学位論文要旨



No 125409
著者(漢字) 岩並,賢
著者(英字)
著者(カナ) イワナミ,タカシ
標題(和) 雰囲気制御型SIMSを用いた微小領域分析法に関する研究
標題(洋)
報告番号 125409
報告番号 甲25409
学位授与日 2009.12.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7181号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾張,真則
 東京大学 教授 尾嶋,正治
 東京大学 准教授 下山,淳一
 東京大学 准教授 火原,彰秀
 工学院大学 准教授 坂本,哲夫
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

近年の工業材料の開発に用いられる試料は、有機、無機、生体試料など、多様化の一途をたどる。これらの試料は微小、低濃度で特異的な機能が発現する。そして試料の元素組成、化学組成を局所的に分析する二次イオン質量分析法(SIMS)が不可欠な方法となっている。

しかしながら、従来のSIMS分析法では真空中での限られた雰囲気内で分析が行われるため、試料の変性や、試料準備による分析の煩雑化が懸念されている。特にビームのドリフトや、揮発成分の昇華などの点が長時間の分析において問題で、分析を短時間化するか、長時間の分析への耐久性に関する課題が残る。試料の変性や加工における問題点を克服した、広範な分析試料に適用可能な二次元、三次元SIMS分析法の開発が急がれている。

本研究では真空中における温度、ガス種、ガス圧で試料周辺の雰囲気を変化させることによって、従来,超高真空ゆえに困難とされてきた試料に対するマイクロスケールSIMS分析の実現に向けた新しい分析方法の構築を目指す。そのために、反応性ガス雰囲気における試料の高速加工および水蒸気ガス雰囲気における試料の保護について検討を行った。

【装置構成】

雰囲気制御下でSIMS分析を行うため以下の装置(Fig. 1)を作成した。本装置には,分析または試料の収束イオンビーム(FIB)加工のためにGa-FIBを試料台の上方から,電子ビーム(EB)をFIBに対して垂直に設置した。各ビームは独立に動作が可能で,任意の範囲に正確にビーム照射ができる。二次イオン質量分析用には,四重極質量分析器(Q-MS)を,SEM観察用に二次電子検出器(SED)を装着した。ガスを供給する3軸可動のガスノズルを斜め上方から設置した。合計12機のポンプを取り付け,装置全体に差動排気を施した。このガスノズルによるガスの直接噴射や差動排気システムによって,装置全体を高真空に保った状態での局所的なガス供給が可能となる。試料ステージは-120-500 °Cの温度で制御可能にした。振動対策としては,装置全体を除振台に搭載し,ポンプ由来の振動を抑制した。

【反応性ガス雰囲気における試料の高速加工】

FIBを走査しながら、各々の断面から電子情報を重ね合わせて分析を行う、イオン・電子ディアル収束ビーム装置によって、物質の三次元構造の解析が可能となった。しかしこのFIB加工は、試料やビーム走査のドリフトの問題から加工時間30分程度の10 um程度の試料に限られる。またICボンディング部など数100 umの加工が必要な試料は多く存在し、加工の高速化が必要とされている。

そこで本研究では、反応性ガス支援イオンビームエッチング(CAIBE: Chemically Assisted Ion Beam Etching)での高速加工に着目した。本研究では高速加工を広範な材料に適用するために、CAIBEの機構解明の検討、及び加工の高速化を目的とする。AlのCl2ガスによるCAIBEの圧力依存性の解析を行い、試料表面の化学種とエッチング収率の関係を検討した。また加工の高速化のため加熱条件におけるCAIBEの温度依存性を検討した。

まずAlに対するCl2ガス供給のCAIBEのエッチング収率とAl及びAl塩化物の二次イオン強度の圧力依存性からCAIBEの圧力依存性について検討した(Fig. 2)。エッチング収率の変化はCl2ガス圧力が増すにつれて、4つの過程で増大し、二次イオン強度変化から次のように表面が変化すると考えられる。まず第1過程として表面でAlCl、AlCl2が形成する。さらに第2過程として表面のCl2が十分な量となり、表面Alと下地Alとの結合を弱め、Alのエッチング収率が増大する。そして第3過程としてAlCl3の単分子層が急激に成長する。この過程では、表面のAlCl3量にエッチング収率は依存する。さらに第4過程ではAlCl3の多分子層が形成し、エッチング収率は飽和する。

そして昇温時のCAIBEの加工実験を行った。実験条件は試料温度30-500 °C、Cl2ガス圧力2.0×100 Paでエッチング収率とAl+二次イオンの温度依存性を測定した。結果は、加工速度は250 °Cまで増大し、それ以上の温度域では減少した。エッチングを行った圧力はAlCl3の成長が急激に増大する圧力である。またAl+のイオン強度は250 °Cまで大きく減少した。これは表面においてAl塩化物量が増大し、Al+が減少したと考えられる。よって30 °Cから250 °CではAl塩化物生成が増え、加工度速度が増大したと考えられる。

