学位論文要旨



No 125355
著者(漢字) 杉本(吉川),ひとみ
著者(英字)
著者(カナ) スギモト(キッカワ),ヒトミ
標題(和) Bacillus cereus group内の種間差異に関する研究 : Bacillus anthracis特異的溶解酵素PlyGの解析を中心に
標題(洋)
報告番号 125355
報告番号 甲25355
学位授与日 2009.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第517号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上田,卓也
 東京大学 教授 渡邉,俊樹
 東京大学 准教授 田口,英樹
 東京大学 准教授 津本,浩平
 東京大学 准教授 鈴木,穣
内容要旨 要旨を表示する

1.研究の背景と目的

Bacillus cereus groupはグラム陽性有芽胞桿菌の1グループであり、土壌をはじめとする環境中に広く生息する。このグループ内での細菌はもとは1種であるともいわれており、互いに極めて近縁でその識別は困難である。そのうちヒトに病原性をもつものとしてB. anthracis(炭疽菌)とB. cereus(セレウス菌)が挙げられ、前者は炭疽、後者は食中毒の原因となる。

γphageはB. anthracis特異的に感染するphageであり、その溶菌酵素lysin(PlyG)もB. anthracisにのみ溶菌活性を示すことが報告されている。これまでに近縁種に感染する他のphage lysinとの相同性が低いPlyGのC末79アミノ酸残基(PlyGB)がB. anthracisへの特異的な結合に関わることを明らかにされているが、触媒部位の解析あるいは詳細な結合部位の研究は行われていない(Fig. 1)。そこで本研究では、PlyGのN末の触媒ドメインの変異体を用いた分析及びPlyGBとB. anthracisの結合の詳細な解析を行うことにより、PlyGのB. anthracis特異的溶菌メカニズムを解明することを目的とした。

さらに、B. cereus の動物への感染ルートのひとつとして、土壌由来のものによる汚染が挙げられ、環境中のB. cereusの動態を知ることは感染のコントロールに役立つ可能性がある。しかし、Bacillus cereus groupの環境由来株の解析は世界的にもあまり行われておらず、日本ではこれまで報告がない。そこで、土壌からB. cereus野生株を単離し、食中毒原因細菌の多型解析に用いられるVariable number tandem repeat (VNTR)により分析した。

2. γphage由来B. anthracis細胞壁特異的溶解酵素PlyGの解析

2.1. PlyG触媒ドメインの解析

PlyGのC末78アミノ酸残基(PlyGB)が、B. anthracisへの特異的な結合に関わることが報告されているため、PlyGの触媒活性に関わる部位は、PlyGB以外の領域で他のlysinとの相同性が高いN末側155アミノ酸残基に存在していることが予想される。本研究では、PlyGの触媒ドメインの解析を行った。

PlyGの触媒ドメインはT7 lysozymeの触媒ドメインと相同性が高い。T7 lysozymeでは5残基が活性に関わると予想されており、うち3残基について部位特異的変異体を用いた解析がなされている。また、PlyGの触媒ドメインと90%のホモロジーを持つB. anthracis prophage由来endolysin PlyLについて既に構造が決定されており、T7 lysozymeの構造との比較から、PlyGにおいてH29、E90、H129、K135、C137に相当するアミノ酸残基が活性に関与すると予想されている。今回は、T7 lysozymeでの解析と同様にH29、E90、K135について部位特異的変異体を用いた解析を行った。

変異体のB. anthracis溶菌活性は、コロニーフォーミング法により解析した。その結果、K135AはWild typeのPlyGと同様の溶菌活性を示したのに対して、変異体H29N、E90AはB. anthracisに対する溶菌活性を失っていた。T7 lyzozyme や他の触媒ドメイン類似lysinにおいてH29、E90相当残基の部位特異的変異によって活性が失われたという報告があり、PlyGにおいても、他のホモロジーの高いlysinと同様の部位が活性に関与していることが示唆された(Fig. 2)。

多くのlysinは細胞壁結合ドメインの存在が酵素活性に必須であるといわれている。しかし、PlyLはC末の細胞壁結合ドメインを欠いても溶菌活性を保持すると報告されており、PlyGもPlyLと同様の性質を示すことが予想される。そこでPlyGのC末欠失変異体を作製し、その溶菌活性について上記と同様に測定したところ、PlyGのC末欠失変異体は溶菌活性が見られなかった。PlyGはPlyLとは異なりC末の細胞壁結合ドメインが溶菌活性に必要であることが示された。

2.2. PlyG結合ドメイン、PlyGBの詳細な解析

近縁種に感染する他のphage lysinとの相同性が低いPlyGのC末79アミノ酸残基(PlyGB)が、B. anthracisへの特異的な結合に関わることが既に報告されている。そこで本研究では更に詳細にPlyGBの結合部位の解析を行った。

まず、PlyGBのアミノ酸配列から立体構造の特徴を予測し、5つの領域に分類した。これら5つの領域を様々な組み合わせで欠失させた7種類のPlyGBの変異体をリコンビナント蛋白質として調製した。B. anthracisと変異体との結合は、ドットブロット法により解析を行った。その結果、PlyGBのほぼ中央部10残基を欠失した変異体のみB. anthracisとの結合が検出できなかった(Fig. 3)。

更に、その10残基のうち、近縁種に感染する他のphageとの相同性が低い3残基(L190、D195、Q199)に注目した。3残基すべてAに置換した変異体(L190A/D195A/Q199A)、2残基をAに置換した変異体(L190A/D195A、D195A/Q199A、L190A/Q199A)、1残基をAに置換した変異体(L190A 、D195A、Q199A)を作製し、ドットブロット法およびELISA法でB. anthracisとの結合の有無を解析した。その結果、3残基置換した変異体(L190A/D195A/Q199A)、2残基を置換した変異体(L190A/D195A、D195A/Q199A、L190A/Q199A)、L190、Q199のみ置換した変異体(L190A 、Q199A)でB. anthracisへの結合の低下が見られた。これらの結果から、L190及びQ199がB. anthracisへの特異的な結合に関与していることが示唆された(Fig. 4)。

PlyGのリガンドに対する研究はこれまで行われていない。Listeriaのlysin、Ply118とPly500の結合ドメインに関する研究では、熱、溶媒抽出、界面活性剤による抽出、蛋白質分解酵素による処理で蛋白、脂質および膜結合化合物を除去してもリガンドに対する結合に影響はみられなかったため、多糖がリガンドであると述べている。

そこで、加熱、界面活性剤、蛋白質分解酵素、溶媒、強酸処理により処理した菌体にもPlyGが結合するか否かについて検討したところ、処理後の細胞壁であっても結合することが確認された。先に述べたPly118、500と同様の処理を行った細胞壁にPlyGBも反応するため、リガンドが糖であることが示唆された。

B.anthracisの細胞壁の糖成分はRib、Gal、Glu、Mur、GlcN、ManNであることが発表されている。そこで、競合ELISA法を用いて、これらの糖がPlyGBと菌体の結合に対して影響を与えるか否かについて検証した。Mur、GlcN、ManNはPlyGBと菌体の結合を競合阻害し、これらが結合に関与すると考えられた。

3. 土壌由来B. cereusの多型解析

B. groupの環境由来株の解析をするために、関東由来の土壌試料からB. cereusの分離を行い、VNTR 5領域について解析した。

その結果、同一地点由来株のVNTR型は類似している傾向が見られたものの様々なVNTR型が見られ、同一地点由来のコロニー間に多様性があることが確認された(Table 1.)。

増幅断片長は、これまでに報告されているものと異なる増幅断片が得られたのはわずか2株のみであり、ほとんどの単離株でこれまでと同様の増幅断片が得られた。vrrA、Bcm08およびBcm18座位についてB. anthracisで報告されている増幅断片長を持つ株は見られなかった。また、Bcm17位は、B. anthracis およびB. anthracisに近縁のB. cereusでは報告されているが、本研究で環境中から得られた株にはこの増幅断片長を示すものはみられなかった。B. anthracisで報告されている増幅断片長と同じものが見られたのはBcm18のみであった。以上の結果は環境中B. cereusとB. anthracisとの相違を示すものである。

