学位論文要旨



No 125396
著者(漢字) 千葉,俊介
著者(英字)
著者(カナ) チバ,シュンスケ
標題(和) 鎮痛及び耐性とそのメカニズムに関する研究
標題(洋)
報告番号 125396
報告番号 甲25396
学位授与日 2009.10.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3368号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 斉藤,延人
 東京大学 准教授 中島,淳
 東京大学 教授 芳賀,信彦
 東京大学 講師 張,京浩
 東京大学 准教授 中川,恵一
内容要旨 要旨を表示する

「目的」

麻酔科領域では様々な鎮痛薬が鎮痛目的で使用されるが、長期投与による耐性出現は臨床上の問題点のひとつである。モルヒネは癌性疼痛治療薬として最も広く使用されている薬物のひとつであるが、長期にわたり投与し続けると鎮痛効果に対する耐性が出現し、臨床上問題となる。従って、耐性出現の予防法に関する研究は臨床上極めて有意義である。N-methyl D-aspartate (NMDA) 受容体アンタゴニストやカッパオピオイド受容体アゴニストがモルヒネ耐性を予防する効果があるという動物実験でのデータは数多くあるが、いずれも副作用が強く、現在のところ臨床応用の検討は進展していない。ペンタゾシンは拮抗性非麻薬性鎮痛薬であり、癌性疼痛患者の治療薬として広く使用されており、拮抗性非麻薬性鎮痛薬としては唯一経口投与剤が存在する。ペンタゾシンの鎮痛効果は主としてカッパオピオイド受容体を介するため、選択的カッパオピオイド受容体アゴニストと同様にモルヒネ耐性を抑制し、その耐性抑制効果を臨床応用できる可能性がある。しかし、ペンタゾシンのモルヒネ耐性抑制効果を検討したデータは動物実験でも臨床試験としても存在しない。ペンタゾシンは選択的カッパオピオイド受容体アゴニストではなく、部分的カッパオピオイド受容体アゴニスト、部分的ミューオピオイド受容体アンタゴニスト、または部分的ミューオピオイド受容体アゴニストとしても作用するため、ペンタゾシンのモルヒネ鎮痛やモルヒネ耐性に対する効果は選択的カッパオピオイド受容体アゴニストとは異なる可能性がある。従って、今回、臨床に応用する前段階として、ペンタゾシンのモルヒネ耐性に対する効果を、マウスを用いて行動学的に検討した。

一方、ミダゾラムは中枢性のGABAA受容体ベンゾジアゼピン結合部位に特異的に結合することで鎮静作用を発現する薬物であるが、その痛みに対する作用は文献によって異なり、確立されていない。今回ミダゾラムの全身投与の生理的疼痛及び炎症性疼痛に対する作用を、マウスを用いて行動学的に検討した。また、ミダゾラムの連日投与により鎮痛効果に対する耐性が出現するか否か検討した文献は存在しないため、今回ミダゾラムの連日投与による鎮痛効果に対する耐性出現の有無について検討した。さらに、もし耐性が出現した場合、そのメカニズムを検討するため、耐性が出現したマウスと対照群のマウスの脳内のDBI(diazepam binding inhibitor)とDBI関連遺伝子のmRNAに変化が現れるか否かにつき検討した。

「方法」

塩酸モルヒネ、ペンタゾシン、nor-binaltorphimine (nor-BNI) (選択的カッパオピオイド受容体アンタゴニスト)、clocinnamox mesylate (C-CAM)(選択的ミューオピオイド受容体アンタゴニスト)、ミダゾラムを使用した。塩酸モルヒネ、ペンタゾシン、nor-BNIは生理的食塩水(生食)に溶解し、C-CAMはdimethyl sulfoxide (DMSO) に溶解してマウスに皮下注した。ミダゾラムは生食に溶解してマウスに腹腔内投与した。薬物を併用投与する場合、ペンタゾシンは塩酸モルヒネ投与直前に投与した。nor-BNI とC-CAMは塩酸モルヒネ投与の120分前に投与した。生理的疼痛(機械刺激)に対する評価はテイルプレッシャーテストにて行った。マウスの尾に一定のスピード(16g/sec)で連続的に増加する力を加え、逃避反応を起こす圧力を測定した。カットオフ値は250gに設定した。生理的疼痛(熱刺激)に対する評価はホットプレートテストにて行った。55℃のプレートの上に動物を置き、疼痛を感じるまでの潜時を測定した。動物が肢をなめる、肢をバタバタさせる、飛び上がるなどの反応を示した場合に疼痛を感じたと判断した。カットオフ値を30秒に設定した。炎症性疼痛に対する評価は酢酸ライジングテストにて行った。薬剤投与30分後に0.6%酢酸を10ml/kg腹腔内投与し、マウスが身をよじる回数を酢酸投与5分後から10分間数えた。自動能に対する評価はランニングホイールテストにて行った。薬剤投与後、直径16cmのホイールにマウスを入れ、ホイールの回転数を5分ごとに150分間測定した。筋弛緩作用に対する評価はバランスビームテストにて行った。薬剤投与後、直径15mmの円柱の上にマウスを乗せ、円柱上に留まっていられる時間を測定した。カットオフ値を90秒に設定した。

