大域的な相互作用を明らかにすることを目的とした.第2章では数理モデル研究により,両眼視野闘争における主観的な知覚の変化に抽象的な情報をコードする高次の領野が寄与していることが示された.第3章では,二値画像知覚時におけるシータ同期の時空間的変化を明らかにした.視覚認知の完成には前頭葉,側頭葉,後頭葉の間での同期が,その準備段階では頭頂葉を介した側頭葉,後頭葉での同期が起きることが明らかになった.またその切り替わりに際し前頭葉と頭頂葉の間での同期が強まることが示された.第4章では二値画像の間欠呈示により,視覚入力のない期間において通常とは異なる情報処理が進行することが明らかになった.

以上の結果から,主観的な視知覚の生成において,視覚領野に限らず前頭葉,頭頂葉が重要な役割を果たしていると考えられる.前頭葉と視覚領野との間の同期は,視覚認知そのものとの対応が示唆される.このことは多くの先行研究と一致する結果である.一方で頭頂葉を中心とした側頭葉,後頭葉を含む同期,および第4章での結果は,頭頂葉の活動が主観的な視知覚そのものよりも,むしろその生成に関して重要な役割を果たしていることを強く示唆するものである.

図1:多安定両眼視野闘争の例

図2:二値画像の例

図3:領野間の同期の時間変化.黒線が,2本の青線のうち上の線を上回っていれば同期,下の線を下回っていれば脱同期していることを示す(P < 0.05).

図4:チャネルP4におけるアルファ波のT-Fマップおよびアルファ波のトポグラフィーマップ

審査要旨 要旨を表示する

視覚認知過程は多くの生物にとって基本的かつ不可欠な能力である。外界の情報は感覚器官を通して脳神経系に伝達され、その情報が処理され知覚や行動が生み出される。視覚刺激に対する行動的、神経的応答とともに、主観的な知覚の生成は大変興味深い重要な研究課題である。

本論文では、数理モデル及び脳機能計測によって、主観的な視知覚の生成機構を明らかにすることを目的としている。第2章において両眼視野闘争についての数理モデル研究について述べ、第3章、第4章では視覚認知過程における脳活動の変化を捉えるための脳波計測実験について述べている。第1章は導入、第5章で本論文全体に関して議論を行い、結論が述べられている。

第2章では、主観的知覚の生成過程についての数理モデル研究として、多安定両眼視野闘争の数理モデル化について述べている。両眼視野闘争とは、左右の眼に異なる2つの画像を呈示した際に、それらを重ね合わせた画像ではなく左右眼に呈示されたそれぞれの画像が交互に知覚される現象である。この両眼視野闘争の特別な場合として、左右眼の呈示画像が適当な組み合わせのとき、3つ以上の安定な知覚状態が存在することが知られている。この多安定な両眼視野闘争においては、同じ図形的特徴を有する知覚の間での交替が起きやすくなるという報告がなされている。この報告から、図形的特徴という高次の情報を処理する脳内部位が知覚交替に影響を与えていることが示唆される。この多安定両眼視野闘争における知覚交替の偏りのモデルとして、階層型のカオスニューラルネットワークによるモデルを提案している。このモデルは多安定両眼視野闘争に見られる特徴をよく再現するもので、この現象に高次領野から低次領野へのフィードバックが重要な役割を果たすこと、またカオス的な状態遷移が知覚遷移のメカニズムとして働いている可能性があることを議論している。

第3章では、視覚認知過程における脳活動の時空間的変化、とくに同期現象に着目した脳波計測実験について述べている。本研究では二値画像を被験者に呈示し、能動的な視覚認知過程における脳活動の変化を観測している。二値画像とはモノトーン画像を適当な閾値で白と黒に二値化した画像である。この画像は一見では画像内容を把握することが困難であるが、適切な解釈のもとでは容易かつ頑強に画像内容を認知することができる。二値画像の内容認知に対応する神経活動はこれまで報告されていないが、本研究によって前頭、側頭、後頭を相互に結ぶシータ波の同期現象が重要な役割を果たしていることが示唆された。また、上記の同期活動に先行して、側頭と頭頂、後頭と頭頂をそれぞれ結ぶシータ波の同期現象が同時に起きることを明らかにしている。この同期現象の機能的役割に関して、頭頂領野において外部入力と内的に保持された情報との対応付けを行っている可能性を考察している。

第4章では、第3章と同様に二値画像を呈示刺激として用いた脳波計測実験について述べている。本研究では被験者に二値画像を間欠的に呈示し、視覚刺激がない状況において、内的に保持された情報がどのように処理されるかを検討している。その結果、間欠呈示に特有の脳活動として、右頭頂葉にアルファ波を観測した。このアルファ波は二値画像刺激を呈示していないマスク期間にのみ観測され、被験者が内容認知の報告をする3秒程度前から続くものである。このアルファ波の機能的役割として、視覚刺激の一時的な保持のための短期記憶としての役割を検討している。アルファ波と認知過程との対応については、非常に多数の報告がなされており、知覚、注意、記憶など幅広い機能へのアルファ波の関わりが示唆されている。また顕著なアルファ波の観測が休息状態に対応するという報告もある。しかし比較のための実験の結果、マスク期間中に観測されたアルファ波が二値画像の内容把握に積極的な役割を果たしていることを本論文中で示している。

以上のように、本論文では視覚認知過程、特に主観的な知覚という未知なことの多い現象について、数理モデル及び脳波計測実験によって新たな知見を獲得することに成功している。特にそれぞれの研究において脳神経活動の時空間ダイナミクスに焦点を当て、各領野間での相互作用の時間変化を明らかにしている。これらの研究により、視覚認知メカニズムの解明について理論的、実験的両面から貢献することが期待できる。

なお、本論文第2章は合原一幸と、第3、4章は川崎真弘、山口陽子及び合原一幸との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析、実験及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク