学位論文要旨



No 125431
著者(漢字) 志田,明里
著者(英字)
著者(カナ) シダ,メイリ
標題(和) BAGドメインのHsp70およびBcl-2との相互作用ならびにアポトーシス抑制の構造論的研究
標題(洋) Structure-based studies on interactions of Hsp70 and Bcl-2 with the BAG domain and apoptosis inhibition
報告番号 125431
報告番号 甲25431
学位授与日 2010.01.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5443号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田之,倉優
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 斉藤,春雄
 東京大学 教授 横山,茂之
 お茶の水女子大学 教授 今野,美智子
内容要旨 要旨を表示する

細胞は温度変化や酸化,浸透圧変化,化学物質の曝露など様々なストレスにさらされている.これらのストレスによりタンパク質は変性や凝集を引き起こし,正常な働きを失う.タンパク質の凝集を防ぐうえで,シャペロンによるタンパク質フォールディングの制御が重要となる.一方,本来の機能を失ったタンパク質を含む細胞はしばしば有害な作用を及ぼすため,このような細胞を消去する機構であるアポトーシスは生体内で大きな役割を果たしている.このため,シャペロンの活性やアポトーシス能の変化はガンや神経変性疾患,自己免疫疾患など,多くの疾患の病因であると考えられる.

アポトーシスの決定過程を制御するタンパク質の一種として,Bcl-2ファミリータンパク質が知られている.Bcl-2ファミリータンパク質には抗アポトーシス作用とアポトーシス促進作用のある分子が存在するが,これらがホモまたはヘテロダイマーを形成することにより,生物の多様な細胞応答に対応していると考えられている.Bcl-2ファミリータンパク質との配列相同性は低いが,Bcl-2タンパク質と結合を示すタンパク質としてBAG1(Bcl2-associated athanogene 1)が同定された.その後,BAG1タンパク質と同様にBAGドメインを有するタンパク質群がBAGファミリータンパク質と命名された.BAGファミリータンパク質は酵母,シロイヌナズナ,線虫からヒトにいたるまで幅広い生物種で普遍的に存在することから,生体において重要な役割を担うタンパク質であると予想されており,ヒトではBAG1からBAG5の5種類が報告されている.

BAGタンパク質は主要なシャペロンであるHsp70と相互作用を示す.Hsp70はC端側の基質結合ドメインにおいて基質タンパク質のフォールディングを行うが,この反応はN端側のヌクレオチド結合ドメインにおけるATPの加水分解反応と密接に関わっている.BAGタンパク質はHsp70のATP/ADP交換反応を促進することによりシャペロン活性を調節しており,BAGドメインのみでこの調節が可能であることが明らかになっている.

しかしながら一方で,BAGタンパク質はBcl-2の結合因子として同定されたにもかかわらず,アポトーシスの抑制におけるBAGドメイン単独での機能発現やBcl-2との相互作用に関しては明らかにされていない.

そこで,本研究ではBAGファミリーとしての最小構成単位であるBAGドメイン単独の相互作用や機能発現の理解を目指した.第一章では, BAGドメインが単独でアポトーシス抑制能を有することやBcl-2と同様にミトコンドリアに局在することをin vivoで示すとともに,in vitroにおいてBcl-2と結合することを確認した.加えて,BAGドメインの変異体解析を行い,Bcl-2相互作用部位を同定した.この結果,BAGドメインのBcl-2との相互作用面は,Hsp70との相互作用面と重なりが見られたため,いずれかのタンパク質との二者複合体のみを形成することが示唆された.第二章では,Hsp70のヌクレオチド結合ドメイン(NBD)のヌクレオチド非含有型の構造を新たに決定することにより,BAGドメインのNBDへの結合は,NBDのヌクレオチド結合ポケットを開いた状態に維持するために重要な相互作用であることを確認した.さらに,BAGドメインはADPとNBDの相互作用を阻害することにより,ATP/ADP交換反応を調節していることが示唆された.

