学位論文要旨



No 125358
著者(漢字) 村上,晋
著者(英字)
著者(カナ) ムラカミ,シン
標題(和) H5N1インフルエンザワクチン開発に関する基礎研究
標題(洋) Basic research on the development of H5N1 influenza vaccines
報告番号 125358
報告番号 甲25358
学位授与日 2009.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第520号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河岡,義裕
 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 教授 俣野,哲郎
 東京大学 准教授 堀本,泰介
 東京大学 准教授 川口,寧
内容要旨 要旨を表示する

冬季を中心に流行を繰り返すA型インフルエンザウイルスは、時に、多数の犠牲者を伴う世界的大流行(パンデミック)を引き起こす。近年、H5N1高病原性鳥インフルエンザが、アジア、ヨーロッパ、そしてアフリカまでの広大な地域で流行し、鳥からヒトへの感染・死亡例が増加している。そのため新型H5N1ウイルスによるパンデミックが世界的な危惧となっている。パンデミックの際には、ワクチンが重要なインフルエンザ制圧の手段となる。そこでWHO主導のもとH5N1不活化ワクチンが作製され、プレパンデミックワクチンとして各国で備蓄されている。そしてこのワクチンの臨床試験が行われたが、免疫原性が低く、防御免疫を賦与するには季節性インフルエンザワクチンの12倍の抗原量を必要とすることが明らかとなった。またインフルエンザウイルスは頻繁に抗原変異するため、流行ウイルスの抗原性がワクチンと異なると、十分な効果を得ることができない。従って、H5N1ウイルスに対して防御免疫を獲得するためには、多量に、かつ流行株と抗原性が合ったワクチンを投与することが求められる。

通常、インフルエンザ不活化ワクチンは、発育鶏卵を母体にワクチン製造株を増殖させ、回収ウイルスを精製後、ホルマリン等で不活化し作製する(図1)。そこで本研究では、まず効率的にワクチン製造株を作製することを目的として、クローン化cDNAをコードしたプラスミドを細胞へ導入しインフルエンザウイルスを作製する技術、リバースジェネティクス法を改良した。次に発育鶏卵あたりのワクチン生産量を高めるために、発育鶏卵においてワクチン製造株が良く増殖するための分子基盤を、そしてパンデミック時の発育鶏卵不足に備えてワクチン製造用の培養細胞での分子基盤を探索した。また現在備蓄されているプレパンデミックワクチンの効果を検討するために、H5Mワクチンの交差防御能を解析した。

第1章イヌRNAポリメラーゼIプロモーターを用いたインフルエンザリバースジェネティクス系の確立とH5N1ワクチン製造株の作製

ワクチン製造株は、リバースジェティクス法によって作製することが可能である。しかしワクチン製造株を作製するためには、人体用ワクチンの作製が認可されている細胞、例えばVero細胞あるいはMDCK細胞を用いる必要がある。現行のリバースジェネティクス法によるワクチン製造株は、通常、Vero細胞に、ヒト由来のRNAポリラーゼI(PolI)プロモーターの転写制御下でウイルスRNAを発現するプラスミド8個と、ウイルスタンパク質を発現するプラスミド4個を同時に細胞にトランスフェクションして作製している。しかしVero細胞は、そのトランスフェクション効率およびウイルスの増殖性の低さが足かせとなりワクチン製造株作製の確実性と効率が低いことが問題である。一方、ウイルス増殖性に優れるMDCK細胞では、PolIプロモーター活性の種特異性が高いため、ヒトPolIプロモーターでは効率よくワクチン株が作製できない。本研究では、MDCK細胞で効率よくワクチン製造株を作製する目的で、イヌPo1Iプロモーター領域をクローニングし、イヌPolIプロモーターを用いたリバースジェネティクス系を確立した。

MDCK細胞DNAからPolIプロモーター領域をクローニングし、MDCK細胞において、そのプロモーター活性を測定したところ、ヒトPolIプロモーターよりも有意に高い値を示した。そこでイヌPolIプロモーターを用いたリバースジェネティクス系を構築したところ、ワクチン製造株が効率よく作製された(図2)。MDCK細胞からH5N1ワクチン製造株を効率よく作製するために有用である可能性が示された。

第2章H5N1インフルエンザワクチン製造株の発育鶏卵での増殖性を決める因子

H5N1ワクチン製造株には、外被タンパク質で中和抗体を誘導するHAとNAの遺伝子をH5N1ウイルス由来、それ以外の6つの内部遺伝子は、発育鶏卵増殖性に優れ、人への安全性が高いPR8株由来とする遺伝子交雑ウイルスを用いることが推奨されている。この遺伝子構成を持つ、WHO推奨のワクチン製造株NIBRG-14株は、発育鶏卵での増殖性が低いことが問題となっている。本研究では、発育鶏卵での増殖性に優れるワクチン製造株の作製およびその分子基盤の解明を目的とした。

