学位論文要旨



No 125415
著者(漢字) 秋田,歩
著者(英字)
著者(カナ) アキタ,アユミ
標題(和) 日本語のガ・ヲ・ニと韓国語のreulの対応について : 他動性の観点から
標題(洋)
報告番号 125415
報告番号 甲25415
学位授与日 2009.12.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第936号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 生越,直樹
 東京大学 教授 近藤,安月子
 東京大学 教授 野村,剛史
 東京大学 准教授 坪井,栄治郎
 東京大学 准教授 福井,玲
内容要旨 要旨を表示する

本研究は,他動性という観点を用いて,韓国語の(〓)reul を中心に,日本語の格助詞ガ・ヲ・ニについて,どのような対応関係が見られるのかを明らかにし,その「ずれ」の部分を中心に用例を整理・分析し,これらの格助詞の「ずれ」がどのような原因で起こるのかを明らかにしようとしたものである.また,いわゆる(〓)reul あるいはヲをとる典型的な他動詞文が周辺的な他動構文となるにつれて,(〓)reul やヲ以外の格助詞との交替が可能になっていく過程を観察することにより,他動詞文と自動詞文の境目においてそれぞれの格助詞がどのような役割を担って機能しているのかを明らかにしようとしたものである.

本研究で明らかにしようとしたのは以下のような点である.

(1)格助詞の対応が見られるのは,どのような構文なのか.他動性とはどのように関わっているのかという点.

(2)他動性の観点から,両言語の構文にはどのような違いが見られるのかという点.

(3)個別言語内での格助詞の「ゆれ」は,どのような原因によるものなのか.例えば,韓国語で(〓)reulと(〓)egeの両方が使えるような構文では,なぜそのような「ゆれ」が見られるのかという点.

(4)韓国語と日本語の間で,格助詞の対応に「ずれ」が見られるような構文は,どのような原因によるものなのかという点.

(5)以上の点を総合して,本研究で扱う構文が,他動性の枠の中で両言語の構文的特徴をどのように反映しているのかという点.

第1章では,他動構文における他動性の問題も含めて,韓国語の助詞(〓)reulと日本語の助詞ヲがそれぞれの言語においてどのような位置を占めているかを明らかにするという課題を設定し,表面的には用法のずれとみられるものが,助詞の機能の違いによるものなのか,構文的なものなのか,さらには,両言語の事柄のとらえ方の違いによるものなのか,という問題点を提起した.また,格や格助詞と関連する概念について,本稿での立場を明らかにした.

第2章では,韓国語の(〓)reul と日本語のヲについての先行研究を概観し,両言語の(〓)reulとヲが,大部分の用法において共通の機能を持ちながらも,(〓)reulは「動作の目的」「二重対格構文の与格標示機能」などヲが持っていない機能を兼ね備えているほか,[対象]などを表す一部の動詞においては,日本語では自動詞や形容詞が対応することによって,標示にずれが生じることを確認した.さらに本研究においての[対象]を表す名詞句について整理し,本研究での立場を明らかにした.

[対象]については,先行研究を元に以下の通りに本研究での規定を提示した.

(1)主体の動作の影響を受けるもの,あるいは,主体の置かれた状態と密に関わるもの,状態の在りかや内容を表すもの.最も典型的な[対象]としては,動作の影響を受け物理的な変化を被るような[対象]である.

また,仁田(1993)の考えを受け入れて,[対象]らしさの度合いによって[対象]を捉えるという立場を取ることを示した.これは,他動性の高低とも結びつく問題である.

第3章では,「他動性」の観点から両言語の動詞の分類を試みた.まず,第2章で見た[対象]に該当するような名詞句に対して,H&T(1980)や角田(1991)など,従来の研究での他動性判断のためのパラメータを参考に,動詞の「働きかけ」が及ぶ度合いや方向という意味的な側面から,動詞を大まかに分類した.さらに,格枠組みや自動詞,受動形の有無など,形式的な側面を考慮にいれて,最も典型的な他動詞から感情を表す形容詞まで,[対象]をとる動詞・形容詞を「物理的変化」から「感情形容詞」まで12種類に分類した(第3章図1).