表面におけるAl塩化物種の変化が圧力に対し段階的に進行することを示し、AlCl3の形成が加工速度の因子であることが示唆された。またCAIBEの温度依存性からも温度Al塩化物の形成が加工速度の因子であることが示唆された。塩素ガス雰囲気でのFIB加工による加工速度増大に関する基礎的な知見を得た。

【水蒸気ガス雰囲気における試料の保護】

1. 含水生物試料の分析に向けた氷の保護膜

細胞などの含水生物試料の正確な元素の局在を知るには、生物試料の"ありのままの状態"を保ちながら二次元ないし三次元的に分析を行う必要がある。マイクロビームなどを使用した多くの微小領域分析法は高真空を必要としており、含水組織は蒸発により水分を失うため、本来の元素分布を維持することができない。本研究では含水生物試料を急速凍結し、凍結状態を維持したままGa-FIBを用いて微小領域分析を行うことによって"ありのままの状態"の含水生物試料の三次元微小部分析法を開発することを目的とする。

本研究での三次元分析法は、Ga-FIBを用いた断面加工とSIMSによる断面の二次元元素分布の取得を繰り返すことによって、二次元像を積み重ねて三次元元素分布情報を得るものである。ここでありのままの状態を維持するために、真空チャンバー内に水蒸気を導入する。本研究における三次元分析法の概念図をFig. 3示す。まず第一にサンプルを大気中で冷却する。冷却後、サンプル表面に氷の保護膜が自然に付着する。次にサンプルを分析チャンバーに導入する。そして三次元分析を行う。分析中は水蒸気をサンプル表面に吹き付け、氷の保護膜を保持する。以上の行程によって、ありのままの三次元元素分布情報を取得する。そこで氷の保護膜を用いた三次元分析に必要な保護膜の形成、氷の二次イオンのマッピング、FIB加工の検討を行った。実験結果より、清浄な氷の保護膜の形成が可能であり、5時間以上十分な氷の保護膜が形成できていることを確認した。

2. 氷の保護膜の実試料への適用

氷の保護膜を、モデル試料として用いたツメガエル赤血球に対して適用し、評価を行った。実験は以下の手順で行った。まずツメガエル赤血球を採取し、室温のSi基板上に載せ、冷媒として液体窒素を用いて浸漬法により凍結を行った。さらに大気中で霜を付着させ、直ちに-100 °Cに冷却した分析チャンバーへ導入した。そしてGa-FIBにより断面の削り出しを行った。また四重極SIMSにより試料表面、及び削りだした断面の評価を行った。この間、真空チャンバー内に水蒸気を導入した。

大気中及び、分析チャンバー内で形成した氷の保護膜はSIMS分析から、清浄なH2Oであることが確認された。さらに氷の保護膜を付けた状態でFIB加工を行ったツメガエル赤血球の分析を行い、FIBによって削り出された断面の外側と内側において、K+とNa+の分布に違いが確認された(Fig. 4)。ここで細胞内外の能動輸送のため、生きた細胞はK/Naの濃度比が細胞外に比べ、細胞内の方が多い状態であり、本結果のK+とNa+の分布からありのままの状態を維持して分析が可能であると考えられる。以上よりFIBによる断面加工とSIMS分析を組み合わせた三次元分析は有用であると示した。

【結論】

反応性のガス雰囲気を制御することで、FIBによる加工速度を増大させることができた。また加工速度増大の機構に関する知見を得た。これによって従来SIMS分析では困難であった二次元、三次元の広視野の分析に対し、分析時間の短縮が可能となる。さらに長時間の分析に対して、水蒸気雰囲気下での氷の保護膜を用いた生物試料の分析では、ダメージの少ない分析が可能となった。これによって真空装置内で昇華する成分を含む物質に対して、アーテフィシャルな分析を抑えることが可能となる。以上より、雰囲気制御型SIMS分析は,今後も増え続けるだろう多種多様な試料にたいして,試料のありのままの状態を保った3D SIMS分析を行ううえで有効な手法と結論づける。

Figure 1. The schematic image of the apparatus.

Figure 2. Chlorine gas pressure vs. various secondary ion intensities and chlorine gas pressure dependence of relative etching rate.

Figure 3. The procedure of 3D analysis.

