No | 125406 | |
著者(漢字) | 飯山,陽 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | イイヤマ,アカリ | |
標題(和) | イスラームにおける「法の目的」マスラハ概念の理論と実践 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 125406 | |
報告番号 | 甲25406 | |
学位授与日 | 2009.11.26 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(文学) | |
学位記番号 | 博人社第732号 | |
研究科 | 人文社会系研究科 | |
専攻 | アジア文化研究専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | イスラームという宗教の教義と実践を主として司る学問・規範体系、それがイスラーム法である。というのもイスラーム信仰の中核には、信者はイスラーム法に従って現世を生きることにより来世で楽園における永遠の生命を与えられる、という教義が存するからである。イスラーム法は理念的には神を唯一の立法者とする無欠缺の法とされるが、一方でそれを人間が把握するためには人間による知的活動が不可欠であるともされる。 本論文は、一般的には「利益」や「善」を意味し、イスラーム法学の術語としては「法の目的」と定義されたマスラハ(原語はアラビア語)という概念に関する研究である。マスラハは法が無欠缺であることをどう保証し、また変遷する社会にその法をどう適用し続けるか、というイスラーム法上の主要な問題に関わる概念である。本論文は三部と結論より構成され、第一部ではイスラーム法とは何かについて示した後でマスラハの研究史を整理し、第二部ではマスラハの理論的側面、第三部では実践的側面について考察した。 イスラーム思想史においては9~10世紀頃、善悪は神の意志によって決定され、人間は啓示(聖典『クルアーン』とスンナ)への依拠によってのみ神の意志にかなった法判断を知ることができるという原則が確立したといわれる。啓示に由来する法判断のみが正しく、キヤース(類推)のみが正しい推論法であるという法理論の原則を記した初のイスラーム法理論書とされるのはシャーフィイー(820年没)著『リサーラ』であるが、同書はマスラハに言及していない。マスラハとは「法の目的」の意であると定義したのはガザーリー(1111年没)であり、以後この定義はイスラーム法学者達に普遍的に受容された。しかし先行研究はガザーリー以前のマスラハ理論を十分には明らかにしていないため、本論文第二部では複数の法理論書を分析対象とし、マスラハがなぜ、どのような過程を経て「法の目的」と同定され、法体系中に正統な位置を占めるに至ったかの解明に努めた。 その結果、以下のことが明らかとなった。すなわち、マスラハが「法の目的」と同定される以前から、マスラハの原義である「利益」や「善」を考慮して法判断を下す法学者は存在していたものの、法は啓示に由来するという原則の確立に伴い、啓示に由来しない「単なる利益」を考慮して法判断を下すというやり方は批判されるようになった。一方、同原則を厳守することにより、現実の事案に法を適用し続けることが困難になるという問題が顕在化した。なぜなら法源たる啓示の数が有限なのに対し、判断を下すべき新しい事案は無限に生じるからである。 しかし法学者達は、神が全知全能である以上、神の立法した法は無欠缺であるという確信を共有していた。法理論の原則と矛盾しないかたちでこの問題を解決する道が模索される中、それは一方ではキヤース理論の拡充へと導かれ、他方キヤースの枠内でも処理しきれない事案については、本来マスラハとは神によって示された論拠に立脚する法判断のことであるが、それが不在の場合には、法学者が理性を行使することにより何がマスラハ(利益)であるかを判断することが許されている、という理論がジャッサース(980年没)によって示された。これが知られる限り最古のマスラハ理論である。