この分類基準で韓国語と日本語の動詞を見ていくと,[対象]が変化を被るような典型的な他動詞においては,両言語で形式的な差がほとんどみられなかった.しかし,韓国語においては,動詞の表す動作(正確には「状態」や「感情」なども含む)の意味が対象に働きかける度合いが少なくなるほど,(〓)reul以外の格助詞と交替可能になる傾向が見られた.また,そのような動詞の多くが日本語では,ヲを取らない,あるいは格助詞にゆれがある動詞である.また,日本語でも韓国語でも他動性が高い他動詞ほど,対応する自動詞や受動形を持っているが,日本語の方が,ニをとる動詞構文からも受動文が作れるなど,受動文が作れる範囲も広いことも確認した.

第4章では,韓国語の(〓)e/(〓)egeと日本語のニについて,先行研究を概観したうえで,第3章で見た「他動性」の形式的な側面において,韓国語では(〓)reulと(〓)e/(〓)egeを,日本語ではヲとニを取るような構文を中心に,個別言語内での助詞の交替と,両言語間での対応の「ずれ」を概観し,その要因や使い分けの条件を探った.

第3章の分類に従って見ると,これらの動詞は,「態度による働きかけ」「感情による働きかけ」「結果や関係を表す動作」「対面の動作」「移動の動作」に当てはまるどうしである.これらは他動性の観点からすると,典型的な他動詞ではないが,他動詞としての特徴がある程度明確なものから,移動動詞のように,他動詞と自動詞の区分において議論が多い動詞まで含まれている.これらの動詞の考察結果から明らかになったことは,以下の通りである.

(1)韓国語の(〓)は,「働きかけ」や〈目的性〉の関与により標示可能になり,(〓)eは「動作や感情の向かう方向」や〈場所性〉が認められる場合に標示可能となる.日本語のヲは〈目的性〉との結びつきがそれほど強くなく,〈目的性〉が関与するような名詞句もニで標示可能である.

(2)韓国語の(〓)は,2項動詞において有情物である[対象(相手)]を標示する機能を持っている.逆に日本語は2項動詞であっても3項動詞であっても[対象(相手)]を標示する機能はニが担っている.対面を表す動詞において,韓国語では(〓)egeは現れず,対面の[相手]は(〓)reulで標示されるのは,このような理由によるものである

(3)(〓)eと(〓)reulの複合形(〓)ereulは,[動作主]が意志を持った有情物である場合に出現可能であり,〈場所性〉と〈目的性〉の両方が関与している.

他動性の分類の段階で,韓国語では,典型的な他動詞から離れてまもなく(〓)e/(〓)egeが現れるものの,依然として(〓)reulの役割が大きく,移動動詞を含む働きかけがほとんど見られないような動詞に至っても(〓)reulが文の成立に重要な役割を担っている.これは,動詞の意味的なレベルが両言語でほぼ同じでも,形式的なレベルにおいては,韓国語では(〓)reulが,日本語ではニが,それぞれの言語の他動性に関わる構文に大きく寄与していることを意味すると言える.

第5章は,第4章で見た例よりもさらに典型的他動詞から離れた,ほとんど他動性が見られない構文において見られる日本語のガとヲ,韓国語の(〓)gaと(〓)reulの交替や,両言語における助詞の不一致から,それぞれの助詞の性質を改めて浮き彫りにしようと試みた.このような語としては,「認識・能力を表す動詞・形容詞」「感情形容詞」が挙げられる.これらの助詞の両言語における「ゆれ」や「ずれ」は,(〓)と(〓),ガとヲをめぐって起こり,韓国語も日本語も[対象]を表す用法の場合に現れる.「認識・能力を表す動詞・形容詞」「感情形容詞」の中でも,本稿では,願望表現,可能表現,難易表現のような補文構造による格助詞のずれを中心に見た.第5章で明らかになったことは以下の通りである.

(1)願望表現においては,日本語でも韓国語でも「食べる」,「飲む」,「言う」,「聞く/聴く」,「見る」,「読む」のような,他動詞でありながら他動性が高くない動詞が願望表現になるとガが取りやすい.また,次の段階として,名詞句が限定的であるほどガが取りやすい傾向も見られた.

(2)韓国語の願望表現は,日本語よりも(〓)を取るための制約が強く,限られた動詞において,あるいは名詞句が限定的な場合に限られている.

