学位論文要旨



No 125416
著者(漢字) 高橋,悠介
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ユウスケ
標題(和) 金春禅竹の能楽論研究 : 荒神をめぐる思想と六輪一露説
標題(洋)
報告番号 125416
報告番号 甲25416
学位授与日 2009.12.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第937号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松岡,心平
 東京大学 准教授 櫻井,英治
 東京大学 准教授 田中,純
 茨城大学 教授 伊藤,聡
 国文学研究資料館 准教授 落合,博志
内容要旨 要旨を表示する

金春禅竹(1405~1470年前後)は、世阿弥の娘婿として世阿弥から能楽論を伝授され、それをふまえる一方で、世阿弥とは対照的な能楽論を生み出し、作品においても独自の地平を切り開いた。本論文は、主に二つのテーマから、そうした禅竹の思想の特質とその背景を明らかにするものである。

一つは、禅竹の『明宿集』において論じられている芸能神としての翁の問題で、荒神という神の性格からこの問題に迫ったのがII「猿楽の神としての翁と荒神」・III「円満井座の伝承と禅竹の信仰の諸相」である。もう一つは、禅竹が生涯を通じて展開させていった「六輪一露説」といわれる図像を伴った能楽論体系の問題で、これはIV「六輪一露」という表象」において詳しく論じた。

以下、論文の構成と各章の概要について述べたい。

○論文の構成

I はじめに―金春禅竹研究の現在

II 猿楽の神としての翁と荒神

第一章 猿楽と翁/荒神信仰

第二章 荒神の縁起と祭祀

第三章 室町期南都における荒神

第四章 『明宿集』の世界と荒神

III 円満井座の伝承と禅竹の信仰の諸相

第五章 円満井座の舎利について

第六章 円満井座の御影について

第七章 猿楽起源説の周辺と律宗

IV 「六輪一露」という表象

第八章 世阿弥から禅竹へ―禅の問題を中心に

第九章 円相と利釼

第十章 六輪一露説における志玉加注とその構造

第十一章 六輪一露説と一心三観

第十二章 禅竹能楽論における「一露」と華厳学

第十三章 禅竹能楽論における「一露」と胎生学

V おわりに

VI 参考文献表

○論文の概要

I「はじめに―金春禅竹研究の現在」では、 今日までの金春禅竹研究を概観しつつ、本論文がどのような観点に立つものかを示した。

II「猿楽の神としての翁と荒神」

ここでは、日本で独自に展開した習合的色彩の強い神、「荒神」が禅竹の翁信仰と密接に関わることに注目し、「荒神」を禅竹の能楽論や思想を考える上での鍵となる概念と位置づけ、分析した。

第一章「猿楽と翁/荒神信仰」では、猿楽の芸能神信仰に関して、これまで摩多羅神の問題が多く議論されてきた現状に対し、実際に禅竹の伝書『明宿集』などにみえる荒神の問題を考える必要性を提唱した。さらに、猿楽が荒神信仰を持つに至った背景として、猿楽が神社の遷宮などにおける結界鎮壇の呪術「方堅」に関与していた一方、造営や遷宮に際しての結界儀礼には荒神供や荒神祓が行われていたことを重視した。

第二章「荒神の縁起と祭祀」。世阿弥・禅竹の記す猿楽起源説において、芸祖、秦河勝は大荒神となったとされ、禅竹も荒神を信仰していたが、中世における荒神の性格はこれまで不明な点が多かった。本章では、日本で生まれた習合的色彩の強い神格「荒神」の生成と歴史的展開をみた上で、鎌倉後期に荒神に関する縁起・教説を集成した『荒神縁起』というテクストを分析することにより、荒神をめぐる霊験説話の背景、寺社縁起との関わりなどを考察した。如来荒神の図像が金剛薩(〓)の図像と類似していることについても、『瑜祇経』注釈との関わりを指摘した。

第三章「室町期南都における荒神」では、大和猿楽に縁深い多武峰・春日社・興福寺において室町時代、荒神の信仰がどのように展開していたかをみた上で、長谷寺の奥にある笠山の荒神の縁起説を分析し、秦河勝が泊瀬川から湧出したとする猿楽起源説との関わりにもふれた。

第四章「『明宿集』の世界と荒神」は、荒神が持っていた二面性(二相一如論)や、胞衣神、根源神としての性格などが、禅竹の『明宿集』に描かれる翁・宿神のあり方に影響を与えていることを論じた。その中で、『法華経』法師品の「柔和忍辱衣」という句を荒神と関係づける注釈言説を、禅竹が受容していたことなどを明らかにした。

III「円満井座の伝承と禅竹の信仰の諸相」

禅竹は円満井座において、毎月一日に翁面と宿神の御影をかけ、十五日に舎利礼を行い、荒神の縁日である二十八日に鬼面を供養していた。この御影・仏舎利・鬼面は円満井座の三宝と位置づけられており、こうした宝物をめぐる座の伝承や禅竹の思想を分析した。