第一章 BAGドメインのBcl-2との相互作用ならびにアポトーシス抑制

BAGファミリータンパク質の一種であるBAG3は,脳,心臓,骨格筋,内分泌系などの幅広い臓器で発現が確認されており,Bcl-2との結合やアポトーシス抑制能が報告されている.そこで,これらの機能がBAGドメインのみでも再現可能であるのかを検証するとともに,Bcl-2との相互作用残基の同定をタンパク質立体構造の観点から行った.

まず,BAGドメインのみでもアポトーシス抑制能を有するかを検討した.HeLa細胞にBAG3の全長およびBAGドメイン(BAG3-BD)を一過性に発現させ,抗Fas抗体の処理によりアポトーシスを誘導した.この際に見られるDNAの断片化をTUNEL法により検出し,DNA断片化細胞数の割合の変化によりアポトーシス抑制能を評価した.その結果,BAG3発現細胞のみならずBAG3-BD発現細胞においても,DNA断片化細胞数の割合が低下したことから,BAG3-BDがアポトーシス抑制能を有することが明らかになった.

次に,BAG3-BDとBcl-2の相互作用を調べた.大腸菌発現系によりHisタグ融合BAG3-BDタンパク質およびMBPタグ融合Bcl-2を発現させ,結合実験を行ったところ,これらのタンパク質間に相互作用が確認された.さらに,HeLa細胞にBAG3-BDとBcl-2を共発現させ,各々のタンパク質の細胞内における発現部位を観察したところ,いずれもミトコンドリアに局在することが確認された.以上の結果から,BAG3-BDはミトコンドリアにおいてBcl-2と結合することによりアポトーシスを抑制することが示唆された.また,BAG3-BD共存下ではBcl-2のリン酸化残基である56番目のスレオニンがリン酸化されたThr56リン酸化型Bcl-2の割合が増加していた.

続いて,相互作用部位の同定のためにBAG3-BDの変異体を作製した.この時,BAGファミリータンパク質間の保存残基,Hsp70との相互作用残基,すでに明らかとなっているBAG3-BDおよびBcl-2の単体の立体構造ならびにBcl-2ファミリーの複合体構造に基づいて予測した相互作用残基,の3パターンの残基に変異を導入した.これらの変異体とHsp70のNBDならびにBcl-2との相互作用をin vitro結合実験および等温滴定カロリメータ(ITC)を用いたKD測定により観察した.その結果,立体構造に基づいて相互作用残基であると予測した457番目のチロシン,467番目のセリンに変異を導入した場合にBAG3-BDとBcl-2の結合が消失した.さらに,BAGドメイン間で保存されている446番目のリジンやHsp70との相互作用残基である480番目のアルギニンへの変異もKDを低下させた.そして,以上の残基を相互作用部位として再度複合体構造の検討を行った.これらの4残基により形成される相互作用面はHsp70との相互作用に関わる残基により形成される結合面と重なりが見られたことから,BAG3-BDはNBDおよびBcl-2の両方を同時に結合する可能性は低いことが示唆された(図1).このことは,ITCを用いた測定において,NBDとBAG3-BDの複合体とBcl-2の相互作用が検出されなかったこととも相関していた.

第二章 BAGドメインとの相互作用によるHsp70の構造変化ならびに機能調節

BAGドメインはシャペロンタンパク質であるHsp70のN端側のヌクレオチド結合ドメイン(NBD)に結合する.この相互作用はNBDのヌクレオチド結合ポケットを開くような構造変化を引き起こすことが報告されていた.しかし,C端の基質結合ドメイン(SBD)を含むHsp70では,BAGとの相互作用を介さずに同様の構造変化が生じることが近年明らかになった.そこで,NBDの本質的な構造変化を理解するとともにシャペロン活性調節におけるBAGの役割の理解を深めるために,これまで報告されていなかったヒトHsp70のヌクレオチド非含有型NBD断片の構造およびATP非水解アナログであるAMPPNPとの複合体構造を新たに決定した.

