学位論文要旨



No 125393
著者(漢字) 荒川,裕志
著者(英字)
著者(カナ) アラカワ,ヒロシ
標題(和) ヒト筋骨格系における筋腱複合体の形状とその機能的役割
標題(洋) Architecture of muscle-tendon complex and its functional significance in human musculoskeletal system
報告番号 125393
報告番号 甲25393
学位授与日 2009.10.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第953号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金久,博昭
 東京大学 教授 深代,千之
 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 教授 中澤,公孝
 東京大学 准教授 渡會,公治
内容要旨 要旨を表示する

【第 1 章:緒言】

身体内において,骨格筋は弾性を持つ腱組織と共に筋腱複合体(Muscle-Tendon Complex:MTC)を構成する.身体運動において,腱組織は弾性エネルギーの蓄積と放出の役割を担い,特に反動を伴う動作における力学的仕事量の発揮に大きく貢献することが知られている.MTC の形状は,反動動作におけるMTC の弾性的な振る舞いならびに発揮仕事量に影響し,その主要な因子として挙げられるのがMTC に対する腱組織の相対的な長さである.ヒト生体において,腱組織の相対長は筋間で大きく異なり,また腱組織が長い形状を示す筋は,四肢の遠位部(前腕および下腿)に付着している.このような身体内における筋骨格系のデザインには,身体運動を遂行するうえで何らかの機能的な意義があると考えられる.しかしながら,力学的仕事量の発揮に腱組織の弾性が果たす役割が,筋間および部位間でどのように異なるのかについては不明な点が多い.そこで本博士論文では,実験的手法およびMTC 収縮シミュレーションによる研究結果に基づき,反動動作における発揮仕事量の増大に及ぼす筋腱複合体の形状の影響について,主に腱組織長の筋間差および部位間差との関連で明らかにすることを目的とした.

【第 2 章(研究1):肘屈曲運動の反動効果における弾性エネルギーの貢献】

手関節周りの筋群に比較して,上腕筋や上腕二頭筋といった肘関節屈曲に機能する筋は,腱組織が相対的に短い.研究1では,そのような腱組織の相対長が短い筋において,弾性エネルギーの蓄積・放出が,反動に伴う発揮仕事量の増大(反動効果)に対して,どの程度の影響を与えうるのかを検討した.健康な男子8 名を被験者とし,最大努力の肘屈曲運動を反動有りおよび無しの2 条件で実施した.逆ダイナミクスモデルを用いて収縮要素(Contractile Element:CE)および直列弾性要素(Series Elastic Element:SEE)が発揮した力学的仕事量を算出した.その結果,肘屈曲運動では,弾性エネルギーの蓄積・放出は生じるものの,それが反動効果に与える影響は小さいことが明らかとなった.さらに,腱組織が相対的に短い筋では,「興奮水準の予備的上昇」が反動効果の要因として大きく貢献していることが示唆された.

【第 3 章(研究2):反動効果における弾性エネルギーと興奮水準上昇の貢献度】

反動効果における弾性エネルギーの蓄積・放出および興奮水準の予備的上昇(興奮水準上昇)の二要因の貢献度について,腱組織長の筋間差に着目して検討した.Hill 型MTC モデルを用い,重力場において錘を鉛直方向に投射するコンピュータシミュレーションを行った.弾性エネルギーと興奮水準上昇の各貢献度を調べるために,SEE 長および興奮水準の立ち上がり速度を変化させ,反動の有無それぞれについて錘の投射高を評価した.シミュレーションの結果,反動効果の要因として,四肢の遠位側に位置し相対的に長い腱組織を持つヒラメ筋などの筋では,弾性エネルギーの貢献度が高く,四肢の近位側に位置し相対的に短い腱組織を持つ大殿筋などの筋では,興奮水準上昇による貢献度が高いことが明らかとなった.さらに,反動効果における弾性エネルギーと興奮水準の二つの要因は,相互に影響し合い相乗効果を持つことが示された.

【第 4 章(研究3):垂直跳びの反動効果における足関節底屈筋群の役割】

足関節底屈筋群は,股関節および膝関節伸展筋群と比べて長い腱組織を持ち,反動効果をもたらすうえで弾性エネルギーの蓄積・放出が大きく貢献する(研究2).しかし,そのような身体の遠位に位置する筋群の特性が,全身運動による反動効果に対して,どのような影響を及ぼしうるのかについては不明である.研究3 では,下肢筋群を複合的に用いた全身運動のパフォーマンスに対する足関節底屈筋群の貢献を明らかにするために,足関節動作の制限が垂直跳び跳躍高の反動効果に与える影響を検討した.健康な男子8 名を被験者とし,反動の有無および足関節制限の有無の各条件による最大努力の垂直跳びを実施した際の跳躍高を算出した.測定装置にはモーションキャプチャシステムおよびフォースプレートを用い,逆ダイナミクスにより力学的変数を算出した.足関節動作の制限には特製のシューズを用いた.その結果,足関節動作の制限によって垂直跳びの反動効果が減少し,全身運動のパフォーマンスに対しても,足関節底屈筋群の腱組織の長さに由来する弾性エネルギーが大きく影響していることが明らかになった.