NIBRG-14株と内部遺伝子のみを継代歴の異なるPR8株由来のものと置き換えたワクチン製造株(UW株)を作製し、発育鶏卵での増殖性を比較したところ、UW株が4倍以上良く増殖することがわかった。そこで、内部遺伝子を置き換えた組換えウイルスを作製し、増殖性を調べた。その結果、ウイルスのポリメラーゼをコードする3遺伝子と核タンパク質をコードする遺伝子の4つが発育鶏卵増殖性に重要であることが明らかとなった。UW株の増殖性をさらに高める目的で、HAが細胞レセプターに結合する強さとNAが細胞からウイルスを放出させる強さのバランスがウイルスの増殖性に重要であることに注目して、さまざまなウイルス由来のNA遺伝子と置き換えて増殖性を調べた。その結果、内部遺伝子と同じPR8株由来のNAを持つウイルスがUW株よりもさらによく増殖することがわかった。さらに他のH5N1ウイルスのHAを用いた場合でも4-10倍以上の増殖増強効果があることが明らかとなった(図3)。これらの知見は、発育鶏卵でのワクチン製造効率の向上に貢献することが期待される。

第3章H5N1インフルエンザワクチン製造株の培養細胞での増殖性を決める因子

パンデミック時には発育鶏卵の供給量に限界があることなどから、必要ドーズを確保することは困難である。そのため、発育鶏卵の代替母体として、ワクチン製造が認可されているMDCK細胞などの培養細胞で良く増殖するワクチン製造株を選択する必要がある。本研究では、MDCK細胞での増殖性に優れるワクチン製造株の作製およびその分子基盤の解明を目的とした。第2章で用いたWHO推奨株MBRG-14株とUW株の増殖性をMDCK細胞で比較したところ、UW株が1000倍以上も良く増殖する事が分かった。そこで内部遺伝子交雑ウイルスやアミノ酸置換した変異体を作製し、解析した。その結果、UW株由来PB2(ウイルスポリメラーゼのサブユニット)の360番目アミノ酸がウイルスポリメラーゼの活性に関与して、NIBRG-14株よりもよく増殖することがわかった。そして意外にも、増殖性の低かったNIBRG-14株由来の非構造タンパク質NS1の55番目のアミノ酸が高増殖性に関与していることが明らかとなった。NSIの55番目アミノ酸によるtFN拮抗作用の違いを調べたところ、MIBRG-14株由来の方がUW株由来よりも有意に強かった。

また鶏卵の場合と同じくMDCK細胞での増殖に最適なHAとNAの機能バランス決定するために、NA遺伝子を置き換えて調べたところ、柄の部が長いNAを持つウイルスの増殖が有意に向上することが分かった。これらの内部遺伝子と長いNAを併せ持つことで増殖効率を最高30倍も高めることが出来た(図4)。これらの知見は、MDCK細胞でのワクチン製造効率の向上に貢献すると期待される。

第4章H5N1不活化インフルエンザワクチンのクレード間交差防御免疫能のマウスモデルにおける解

現在、H5N1インフルエンザウイルスは多様な進化系統集団(クレード0~9)を形成しており、それぞれHA抗原性が異なることが報告されている。そのため、異なるクレードに基づくプレパンデミックワクチンの備蓄がWHOにより推奨されている。しかしながらそれらワクチン間での交差免疫性についての詳細はわかっていない。そこで本章では、H5N1不活化ワクチンの防御免疫能におけるクレード間交差性をマウスモデルを用いて解析した。

WHOが推奨するクレード(クレード1、2.1、2.2および2.3.4)の各ウイルス株からワクチン製造株を作製し、これらのワクチン製造株から不活化ワクチンを試作し、マウスに免疫した。4週間後に各クレードの野生型H5N1ウイルスによる攻撃試験を行い、クレード間の交差防御免疫能をマウスの生死(図5)および臓器中のウイルス力価によって評価した。その結果、試作ワクチンは固じクレードのウイルスによる攻撃に対して有効で、マウスは生存し、肺におけるウイルス力価も顕著に減少していた。一方、異なるクレードのウイルスで攻撃した場合も、組み合わせにより程度の差はあるものの防御免疫を付与することが出来た。特に、クレード2.1由来のワクチンはもっとも広範囲な交差免疫性を示し、このワクチンで免疫されたマウスは他の全てのクレードのウイルスによる攻撃に抵抗した。一方、クレード2.2由来のワクチンはクレード2.3.4のウイルスの攻撃に対してマウスを防御できなかったが、肺でのウイルス力価は免疫により10倍以上減少していた。

これらの結果より、現在プレパンデミックワクチンとして備蓄されているワクチンは、パンデミック発生時の備蓄用ワクチンとして有用である可能性が示唆された。

図1.不活化ワクチン製造工程

図2.MDCK細胞でのワクチン製造株作製

図3.H5N1ワクチン製造候補株の発育鶏卵増殖性

図4.H5N1ワクチン製造候補株のMDCK細胞での増殖

図5.H5N1ワクチンの交差免疫

審査要旨 要旨を表示する

本論分は4章からなる。第1章はH5N1インフルエンザワクチンシードウイルスの作製法について、第2章は発育鶏卵における高増殖性のH5N1ワクチンシードウイルスについて、第3章は培養細胞における高増殖性のH5N1ワクチンシードウイルスについて、そして第4章はH5N1プレパンデミックワクチンの交差防御免疫能について述べられている。以下に各章ごとの結果を示す。