第五章「円満井座の舎利について」。金春禅竹が属していた円満井座の宝物・仏舎利については、秦河勝が守屋合戦の功により聖徳太子から賜わった、という由来譚があるが、この伝承には河内の律宗寺院・教興寺の舎利をめぐる言説の影響が指摘できる。また、禅竹が引く舎利に関する句が、舎利・神明一体説の思想的根拠として流通していた様相を示し、禅竹も舎利と翁を一体視していたことを明らかにした。さらに、南都における舎利と神の一体視の思想の生成と展開をたどった上で、禅竹の『明宿集』にみえる叡尊・翁一体説や、翁の遍在説の背景の読み直しも行った。

第六章「円満井座の御影について」。禅竹は、某年九月十三夜、住吉社に参籠し、そこで夢のお告げにより「御影」を披いたとしている。本章では、この住吉参籠譚を、『毎月抄』や『正徹物語』にみられる藤原定家が住吉明神に参籠し霊夢を受けた話の系譜の中に位置づけ、禅竹の求めで御影に関して歌を詠んでいる正徹と禅竹が共に定家の住吉参籠譚を意識していたであろうと推測した。また、禅竹は「宿神」の語義を星宿から説明しており、宿神図像である「御影」に対する禅竹の注釈にも星宿信仰がうかがえるが、それは本命思想を介して荒神信仰とも結びついていることを指摘した。

第七章「猿楽起源説の周辺と律宗」では、猿楽起源説において秦河勝が初めて猿楽を行ったとされる場が「橘の内裏」とされるのは、橘寺を内裏にしたという中世聖徳太子伝にみえる縁起説を受容したものであると論じた。また、橘寺の地に内裏があったという説は、橘寺を復興した律僧の勧進と関わることを推測し、猿楽と律宗の関わりについても考察した。

IV 「六輪一露」という表象

「六輪一露説」は、寿輪から始まり竪輪・住輪・像輪・破輪を経て空輪に至る六つの円相と、これをつなぐ一露と呼ばれる利剱の形によって、能の生成を説明した禅竹の能楽論である。ここでは、神道説、華厳学や禅などに彩られ、能楽論としても様々な要素が詰め込まれた「六輪一露説」を構造的にとらえ直し、そのイメージ形成や背景を分析するとともに、諸要素の結びつく結節点や、荒神をめぐる思想との内的連関を明らかにした。

第八章「世阿弥から禅竹へ―禅の問題を中心に」。本章では、六輪一露説に限定的ながらも禅の影響がみえることに関連して、世阿弥、および六輪一露説に加注している東大寺戒壇院の志玉と禅との関わりを考察した。特に、世阿弥の『遊楽習道風見』が禅の影響下に一心を天下の「器」としたことを受け、禅竹が六輪一露説で寿輪を、万物を生む「器」、とした文脈について考え、世阿弥から禅竹への継承の中に禅の要素がみられる意義を論じた。

第九章「円相と利釼」では、六輪一露説特有の図形表象について考察し、像輪だけは禅の牧牛図の影響が考えられるものの、全体としては密教神道説における図形表象の影響が強いことを確認した。また、禅竹は六輪の円相を息が連続することと結びつけているが、その背景に阿字・息・音曲の命が連関する思想があることを明らかにした。

第十章「六輪一露説における志玉加注とその構造」。六輪一露説の志玉加注には仏教経典などに基づく難解句が多く、典拠不明とされてきた部分もあるが、本章では、典拠の指摘と引用意図の分析により、これを構造的に把握しようとした。特に六輪の始めの寿輪と最後の空輪に対し東大寺戒壇院の志玉が付した注は、澄観の法界思想を基礎としており、この枠組みは禅竹の構想した円環構造にも対応することを示した。

第十一章「六輪一露説と一心三観」。『六輪一露之記』他を収める金春禅竹自筆の能楽伝書に「覚大師云」として記されている、これまで典拠不明だった句が、天台宗で不動明王に関して一心三観を説く句として流通していた様相を明らかにした上で、六つの円相と剣によって構成される禅竹の能楽論体系「六輪一露説」の形態が、天台の檀那流で発展した一心三観の教説と関わることを示した。また、禅竹の翁信仰の背景にある荒神に関する教義が、この覚大師(円仁)仮託の句や、禅竹の美意識とも通底していることを論じた。

第十二章「禅竹能楽論における「一露」と華厳学」。「六輪一露説」で最重要な「一露」という概念について、主に中世神道説の影響を考えてきた定説に対し、六輪一露説に加注している東大寺戒壇院の僧・志玉の華厳学や、禅の思想の影響も存在することを指摘した。具体的には、志玉が『華厳五教章』の講義において言及している白露の道歌が、華厳や禅の世界で心の自在無碍な様を示す譬えに使われており、それが禅竹の詠んだ六輪一露説に関する歌などに影響を与えていることを明らかにした。

第十三章「禅竹能楽論における「一露」と胎生学」では、同じく禅竹能楽論にみえる「一露」や「一水」という概念について、胎生学の影響を考えてみた。音の発生を身体に求める音律理論書には一部、胎生学的な言説がみられるが、禅竹も能の舞歌の発生を身体に求めて遡っていく思想の中で、音律論を媒介として胎生学の影響を受け、「一露」や「一水」という言葉を使ったであろう。これは密教的な生命観、特に「人黄」をめぐる思惟や胎内五位説などにも関わる言説であり、また荒神の胞衣神・本命神としての側面にも通じる面があることを論じた。

審査要旨 要旨を表示する

高橋悠介氏の論文『金春禅竹の能楽論研究―荒神をめぐる思想と六輪一露説』は、後期の世阿弥の思想的影響を受けながらも、きわめて独創的な展開を示す金春禅竹の能楽論および宗教思想の解明をめざすものである。

禅竹の、能楽をめぐる思想の極は二つある。一つは『明宿集』に示される独自の「翁」観であり、もう一つは〈禅竹曼茶羅〉ともいうべき六輪一露説の図像および関係諸言説である。高橋氏は、この二つの極の間を、『明宿集』で強調される「荒神」をクローズアップすることで、つなごうと試みている。

本論文は四部構成で、現在に至る金春禅竹研究を概観する第一部が序論であり、第二部から第四部が本論である。

本論のうち第二部「猿楽の神としての翁と荒神」で、「荒神」が大きく取り上げられ、それは禅竹能楽論を読み込む基礎作業としての「荒神」論と位置づけられる。

第二部第一章では、猿楽が荒神と関わっていく歴史的経緯が「方堅(ほうがため)」という呪術芸の側両からたどられ、第二章では、『荒神縁起』というテクストの分析などから荒神信仰の発生と展開がたどられ、第三章では、室町期南都の荒神信仰とくに長谷寺奥の笠山荒神に注目することで、金春座の祖先秦河勝が初瀬川から湧出したとする禅竹の猿楽起源説の背景が提示される。第四章では、荒神の両義的性格(二相一如論)や胞衣神、根源神としての性格の、禅竹の「翁」観への投影が語られる。

第三部「円満井座の伝承と禅竹の信仰の諸相」は、禅竹が所属する円満井座(金春座)の三宝、宿神御影、舎利、鬼面のうち、舎利と宿神御影についての分析が中心である。宿神御影についての第五賞では、宿神が関わる星宿信仰と荒神信仰との結びつきが指摘される。荒神の両義的性格は、翁と鬼を一体と捉える禅竹的嗜好のベースとなるものだが、それだけでなく、第六章では、『明宿集』に見られる、汎神論的な翁の性格、翁の遍在説という禅竹的思考に関して、宝珠と一体となる舎利を仏性・菩提心の象徴とし、これが法界に遍満するという観念をベースにしたものであろう、との推定がなされている。また同章では、荒神とも一体化する局面をもつ舎利のあり方の分析が行われる。第三部では、主として第五章で、舎利をめぐる言説が南都の西大寺流律宗を経由して流布することが示されるが、第七章でも律宗の言説を媒介に、「橘の内裏」で秦河勝が猿楽を演じたという猿楽起源説の背景が明かされている。

第四部「『六輪一露』という表象」は、禅竹思想の本丸、六輪一露説へのアプローチである。第四部第八章は、禅竹が六輪最初の寿輪を、万物を生む「器」としたことについて、世阿弥が『遊楽習道風見』において禅の言説の影響下、舞台上の景色を生み出す「一心」を天下の「器」と捉えたことからの発展であると指摘した好論で、世阿弥の読み直しともなっている。第九章は、六輪一露の円相と剣の図の背景として、密教神道の麗気灌頂の教説およびイメージを考えている。六輪一露説ははじめから禅竹のオリジナルとして提示されておらず、東大寺戒壇院の志玉(華厳学の巨匠であるとともに律僧でもある)の注が加わって複数の著者のものとして提示されている。第十章では、六輪の始めの寿輪と終りの空輪についての志玉注が、澄観の法界思想を基礎としており、この枠組みが六輪におけるウロボロス的円環の構想に影響を与えたことを述べている。第十一章は、今まで未解明だった「覚大師云」として記される文句の典拠を、天台の教説に見出だしたものであり、第十二章は、「一露」の概念について、志玉の道歌から新しく見直すものである。

第十三章「禅竹能楽論における『一露』と胎生学」が、第二部の「荒神」論との関わりが濃厚に見出だされる最終章である。いくつかの中世の音律理論書には、音の発生を身体の内部に求める胎生学的な言説が見られ、そのような思想をくぐり抜ける中で禅竹の「一露」や「一水」の概念が生み出されてきた可能性が示され、それは胞衣神としての荒神の言説とも強く結びついていることが示される。

高橋論文に関しては、金春禅竹のテクストの解体研究・注釈研究としては前人未踏の境に遊んでいて大変優秀であるが、それらが禅竹思想の本質論へと統合されていかないという欠点も指摘された。前半の荒神論は新しさはあるが、個々の資料の精査が不十分な点もあり、荒神という神格の統合的研究になっていない弱点や後半部との接合の弱さも指摘された。しかしながら、本論文が従来の金春禅竹の思想研究の地平を大きく更新する新たな基礎的研究であることでは五人の審査委員は一致した。

以上により、本審査委員会は本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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