学位論文要旨



No 125428
著者(漢字) 岡田,悟
著者(英字)
著者(カナ) オカダ,サトシ
標題(和) 細胞内小分子のリアルタイム動態解析へ向けて : FRET利用型ナノセンサーによるアミノ酸検出システムの開発
標題(洋) Toward real-time visualization of small molecule dynamics : development of amino acid detection system based on genetically encoded FRET nanosensors
報告番号 125428
報告番号 甲25428
学位授与日 2009.12.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第536号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 情報生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 北尾,彰朗
 東京大学 教授 伊藤,隆司
 東京大学 教授 黒田,真也
 東京大学 教授 服部,正平
 東京大学 准教授 有田,正規
内容要旨 要旨を表示する

[目的・背景]

細胞は細胞内外の環境に応じて代謝を制御する。この代謝制御の理解のためには、低分子代謝物動態データが不可欠である。しかし、従来の低分子測定手法の多くは破壊的なステップを伴うため、リアルタイムでの動態観測に使用できない。また、破砕によって生じるコンタミネーションを除外することは困難である。低分子代謝物を高い時空間的解像度で観測するためには、以上の問題を回避できるセンサー及び検出システムが必要であり、かつ、これらのセンサーはできる限り低侵襲で、リガンドに対する高い特異性がなければなければならない。

上記の条件を満たすセンサーシステムとして、FrommerらはFLIPs (fluorescent indicator proteins)とよばれるナノセンサーを開発した (Fehr et al., 2003, PNAS 99:9846)。FLIPは、リガンドを結合する結合エレメントと、リガンド結合を観測可能な物理現象に変換する出力エレメントからなる。結合エレメントとして、バクテリア由来のPBP (periplasmic binding protein)が利用されている。PBPはリガンドの結合によって構造変化を起こす。PBPは大きなタンパク質ファミリーを構成しており、糖・アミノ酸・金属・無機イオンなど、多様なリガンドにそれぞれ対応する分子が知られている。また、PBPは高い特異性・親和性をもつ。FLIPの出力エレメントとしては、2種のGFP変異体が利用されている。2種の蛍光タンパク質をPBPの両末端に融合させることで、リガンド結合による構造変化を蛍光タンパク質間のFRET (fluorescence resonance energy transfer)効率の変化として検出する。光を利用した検出方法は低侵襲であり、連続観測に好適である。FLIPは低侵襲かつ特異的センサーとして利用できると考えられる。

しかし、細胞内で利用できるFLIPを作成するためには、さらに以下のような条件が挙げられる。1) tunability: リガンドに対する親和性は対象となる細胞での生理的濃度範囲に応じて改変できる必要がある。2) reliability: ノイズの多いin vivoでの測定に耐えられるダイナミックレンジが必要である。3) generality: 設計原則は単純かつ多様な分子に対して適用可能であることが求められる。4) high resolution: 細胞小器官を区別できる空間解像度、生理現象を追跡できる時間解像度が求められる。

本研究では、アミノ酸を測定対象とし、酵母生細胞におけるアミノ酸濃度の動態観測を目的として、上記の要求を満たすセンサー及び検出システムの開発を行った。

[結果と考察]

1.FLIPsの親和性・特異性はtunableである

上記の設計原則に基づいて、アミノ酸6種類に対するFLIPsを作成した。大腸菌でFLIPsを発現後、精製し、in vitroで各FLIPの親和性・特異性を評価した。3種のFLIPsはリガンド濃度依存的なFRET変動を示したが、その他3種は有意なFRET変動を示さなかった(Table 1)。FRET変動が見られた3種のFLIPsのリガンド親和性は、酵母細胞質における生理的濃度に対して高すぎたため、細胞内で使うためには親和性を弱める必要があった。FLIP-HisJを対象として、PBP部分に変異を導入することで、リガンドに対する親和性を弱めることを試みた。その結果、生理的濃度範囲に親和性を持つ、FLIP-HisJ変異体を得た。また、ドッキングシミュレーション結果に基づく変異導入により、ヒスチジンへの親和性を維持しつつ、FLIP-HisJの特異性改善にも成功した。これらの結果は、FLIPsの親和性・特異性が改変できることを示している。