モルヒネ耐性の実験では、テイルプレッシャーテストは塩酸モルヒネ投与の60分後に行った。ミダゾラムの鎮痛実験ではランニングホイールテストとバランスビームテストはミダゾラム 1,3,10,30 (mg/kg) を腹腔内投与した。ホットプレートテスト、 テイルプレッシャーテスト、酢酸ライジングテストはミダゾラム1,3,10 (mg/kg) を腹腔内投与した。対照群として生食10ml/kgを腹腔内投与した。結果はmeans±SEMで表示した。ホットプレートテスト、 テイルプレッシャーテスト、ランニングホイールテストの結果はtwo-way repeated measures ANOVA, Fisher's PLSD検定で行った。酢酸ライジングテスト、バランスビームテストの結果はone- way ANOVA, Fisher's PLSD検定で行った。p<0.05を有意差ありとした。

一方、ミダゾラムの耐性実験では、ミダゾラム10 mg/kgをマウスに連日腹腔内投与した。対照群として生食10ml/kgを連日腹腔内投与した。生理的疼痛に対する評価はテイルプレッシャーテストにて行った。テイルプレシャーテストはミダゾラム投与の30分後に行った。行動学的に耐性が出現した場合、ミダゾラム10 mg/kgと生食をそれぞれマウスに連日腹腔内投与した後、マウスを断頭し、脳を取り出して6つの部位(小脳、大脳皮質及び線条体、間脳、海馬、中脳、橋及び延髄)に分け、それぞれの部位でDBI及びDBI関連遺伝子のperipheral-type benzodiazepine receptor (PBR)、GABAAα2のmRNAレベルをPCR法により調べた。結果はmeans±SEMで表示し、Mann Whitney U検定で行った。p<0.05を有意差ありとした。

「結果」

ペンタゾシン(0.1,0.3,1.0mg/kg)は投与60分後においては鎮痛効果が見られなかった。塩酸モルヒネ(10mg/kg)と生食を連日投与すると5日目でモルヒネ耐性が形成されたが、塩酸モルヒネとペンタゾシン(0.1,0.3,1.0mg/kg)を連日投与するとモルヒネ耐性形成をペンタゾシンは用量依存性に抑制した。この効果はnor-BNIで拮抗された。

ミダゾラム投与直前、投与後10, 30, 45, 60, 90, 120分後にホットプレートテストを行った結果、ミダゾラムは用量依存性に鎮痛効果を示した。ミダゾラム投与直前、投与後10,30,45,60,90,120,150分後にテイルプレッシャーテストを行った結果、ミダゾラムは用量依存性に鎮痛効果を示した。酢酸ライジングテストではミダゾラム3mg/kgと10mg/kg投与群で鎮痛効果を示した。ランニングホイールテストではミダゾラムは用量依存性に自動能を低下させることはなく、鎮痛効果と自動能の低下に相関はみられなかった。バランスビームテストではミダゾラム30mg/kg投与群のみがビーム上に留まっていられなかったが、それ以外はビーム上に90秒以上留まっており、筋弛緩効果を認めなかった。

テイルプレッシャーテストでは、ミダゾラムを連日投与すると5日目から鎮痛効果に対する耐性が出現し、10日目に鎮痛効果が消失した。ミダゾラム投与群のDBI mRNAは対照群のそれと比較して、大脳皮質及び線条体、間脳、海馬、中脳、橋及び延髄で有意に上昇した。ミダゾラム投与群のPBR mRNAは対照群のそれと比較して有意差はみられなかった。ミダゾラム投与群のGABAAα2 mRNAは対照群のそれと比較して、海馬、橋及び延髄で有意に上昇した。

「結論」

鎮痛効果を示さない低濃度のペンタゾシンを塩酸モルヒネと併用することにより、モルヒネ耐性は抑制され、その効果はカッパオピオイド受容体を介することが示された。

ミダゾラムの全身投与は生理的疼痛を用量依存性に抑制し、炎症性疼痛を抑制した。ミダゾラムをマウスに連日投与すると、その鎮痛効果に対する耐性が形成された。また、ミダゾラムを連日投与したマウスの脳内では、対照群のマウスの脳内と比較して、DBI 、GABAAα2のmRNAが上昇した。ミダゾラムの鎮痛効果の耐性出現にはDBIが関与していることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は鎮痛効果を有する薬物の耐性化メカニズムを明らかにする目的としてモルヒネ耐性に対するペンタゾシンの効果を検討すると共に、ミダゾラムの鎮痛効果とその耐性化メカニズムについて検討したものであり、下記の結果を得ている。

1.マウスにペンタゾシン(0.1,0.3,1.0,3.0,10mg/kg)をそれぞれ皮下注し、鎮痛効果の有無をテイルプレッシャーテストにて検討したところ、ペンタゾシン(3.0,10mg/kg)は投与60分後において鎮痛効果が見られたが、ペンタゾシン(0.1,0.3,1.0mg/kg)は投与60分後においては鎮痛効果が見られなかった。(以下、ペンタゾシン(0.1,0.3,1.0mg/kg)をsubanalgesic doseのペンタゾシンと定義する。)

