学位論文要旨



No 125403
著者(漢字) 廣瀬,恵一
著者(英字)
著者(カナ) ヒロセ,ヨシカズ
標題(和) 胎児肝臓におけるヘッジホッグシグナルの機能解析
標題(洋) Functional analysis of Hedgehog signaling in the fetal liver
報告番号 125403
報告番号 甲25403
学位授与日 2009.11.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5440号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 教授 多羽田,哲也
 東京大学 教授 宮島,篤
 東京大学 特任教授 渡辺,すみ子
 東京医科歯科大学 教授 仁科,博史
内容要旨 要旨を表示する

肝臓は生体における最大の臓器であり、代謝、血清タンパク産生、解毒作用、など様々な機能を有しており、生命の恒常性の維持に必須の臓器である。肝臓は、これら多彩な肝機能の中心である肝実質細胞と胆管上皮細胞、肝星細胞、類洞内皮細胞、肝中皮細胞などの非実質細胞から構成される。肝臓の上皮系細胞である肝細胞と胆管上皮細胞は、共通の前駆細胞である肝芽細胞より分化することが知られている。

ヘッジホッグは、キイロショウジョウバエの遺伝学的スクリーニングにより同定された、発生段階における重要なモルフォゲンの一つであり、胎児の神経や四肢の発生などを含め、各種細胞の増殖・分化や組織の形態形成に関わっている。胎児におけるヘッジホッグシグナルの異常は、全前脳胞症、Gorlin 症候群、Pallister-Hall 症候群、VACTERL 症候群などの先天性異常に関与していることが報告されている。一方、成体におけるヘッジホッグシグナルの異常な活性化は、髄芽細胞腫、基底細胞腫、横紋筋肉腫など多くの腫瘍の発生及び増殖に関与していることが報告され、肝臓においても肝細胞癌、胆管癌、肝芽腫などの腫瘍形成に関与していることが報告されている。

成体肝臓では、病理学的な解析から様々な病的状態におけるヘッジホッグシグナルの関与が指摘されており、肝障害時における肝星細胞、胆管上皮細胞及び繊維芽細胞の増殖や胆管上皮細胞のケモカイン産生に関与していることが示されている。マウスの胎児肝臓においては、肝憩室が形成される時期である胎齢8.5 日の腹側前腸内胚葉にヘッジホッグリガンドの一つであるShh(Sonic Hedgehog)の広範囲な発現が確認されるが、胎齢9.0-9.5 日の肝芽原基においはその発現は消失している。肝臓の発生が異常になる遺伝子改変マウスであるHex ノックアウトマウスでは、肝芽において消失しているはずのShh の異所的発現が見られることからも、肝芽の出芽時期におけるShh の発現消失の重要性が指摘されている。一方、ヘッジホッグシグナルのターゲット遺伝子であるPtc1(Patched1)の発現が胎齢11.5日の肝臓において確認されており、この時期にヘッジホッグシグナルが活性化される可能性が示唆された。しかしながら、肝臓の発生分化におけるヘッジホッグシグナルの機能は不明であった。そこで本研究では、胎児肝臓の器官形成におけるヘッジホッグシグナルの機能解析を行った。

胎齢11.5~生後8週齢の各発生段階のマウスより肝臓を摘出し、ヘッジホッグシグナルの活性化を、ターゲット遺伝子であるGli1 の発現を指標として解析したところ、胎齢11.5 日の胎児肝臓においてGli1 の発現が確認されたが、その発現は発生が進行するにつれて減少した。また、Shh の発現も同様に胎齢11.5 日の胎児肝臓においては確認されたが、発生の進行に伴い減少した。しかし、リガンドの一つであるIhh(Indian Hedgehog)の発現は、Gli1 及びShh の発現とは逆に胎生後期に向けて上昇し、出生後は劇的に減少していた。Ihhは障害時の成体肝臓において胆管の周辺に発現が確認されていることから、胎児肝臓においても胆管形成に関与している可能性が考えられるが、肝臓全体では胆管上皮細胞の割合は低いためにGli1 の発現上昇は見られなかったものと考えられる。また、ヘッジホッグシグナルは胎児造血での役割も報告されているため、肝芽細胞及びその他の細胞群をMACS(magnetic cell sorter)により分取し解析したところ、各胎齢でのGli1 の発現は主に肝芽細胞で確認された。さらに詳細な解析を行うため、胎齢11.5 日の胎児肝臓における各種細胞群をFACS(Fluorescence-activated cell sorter)により分取しGli1 の発現を確認したところ、肝芽細胞、肝星細胞前駆細胞、肝中皮前駆細胞においてGli1 の発現が確認され、Shh の発現は肝芽細胞において確認された。また、胎齢11.5 日の胎児肝臓を用いた免疫染色においても、肝芽細胞におけるGli1 の発現が確認された。これらの結果から、胎齢11.5 日の胎児肝臓ではオートクラインによる肝芽細胞でのヘッジホッグシグナルの活性化と、パラクラインによる肝星細胞前駆細胞、肝中皮前駆細胞での活性化が示唆された。

