学位論文要旨



No 125379
著者(漢字) 庄野,禎二
著者(英字)
著者(カナ) ショウノ,テイジ
標題(和) 中高年労働者における無症候性脳梗塞早期発見のための仮想スクリーニングシステムの費用効果分析
標題(洋)
報告番号 125379
報告番号 甲25379
学位授与日 2009.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3363号
研究科 医学系研究科
専攻 社会医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 教授 橋本,英樹
 東京大学 教授 齋藤,延人
 東京大学 教授 小山,博史
 東京大学 教授 吉田,謙一
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

日本における三大死因の一つである脳血管疾患による死亡のうちでも、脳卒中による死亡が最も多い。また、平成19年度の年齢階級別死亡率(人口10万対)によれば、脳血管疾患による死亡率は40歳以上になると一挙に高くなる。国民医療費においても、脳血管疾患による医療費の98%近くが45歳以上の年齢層で生じており、さらに、介護が必要となった主な原因の第1位は脳卒中である。すなわち、40歳以上の中高年労働者においては、脳卒中発症による死亡や障害を残す危険性が特に高くなるということである。

従って、無症候のうちに有リスク者を発見して脳卒中発症の予防治療へと繋ぐことが大きな意味を持つと考えられる。脳卒中の大きな部分を占めるのが脳梗塞であり、無症候性脳血管障害は脳梗塞のリスクファクターである。本研究では、中高年労働者集団を対象として、現行の定期健康診断では検出できない無症候性脳血管障害を効率的に発見する仮想スクリーニングシステムについて検討する。

わが国の労働者に対しては、労働安全衛生法に基づいて年一回、定期健康診断が行われているが、頭部CT検査や頭部MRI検査は含まれておらず、無症候性脳血管障害を発見して脳梗塞発症予防に繋げるという点においてはその結果が十分に活用されているとは言い難い状況にある。本研究では、定期健康診断の結果を頭部MRI検査に結び付けて無症候性脳血管障害を発見する仮想スクリーニングシステムを構築し医療経済的分析を行う。

無症候性脳血管障害の一つである無症候性脳梗塞silent cerebral infarction(SCI)は、脳梗塞の独立したリスクファクターでありかつ予見指標(predictor)として認められている。さらに、SCIは頭部CT検査や頭部MRI検査によって始めて発見される病変である。従って、本研究では、脳梗塞のリスクファクターとして無症候性脳梗塞(SCI)に焦点をあてる。

2.本研究の目的

わが国の労働者を対象にして毎年実施される定期健康診断の結果を基にして、頭部MRI検査によるSCI発見のための効率的なスクリーニングシステムを考案することである。

3.方法

定期健康診断に含まれる検査項目またはその組み合わせ(スクリーニング基準)によってSCIのリスクを有する者を選別し、その集団に対して頭部MRI検査を施行するスクリーニングシステムを考案し、スクリーニング基準別に、費用効果分析によってシステムの効率性を比較検討する。

(1)分析対象

分析対象は、「平成19年度総務省労働力調査」より40歳から64歳までの常勤雇用者とした。

(2)仮想スクリーニングシステム

対象集団は、まず労働安全衛生法に規定される定期健康診断を受け、その結果を使用して、本研究で新たに設定したスクリーニング基準に該当する(以下、「該当する」と表記)、スクリーニング基準に該当しない(以下、「該当しない」と表記)で振り分けられる。該当しない者は現行の定期健康診断制度に基づいて対処される。該当するとされたものは、頭部MRI検査を受診し、SCIあり、SCIなしで振り分けられる。SCIなしの者は、定期健康診断有所見者であれば現行の定期健康診断制度に基づいて対処され、定期健康診断有所見者でなければ経過観察となる。SCIありの者は医師による保健指導に進み、所見の説明や今後の方針などの指導を受けることになる。