【第 5 章(研究4):SEE の相対長および単位長さ当たり伸張量が反動効果に与える影響】

研究1~3においては,腱組織の弾性に影響する因子としてMTC における腱組織の相対長に着目した.本章では,弾性に対するもう1 つの影響因子である腱組織の単位長さ当たり伸張量が,反動効果に与える影響を検討した.研究2 と同様のHill 型MTC モデルによるシミュレーションを行った.MTC におけるSEE の相対長および単位長さ当たり伸張量の両方を変化させ,反動の有無それぞれについて錘の投射高を評価した.その結果,反動効果に対する弾性エネルギーの積・放出の影響は,腱組織の単位長さ当たり伸張量に関係なく,四肢の遠位側に位置し相対的に長い腱組織を持つヒラメ筋などの筋において顕著であり,近位側に位置し相対的に腱組織が短い大殿筋などの筋では小さいことが確認された.この結果は,反動効果における弾性エネルギーの貢献は,身体の遠位端の関節に作用する筋において大きいという研究1~3の知見を支持するものであった.

【第 6 章(研究5):反動を用いた抗重力運動および非抗重力運動における腱組織の機能的意義】

第 1 章で述べたように,四肢の遠位に位置し足関節および手関節に作用する筋群は,共通して長い腱組織を持つ.しかし,身体運動においては,前者はロコモーションなどにおいて抗重力筋として,後者は投動作などにおいて非抗重力筋として用いられることが多い.本研究では,反動動作の発揮仕事量に対する腱組織の果たす役割について,足関節底屈筋群などの抗重力筋と手関節掌屈筋群などの非抗重力筋群との差異を検証した.研究2 と同様のHill 型MTC モデルによるシミュレーションを,抗重力運動および非抗重力運動のそれぞれについて行った.MTC に対するSEE の相対長を変化させ,反動動作による外部への発揮仕事量を評価した.その結果,長い腱組織は,非抗重力運動では反動動作の発揮仕事量を増大させるうえで有利に作用するが,抗重力運動では負荷が大きい場合に不利に作用する可能性のあることが明らかになった.

【第 7 章:総括】

研究1~4では,筋形状の差異が反動効果に及ぼす影響について,主に腱組織長の筋間差に着目して検討した.研究1 および研究2 より,反動効果の要因として,腱組織が長いヒラメ筋などの筋では弾性エネルギーの蓄積・放出による影響が大きいが,腱組織が短い肘関節屈筋群や大殿筋などでは興奮水準上昇の貢献の方が大きいことが明らかとなった.また,研究3および研究4より,反動効果における弾性エネルギーの貢献は,全身の中でも特に四肢の遠位端の関節(手関節および足関節)で顕著であることが示された.さらに,研究5の知見より,手関節および足関節周りの筋群は共に腱組織が長いという共通点を持つものの,主に非抗重力的に用いられる手関節筋群の腱組織は発揮仕事量を増大させるよう作用するが,抗重力筋である足関節底屈筋群の腱組織の主な役割はエネルギーコストの低減であり,発揮仕事量の増大という点では負荷の大きさによって負の影響を与えうることが示唆された.これら研究1~5の結果から,反動を伴う動作での力学的仕事量の発揮における腱組織の弾性エネルギーの貢献には,筋腱複合体の形状に基づく筋間差および身体内のヒト筋骨格系における部位間差が存在すると結論した.

審査要旨 要旨を表示する

本論文「Architecture of muscle-tendon complex and its functional significance in human musculoskeletal system:ヒト筋骨格系における筋腱複合体の形状とその機能的役割」は、ヒト筋骨格系における筋腱複合体の形状が、反動を伴う動作における力学的仕事量の発揮に及ぼす影響について調べた研究の成果をまとめたものである。筋腱複合体に含まれる腱組織は、身体運動において弾性エネルギーの蓄積・放出という役割を担い、特に反動を伴う動作の発揮仕事量に大きく貢献することが知られている。筋腱複合体の形状は反動動作における弾性エネルギーの蓄積・放出の程度に影響し、その主要な因子として挙げられるのが、筋腱複合体における腱組織の相対的な長さである。腱組織の相対長は筋間で大きく異なり、ヒト生体において、腱組織が長い形状を示す筋は四肢の遠位部(前腕あるいは下腿)に付着している。このような身体内における筋骨格系のデザインには、身体運動を遂行するうえで何らかの機能的な意義があると考えられる。しかしながら、力学的仕事量の発揮に腱組織の弾性が果たす役割が、筋腱複合体の形状およびその付着部位によって、どのように異なるかについては不明な点が多い。本論文は、実験的手法および筋腱複合体の収縮シミュレーションによる研究結果に基づき、ヒト筋骨格系における筋腱複合体の形状とその機能的役割を明らかにすることを目的としたものであり、その主な内容は以下のようにまとめられる。