これを継承したのが神学的にはムウタズィラ派に属するバスリー(1044年没)であり、彼はそれに加えて、神が禁じても命じてもいない行為(許容行為)に関しては理性によって何がマスラハ(利益)であるかを判断することができるが、そうしたマスラハは神の規範的評価の対象とはされない、という説を示した。 しかし同説は、啓示にもとづく法判断のみを認めるスンナ派法学者の多数派(神学的にはアシュアリー派)にとっては受容しえないものであった。ただしおそらく彼らの目にも、法が無欠缺であることを理論づける上で、法判断にマスラハの考慮を反映させるという発想自体は魅力的なものとして映ったと考えられる。そしてそれを「正しい」かたちで導入すべく、法理論の構造改革を行ったのがジュワイニー(1085年没)である。彼は、法学者の使命は「立法者の意図」とマスラハにかなった法判断を下すことであるとし、法判断の源が啓示にみいだせない場合、神が啓示を下した意図そのものに論拠を帰せしめることを可能にする理論を確立させた。ここで彼は、マスラハを「単なる利益」ではなく「立法者の意図」とほぼ同義のものとして論じた。 ジュワイニー説を継承し、明解で一貫したマスラハ理論へと昇華させたのがガザーリーである。彼はマスラハを「法の目的」と同定し、それは具体的には宗教・生命・理性・子孫・財産という五つの基本要素の保全であると論じた。また彼は、啓示全体を帰納法的に解釈することによって、啓示で明示されていないマスラハを知ることができるとも論じた。これによりマスラハは「法の目的」という高みに引き上げられ、形式的には啓示にもとづいて理解される(ゆえに法理論の原則には抵触しない)ものの、実質的には啓示の上位概念として機能しうる正統な法概念として確立された。こうしたマスラハ理論の成熟化に伴い、マスラハを理由に啓示に由来する法規範の適用を回避する、あるいはマスラハに立脚して現実社会により適した判断を下すというやり方が、正統なものとして認められる背景が整った。 このように第二部では、マスラハが法に可変性・柔軟性をもたらすことによって法の無欠缺性を保証すべく法理論中に組み込まれた概念であることを明らかにした。そして第三部では、法の実践におけるマスラハの役割を明らかにすべく、10~16世紀にかけてマグリブ・アンダルス地域(西地中海周辺のイスラーム地域)のマーリク派法学者達によって発行されたファトワー(イスラーム法学者の発行する法的見解)を編纂した『ミウヤール』を分析した。 その結果、『ミウヤール』に収録されたファトワーの約10%が明示的にマスラハ概念を援用しており、そのほとんどにおいて実際の事案に既存の法規範を適用することがマスラハであるととらえられていることが明らかになった。つまり法規範に則したファトワーを発行した法学者達は、明示的にマスラハを援用していようといまいと、基本的に「法の目的」たるマスラハは法規範の適用によって保全されると考えていたといえる。また法規範の解釈に多様性があったり、ひとつの事案に複数の法規範が関与したりするようないわゆるハード・ケースにおいては、マスラハが法源として機能する場合もあるが、その頻度は低い。総じて法の実践におけるマスラハは、法に可変性・柔軟性をもたらす概念というよりは、法の不変性・首尾一貫性を保証する概念としてたちあらわれているといえる。つまりマスラハが理論上「法の目的」と同定されたことにより、ある事案に法規範を適用する場合もしない場合も含め、法学者は常に一貫してマスラハの保全を目している、という外観が構築されることとなった。 欧米研究者によるマスラハ研究には100年近い歴史があり、概ねマスラハは法理論の原則に矛盾する法規範や法学者の恣意的解釈を正統化するための法解釈のツールとしてとらえられてきた。しかしマスラハの歴史をひもとくと、マスラハは確かに法に可変性をもたらす概念として理論化されたが、法学者達は法の実践においてマスラハのそうした機能を用いることに対しては謙抑的であり、彼らはむしろ法の不変性を担保する概念としてマスラハを用いてきたことがわかる。 またマスラハの理論と実践の考察を介して明らかとなったのは、イスラーム法研究者アティーフ・アフマドA. Atif Ahmadの言をかりるなら、イスラーム法の理論と実践は構造的相互関係にあるということである。