(3)スクリーニング基準とMRI検査の有効性の検討に必要なデータ

SCI発見におけるスクリーニング基準とMRI検査の有効性に関するデータは、1999年から2001年にかけてK県の1病院(以下M病院)で行われた脳ドック健診のデータを使用した。

(4)無症候性脳梗塞silent cerebral infarction(SCI)

厚生省循環器病委託研究「無症候性脳血管障害の診断に関する研究」班の「頭部MRI画像で認められる脳実質病変であり、被験者は脳血管性病変による神経症状を有さず、かつ一過性脳虚血発作を含む脳卒中の既往もない」という無症候性脳血管障害の診断基準を満たすものとする。さらに、直径3mm以下のものは血管周囲腔との判別が困難なため除外し、直径3mm以上の脳実質病変とした。

(5)効果

効果は、頭部MRI検査を受診し、頭部MRI検査によって発見される(一つ以上の)SCIを有する者の人数で表す。

(6)費用

定期健康診断は労働安全衛生法に基づいてすでに制度として施行されているため、本研究では、費用効果比を求めるための費用としては現行の定期健康診断の費用は計上せず、頭部MRI検査導入により新たに増加する費用のみを推定した。

(7)費用効果比

費用効果比は、SCIを有する者を一人発見するのにかかる費用と定義した。単位は円である。

(8)感度分析

スクリーニング基準のSCI発見に対する感度、頭部MRI検査の費用、そしてSCIの有病率(発見率)に関して感度分析を行った。

4. 結果

(1)効果推定

効果が最も大きいスクリーニング基準は「45歳以上」であり、次に「50歳以上」、「高血圧」、「55歳以上」、「45歳以上かつ高血圧」(「55歳以上」と同結果)と続き、 効果の大きさは各々163.4万人、125.6万人、75.8万人、73.0万人と推定された。

(2)費用推定

スクリーニング基準が「45歳以上」の場合が最も高額であり、「50歳以上」、「55歳以上」、「高血圧」、と続き、各々1468.7億円、1066.4億円、670.0億円、539.1億円と推定された。

(3)費用効果比(有SCI者を一人発見するのに要する費用)

スクリーニング基準が「60歳以上かつ高血圧」の場合に費用効果比が最も小さく、これに「60歳以上」、「45歳以上かつ高血圧」、「50歳以上かつ高血圧」、「高血圧」と続き、費用効果比は、各々、6.1万円、6.3万円、6.3万円、6.6万円、7.1万円と推定された。

(4)感度分析

パラメーターとしては、スクリーニング基準のSCI発見に対する感度(sensibility)、頭部MRI検査の費用、そしてSCIの有病率(発見率)を採用した。感度を95%信頼区間下限値にまで低下させた場合の感度分析では、スクリーニング基準間で費用効果比の変動の幅に大きな差が見られた。「45歳以上」では費用効果比は1.1倍に増えるだけだが、「60歳以上かつ高血圧」では費用効果比は6.5倍に増えた。

5. 考察

本研究では、労働者を対象とする定期健康診断の結果を基にして頭部MRI検査によりSCIを発見する仮想スクリーニングシステムを提示し、費用効果分析を行った。その結果、スクリーニング基準が「60歳以上かつ高血圧」であるとき、仮想スクリーニングシステムの費用効果比(有SCI者を一人発見するのに要する費用)が最も小さくなることがわかった。この場合の費用効果比は6.1万円であった。スクリーニング基準が「60歳以上」、「45歳以上かつ高血圧」、「50歳以上かつ高血圧」、「高血圧」の場合がこれに続き、費用効果比は、各々、6.3万円、6.3万円、6.6万円、7.1万円と推定された。また、感度分析の結果、費用効果比では「60歳以上かつ高血圧」が最も優れているが、次点の「60歳以上」、「45歳以上かつ高血圧」、「50歳以上かつ高血圧」、「高血圧」の方がより頑健で信頼性が高いということもわかった。