【研究1:肘屈曲運動の反動効果における弾性エネルギーの影響】

腱組織が相対的に短い筋が主働筋となる肘屈曲運動を対象動作とし、弾性エネルギーの蓄積・放出が、反動に伴う発揮仕事量の増大(反動効果)に対してどの程度影響しうるかを検討した。被験者に最大努力の肘屈曲運動を反動有りおよび無しの2条件で行わせ、逆ダイナミクスモデルを用いて収縮要素および直列弾性要素が発揮した力学的仕事量を算出した。その結果、肘屈曲運動では、弾性エネルギーの蓄積・放出は生じるものの、それが反動効果に与える影響は小さいことが明らかとなった。さらに、腱組織が相対的に短い筋では、興奮水準の予備的上昇が反動効果の要因の一つとして大きく貢献していることが示唆された。

【研究2:反動効果における弾性エネルギーと興奮水準上昇の貢献度】

反動効果における弾性エネルギーの蓄積・放出および興奮水準の予備的上昇(興奮水準上昇)の二要因の貢献度について、腱組織長の筋間差に着目して検討した。Hill型筋腱複合体モデルを用い、重力場において錘を鉛直方向に投射するコンピュータシミュレーションを行った。弾性エネルギーと興奮水準上昇の各貢献度を調べるために、直列弾性要素の長さおよび興奮水準の立ち上がり速度を変化させ、錘の投射高を評価した。シミュレーションの結果、反動効果の要因として、四肢の遠位側に位置し相対的に長い腱組織を持つヒラメ筋などの筋では弾性エネルギーの貢献度が高く、四肢の近位側に位置し相対的に短い腱組織を持つ大殿筋などの筋では興奮水準上昇による貢献度が高いことが明らかとなった。

【研究3:垂直跳びの反動効果における足関節底屈筋群の役割】

足関節底屈筋群は、股関節および膝関節伸展筋群と比べて長い腱組織を持つ。本研究では、全身運動のパフォーマンスに対する足関節底屈筋群の貢献を明らかにするために、足関節動作の制限が垂直跳び跳躍高の反動効果に与える影響を検討した。被験者に反動の有無および足関節制限の有無の各条件による最大努力の垂直跳びを行わせ、跳躍高を算出した。その結果、足関節動作の制限によって垂直跳びの反動効果が減少し、全身運動のパフォーマンスに対しても、足関節底屈筋群の腱組織の長さに由来する弾性エネルギーが大きく影響していることが明らかになった。

【研究4:直列弾性要素の相対長および単位長さ当たり伸張量が反動効果に与える影響】

研究4では、直列弾性要素の相対長だけではなく、弾性に対するもう1つの影響因子である直列弾性要素の単位長さ当たり伸張量にも着目し、弾性の大きさが反動効果に与える影響を検討した。研究2と同様のHill型筋腱複合体モデルによるシミュレーションを行った。その結果、反動効果に対する弾性エネルギーの影響は、直列弾性要素の単位長さ当たり伸張量に関係なく、四肢の遠位に位置し相対的に長い腱組織を持つ筋では顕著であり、一方、近位に位置し相対的に腱組織が短い筋では小さいことが確認された。

【研究5:反動を用いた抗重力運動および非抗重力運動における腱組織の機能的意義】

四肢の遠位に位置する足関節および手関節に作用する筋群は、共通して長い腱組織を持つ。しかし、身体運動においては、前者は抗重力筋として、後者は非抗重力筋として機能することが多い。本研究では、反動動作の発揮仕事量に対する腱組織の果たす役割について、足関節底屈筋群などの抗重力筋と、手関節筋群などの非抗重力筋との差異を検証した。研究2と同様のHill型筋腱複合体モデルによるシミュレーションを行い、抗重力運動および非抗重力運動のそれぞれについて反動動作の発揮仕事量を評価した。その結果、長い腱組織は、非抗重力運動では発揮仕事量を増大させるうえで有利に作用するが、抗重力運動では、負荷が大きい場合に発揮仕事量の増大に不利に作用する可能性があることが明らかとなった。この知見から、抗重力筋である足関節底屈筋群の長い腱組織は、エネルギーコストの低減には重要な役割を果たすものの、発揮仕事量の増大という点では、負荷の大きさによって負の影響を与えうることが示唆された。

以上のように、荒川裕志氏の論文は、ヒト筋骨格系における筋腱複合体の形状と機能の関係について、筋腱複合体の形状に基づく筋間差および筋腱複合体の身体内における付着位置による部位差という視点からの新たな知見を提供するものであり、身体運動科学の分野における意義は非常に大きい。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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