第1章

ワクチン製造株は、リバースジェティクス法によって作製することが可能である。しかしワクチン製造株を作製するためには、人体用ワクチンの作製が認可されている細胞を用いる必要がある。現行のリバースジェネティクス法によるワクチン製造株は、通常、Vero細胞に、ヒト由来のRNAポリラーゼI(PolI)プロモーターの転写制御下でウイルスRNAを発現するプラスミド8個と、ウイルスタンパク質を発現するプラスミド4個を同時に細胞にトランスフェクションして作製している。しかしVero細胞は、そのトランスフェクション効率およびウイルスの増殖性の低さが足かせとなりワクチン製造株作製の確実性と効率が低いことが問題である。一方、ウイルス増殖性に優れるMDCK細胞では、PolIプロモーター活性の種特異性が高いため、ヒトPolIプロモーターでは効率よくワクチン株が作製できない。本研究では、MDCK細胞で効率よくワクチン製造株を作製する目的で、イヌPolIプロモーター領域をクローニングし、イヌPolIプロモーターを用いたリバースジェネティクス系を確立した。

第2章

発育鶏卵での増殖性に優れるワクチン製造株の作製およびその分子基盤の解明を目的とした。WHO推奨のNIBRG-14株と内部遺伝子のみを継代歴の異なるPR8株由来のものと置き換えたワクチン製造株(UW株)を作製し、発育鶏卵での増殖性を比較したところ、UW株が4倍以上良く増殖することがわかった。UW株の増殖性をさらに高める目的で、HAとNAの機能バランスがウイルスの増殖性に重要であることに注目して、さまざまなウイルス由来のNA遺伝子と置き換えて増殖性を調べた。その結果、内部遺伝子と同じPR8株由来のNAを持つウイルスがUW株よりもさらによく増殖することがわかった。さらに他のH5N1ウイルスの HAを用いた場合でも4-10倍以上の増殖増強効果があることが明らかとなった。

第3章

発育鶏卵不足時の代替母体として、ワクチン製造が認可されているMDCK細胞などの培養細胞で良く増殖するワクチン製造株を選択する必要がある。本研究では、MDCK細胞での増殖性に優れるワクチン製造株の作製およびその分子基盤の解明を目的とした。第2章で用いたWHO推奨株NIBRG-14株とUW株の増殖性をMDCK細胞で比較したところ、UW株が1000倍以上も良く増殖する事が分かった。そこで内部遺伝子交雑ウイルスやアミノ酸置換した変異体を作製し、解析した。その結果、UW株由来PB2(ウイルスポリメラーゼのサブユニット)の360番目アミノ酸がウイルスポリメラーゼの活性に関与して、NIBRG-14株よりもよく増殖することがわかった。また増殖性の低かったNIBRG-14株由来の非構造タンパク質NS1の55番目のアミノ酸が高増殖性に関与していることが明らかとなった。さらに、柄の部が長いNAを持つことでHA・NAバランスについてはウイルスの増殖が有意に向上することが分かった。これらの内部遺伝子と長いNAを併せ持つことで増殖効率を最高30倍も高めることが出来た。

第2、3章で得られた知見は、ワクチン製造効率の向上に貢献すると期待される。

第4章

現在、H5N1インフルエンザウイルスは多様な進化系統集団(クレード0~9)を形成しており、これらの異なるクレードに基づくプレパンデミックワクチンの備蓄がWHOにより推奨されている。そこで本章では、H5N1不活化ワクチンの防御免疫能におけるクレード間交差性をマウスモデルを用いて解析した。

本研究で作製したH5N1試作ワクチンは同じクレードのウイルスによる攻撃に対して有効で、マウスは生存し、肺におけるウイルス力価も顕著に減少していた。一方、異なるクレードのウイルスで攻撃した場合も、組み合わせにより程度の差はあるものの防御免疫を付与することが出来た

これらの結果より、現在プレパンデミックワクチンとして備蓄されているワクチンは、パンデミック発生時の備蓄用ワクチンとして有用である可能性が示唆された。

これらの研究から、H5N1インフルエンザワクチン開発を進展させるために重要な知見が得られた。

なお、本論文第1章は、堀本 泰介、山田 晋弥、角川 学士、五藤 秀男、河岡 義裕との共同研究、第2章は堀本 泰介、村本 裕紀子、山田 晋弥、藤井 健、木曽 真紀、岩附 研子、城野 洋一郎、河岡 義裕との共同研究、第3章は堀本 泰介、Le thi Quynh Mai、Chairul A. Nidom、Hualan Chen、村本 裕紀子、山田 晋弥、岩佐 彩香、岩附 研子、下島 昌幸、岩田 晃、河岡 義裕との共同研究、第4章は岩佐 彩香、岩附 研子、伊藤 睦美、木曽 真紀、喜田 宏、高田 礼人、Chairul A. Nidom、 Le thi Quynh Mai、山田 晋弥、今井 博貴、坂井(田川) 優子、河岡 義裕、堀本 泰介との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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