肝芽細胞および肝星細胞の増殖におけるヘッジホッグシグナルの役割を、胎齢11.5 日の肝臓より肝芽細胞および肝星細胞を分取し、培養系により評価した。肝芽細胞及び肝星細胞前駆細胞は、ヘッジホッグシグナルの活性化により増殖が亢進した。また、ヘッジホッグシグナルの活性化によりカスパーゼ3 及び7 の活性も低下しておりアポトーシスの抑制も示唆された。次に、肝芽細胞の増殖能をコロニー形成能により評価した結果、多数の細胞より構成される大きいコロニーの数及び総細胞数がヘッジホッグシグナルの活性化により有意に増加していた。そしてこれらの効果は、ヘッジホッグシグナルの阻害剤であるCyclopamine の添加により消失した。よって、ヘッジホッグシグナルはアポトーシスを抑制することで胎齢11.5 日の肝芽細胞及び肝星細胞前駆細胞の増殖を促進することが示された。一方、胎齢14.5 日の肝芽細胞はヘッジホッグによる細胞増殖促進効果が確認できなかったことから、胎児肝臓では各発生段階においてヘッジホッグシグナルに対する応答性が変化することが示唆された。

肝芽細胞はin vitroの培養系において肝実質細胞への分化誘導が可能であることから、ヘッジホッグシグナルによる肝実質細胞分化への影響も解析した。胎齢11.5日及び14.5日の肝臓より肝芽細胞を分取し培養したところ、両胎齢の肝芽細胞はヘッジホッグシグナルの活性化により肝実質細胞マーカー遺伝子の発現が有意に低下した。また、遺伝子発現だけではなく、肝実質細胞の重要な機能の一つであるアンモニア代謝能の発現もヘッジホッグシグナルの活性化により低下していた。そしてそれらの効果もまたCyclopamineの添加により消失したことから、ヘッジホッグシグナルは肝芽細胞の肝実質細胞への分化を抑制していることが示唆された。

次にin vitroの結果をin vivoで確認するため、妊娠マウスにヘッジホッグシグナルの活性化薬剤であるPurmorphamineを胎齢11.5 日から16.5 日にかけて連続投与し、胎齢17.5日の胎児肝臓においてその効果を解析した。Purmorphamineの投与によりGli1の発現が上昇したことから、胎児肝臓おけるヘッジホッグシグナルの活性化が確認され、in vitroの結果と一致して、ヘッジホッグシグナルの活性化により肝実質細胞のマーカー遺伝子の発現が減少していることが確認された。

以上の結果より、ヘッジホッグシグナルは胎齢11.5 日前後において一時的に活性化されて肝芽細胞や肝星細胞前駆細胞の増殖を促進するが、その後の発生段階においては減弱することにより肝実質細胞の分化を促す機構の存在が明らかになった。本研究はヘッジホッグシグナルの肝芽細胞および肝星細胞の増殖分化における作用を明らかにすることで肝臓の発生・分化機構の一端を明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6つの章からなる。第一章での序論に続き、第二章では材料と方法、第三章から第五章までは研究結果が、第六章では結論が記述されている。

