学位論文要旨



No 125419
著者(漢字) 神奈川,芳行
著者(英字)
著者(カナ) カナガワ,ヨシユキ
標題(和) 食物アレルギーの原因物質等の実態把握と情報提供のあり方に関する研究 : 食品表示におけるリスクコミュニケーションの視点から
標題(洋)
報告番号 125419
報告番号 甲25419
学位授与日 2009.12.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3370号
研究科 医学系研究科
専攻 社会医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 村嶋,幸代
 東京大学 准教授 石川,昌
 東京大学 講師 佐藤,元
 東京大学 講師 本田,善一郎
 東京大学 講師 渡辺,博
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景

食物アレルギー患者(以下「患者」という)の食物アレルギー症状の誘発を予防するためには、患者が食品中に含まれるアレルギー物質を正しく認識して、その食品の摂取を回避することが重要である。

従来、アナフィラキシー等の症状により医療機関を受診した患者の食物アレルギーの原因物質や症状等は調査されているが、原因物質の組合せ、原因食品の販売形態、発症場所、食品表示の有無との関係等の研究はなく、また、2001年(平成13年)4月以前には、「アレルギー表示」制度も存在しなかった。そのため、患者や家族が、食品中に含まれるアレルギー物質を正しく認識して食物アレルギーによる健康危害の発症を予防するために必要な情報が不明であったことから、患者とアレルギー表示や情報提供を行う食品事業者等の間において、情報提供のあり方についての相互理解が不十分な状態が見られていた。

このことから、患者や家族が食物アレルギーの発症予防に必要とする情報や、表示義務のない食品中に含まれる特定原材料の含有量や情報提供の実態、それらに含まれる特定原材料の認知度を明らかにすることを目的に、研究を行った。

研究方法と結果の概要

本研究は、次の3つに分けて実施した。

1.食物アレルギー患者及び家族に対する「食物アレルギー発症回避のためのアンケート調査」

全国的な食物アレルギーの患者会の会員家族1,510家族に対し、2003年7月に、「食物アレルギー発症回避のためのアンケート調査」を郵送で実施した。調査には878家族(回答率58.1%)、1,403名が回答したが、自称「アレルギー患者」を除くため、「医師の診断がある」1,115名(内、アナフィラキシー経験者365名)、779家族を分析対象とした。

(1)患者個人のアナフィラキシーやアレルギーに関する調査

1)食物アレルギー患者がアナフィラキシーを誘発した際の食品形態、販売形態及び原因物質等について

アナフィラキシーを発症した365名に関して、その原因食品の販売形態は、容器包装加工食品、店頭販売品、レストラン(食堂)での食事の順であり、表示義務のない食品が約5割を占めた。

発症した場所と販売形態の関係では、自宅での容器包装加工食品や店頭販売品に次いで、レストランでの食事や、ファーストフード店での店頭販売品による発症が多いが、自宅での手料理や、生鮮食品による発症も見られた。

アナフィラキシーの原因物質は、乳、卵、小麦、落花生、大豆、ゴマ、キウイフルーツ、そばの順に多く、表示対象外の物質も、アナフィラキシー症状を誘発していた。

2)食物アレルギーの原因物質について

患者一人あたりの原因物質数は、平均5.6物質(最小1物質、最大32物質)であった。

表示義務のある卵、乳、小麦、落花生、そばが原因物質の上位5位までを占めたが、表示義務のないものが原因物質の54%に上った。

二つ以上の原因物質を持つ患者967名に対し、その組合せを調査した。二つの組合せでは、「卵‐乳」、「卵‐小麦」、「乳‐小麦」、「卵‐落花生」、「卵‐そば」が多く、統計学的に発生率の高い組合せ(Z-Score;16.0以上)は、「かに-えび」、「いか-えび」、「いか-かに」、「鶏肉-牛肉」、「サケ-さば」であった。

(2)患者家族における食品購買行動に関する実態調査

食品購入時に99%の家族は表示を確認していた。また、約65%の家族が食品事業者への問い合わせをした経験があった。その内容では、「詳細な使用原材料」や「自分や家族の食物アレルギーの原因となる物質の含有の有無」が多かった。表示以外に情報収集する内容では、問い合わせと同じく、「詳細な使用原材料」、「自分や家族の食物アレルギーの原因となる物質がその製品に含まれているか否か」、「使用添加物の詳細」、「詳細な使用調味料」が多かった。

現在、禁止されている「アレルギー物質が入っているかもしれない旨の注意喚起」(可能性表示)では、「原材料欄のアレルギー物質の記載」や、「アレルギー物質が微量に使用されている旨の注意喚起」と同様に食品の購入を回避していた。

(3)アレルギー表示制度について

アレルギー表示制度の存在を、93.8%の家族は知っていた。また、アレルギー表示により、約65%の家族が食品を選択しやすくなったと考えていた。

2.ファーストフード等の店頭販売品に含まれるアレルギー物質含有調査

表示義務のない「店頭販売品」も食物アレルギー症状の原因となることが多い。そのため、2004年9月から2005年5月にかけて、コンビニ、ファーストフード店、丼物屋、持ち帰りパン屋、持ち帰り寿司店、和菓子店等の20社の店頭販売品81商品中に含まれる特定原材料(卵・乳・小麦・そば・落花生)の含有量を測定した。その結果、表示義務のある食品では表示が必要となる10μg/g以上の濃度の特定原材料が27商品(33.3%)で検出されたが、その内の9商品で情報提供が行われていなかった。10μg/g未満の濃度で検出されたのは、もちや最中、ジュースやスープ以外の29商品であった。

店頭販売品中のアレルギー物質に関する情報提供は、事業者が自主的にホームページや店頭のポップ表示等で行っている。そのため、ファーストフード店、丼物屋、和菓子店は全社、コンビニは6社中2社が情報提供していたが、持ち帰りパン屋や持ち帰り寿司店では行っていないなど、業務形態により情報提供に差が見られた。

3.インターネットアンケートを用いた表示義務のない店頭販売品中に含まれるアレルギー物質の認知度等の実態調査

「表示義務のない店頭販売品に含まれるアレルギー物質に関する認知度」を調べるため、2008年1月にインターネットアンケートを実施し、患者群454名、非患者群497名の計951名から回答を得た。

その結果、「ハンバーガー」に「牛乳」、「カレー丼」に「小麦」、「中華まん(肉まん)」に「牛乳」、「煎餅」に「小麦」が含まれることは、70%以上が認知していた。しかし、「おにぎり」に「乳」、「ネギトロ巻き」や「鯖すし」に「卵」、「きゅうり巻」に「牛乳」、「鉄火巻き」に「牛乳」が含まれるとの認知度は約20~35%と低くなっていた。

考察

アナフィラキシーの原因食品の調査(結果1-2-1)から、表示義務のある食品(容器包装加工食品)よりも、無い食品(店頭販売品・レストランでの食事等)により食物アレルギーが多く発症していることが明らかになり、アレルギー物質が含まれることを知らずに食品を摂取し、発症しているケースが存在することが推察される。患者家族の90%以上は食品購入時に表示を確認し(結果1-3-1)、65%はアレルギー表示が食品選択に役立つとしていること(結果1-4-1)、また、食品事業者への問い合わせ内容や表示以外の情報収集内容として、「自分や家族の食物アレルギーの原因となる物質が含まれているか否か」を挙げた家族が66~67%に上る(結果1-3-3及び1-3-4)ことから、表示義務のない食品においても表示や情報提供を行うことによって、患者や家族はそれらを確認することが可能となり、アレルギー症状の発症予防に有用と考えられたため、表示義務のない食品においても表示や情報提供を行うこと、及び原材料の遡り調査の結果を踏まえた情報提供が推奨される。

食物アレルギー患者は、複数の原因物質によりアレルギー症状が誘発されており(結果1-2-4-(1))、複数の原因物質を持つ患者でその組合せを見た結果、発生頻度や発生率の高い原因物質の組合せがあることが明らかとなった(結果1-2-4-(3))。また、食物アレルギーやアナフィラキシーの原因物質では、「ゴマ」や「米」など、表示対象外の物質でも、食物アレルギーやアナフィラキシーの症状が誘発されている(結果1-2-4-(2)及び1-2-5)こと、加工食品には1,000種類以上に及ぶ原材料が使用されていること、患者家族は、食品選択を可能とするために、「24品目以外にアレルゲンとなり得る原材料」の表示を望んでいるという結果(結果1-4-2)から、食物アレルギー症状の発症を防ぐためには、現在の表示対象品目以外の物質についても、情報提供が必要と判断される。

さらに、食品の購入を回避する表示内容に関しては、製造工程でのアレルギー物質の使用状況に関する情報が、患者や家族の購買行動に影響を与えており(結果1-3-2)、「専用ライン製造か否か」の表示が望まれている(結果1-4-2)ことも新たに明らかとなった。実際の製造工程においてはコンタミネーションが発生しているため、製造工程で使用されているアレルギー物質の使用状況に関する情報が、食品を選択する上で必要と考えられる。

同じ商品分類の店頭販売品でも、含まれるアレルギー物質が異なる(結果2-1)ことや、店頭販売品に含まれる特定原材料の認知度には、高いものと低いものがある(結果3-4)こと、さらに、店頭販売品の情報提供の実情は企業により大きく異なっていた(結果2-2)ことから、表示義務のない食品においても、アレルギー物質についての情報提供が必要である。

食物アレルギーの発症を予防するためには、患者や食品事業者がこれらの現状に基づいたリスクコミュニケーションにより相互理解を深め、患者が食品中に含まれるアレルギー物質を正しく認識できる情報提供が求められる。

結論

本研究により、表示による情報提供が行われていない店頭販売品や、ファーストフード店やレストランでの食事等でも多くの食物アレルギー症状が誘発されていること、現在表示対象外の「ごま」や「米」による発症も多いこと、さらに、製造工程で使用される原材料やその使用状況に関する情報が患者や家族に必要とされていることが明らかとなった。

「店頭販売品」では、食品の販売形態や業務形態により情報提供の実情は異なっており、「店頭販売品」に含まれる特定原材料の認知度も、高いものと低いものがあった。

これらのことから、「ごま」や「米」に関する情報提供や、表示による情報提供が行われていない食品においても、アレルギー表示に準じた情報提供が必要である。

審査要旨 要旨を表示する

食物アレルギー患者における食物アレルギー症状の誘発を予防するためには、患者が食品中に含まれるアレルギー物質を正しく認識して、その食品の摂取を回避することが重要である。本研究では、食物アレルギー患者や家族が食物アレルギーの発症予防に必要とする情報や、表示義務のない食品中に含まれる特定原材料の含有量や情報提供の実態、それらに含まれる特定原材料の認知度を明らかにすることを目的に研究を行い、下記の結果を得ている。

1.全国的な食物アレルギーの患者会の会員家族(1,510家族)を対象に実施した「食物アレルギー発症回避のためのアンケート調査」(有効回答;779家族、患者1,115名、内アナフィラキシー経験者365名)の結果、「自宅」での「容器包装加工食品」や「店頭販売品」に次いで、「レストランでの食事」や、「ファーストフード店」での「店頭販売品」など、表示義務のない食品により、多くのアナフィラキシーが発症していることが示された。

また、アナフィラキシーと医師に最初に診断された年齢別(乳児、幼児、小学生、中学・高校、大人)に原因食品を調査した結果、いずれの年齢群でも、表示義務のある「容器包装加工食品」に次いで、表示義務のない「店頭販売品」での発症が多いことが示された。

2.食物アレルギーの原因物質の調査では、卵、乳、小麦、落花生、そばが多く、アナフィラキシーの原因物質では、乳、卵、小麦、落花生、大豆、ゴマ、キウイフルーツ、そばの順に多く、表示対象外の物質でもアナフィラキシー症状が誘発されていることが示された。

また、食物アレルギー患者は、複数の原因物質に対してアレルギー症状を呈するが、本研究でも、患者一人当たりの原因物質数は平均5.6物質であった。さらに、二つ以上の原因物質を持つ患者における原因物質の組合せを調査した研究は少ないため、データマイニング手法を応用して原因物質の組合せを調査した。その結果、「かに‐えび」、「いか‐えび」、「いか‐かに」のように、統計的に発生率の高い組合せが存在する可能性が示された。

3.患者家族の食品購買行動に関する調査では、食品購入時に患者家族の99%以上が表示を確認し、67.8%が食品事業者への問い合わせを経験していることが示された。問い合わせや表示以外に情報収集する内容では、「詳細な使用原材料」や、「自分や家族の食物アレルギーの原因となる物質の含有の有無」が多いことが示された。また、現在禁止されている「アレルギー物質が入っているかもしれない旨の注意喚起」(可能性表示)では、「原材料欄のアレルギー物質の記載」や、「アレルギー物質が微量に使用されている旨の注意喚起」と同様に食品の購入を回避していることが示された。

4.アレルギー表示制度の存在は、制度開始後2年3ヶ月が経過した2003年7月時点では、患者家族の93.8%が知っており、約65%がそれにより食品を選択しやすくなったと考えていた。また、患者家族の50%以上が、表示対象品目の拡大や原材料の詳細な表示が必要と考えていることが示された。

5.アナフィラキシーの原因となることの多い表示義務のない店頭販売品中に含まれる特定原材料(卵・乳・小麦・そば・落花生)の有無や濃度は、明らかにされていない。そのため、コンビニ、ファーストフード店、持ち帰り寿司店、和菓子店等の20社の店頭販売品81商品中に含まれる特定原材料が厚生労働省の公定法により測定された結果、表示義務のある商品では表示が必要となる10μg/g以上の濃度の特定原材料が27商品で検出されたが、その内9商品では情報提供されていないことが示された。

また、店頭販売品中のアレルギー物質に関する情報提供は、食品事業者が自主的に行っているため、業務形態により大きく異なる実態が示された。

6.インターネットアンケートにより、店頭販売品とそれらに含まれるアレルギー物質についての認知度を確認した結果、認知度には高いものと低いものがあることが示された。

以上、本論文は、食品表示におけるリスクコミュニケーションの視点から、食物アレルギーの原因食品を表示義務の有無との関係を明らかにしたことや、原因物質の組合せにおいて新しい手法を応用したこと、今まで明らかにされていなかった表示義務のない店頭販売品中のアレルギー物質の有無やその認知度を明らかにしたことが独創的であり、その学術的意義は高く、本邦での食物アレルギーの発症防止に関する研究の今後の発展に貢献するものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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