4. 結論と展望

本研究では、まず、B. anthracisのみに溶菌作用を示し、非常に近縁の他のBacillus cereus groupには作用しない細胞壁溶解酵素PlyGの解析を行った。N末側触媒ドメインは、ホモロジーの高い他の酵素と類似したアミノ酸残基がPlyGの酵素活性に重要であり、B. anthracisに対して溶菌を示すためには結合ドメインを必要とすることが明らかとなった。主要な細胞壁結合モチーフと高いホモロジーは示さないC末側結合ドメインについては、その中央部10残基に存在する2残基が結合特異性に重要であった。また、PlyGとの結合に関わるB.anthracisの細胞壁の成分として、Mur、GlcN、ManNが関わると考えられた。今後さらにPlyGの解析を進めることにより、B. anthracisの特異的検出法の開発や治療法の開発に寄与すると考えられる。将来的には、B. anthracisと他のBacillus cereus groupとの相違についての知見が得られることが期待される。今後は構造についての知見を深めていく予定である。

次に、環境中に生息するBacillus cereus groupとしてB. cereusを単離し、その多型解析を行った。その結果、一地点から得られた単離株からも多くの多型が確認された。得られた増幅断片の多型については、B. anthracisで報告されているものと相違点が多く、環境中のB. cereusがB. anthracisと比較的異なることが示唆された。本研究において、諸外国で報告されているのと同様に、日本の土壌においてもB. cereusは多様性に富むことが明らかになった。今回用いた解析法は、環境由来菌のみならず臨床単離株の多型解析にも有用であることが期待される。

Fig. 1 PlyGの溶菌活性特異性

Fig. 2 変異体の溶菌活性

Fig. 3 欠失変異体のB. anthracis結合能

Fig. 4 部位特異的変異体のB. anthracis結合能

Table 1. 同一試料から得られた異なるVNTRパターン

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなり、第1章ではBacillus cereus groupを構成する菌の概要と検出、治療法について述べられている。第2章ではB.amthracis特異的溶解酵素PlyGの触媒能について、第3章ではPlyGのB.anthracisに対する特異的な結合について明らかにしており、第4章ではBacillus cereusの環境由来株の解析を行っている。そして第5章で本研究の総括が述べられており、これら5つの章を通して極めて近縁種から構成されるBacllus cereus groupのうち、人に病原性を持つB.anthracis及びB.cereusに関して行った研究について述べられている。

第2章では、PlyGの触媒ドメインの変異体を用いた分析が行われた。

PlyGの触媒ドメインN末側155アミノ酸残基はT7 lysozymeの触媒ドメインと相同性が高い。T7 lysozymeでは5残基が活性に関わると予想されており、うち3残基について部位特異的変異体を用いた解析がなされている。他の触媒ドメイン類似lysinにおいてもこれら5残基に相当する部位の部位特異的変異によって活性が失われたという報告がある。PlyGの触媒ドメインと90%のホモロジーを持つB.amthracis prophage由来endolysinPlyLについて既に構造が決定されており、T7 lysozymeの構造との比較から、PlyGにおいてH29、E90、H129、K135、C137に相当するアミノ酸残基が活性に関与すると予想されている。本論文では、T7 lysozymeでの解析と同様にH29、E90、K135について部位特異的変異体を用いた解析を行った。その結果、K135AはWild typeのPlyGと同様の溶菌活性を示したのに対して、変異体H29N、E90AはB.anthracisに対する溶菌活性を失っていた。

多くのlysinは細胞壁結合ドメインの存在が酵素活性に必須であるといわれている。そこでPlyGのC末欠失変異体を作製し、その溶菌活性について上記と同様に測定したところ、PlyGのc末欠失変異体は溶菌活性が見られなかった。PlyGはC末の細胞壁結合ドメインが溶菌活性に必要であることが示された。