すでにヌクレオチド非含有型として報告されていたBAG1のBAGドメイン(BAG1-BD)とNBDの複合体構造やSBDを含む構造はヌクレオチド結合ポケットが大きく開いていた(open form)のに対し,ヌクレオチド非含有型NBDはAMPPNP結合型NBDのような,結合ポケットが閉じた構造(closed form)であった(図2).この構造では,構造の中心部に位置する15番目のチロシン,56番目のリジンおよび268番目のグルタミン酸の間に水素結合の形成がみられた.この相互作用がNBD内の各サブドメインを引き寄せるために,ヌクレオチド非含有型NBD はclosed formを取っていることが確認され,このclosed formのNBDはAMPPNPの結合により,さらに安定化されると考えられた.一方,BAG1-BDもしくはSBD結合時にはこれらの水素結合が消失するためにサブドメイン間の連携が失われ,open formへと移行していた.つまり,NBDは本質的にはclosed formをとっており,結合ポケットを開いた状態に維持するためにはBAGおよびSBDとの相互作用が必要であることが示唆された.

続いて,BAGドメインがNBDからADPの解離を促進させることによりATP/ADP交換反応を促進することに着目した.この特異的な機構を考察するために,ITCを用いてNBD, BAG3-BDおよびヌクレオチドの相互作用を調べた.その結果,BAG3-BDとNBDの複合体に対するAMPPNPのKDはNBD単独時のそれと同程度の値(1.8・10-5 M)であった.これに対し,ADPのKDはNBD単独時には5.5×10-8 Mであったが,BAG3-BD存在下では3.9・10-5 Mに低下した.つまり,ATPとNBDの結合はBAG3-BDの影響を受けないのに対し,ADPとNBDの相互作用はBAG3-BDにより大きく阻害されることが確認された.さらに,ヌクレオチド非存在下,AMPPNP存在下およびADP存在下のNBDに対するBAG3-BDのKDを測定したところ,それぞれ7.4・10-9,6.9・10-8,6.4・10-7 Mとなり,BAG3-BDはいずれの条件下においてもNBDとの相互作用が可能であった.以上の結果から,BAG3-BDはADP結合型NBDのみならずATP結合型NBDとも相互作用が可能であるが,NBDのATPに対する結合力を保ったままADPに対する結合力のみを低下させることにより,ATP/ADP交換反応を促進することが示唆された.この特異的な阻害は,AMPPNP結合型NBDとADP結合型NBDの構造間に見られるアデニンヌクレオチドのリン酸認識部位およびアデノシン認識部位の構造の差異を反映していると考えられる.

最後に,今回決定した構造から新たに示されたHsp70の特徴に関して報告する.ヌクレオチド非含有型NBD は225番目のアスパラギン酸,227番目のヒスチジンおよび隣接する対称分子中の23番目のヒスチジンにより亜鉛イオンを配位しており,この部分を介して二量体を形成すると考えられた.このことは,23番目のヒスチジンまたは227番目のヒスチジンに変異を導入することで二量体形成が阻害されることや,EGTA存在下でも二量体形成が阻害されることからも示唆された.これに対し,AMPPNP結合型NBDの構造中では,γ-リン酸結合残基の構造変化に伴い亜鉛配位残基も構造変化を引き起こすため,亜鉛の配位および二量体の形成が阻害されていた.

図1 BAG3-BD(赤)とBcl-2(ピンク)の複合体予想モデルとBAG1-BD(青)とNBD(シアン)の複合体の重ね合わせ

図2 BAG1-BD(赤)結合時のNBD(オレンジ)とヌクレオチド非含有型NBD(シアン)の重ね合わせ

審査要旨 要旨を表示する

温度変化や酸化,浸透圧変化,化学物質の曝露など様々なストレスにさらされることにより細胞タンパク質は変性や凝集を引き起こし,細胞はその正常な働きを失う.タンパク質の凝集を防ぐうえで,シャペロンによるタンパク質フォールディングの制御が重要となる.一方,本来の機能を失ったタンパク質を含む細胞はしばしば有害な作用を及ぼすため,このような細胞を消去する機構であるアポトーシスは生体内で大きな役割を果たしている.このため,シャペロンの活性やアポトーシス能の変化はガンや神経変性疾患,自己免疫疾患など,多くの疾患の病因であると考えられる.

BAGタンパク質は主要なシャペロンであるHsp70に相互作用してATP/ADP交換反応を促進することによりシャペロン活性を調節しており,この機能はBAGドメインのみで発揮されることが明らかになっている.しかし,BAGタンパク質はBcl-2の結合因子として同定されたにもかかわらず,アポトーシスの抑制におけるBAGドメイン単独での機能発現やBcl-2との相互作用に関しては明らかにされていない.

論文提出者は,脳,心臓,骨格筋,内分泌系などの幅広い臓器で発現が確認されているBAG3タンパク質に着目し,BAGファミリーとしての最小構成単位であるBAGドメイン単独の相互作用や機能発現機構の解明に取り組んだ.

本論文は序章を含めた4章からなる.序章は本研究の背景と目的について述べられている.第1章では,BAG3のBcl-2との結合やアポトーシス抑制能がBAGドメインのみでも再現可能であるのかを検証するとともに,Bcl-2との相互作用残基の同定をタンパク質立体構造の観点から行った.論文提出者は,まず,BAGドメイン(BAG3-BD)が単独でアポトーシス抑制能を有することや,in vitroにおいてBcl-2と結合することを確認した.次に,Bcl-2との相互作用部位の同定のためにBAG3-BDの変異体解析をおこなった.結合能の低下が認められた変異体の変異導入残基を立体構造上にプロットし,BAG3-BDのBcl-2との相互作用面を観察した結果,BAGドメインとHsp70との相互作用面と重なりが見られた.つまり,BAGドメインはBcl-2もしくはHsp70のいずれかのタンパク質との二者複合体のみを形成し,それぞれのタンパク質との相互作用が独立して生じることに意義があると予想された.

第2章では,Hsp70のヌクレオチド結合ドメイン(NBD)の本質的な構造変化を通じてシャペロン活性調節におけるBAGの役割の理解を深めるため,ヌクレオチド非含有型NBDの立体構造を新たに決定し,構造学的な考察を行った.論文提出者は,これまでに報告されていたNBDタンパク質の精製法を改良することによりヌクレオチド非含有状態のNBDを単離することに成功し,ヌクレオチド非含有型NBDならびに,AMPPNPとの複合体構造を新たに決定した.これまでに,BAG1のBAGドメインとの複合体やHsp70の基質結合ドメイン(SBD)を含むヌクレオチド非含有型NBDの構造が報告されており,これらの構造中ではヌクレオチド結合ポケットは大きく開いていた(open form).しかし,新たに決定したヌクレオチド非含有型NBDの構造はAMPPNP結合型NBDのような結合ポケットが閉じた構造(closed form)であった.open formとclosed formのNBDの構造比較により,closed formは構造の中心部に位置するアミノ酸間の相互作用により維持されていること,open formではこの相互作用が消失するとともに,開いた状態を安定化するための新たな相互作用が生じていることが明らかとなった.このことは,ヌクレオチド非含有型のNBDがopen formとclosed formの平衡状態にあり,BAGドメインの結合はNBDをopen formを安定化するために重要であることを示している.

第3章では,本研究で得られた知見に基づき,BAG3がHsp70およびBcl-2と相互作用することによりアポトーシスの調節が確実におこなわれるメカニズム,ならびに,BAG3の創薬ターゲットとしての可能性に関して議論されている.

なお,本論文第2章は,東京大学の横山茂之教授,菅野純夫教授,石井亮平博士(現・コーネル大学),荒川晶彦氏,理化学研究所の白水美香子博士,田仲昭子博士,柊元睦子博士,岸下誠一郎博士(現・ノボザイムズジャパン株式会社),高木哲雄博士(現・日清オイリオグループ株式会社)との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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