先行研究においては、歴史的にイスラーム法規範の成立が法理論の成立に先んじていることを理由に、イスラーム法理論は法規範を正統化する役割のみを果たす没価値的なものであるとみなされることが多かった。しかし10世紀以降、マスラハが正統な概念として法理論中に組み込まれたように、変遷する社会に「神の法」を適用しつづけるための刷新は法理論の中でも図られてきた。その背景には、法の無欠缺性を理論的に保証するという実質的な必要性があった他、「利益」や「善」を考慮して法判断を下すという一部の法学者達による法実践の現実があったといえる。他方マスラハの理論が成熟すると、今度はその成果が法の実践にフィードバックされ、イスラーム法は理論においても実践においても「法の目的」の保全を目している、という首尾一貫性がもたらされることとなった。 マスラハはイスラーム世界に近代化の波が押し寄せた19世紀末や、政治イデオロギーとしてのイスラーム主義が議論される現在など、イスラーム世界が大問題に直面している時代にイスラーム法学者達によって盛んにとりあげられてきた概念でもある。また憲法や民主主義といった制度・思想、映像やインターネットといった技術、輸血や臓器移植といった医療的施術など、数多くの近現代文明の産物をイスラーム的に合法と解釈する理由としてもあげられてきた。今後のイスラーム法、ひいてはイスラームの行方を考える時、マスラハがイスラーム(法)に可変性と不変性を矛盾なくもたらす機能をもった概念であるということが、あらたな重要性をもって浮上してくるかもしれない。 | |
審査要旨 | 元々「善」あるいは「利益」を意味する「マスラハ」は、啓示に唯一の源泉を有すると観念されたイスラム法の硬直化を防ぎ、その革新をもたらす概念として、イスラム圏の内外において、注目を集めてきた。しかし、申請者によれば、従来のマスラハ研究は、2つの点で不充分であった。 第1点は、マスラハ理論の歴史的展開に関わる。一般に、その後世への影響力の大きさと理論の成熟度に鑑みて、ガザーリー(1111年没)がマスラハ理論の完成者と目されているが、従来の研究は、ガザーリーに至る理論の展開を深く考察することなく、ガザーリーが突然マスラハ理論を完成させたかのように解してきた。 これにたいして申請者は、イスラム最初期に遡ってその歴史的展開を考察し、とくに、ジャッサース(980年没)やバスリー(1044年没)による法理論の主要な著作におけるマスラハ概念を詳細に分析・検討した。その結果、むしろジュワイニー(1085年没)が「立法者の意図」という概念を導入してマスラハ理論を実質的に完成させたが、その文体が難渋であることなどの理由から、ジュワイニーのマスラハ理論を平易な形で定式化したガザーリーの理論の影響が後世において絶大になったことを明らかにした。 第2点は、マスラハ理論の実践面に関わる。一般にイスラム法の規定は、10世紀に確立され、以後、近現代に至るまで目立った修正を被ることはなかったとされる。しかし従来の研究者は、大局的に見ればイスラム法はいったん完成された後には変わらなかったことを認めつつも、マスラハがその幾ばくかの変容に寄与したという先入観にとらわれてマスラハを考察する傾向があった。しかし申請者は、マスラハがそのような機能を本当に果たしたのかどうかについて疑問を抱き、北アフリカとイベリア半島で発行されたファトワー(法学者が具体的な法的事案に関して与えた意見)を分析した。対象となったファトワーの内容は、財産法、家族法、渉外関係など多岐にわたる。その結果、マスラハは、法を変える機能を果たすことはむしろ稀であり、ほとんどの例において、既存の法に、神の法として体系性を有するという外観を与える役割を果たしたことを明らかにした。 本論文は、大量の法学文献を渉猟し、理論と実践の両側面について、マスラハ概念がイスラム法体系における占める位置を正当に評価することに成功しており、従来のマスラハ研究にたいして重要な貢献を行っていると認められる。この点に鑑みて、審査委員会は、本論文が、飯山陽氏に博士(文学)の学位を授与するのにふさわしい高水準の業績であると判断するものである。 | |
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