スクリーニングに対する費用効果分析では、甲状腺超音波検査による1例の甲状腺機能異常症発見の費用を12.5万円と推定した研究、エックス線検診車によって結核患者を1例発見するための費用を約388.4万円と推定した研究、X線撮影等による側彎症学校検診で1名の要治療者をみつける費用を約186万円と推定した研究などがある。これらの研究結果と比較しても、本研究の仮想スクリーニングシステムにおける費用効果比は高いものではないと考える。

これらの結果より、労働者を対象とする定期健康診断の結果をスクリーニング基準とする、頭部MRI検査によるSCI発見のための効率的なスクリーニングシステムを提示することができた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、わが国の中高年労働者集団を対象として、定期健康診断の結果を頭部MRI検査に結び付けて、脳梗塞の有力なリスクファクターである無症候性脳梗塞(SCI)を発見する仮想スクリーニングシステムを構築し医療経済的分析を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1. わが国における平成19年度の40歳から64歳までの常勤雇用者を分析対象とし、スクリーニング基準とMRI検査の有効性の検討に必要なデータは脳ドック健診のデータを使用して分析を行った結果

(a) 効果推定

効果は、仮想スクリーニングシステムにおいて施行される頭部MRI検査によってSCIが発見された者の人数で表す。その結果、効果が最も大きいスクリーニング基準は「45歳以上」であり、次に「50歳以上」、「高血圧」、「55歳以上」、「45歳以上かつ高血圧」(「55歳以上」と同結果)と続き、効果の大きさは各々163.4万人、125.6万人、75.8万人、73.0万人と推定された。

(b) 費用推定

定期健康診断は労働安全衛生法に基づいてすでに制度として施行されているため、本研究では、費用効果比を求めるための費用としては現行の定期健康診断の費用は計上せず、頭部MRI検査導入により新たに増加する費用のみを推定した。費用の範囲は頭部MRI検査費用と保健指導費を対象とした。頭部MRI検査費用は保険点数から推定し、保健指導の総費用は、SCIありの人数×医師の時間給×0.3(時間)、で算出した。その結果、スクリーニング基準が「45歳以上」の場合が最も高額であり、「50歳以上」、「55歳以上」、「高血圧」、と続き、各々1468.7億円、1066.4億円、670.0億円、539.1億円と推定された。

(c) 費用効果比

費用効果比は、SCIを有する者を一人発見するのにかかる費用(円)と定義した。スクリーニング基準が「60歳以上かつ高血圧」の場合に費用効果比が最も小さく、これに「60歳以上」、「45歳以上かつ高血圧」、「50歳以上かつ高血圧」、「高血圧」と続き、費用効果比は、各々、6.1万円、6.3万円、6.3万円、6.6万円、7.1万円と推定された。

2. 分析結果の頑健性を確認するために感度分析を行った結果

スクリーニング基準の感度を95%信頼区間下限値にまで低下させた場合、頭部MRI検査費を倍加させた場合、またSCIの有病率を10%と35%に変動させた場合についての感度分析を行った。その結果、感度を低下させた場合の感度分析で、「60歳以上かつ高血圧」では費用効果比に大きな変動が見られ、費用効果比では「60歳以上かつ高血圧」が最も優れているが、次点の「60歳以上」、「45歳以上かつ高血圧」、「50歳以上かつ高血圧」、「高血圧」の方がより頑健で信頼性が高いということがわかった。

以上、本論文は、仮想スクリーニングシステムにおいてはスクリーニング基準が「60歳以上かつ高血圧」であるとき費用効果比が最も小さくなることを明らかにし、さらに感度分析を行い、より信頼性が高いスクリーニング基準を明らかにした。本研究は、定期健康診断の結果を利用し、頭部MRI検査により40歳から64歳までの常勤雇用者集団のSCI発見を効率的に行う、これまでにない独創性に富むスクリーニングシステムを提示するものであり、わが国の中高年労働者のSCI発見に重要な貢献をなすと考えられ、かつ学術的意義が高く、学位の授与に値するものと考えられる。

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