Figure 4. Q-SIMS spectra (a, b), secondary ion images (c, d) and Ga-FIB induced secondary electron image (e) of the cross-sectioned Hymenochirus boettgeri red blood cell. The mass and count ranges used to map the distribution of Na+ (d) were m/z 23.0 and 0-500 counts and K+ (c) were m/z 39.0 and 0-600 counts.

審査要旨 要旨を表示する

本論文では3次元(3D)二次イオン質量分析(SIMS)に対して雰囲気制御したSIMS分析が有効であることを検討し,差動排気機構を採用した任意のガス雰囲気中で分析が可能なSIMS装置を構築すると共に,3D分析において問題となる大型試料と含水試料に対しての反応性ガス雰囲気での高速加工と,水蒸気雰囲気での試料保護に関する検討を行ったものである。

第1章では、近年の有機、無機、生物試料の分析に求められるSIMS分析への期待についてまとめ、本研究の雰囲気制御を用いたSIMS分析の有効性について述べた。さらに近年のSIMS分析の動向を示し、本研究の目的および意義についてまとめてある。

第2章では雰囲気制御型SIMS装置における各構成機器の仕様,制御系について,それから真空排気系の特徴について述べた。雰囲気制御型SIMSは,分析チャンバー内へ任意の種類のガスを任意の圧力で導入して,温度を制御することによって,3D SIMS分析における加工速度の増大と試料の保護が可能という大きな特徴を有する。また,装置は分析チャンバー内の雰囲気を制御した状態で,任意の走査速度,走査点数のマイクロビーム制御をすることで,精密なFIB加工およびSIMSマッピングを行える。このような概念のため,従来のSIMS装置に対して,それぞれの要素技術が複雑に構成されているので,新しくシステムの設計,製作を行なっている。

第3章では反応性ガス雰囲気でのFIBの高速加工について検討した。微小領域の3D元素分析は,FIB加工に時間がかかるために,ICのボンディング部分といった,100 μm以上の試料を分析する場合100時間以上要する。この際,ビームのドリフトなどの問題から,加工の高速化が望まれる。試料のサイズ大型化が進んでおり、シリコンウェハーが体積的に9倍で、ディスプレイ用薄膜トランジスタが2倍になっている。現状と同等の分析を行う必要があるが、上記ドリフトの問題から、10倍以上の分析時間が必要となる。そのため、FIB加工の高速化が重要であり、従来の10倍の速度が必要となる。

本研究では、ハロゲン系の反応性ガスによって,試料表面に揮発性の物質を生成させ,イオンビームによるエッチングを促進させる反応性ガス支援高速微細加工に注目した。この手法により,Cl2ガス雰囲気でAlに対して反応性ガス支援イオンビームエッチング(CAIBE)を行い,エッチングの速度は10倍以上まで増大することを示した。またSIMSにより,表面の脱離種を追跡しエッチングのプロセスを検討した。材料に適した反応性ガスの選択が行われれば,高精細な加工が可能というFIB特有の性質が活かされ,半導体分野での開発,生産工程のプロセスにおいて有望な分析方法となると期待される。

第4章では,含水生物試料を急速凍結し,凍結状態を維持したままガリウム収束イオンビームを用いて微小領域分析を行うことによって"ありのままの状態"の含水生物試料の3D微小部分析法について検証した。ありのままの状態を維持するために,真空チャンバー内に水蒸気を導入し,試料表面に氷の保護膜を保持する。さらに氷の保護膜を付けた状態でFIB加工を行ったHymenochirus boettgeri赤血球の分析を行い,FIBによって削り出された断面の外側と内側において,K+とNa+の分布に違いが確認された。細胞内外の能動輸送のため,生きた細胞はK/Naの濃度比が細胞外に比べ,細胞内の方が多い状態であり,本結果のK+とNa+の分布からありのままの状態を維持して分析が可能であると考えられる。凍結固定でのSIMS分析で通常用いられる約-100℃での蒸気圧である1×10-3PaでSIMS分析が可能であることを示した。以上よりFIBによる断面加工とSIMS分析を組み合わせた3D分析は有用であると期待できる。

以上、要約したように、本研究では、雰囲気制御型SIMS分析が,今後も増え続けるであろう多種多様な試料に対して,試料のありのままの状態を保った3D SIMS分析を行う上で有効な手法であることを明確にした。また、装置を試作し、実際に元素分布像を取得することでも独自の工夫を重ねて研究を行ったことを評価できる。従来のSIMSでは,その表面敏感さゆえにガス雰囲気での分析を避ける傾向があった。本研究はそのようなSIMS分析の中であえてガスを供給した挑戦的な内容であり,この手法はサブミクロン領域の分析手法のひとつとして有望であり、この成果は今後幅広い分野で生かされると期待される

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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