(3)日本語の可能表現においては,〈動作性〉と〈状態性〉によって,ヲを取るか,ガを取るか,決定づけられていると思われる.

(4)韓国語の可能表現は,先行研究で(〓)gaもとれるとしている例があったが,実際は,(〓)gaを取るような用例が見られなかった.難易表現も同様である.

以上の構文の考察の中で,日本語のガは,感情,認識,能力などの[対象]を表示できるが,韓国語は感情の[対象]以外では(〓)gaを取らないというように,日本語よりも[対象]を標示する範囲が広いことを確認した.また,日本語には,韓国語に比べて,構文構造の変化に柔軟に対応するという特徴があり,これが日本語の助詞のゆれが容認されやすい理由であると考えられる.一方,韓国語は構造に忠実であるという特徴がある.唯一願望表現ではゆれがはっきり見られるが,名詞句の焦点化の機能が強く表れており,日本語のガと異なった振舞いを見せている.

全体として,他動性の高い典型的な他動詞文(変化を含意するもの,働きかけが直接及ぶもの)は,日本語も韓国語も格助詞の現れ方に違いが見られないが,直接的な接触がない「感情による働きかけ」よりも他動性が低い段階になると,韓国語では(〓)reulは基本的にすべての構文で可能であるものの,日本語では,ヲが現れる構文が少なくなり,その代りにニやガの出現が韓国語の(〓)e/(〓)egeや(〓)gaに比べて多くなる.また,韓国語で(〓)reulと(〓)e/(〓)egeの両方が現れるようなグループでは,日本語ではニが,韓国語の(〓)reulの役割まで担っている場合もあり,あるいは,移動動詞のように,日本語でもヲを取る場合でも,それぞれの格助詞が標示する名詞句が異なる場合もある.

全体として,韓国語は,(〓)reulが2項以上の構文においてかなり広範囲で用いられ,韓国語の動詞の構文構造を支えるという点で重要な役割を担っている.それは他動性が低い動詞においても,(〓)reulが現れることからもわかる.それに対して,日本語は,ヲが構文構造を支えるのに重要であることには変わりないが,韓国語の(〓)reulよりもその使用範囲は狭く,他動性が低くなるほど,[対象]の表示はヲからニとガにシフトしていくという特徴が見られる.

審査要旨 要旨を表示する

秋田歩氏の博士論文「日本語のガ・ヲ・ニと韓国語のreulの対応について ―他動性の観点から―」の審査結果について報告する。

本論文は,韓国語の助詞reulを中心とし,それに対応する日本語の助詞ガ・ヲ・ニとの関係を詳細に分析し,主として他動性という観点から,その対応関係の背景にある要因を解明しようとしたものである。特に,reulあるいはヲをとる典型的な他動詞文から他動性の弱化とともにreul,ヲ以外の格助詞をとる構文に変化していく過程を観察することにより,他動詞文と自動詞文の境界においてそれぞれの格助詞がどのような役割を担って機能しているのかを明らかにしようとする。

本論文は6章からなる。第1章では,韓国語の助詞reulと日本語の助詞ヲの対応,およびそれに関連する他動性に関して,5つの問題を提起するとともに,格や格助詞に関連する概念について,本論文での立場を明らかにしている。

第2章では,韓国語のreulと日本語のヲに関する先行研究を概観し,それらを比較することによって,reulとヲが多くの部分において共通する機能を持ちながらも,一部で異なる機能を有することを確認している。具体的には,reulは「動作の目的」「二重対格構文の与格標示機能」などヲが持っていない機能を有すること,韓国語では他動詞を用いるのに対し,日本語では自動詞や形容詞が対応することを示した。さらに,本論文で重要となる[対象]という概念を整理し,[対象]らしさの度合いによって[対象]を捉えるという立場を取ることなど,本論文での立場を明確にしている。

第3章では,「他動性」の観点から両言語の動詞の分類を試みている。従来の研究で用いられている他動性判断のためのパラメータを参考に,動詞の「働きかけ」が及ぶ度合いや方向という意味的な側面と,格枠組みや自動詞・受動形の有無など形式的な側面を考慮に入れることにより,最も典型的な他動詞から感情を表す形容詞まで,11種類に分類されることを示した。この分類から韓国語と日本語の動詞を見ていくと,[対象]が変化を被るような典型的な他動詞においては,両言語で形式的な差がほとんどみられないこと,韓国語では動詞の表す意味から見て,対象に働きかける度合いが少なくなるほどreul以外の格助詞も使用可能になる傾向が見られること,その種の動詞に関しては日本語でもヲを取らない,あるいは使用する格助詞にゆれがあることなどを明らかにしている。