これまで、PlyGはB.anthracisに対して極めて強い溶菌能を持つことが知られていたが、触媒メカニズムについては不明であった。本論文では、T7 lysozymeと同様の部位が活性に関与しており、B.anthracisに対して溶菌をすためには結合ドメインを必要とすることが示された。

第3章では、PlyGのB.anthracis特異的溶菌メカニズムを解明するために、PlyGの結合ドメイン、PlyGBとB.anthracisの特異的な結合について詳細な解析が行われた。

まず、PlyGBのアミノ酸配列から立体構造の特徴を予測し、5つの領域に分類した。これら5つの領域を様々な組み合わせで欠失させた7種類のPlyGBの変異体をリコンビナント蛋白質として調製した。B.anthracisと変異体との結合は、ドットプロット法により解析を行った。その結果、PlyGBのほぼ中央部10残基を欠失した変異体のみB.anthracisとの結合が検出できなかった。その10残基のうち、近縁種に感染する他のphageとの相同性が低い3残基(L190、D195、Q199)に注目し、アラニンスキャニングを行った。その結果、L190、Q199をAに置換した部位特異的変異体でB.anethracisへの結合の低下が見られた。これらの成績から、L190及びQ199がB.anthracisへの特異的な結合に関与していることが示唆された。

さらに、PlyGの菌体側リガンドに対する研究を行った。加熱、界面活性剤、蛋白質分解酵素、溶媒、強酸処理により処理した後の細胞壁であってもPlyG結合することが確認された。他のリガンドが糖と予想されたライシンPly118、500と同様の性質であるため、リガンドが糖であることが示唆された。Rα励7ロ晦の細胞壁の糖成分はRib、Gal、Glu、Mur、GlcN、ManNであることが発表されている。そこで、競合ELISA法を用いて、これらの糖がP藍yGBと細菌細胞壁の結合に対して影響を与えるか否かについて検証した。Mur、GlcN、ManNはPlyGBと細菌細胞壁の結合を競合阻害し、これらの糖が結合に関与すると考えられた。

これまでPlyGのC末の結合ドメインが特異的な結合に関与していることは報告されてきたが、詳細については不明であった。本論文は、PlyGの結合ドメインのほぼ中央部に位置する2つのアミノ酸残基がB.anthracisとの特異的結合に関わること及びMur、GlcN、ManNが結合に影響を及ぼすことを初めて明らかにした。

第4章ではB.cereusの環境由来株の解析をするために、土壌からB.cereus野生株を単離し、食中毒原因細菌の多型解析に用いられるVariable number tandem repeat(VNTR)により分析した。Bacillus cereus groupの動物への感染ルートの一つとして、土壌由来のものによる汚染が挙げられ、環境中のBacillus cereus groupの動態を知ることは感染のコントロールに役立つ可能性がある。だがBacillus cereus groupの環境由来株の解析は世界的にもあまり行われておらず、日本ではこれまで報告がない。本論文ではBacillus cereus groupのうちB.cereusについて環境由来株の多型解析を行った。

VNTR5領域について解析した結果、同一地点由来株のVNTR型は類似している傾向が見られたものの様々なVNTR型が見られ、同一地点由来のコロニー間に多様性があることが確認された。一つの試料から複数のVNTR型が認められたことから、土壌中に多様なVNTR型のBtzcillus cereus株が存在していることが考えられる。よって、感染経路特定の際には、土壌資料からは出来るだけ多くのBacillus cereusのコロニーを分離して存在する遺伝子型が何であるのかを調べる必要があると考えられる。今回用いた解析法は、環境由来菌のみならず臨床単離株の多型解析にも有用であることが期待される。

本論文は、B.amthracis特異的溶解酵素PlyGを詳細に解析し、Bacillus cereusの環境由来株の多型について解析を行った初めての論文であり、PlyGのB.anthracisに対する溶菌、結合機構についておよびB.cereusの環境中の分布について新たな知見を加えたことが評価される。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク