学位論文要旨



No 125420
著者(漢字) 浦部,豪
著者(英字)
著者(カナ) ウラベ,ゴウ
標題(和) ヒト大動脈壁膠原線維立体構造の部位特異性及び加齢性変化についての検討 : 腹部大動脈瘤形成との関連
標題(洋)
報告番号 125420
報告番号 甲25420
学位授与日 2009.12.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3371号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安原,洋
 東京大学 特任教授 山崎,力
 東京大学 准教授 平田,恭信
 東京大学 准教授 北山,丈二
 東京大学 講師 師田,哲郎
内容要旨 要旨を表示する

【背景・目的】

腹部大動脈瘤(abdominal aortic aneurysm: AAA)は60歳以上の男性の4-8%、女性の0.5-1.5%に認められるとの報告があるが、一旦破裂すると救命率の低い疾患である。しかしながらその治療方針は、AAAの最大径が基準を超えたものを手術適応として、それに満たないものは経過観察をすることを原則とし、治療法は従来からの開腹人工血管置換術や近年急速に広まっているステントグラフト内挿術などのインターベンションによるものが唯一の方法であり、他に薬物療法による臨床試験でも動脈瘤増大が抑制されるとの報告あるが臨床応用には至っていない。これら新たな治療法の確立にはAAA形成機序の解明が不可欠である。

AAAの成因についてはこれまで様々な視点からの報告があるが未だに全容は解明されていない。現在のAAA形成機序に関する研究の枠組みは(1)蛋白分解酵素(matrix metalloproteinase: MMP)による大動脈壁の分解、(2)炎症及び免疫反応、(3)力学的ストレス、(4)遺伝の主に以下の4つに分類される。

動脈瘤形成に際しては様々な要因により動脈壁の力学的強度の低下を来して動脈径が拡大すると考えられる。動脈壁を構成する成分のうち力学的強度を規定する主なものにcollagenとelastinがあるが、前者は主に強度・後者は主に弾力度を規定しており、慢性的に動脈径が拡大する動脈瘤形成にはcollagenの力学的強度の低下が必須と考えた。しかし動脈瘤壁ではcollagenが増加することが報告されており、これは動脈瘤壁においては力学的強度を規定するcollagenが増加しているにも関わらず強度が低下していることになる。collagenは常に破壊・再構築を繰り返していることから、AAAにおいてはcollagenの再構築(remodeling)に変化が生じたためにcollagenの質の変化を生じているという仮説を立てた。

動脈瘤壁で起きているcollagenのremodelingの変化を解析する方法として、collagenを特異的に観察可能であり、動脈の層別に解析することも可能である構造解析を視覚的に行うこととし、動脈壁の強度を保つ中膜及び外膜のcollagenの構造解析を行うこととした。

一般にAAA形成には加齢変化が強く関与するとされ、またその発生部位が腎動脈分岐部の末梢に頻発するなど部位による特異性があることも知られている。従って本研究では、

I.正常大動脈のcollagenは部位特異性および加齢性に構造変化を来す

II.AAAは動脈壁collagenの構造変化により形成されるという2つの仮説を立て、これらについて視覚的に解析し検証することとした。

【研究対象・方法】

正常動脈検体(normal aorta:以下、NA群)は剖検症例の中から非血管疾患による男性死亡例15例で年齢構成は40歳未満(NA若年群)が5例、40歳以上60歳未満(NA中年群)が5例、60歳以上(NA高齢群)が5例(27-73歳:平均49.5歳)。各症例より、上行大動脈1か所((1)大動脈弁より5cm末梢:以下、上行大動脈)・腹部大動脈3か所((2)上腸間膜動脈分岐レベル・(3)腎動脈分岐部より2cm末梢・(4)下腸間膜動脈分岐レベル:以下、それぞれSMAレベル・Inf RAレベル・IMAレベル)を半周性に約1cm幅で採取した。

動脈瘤検体(以下、AAA群)は東京大学医学部附属病院血管外科にて腎動脈下腹部大動脈瘤に対する待機的開腹人工血管置換術を施行した症例より大動脈瘤の最大径部(n=11)および可能な症例では瘤頚部(腎動脈分岐部やや末梢)(n=5)より動脈壁を採取した。採取した標本は10%パラホルムアルデヒド溶液に24時間含浸した。

全ての標本につきHematoxylyn Eosin(HE)染色及びcollagen・elastinを特異的に染めるElastica van Gieson(EVG)染色、collagenを染めるPicrosirius red(PSR)染色を行った。