ヘッジホッグシグナルは胎児における四肢や神経などの器官形成に重要なシグナル経路であり、シグナル系の異常は胎生致死を含む様々な器官形成不全を引き起こすことが知られている。マウスにおける肝臓の発生は、胎齢8 日前後に前腸内胚葉より肝臓の細胞が分化することで開始され、その時期の前腸内胚葉においてはヘッジホッグシグナルのリガンドであるSonic Hedgehog(Shh)が発現していることが報告されている。また、分化後の肝芽においてはその発現が消失するが、胎齢11.5 日前後の胎児肝臓においてはノックインマウスの解析によりヘッジホッグシグナルの活性化が示唆されている。しかしながら、その後の発生段階における解析はいまだ報告がなされていない。そこで、第三章では11.5 日以降のヘッジホッグシグナルの活性化及びその機能についての解析を行った。各発生段階の胎児肝臓における遺伝子発現を解析した結果、胎齢11.5 日前後ではヘッジホッグシグナルの活性化が確認されたが、発生が進むにつれて活性化が減少していくことが確認された。また、ヘッジホッグシグナルの活性化は、肝星細胞前駆細胞、肝中皮前駆細胞および肝臓における胎児組織幹細胞である肝芽細胞において確認され、Shh の発現は肝芽細胞で確認された。そして、免疫染色によって、ヘッジホッグシグナルの細胞増殖への関与も示唆された。

第四章では、肝芽細胞におけるヘッジホッグシグナルの機能解析について述べている。最初に、第三章で示唆されたヘッジホッグシグナルと細胞増殖との関連について解析し、肝芽細胞の培養系においてヘッジホッグシグナルを活性化させることにより、肝芽細胞の細胞増殖が亢進されることを明らかにした。また、ヘッジホッグシグナルの活性化によりカスパーゼ活性が阻害されたことから、アポトーシスの抑制により細胞増殖の促進を行っていることが考えられた。さらに、コロニー形成能の解析により、多数の細胞よりなるコロニーの出現頻度がヘッジホッグシグナルの活性化により増加したことから、肝芽細胞の未分化性の維持に関与している可能性も示唆された。肝芽細胞は、培養系において成体肝臓の主要な代謝能を担っている肝実質細胞へと分化できるため、次にヘッジホッグシグナルの肝実質細胞分化への影響を解析した。その結果、ヘッジホッグシグナルの活性化により、肝実質細胞の分化マーカー遺伝子の発現及びアンモニア代謝能の獲得が阻害されており、肝実質細胞への分化が抑制されていることが明らかになった。培養系において得られた肝実質細胞への分化抑制効果をin vivo で解析するため、妊娠マウスの母体にヘッジホッグシグナルの活性化薬剤を投与し、胎児肝臓におけるヘッジホッグシグナルの活性化を試みた。胎齢17.5 日に胎児を摘出し、胎児肝臓を解析したところ、薬剤投与によるヘッジホッグシグナルの活性化が確認されると共に、肝実質細胞の分化マーカー遺伝子の発現抑制が確認された。これらのことからヘッジホッグシグナルは胎児肝臓において、細胞増殖を亢進すると共に、肝実質細胞への分化を抑制しているものと考えられた。

第五章では、肝星細胞前駆細胞におけるヘッジホッグシグナルの機能解析について述べている。肝星細胞は肝臓において、脂肪の蓄積などを行うと共に、障害時には活性化して各種のシグナル分子や細胞外基質を産生する細胞であり、肝線維化の中心的な細胞である。肝星細胞前駆細胞の培養系において、ヘッジホッグシグナルを活性化させると、肝芽細胞と同様に細胞増殖が亢進し、カスパーゼ活性の抑制が観察された。また、肝星細胞の分化マーカー遺伝子の発現に変化は無かったが、活性化マーカー遺伝子の発現はヘッジホッグシグナルの阻害剤により抑制されたことから、ヘッジホッグシグナルは肝星細胞前駆細胞の活性化の制御も行いうることが示唆された。これらの結果により、胎児肝臓においてヘッジホッグシグナルは、胎齢11.5 日前後において肝芽細胞及び肝星細胞前駆細胞の細胞増殖を亢進させるために一時的に活性化するが、その後の正常な肝臓の分化成熟のために活性化の減少が起こっているという生体内での機構の存在が明らかになった。ヘッジホッグシグナルも胎児肝臓の形態形成を担っているシグナル系の一員であることが示され、肝発生の機構の一端が解明されたという意味において本研究は非常に意義深いものである。

なお、本論文は伊藤暢及び宮島篤との共同研究であるが、申請者が主体となって実験及び考察を行ったものであり、申請者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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