2.PBPへの円順列変異導入はFLIPsの信頼性を改善する一般的戦略になりうる

ダイナミックレンジ、ひいてはFLIPによる測定の信頼性を向上させるため、円順列変異を導入したPBPを結合エレメントとして用いた、FLIP-cpPBPシリーズを作成した(Fig. 1)。円順列変異により、各蛍光タンパク質が別々のローブに結合した状態を作り出せる。このため、FLIP-PBPよりもダイナミックレンジが大きくなると予想された。実際に、FLIP-cpPBPシリーズは元のFLIP-PBPシリーズに比べてより大きなダイナミックレンジを示した(Table 1)。特筆すべき点として、FLIP-PBP構成ではFRET変動が見られなかった3種のPBPについても、円順列変異の導入によりリガンド濃度依存的なFRET変動が見られた。更に、円順列変異の導入によるダイナミックレンジの拡大は、構造的な分類によらず、今回使用したすべてのPBPについて有効だった。以上の結果は、PBPに対する円順列変異が、ダイナミックレンジの拡大、すなわちFLIPsの信頼性向上のために一般適用できる戦略であることを示している。

3.FLIPsを用いて生細胞の低分子動態を観測できる

FLIPsの生細胞における応用例として、酵母細胞の細胞質におけるヒスチジン濃度の動態観測を試みた。FLIP-HisJを発現させた細胞を蛍光顕微鏡で観察した結果、センサー分子は細胞質のみに存在し、液胞では見られなかった。FLIPsが細胞小器官を区別できる解像度をもっていることを示している。

まず、FLIP-HisJまたはFLIP-cpHisJを発現する出芽酵母細胞について、細胞外からのヒスチジンの流入を観測した。細胞懸濁液に各濃度のヒスチジンを添加したときの蛍光スペクトルの変化を記録した。ヒスチジンを加えることでFRET比が変動することが観察され、その変動の大きさは添加したヒスチジン濃度と相関していた。この結果は、FLIP-HisJによって、培地から酵母の細胞質へのヒスチジン流入をリアルタイム観測できたことを示している。

しかし、細胞懸濁液を使用した測定には培地の自家蛍光という問題点がある。この問題を回避するため、培地の蛍光の影響をほぼ無視できるFCM (flow cytometry)の利用を試みた。FCMの利用により、S/N比は約2倍向上し、前処理の必要のない、単純で迅速な測定が可能となった。

続いて、低分子が重要な役割を果たすシグナル伝達経路のモデルとして、GCN経路を選択し、低分子動態とパスウェイの活性化状態の関係性を観測することを試みた。細胞質内のヒスチジン濃度 ([His]cyto)を追跡するためにFLIP-HiJ R77L T121Aを利用し、GCN経路活性化の指標としてeIF2・のリン酸化状態をイムノブロッティングにより測定した(Fig. 2)。ヒスチジンを合成できない細胞をヒスチジン飢餓条件下におくと、急速な[His]cytoの低下とそれに続く比較的ゆっくりしたeIF2・リン酸化が観測された (Fig. 2)。細胞外からヒスチジンを添加すると、急速な[His]cytoの上昇と急速なeIF2・の脱リン酸化が観測された。興味深いことに、ヒスチジン添加によるeIF2・の脱リン酸化は、ヒスチジン飢餓によるリン酸化よりも急速だった。

最後に、細胞外のヒスチジン濃度の変化を伴わない刺激による[His]cytoの動態変化について調べた。FLIP-cpHisJ194 Y14Hを発現する細胞に対して、3種類の刺激(低温シフト、ラパマイシン、シクロヘキシミド)を加え、FRETの変化をFCMにより観測した。その結果、いずれの刺激を加えた場合でも、[His]cytoの上昇が観測された(Fig. 3)。以上の結果は、細胞質のヒスチジン濃度は、細胞外のヒスチジン濃度とは独立に変化し得ることを示唆する。[His]cytoの上昇機構としては、タンパク質合成阻害によるヒスチジン消費速度の低下によって、余剰のヒスチジンが生じている可能性が考えられる。

[結論]

本研究では、FRET利用型ナノセンサーFLIPsを利用して細胞内の小分子動態をリアルタイム観測するためのシステムを開発した。

1)FLIPsの特異性・親和性は構造情報・ドッキングシミュレーションに基づく変異導入により改変できる。

2)PBPモジュールに対する円順列変異の導入により、FLIPsのダイナミックレンジの拡大が可能であり、これによって測定の信頼性を向上できる。

3)円順列変異導入戦略はPBPの構造分類によらず、一般的に適用可能である。

4)本研究で開発したアミノ酸検出システムは、出芽酵母細胞質のアミノ酸動態を、十分な時空間的解像度をもって観測することができる。

今回開発したシステムは低分子動態解析に資するものであり、代謝制御についての理解・代謝制御機構のモデル化に貢献できるものであると考えられる。

Table1.Properties of FLIPs for amino acids

Figure 1. FLIP-PBPおよびFLIP-cpPBPの設計

Figure 2. 細胞質のヒスチジン濃度及びGCN経路活性化に対するヒスチジン飢餓の影響

Figure 3. ラパマイシン添加時の細胞質ヒスチジン濃度の動態

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなり、第1章は研究のイントロダクション、第2章には研究結果について述べられており、前半ではアミノ酸用のFRETベースのナノセンサーの開発について、後半では開発したヒスチジン用ナノセンサーの生体中での応用について記述されている。第3章は得られた研究結果の考察であり、第4章には、研究にもちいた実験の手順が述べられている。以下に、論文審査の結果を具体的に述べる。

細胞は細胞内外の環境に応じて代謝を制御する。代謝制御理解には、低分子代謝物動態データが不可欠であるが、従来の測定法は破壊的なステップを伴うため、連続動態観測に使用できない。代謝物を高い時空間的解像度で観測するためには、以上の問題を回避できるセンサー系が必要である。

この条件を満たすセンサーとして、FLIPs (fluorescent indicator proteins)とよばれるセンサーが既知である。FLIPは、低分子結合エレメントと、低分子結合を観測可能な現象に変換する出力エレメントからなる。結合エレメントとして、細菌由来のPBP (periplasmic binding protein)が利用されている。PBPは高い特異性・親和性をもち、リガンド結合によって構造変化を起こす。FLIPの出力エレメントとしては、2種のGFP変異体が利用されている。低分子結合による構造変化をGFP変異体間のFRET (fluorescence resonance energy transfer)効率の変化として検出する。低侵襲であり、連続観測に好適である。

細胞内で利用できるFLIP作成のためには、さらに以下のような条件が挙げられる。1) tunability: 親和性の改変可能性。2) reliability: 高いダイナミックレンジ。3) generality:単純かつ一般適用できる設計原則。4) high resolution: 高い時空間解像度。

論文提出者は、酵母生細胞におけるアミノ酸濃度の動態観測を目的として、上記条件を満たすセンサーの開発を行った。

1. 上記の設計原則に基づいて、アミノ酸に対するFLIPsを作成した。大腸菌でFLIPsを発現後、精製し、in vitroで親和性・特異性を評価した。細胞内で使うためには、FLIPsの親和性を弱める必要があった。FLIP-HisJを対象として、PBP部分への変異導入による親和性の減弱を試みた。結果、生理的濃度範囲に親和性を持つ変異体を得た。また、結合シミュレーション結果に基づく変異導入により、ヒスチジン(His)への親和性を維持しつつ、特異性改善にも成功した。この結果は、FLIPsの親和性・特異性の改変可能性を示している。

2. FLIPの信頼性向上のため、PBP部分に円順列変異(cp)を導入した、FLIP-cpPBPシリーズを作成した。cpにより、各蛍光タンパク質が別々のローブに結合した状態を作り出せるため、FLIP-PBPよりもダイナミックレンジが大きくなると予想された。実際に、FLIP-cpPBPシリーズは元のFLIP-PBPシリーズに比べてより大きなダイナミックレンジを示した。cpの導入によるダイナミックレンジの拡大は、今回使用した全PBPについて有効だった。この結果は、PBPに対するcpがFLIPsの信頼性向上のために一般適用できることを示している。

3. FLIPsの生細胞における応用例として、酵母細胞の細胞質でのHis濃度の動態観測を試みた。FLIP-HisJを発現させた細胞では、センサー分子は細胞質のみに存在していた。FLIPsには細胞小器官を区別できる解像度があることを示している。

細胞へのHis添加でFRET比が変動することが観察され、その変動幅は添加したHis濃度と相関していた。この結果は、FLIP-HisJによって細胞質へのHis流入を観測できたことを示している。

また、FCM (flow cytometry)の利用により、S/N比は約2倍向上し、前処理の必要のない、単純で迅速な測定が可能となった。

続いて、低分子が関わるシグナル伝達経路のモデルとして、GCN経路を選択し、低分子動態と経路活性化状態の関係性を観測することを試みた。細胞質内のHis濃度 ([His]cyto)変動と、GCN経路活性化変動の間の時間差を見いだした。

最後に、細胞に対し、3種類の刺激(低温シフト、ラパマイシン、シクロヘキシミド)を加え、FCM観測した。いずれの場合も、[His]cyto上昇が観測された。この結果は、[His]cytoは、細胞外のHis濃度とは独立に変化し得ることを示唆する。タンパク質合成阻害に伴うHis消費速度の低下によって、余剰Hisが生じている可能性が考えられた。

上記の内容から判断して、今回論文提出者が開発したシステムは低分子動態解析に資するものであり、代謝制御についての理解・代謝制御機構のモデル化に貢献できると考えられる。

なお、本論文は太田一寿氏、伊藤隆司氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を立案・実行したもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(科学)の学位を授与できると認める。

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