動脈壁collagenの立体構造解析にあたり、以下の5種類の解析を行った。

(1)走査型電子顕微鏡による膠原線維立体構造の解析

本研究ではIMAレベルに限定してNA若年群及びNA高齢群(各n=3)とAAA群(n=4)について動脈壁collagen立体構造の全体像及び微細線維構造を把握し、正常動脈の加齢性変化とAAAの構造を比較することを目的として走査型電子顕微鏡による観察を行った。各層別に拡大倍率を調整してcollagenを構成する要素であるcollagen bundle、collagen fiber及びcollagen fibrilの立体構造を観察した。

(2)フーリエ解析による膠原線維束構造の定量解析

コンピュータ解析による2次元高速フーリエ変換(2-Dimension Fast Fourier Transform: 2D-FFT)は理工学分野では広く用いられており、様々な事象を周期性を持つ関数の集合に見立ててその周波成分の連続スペクトルに分解するという理論であるが、生体組織の画像解析に応用可能であり、皮膚collagen bundleに関する構造解析の技術を有する株式会社ポーラファルマに共同研究を依頼して動脈壁collagen bundleの構造解析にこの技術を応用して「方向性」及び「太さ」の2つの観点から定量評価することとした。

対象はNA群全例(n=15)の各4部位とAAA群の最大径部(n=11)と瘤頚部(n=5)の中膜および外膜とする。これにより正常動脈collagen bundleの「方向性」と「太さ」の加齢性変化及び部位特異性を検討し、さらにAAAの構造と比較してAAA形成との関連を検討した。

各標本のPSR染色スライドを偏光顕微鏡下に中膜及び外膜のcollagen bundleをそれぞれ5か所ずつ無作為にデジタルカメラで写真撮影し、コンピュータで2次元Fourier変換するとパワースペクトル像が作成される。これを元にしてcollagen bundleの方向性の指標としてOrientation VariationとOrientation Ratioの二つを求め、太さの指標としてBundle Cycleを求めた。

(3)外膜膠原線維束の波状構造の定性解析

大動脈外膜のcollagen bundleの波状構造に加齢性変化・部位特異性がみられるかを検討するため正常動脈全例(n=15)・各4部位について定性的に3段階に評価した。

偏光顕微鏡下にPSR染色の各標本にて外膜collagen bundle構造を確認し、その波状構造の程度を3段階に分類した。その結果を各年齢群別に分類して大動脈の部位別にプロットした。

(4)光路差測定による外膜膠原線維構造の定量解析

collagen bundleよりもさらに小さなcollagen の分子レベルでの構造変化を定量化する方法として、偏光顕微鏡を用いた光路差(retardation)の測定がある。これはcollagen fiberを透過する直線偏光が複屈折を起こして位相のずれた2つの直線偏光に変わる際に生じる光路差が、collagen構造の成熟度(整然性)に比例するという性質を利用してcollagen構造を定量化するものである。対象はNA 群全例(n=15)・各4部位とAAA群の拡大部(n=11)とし、retardation値を用いて動脈壁外膜collagen分子レベル構造の加齢性変化、部位特異性及び動脈瘤形成との関連につき検討した。

(5)免疫染色によるCollagen subtypeの局在変化の解析

動脈壁における線維性collagenの大勢を占めるcollagen type I及びcollagen type IIIが動脈壁の力学的強度や伸展性を規定する。このためこれらの二つのcollagen subtypesの局在変化を免疫染色にて検討した。対象はNA群全例(n=15)・各4部位とAAA群の拡大部(n=10)、瘤頚部(n=4)とし、正常大動脈の部位特異性・加齢性変化の有無を確認してAAA形成との関連を検討することとした。

染色したスライドは光学顕微鏡を用いてデジタルカメラにて撮影した画像をコンピュータで画像解析ソフトを用いて、染色画像を二値化して染色部分の面積比(%)を算出し、各collagenの占有率とした。

【結果】

(1)走査型電子顕微鏡による膠原線維立体構造の解析

大動脈IMAレベルにおいて、 中膜及び外膜いずれにおいてもcollagen fibrilの単位では走査型電顕で観察可能な範囲で加齢性変化や動脈瘤での病的変化は明らかでないが、fibrilが集束したcollagen fiberやbundleの単位では(1)密度が疎になる、(2)bundleが平坦化するという加齢性変化があり、AAAではさらにそれらが顕著になっていた。

(2)フーリエ解析による膠原線維束構造の定量解析

NA群の上行大動脈及びIMAレベル大動脈の中膜においては加齢によりcollagen bundleの方向性は強くなるが、IMAレベル大動脈のAAA群では逆に方向性は失われていた。また中膜及び外膜のcollagen bundleの太さはNA群に比べてAAA群では有意に太くなっていた。