2.マウスにsubanalgesic doseのペンタゾシンとモルヒネ(1.0,3.0mg/kg)を併用投与したところ、モルヒネ(1.0,3.0mg/kg)の鎮痛効果を減弱させることが判明したが、この効果は用量依存性ではなかった。

3.マウスにsubanalgesic doseのペンタゾシンを4日間連続投与したところ、鎮痛効果は現れなかった。5日目にsubanalgesic doseのペンタゾシンとモルヒネ(1.0,3.0mg/kg)を併用投与したところ、モルヒネ(1.0,3.0mg/kg)の鎮痛効果を減弱させることが判明したが、この効果は用量依存性ではなかった。

4.マウスにclocinnamox mesylate (C-CAM)(選択的ミューオピオイド受容体アンタゴニスト)(0.5 mg/kg)とモルヒネ(10 mg/kg)を併用投与したところ、モルヒネの鎮痛効果は拮抗されたが、nor-binaltorphimine (nor-BNI) (選択的カッパオピオイド受容体アンタゴニスト)(5 mg/kg)とモルヒネ(10 mg/kg)を併用投与したところ、モルヒネの鎮痛効果は拮抗されなかった。

5.マウスにC-CAM (0.5 mg/kg)とペンタゾシン(10 mg/kg)を併用投与したところ、ペンタゾシンの鎮痛効果は拮抗されなかったが、nor-BNI (5 mg/kg)とペンタゾシン(10 mg/kg)を併用投与したところ、ペンタゾシンの鎮痛効果は拮抗された。

6.マウスにモルヒネ(10 mg/kg)を連日投与したところ、5日目に鎮痛効果に対する耐性が形成された。一方、subanalgesic doseのペンタゾシンとモルヒネ(10 mg/kg)を14日間連日併用投与したところ、モルヒネ耐性形成をペンタゾシンは用量依存性に抑制した。15日目にnor-BNI (5 mg/kg)を投与後にsubanalgesic doseのペンタゾシンとモルヒネ(10 mg/kg)を併用投与したところ、14日間維持されていた鎮痛効果は消失した。16日目以降もsubanalgesic doseのペンタゾシンとモルヒネ(10 mg/kg)を連日併用投与したところ、19日目にnor-BNIの効果が消失したため、20日目にC腹-CAM (0.5 mg/kg)を投与後にsubanalgesic doseのペンタゾシンとモルヒネ(10 mg/kg)を併用投与したところ、これまで維持されていた鎮痛効果は消失した。

7.マウスにミダゾラム(1,3,10mg/kg)をそれぞれ腹腔内投与し、ミダゾラム投与直前、投与後10, 30, 45, 60, 90, 120分後にホットプレートテストを行った結果、ミダゾラムは用量依存性に鎮痛効果を示した。ミダゾラム投与直前、投与後10,30,45,60,90,120,150分後にテイルプレッシャーテストを行った結果、ミダゾラムは用量依存性に鎮痛効果を示した。酢酸ライジングテストではミダゾラム3mg/kgと10mg/kg投与群で鎮痛効果を示した。ランニングホイールテストではミダゾラムは用量依存性に自動能を低下させることはなく、鎮痛効果と自動能の低下に相関はみられなかった。バランスビームテストではミダゾラム30mg/kg投与群のみがビーム上に留まっていられなかったが、それ以外はビーム上に90秒以上留まっており、筋弛緩効果を認めなかった。

8.テイルプレッシャーテストでは、マウスにミダゾラム(10mg/kg)を連日投与すると5日目から鎮痛効果に対する耐性が出現し、10日目に鎮痛効果が消失した。ミダゾラム投与群のDBI(diazepam binding inhibitor) mRNAは対照群のそれと比較して、大脳皮質及び線条体、間脳、海馬、中脳、橋及び延髄で有意に上昇した。ミダゾラム投与群のPBR (peripheral-type benzodiazepine receptors) mRNAは対照群のそれと比較して有意差はみられなかった。ミダゾラム投与群のGABAAα2 mRNAは対照群のそれと比較して、海馬、橋及び延髄で有意に上昇した。

以上、本論文は、鎮痛効果を示さない低濃度のペンタゾシンを塩酸モルヒネと併用することにより、モルヒネ耐性は抑制され、その効果はカッパオピオイド受容体を介することを明らかにした。また、ミダゾラムの全身投与は生理的疼痛を用量依存性に抑制し、炎症性疼痛を抑制するということも明らかにした。さらに、ミダゾラムをマウスに連日投与すると、その鎮痛効果に対する耐性が形成され、ミダゾラムを連日投与したマウスの脳内では、対照群のマウスの脳内と比較して、DBI mRNAが上昇したため、ミダゾラムの鎮痛効果の耐性出現にはDBIが関与していることをも明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、麻酔科領域で使用される鎮痛薬の耐性化メカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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