第4章では,第3章で行った「他動性」の観点からの動詞分類で,韓国語ではreulとe/egeの両方を取り得るタイプ,日本語ではヲとニの両方を取り得るタイプを中心に取り上げ,各言語内での助詞の交替と,両言語間での対応の「ずれ」の様相を分析し,その要因や使い分けの条件を探っている。分析の結果,韓国語のreulは〈目的性〉が関与することにより標示可能になるのに対し,日本語のヲは〈目的性〉との結びつきが強くなく,〈目的性〉が関与するような名詞句もニで標示可能であること,韓国語のreulは2項動詞において有情物である[対象(相手)]を標示する機能を持っているのに対し,日本語では2項動詞であっても3項動詞であっても[対象(相手)]を標示する機能はニが担っていること,などを明らかにしている。

第5章では,第4章で見た例よりもさらに典型的他動詞から離れた,ほとんど他動性が見られない構文において見られる日本語のガとヲ,韓国語のgaとreulの交替,および両言語での対応する助詞の不一致を取り上げ,その要因と使い分けの条件を探っている。具体的には,願望表現,可能表現,難易表現を中心に助詞の交替,両言語の異同について分析した。分析の結果,願望表現では,日本語,韓国語ともに「食べる」,「言う」,「見る」など他動詞でありながら他動性が高くない動詞が願望表現になるときガ,gaを取りやすく,さらに,名詞句が限定的な意味であるほどガ,gaを取りやすい傾向が見られた。ただし,韓国語の願望表現は,日本語よりもgaを使用するための制約が強く,gaを取り得る動詞は限定されている。さらに,日本語の可能表現においては,表す事態の〈動作性〉〈状態性〉という性格がヲとガの選択に関係していることを指摘している。一方,韓国語の可能表現,難易表現については,調査したデータではgaを取る例が見つからなかった。このような分析から,韓国語のgaが[対象]を表示できる範囲が日本語より限定されていること,日本語では構文構造の変化に伴って助詞が変わることがあるが,韓国語ではもとの構文構造を維持する傾向があることを指摘している。

第6章では,これまでの考察を整理し,日本語,韓国語ともに他動性と助詞の使用に関連性があること,他動性が低い動詞になると韓国語より日本語の方がより早い段階でヲからニ・ガへの交替が起こることを述べ,従来個別的に論じられてきた助詞の使い分けを他動性という観点から統一的に考察し,助詞相互の関係性を明らかにすることができたと述べている。

本論文は,他動性という基準をもとに,韓国語における助詞reul,e/ege,gaの使われ方,日本語における助詞ヲ,ニ,ガの使われ方を考察し,それらの助詞の関連性,韓国語と日本語の類似点と相違点を明らかにしている。従来,個別的に指摘されてきた日韓両語の助詞の違いを,他動性の観点から統一的に整理し,日韓の助詞の違いが,他動性が弱くなるにつれ生じていることを明確にした点は,本論文の大きな成果と言えよう。本論文で取り上げられた日韓両語における助詞の違いは,韓国語教育,日本語教育において学習の困難な事項とされてきており,本論文は今後の教育において有用な教授資料となると考えられる。また,韓国語のreulが日本語のヲより使用範囲が広い原因として行為の目的性が関連していることを指摘したのは,従来にない新たな知見である。さらに,分析は小説やシナリオなど実例のデータをもとに行われており,従来の作例中心の考察に比べ,実際の助詞の使われ方を示した点でも,今後の研究の参考になるであろう。

このような点において,本論文は,韓国語学,日本語学のみならず,韓国語教育,日本語教育の分野で高く評価される論文だと考える。なお,他動性の規定や[対象]の規定において厳密性に欠ける点があること,考察の範囲が広範囲に渡ったために,考察や論証が不足している箇所が散見されることなど,今後検討すべき課題も指摘されたが,それらが本論文の価値を損ねるほどのものではないことが確認された。

したがって,本審査委員会は本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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