(3)外膜膠原線維束波状構造の定性評価

IMAレベルでは他部位と異なり若年では波状構造が強いが、加齢によりやや平坦化する傾向がみられた。

(4)光路差測定による外膜膠原線維束構造の定量解析

外膜collagenの分子レベルの構造変化として、NA群におけるretardation値はIMAレベルでは他部位よりも有意に低値であり、AAA群ではさらに低値であった。つまり大動脈IMAレベルでは元来外膜のcollagen分子構造が他部位に比べて未熟(整然性が崩れている)であり、AAAの好発部位であることの説明がつく。

(5)免疫染色による中膜collagen subtype局在変化の解析

NA群ではいずれのレベルでも加齢によりtype I占有率は増加するがtype IIIでは有意差はない。正常に比べてAAAではtype I占有率が低下するため相対的にtype III比率は高くなっていた。collagen type Iが動脈壁の力学的強度を規定することから、中膜における強度がAAAでは低下していることが推測される。

【結論】

正常大動脈のIMAレベルでは外膜のcollagen分子構造が未熟で加齢により波状構造が平坦化し、中膜のcollagen bundleの方向性が加齢により強くなるということより、正常大動脈のcollagenは部位特異性及び加齢性に構造変化を来すという仮説Iが正しいことが示された。

さらに同時に、正常大動脈のIMAレベルでの外膜のcollagen分子構造の未熟性、加齢による波状構造の平坦化及びcollagen fibril密度の低下はAAAでさらに顕著となっていることから、AAAは動脈壁collagenの構造変化により形成されるという仮説IIも正しいことが推測された。

しかし一方で、中膜collagen bundleは加齢により方向性が強くなるのに対してAAAでは方向性が失われており、またcollagen type I占有率は加齢により上昇するのに対してAAAでは占有率が低下していることなどより、AAA形成及び増大には部位特異性や加齢性変化とは異なる要因も関与していることが示唆された。

今後これらの立体構造変化の原因となるメカニズムをさらに明らかにすることにより腹部大動脈瘤の破裂リスクの詳細な評価および非侵襲的治療法が実現することが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は腹部大動脈瘤(AAA)形成における動脈壁collagenの変化について、以下の2つの仮説をもとに検証し、下記の結果を得ている。

仮説I. 正常大動脈のcollagenは部位特異性および加齢性に構造変化を来す

仮説II. 腹部大動脈瘤は動脈壁collagenの構造変化により形成される

1.走査型電子顕微鏡による膠原線維立体構造の解析により、大動脈の下腸間膜動脈(IMA)レベルにおいて、 中膜及び外膜いずれにおいてもcollagen fibrilの単位では走査型電顕で観察可能な範囲で加齢性変化や動脈瘤での病的変化は明らかでないが、fibrilが集束したcollagen fiberやbundleの単位では(1)密度が疎になる、(2)bundleが平坦化するという加齢性変化があり、AAAではさらにそれらが顕著になっていた。

2.フーリエ解析による膠原線維束構造の定量解析により、正常動脈(NA)群の上行大動脈及びIMAレベル大動脈の中膜においては加齢によりcollagen bundleの方向性は強くなるが、IMAレベル大動脈のAAA群では逆に方向性は失われていた。また中膜及び外膜のcollagen bundleの太さはNA群に比べてAAA群では有意に太くなっていた。

3.外膜膠原線維束波状構造の定性評価により、IMAレベルでは他部位と異なり若年では波状構造が強いが、加齢によりやや平坦化する傾向がみられた。

4.光路差測定による外膜膠原線維束構造の定量解析により、外膜collagenの分子レベルの構造変化として、NA群におけるretardation値はIMAレベルでは他部位よりも有意に低値であり、AAA群ではさらに低値であった。つまり大動脈IMAレベルでは元来外膜のcollagen分子構造が他部位に比べて未熟(整然性が崩れている)であり、AAAの好発部位であることの説明がつく。

5.免疫染色による中膜collagen subtype局在変化の解析により、NA群ではいずれのレベルでも加齢によりtype I占有率は増加するがtype IIIでは有意差はない。正常に比べてAAAではtype I占有率が低下するため相対的にtype III比率は高くなっていた。collagen type Iが動脈壁の力学的強度を規定することから、中膜における強度がAAAでは低下していることが推測される。

以上の5つの解析結果により上記の2つの仮説が正しいことを示しており、本論文は腹部大動脈瘤形成において動脈壁collagenの構造及び質の変化が関与することを示唆するものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク