学位論文要旨



No 125437
著者(漢字) 山地,洋平
著者(英字)
著者(カナ) ヤマヂ,ヨウヘイ
標題(和) フェルミ面トポロジーの変化がもたらす量子臨界現象
標題(洋) Quantum Critical Phenomena Induced by Changes in Fermi-Surface Topology
報告番号 125437
報告番号 甲25437
学位授与日 2010.02.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7182号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 今田,正俊
 東京大学 教授 押山,淳
 東京大学 教授 高木,英典
 東京大学 准教授 有田,亮太郎
 東京大学 講師 藤堂,眞治
内容要旨 要旨を表示する

金属中の低エネルギー一粒子励起は, 1次元系以外では一般に, 波数を良い量子数とする準粒子に基づいたフェルミ液体論で記述される. コヒーレントな準粒子は, 波数空間の分布関数に見られる階段関数型の特異点の集合, フェルミ面の存在によって特徴付けられる. しかし, 低温の金属が"単一の"フェルミ液体に常に留まる保証は無い. 磁場, 圧力などの摂動や, 電子間相互作用によって, フェルミ面は不安定化し, 磁性相などの自発的に対称性が破れた状態へと変化する可能性がある. 絶対零度におけるこのような基底状態の変化は量子相転移とよばれ, 公汎に研究が行われてきた. 特に電子の運動エネルギーと電子間クーロン相互作用が拮抗する強相関電子系に発現する量子臨界点近傍では, 波及効果として"非フェルミ液体的振る舞い"や異方的超伝導相など新奇な現象が観測されるため注目を集めてきた. 一方, 量子臨界点の性質自体は, 強相関系で観測されるにもかかわらず, いわゆるガウス固定点によって理解できるシンプルなものであると信じられている. 実際, "非フェルミ液体的振る舞い"については, ガウス固定点に基づくHertz-Moriya-Millisによる"標準的"理論が成功をおさめてきた.

では, 遍歴電子系における量子臨界現象はすっかり理解されてしまったのだろうか? 答えは "No"である. 実は近年, 従来の理論だけでは説明のつかない現象が次々に実験的に観測されている. 例えば, この理論の予言に従う典型例と考えられてきた遍歴磁性体ZrZn2では, 通常の量子臨界点は存在しないことが近年の試料の純良化によって明らかになった. それだけではなく, 電気抵抗における非フェルミ液体的挙動が, 量子臨界点とは無関係に広い温度, 圧力の範囲で観測されている. 何故, これまで成功していた理論とくい違う現象が観測されるようになったのだろうか? ひとつ考えられるのは, 試料を純良化したことで不純物によってなまらされていた低エネルギーの"構造"が観測にかかり始めたということだ. 例えばそれは, 磁性が生じる舞台となったフェルミ面の構造である. 標準的理論は, フェルミ面近傍の低エネルギー一粒子励起と臨界点近傍での磁気揺らぎの絡み合いによって"非フェルミ液体的振る舞い"を説明する. しかし, この理論はフェルミ波数の平均値といった粗見化された情報のみで従来の実験をうまく説明してきたために, フェルミ面そのものの幾何学的性質が量子転移によって変化する可能性は考慮されていない.

実際には, 対称性の破れとは異なるタイプの量子相転移を起こす可能性に, フェルミ液体は直面しているのである. そのような量子転移の一例として, フェルミ面のつながり方, フェルミ面トポロジーの変化がある. これは自発的対称性の破れとは全く関係のない量子相転移であり, 相互作用の無い多体フェルミ粒子系についてI.M.Lifshitzが提案したものである. リフシッツ転移と呼ばれるこの量子相転移は電子間相互作用による相転移ではないため, 通常の量子臨界現象を示すことはない. しかしながら, 自発的対称性の破れを伴わない量子臨界現象が観測されている強磁性超伝導体UGe2, メタ磁性体Sr3Ru2O7, 重い電子メタ磁性体CeRu2Si2等の幅広い物質で, Hertz-Moriya-Millis理論だけでは説明できない量子臨界現象およびその波及効果が, フェルミ面トポロジーの変化が同時に起こっていることで説明できるとの提案がなされている. メタ磁性転移や新奇な超伝導相, 重い電子の形成は, いずれも電子相関が系の物性にrelevantであることを明確に示している. このように, 電子相関が重要となる場面での気体-液体相転移とフェルミ面トポロジーの変化が同時に起こることで, その量子臨界現象はいかなる変更を受けるのであろうか?

我々は, 気体-液体転移とフェルミ面トポロジーの変化が絡み合うことで, フェルミ面トポロジーが新奇なユニヴァーサリティをもたらすことを明らかにした. 本学位論文ではZrZn2のメタ磁性量子臨界現象を例にユニヴァーサリティの性質を示す. 遍歴電子強磁性体 ZrZn2は, 気液相転移型のメタ磁性を研究するにあたり好適な舞台である. 静水圧下で有限温度の磁気転移が不連続に消失し, 量子1次転移を示す. 1次転移より高圧下では磁場を印加することで気液相転移型のメタ磁性的振る舞いとその量子臨界点が観測されている. フェルミ面トポロジーもまた詳細に研究され, 圧力等の外部パラメーターについて極めて敏感であることが理論的にも実験的にも指摘されている. 我々は, この物質においてフェルミ面トポロジーの変化がメタ磁性の起源となっていること, およびトポロジーという定性的なフェルミ面の性質が, メタ磁性量子臨界点の臨界性を新奇なものに変えてしまうことを平均場理論によって提案した. 我々が明らかにしたフェルミ面トポロジーに依存する新奇な量子臨界点の存在は, 単にZrZn2の磁性を説明するに留まらず, 今後新たな非フェルミ液体挙動を明らかにする出発点を与えることが期待される.

強相関電子系における基底状態の競合や量子臨界現象が関心を集める舞台として, 遍歴磁性体に加えて銅酸化物高温超伝導体を忘れることはできない. 銅酸化物では, モット絶縁体である母物質に, 化学ドーピングによってキャリアを注入することで, 高温超伝導相が発現する. ドーピングとともに, スピン励起や一粒子励起にギャップ的な振る舞いが見られる"擬ギャップ相"から非フェルミ液体的挙動を示す"異常金属相", フェルミ液体へと変化してゆく. このような金属相の劇的な変化については, 異常金属相近傍で最大の転移温度を示す高温超伝導の発現機構との関係をめぐり, 詳細な研究が行われてきた.

一方, ドープされたモット絶縁体である銅酸化物は, モット絶縁相近傍にあらわれる強相関金属の低ネルギー電子構造を研究する上で典型例の一つであるため, 実験・理論の両面から注目を集めてきた. フェルミ面の形状や, 波数に強く依存した準粒子繰り込みの様子などはとくに活発な研究の対象となっている. 中でもドーピングによるフェルミ面トポロジーの推移は, 高温超伝導の発見以来, 注目を集めてきた. たとえば, Hall係数の測定から, 超伝導転移温度が最大となる最適ドープ付近で, ホール・ドープ量の増加とともにキャリアの性格がホール的なものから電子的なものへと変化することが知られている. また近年では, 角度分解光電子分光や量子振動によって, 低ドープ領域のフェルミ面が, バンド描像から期待されるものとは異なる, 小さなポケット状のものである可能性が指摘されている. 数値計算による理論的研究や, Luttingerの定理をフェルミ面の無いモット絶縁相内へ拡張しようとする試みからも, 低ドープ側での対称性の破れをともなわないフェルミ面トポロジーの変化が示唆されている.

銅酸化物で期待されるフェルミ面トポロジーの変化は, 平均場理論などの一体近似からは理解できないモット絶縁相近傍の, 強相関金属特有の現象である. 本学位論文では, この非自明なフェルミ面トポロジーの変化の発生機構を, モット絶縁相や強相関金属を記述する典型的な模型, ハバード模型にもとづいて提案する. ドープされたモット絶縁体における低エネルギー一粒子励起が電荷自由度に支配されていることを出発点に, 電荷自由度の揺らぎによって電子の自己エネルギーが発散しフェルミ面トポロジーが変化する様子を, Kotliar-Ruckensteinによるハバード模型のスレイブ・ボゾン平均場理論に電荷揺らぎを取り込み拡張することで表現する. より具体的には, スレイブ・ボゾン形式で導入されたダブロン, ホロンに対応する電荷自由度ボゾンの揺らぎと電子が結合した"複合フェルミオン"が電子と混成することで, 電子の自己エネルギーが発散し, 一粒子グリーン関数に零点が生じることを示す. フェルミ面トポロジーの変化はグリーン関数の極と零点が再構成を起こすことで起こっている. このようなフェルミ面トポロジーの変化は, 自発的に対称性が破れた相およびその相境界を生み出すことなく, 絶対零度でのみ定義される量子臨界点を生じる. また, 対称性の破れによる量子臨界点の影響が臨界点近傍に留まるのに対し, 極と零点の再構成によるフェルミ面トポロジーの変化は, 非自明なフェルミ面トポロジーを持つ低ドープ側の量子相全体に影響する. 超伝導の発現にも, 臨界点として影響するのではなく, 量子相として影響を与えることを提案する.

本研究は, 低ドープ側での小さなポケット状のフェルミ面の存在を示唆する実験結果や数値計算の結果を, 解析的かつシンプルな概念で説明するとともに, 電荷揺らぎよりもエネルギー・スケールの小さなスピン揺らぎ等の物理を議論する出発点となる電子構造を与えるものである. したがって, トポロジーの変化以外の基底状態の競合や量子臨界現象を含む, 銅酸化物高温超伝導体の全体像を理解するための基礎を与えると期待できる.

審査要旨 要旨を表示する

物質中で起きる相転移は、熱的なゆらぎによって自発的な対称性の破れた状態と対称性を回復した状態の間に起きるものが良く知られている。一方対称性の破れを妨げるような量子力学的なゆらぎの効果が顕著になるときには、相転移は絶対零度において量子ゆらぎによって駆動されるものと捉えることができる。これを量子相転移とよぶが、連続的な量子相転移点―量子臨界点―近傍の物理に対して、近年活発な研究が展開されるようになった。

なかでも遍歴電子系に生じる量子臨界点は、本来の臨界ゆらぎとフェルミ縮退に伴う低エネルギー励起がカップルして、通常の準粒子が従うフェルミ液体的な性格や古典相転移では説明できない新しい物理が生み出され、新奇な量子相や非従来型の超伝導の発現の宝庫となり、基礎・応用の両方の観点から広範な研究対象となっている。量子臨界点近傍での非フェルミ液体的挙動を説明する従来の理論としては、守谷・Hertz・Millisらによって提唱されている、スピンゆらぎ理論がある。この理論はいくつかの物質の非フェルミ液体的挙動を説明することに成功し、幅広く用いられている。しかし、近年の実験で、この従来の理論では説明できない非従来型の量子臨界性が数多くの物質で発見され、量子臨界現象を統一的に理解するためには、新しい視点が必要なことを示している。

本論文では、強相関物質で観測されている非従来型の量子臨界性や物性を説明するために、今まで十分な注意が払われてこなかった系のフェルミ面のトポロジーの変化が果たす役割に焦点を当てた。トポロジーの変化と深く絡み合って、新しい型の量子相転移や、新奇な量子相が生み出され、これが謎を解明する鍵になり得ることを提案している。

構成は、導入部に続いて、リフシッツ転移と電子間相互作用の絡み合いによる新しい量子相転移機構を研究した第2章、モット転移近傍に生じる新しい量子相を提唱し、銅酸化物の物理を研究した第3章、まとめと議論の第4章からなり、全体として英文で4章および5つの補遺からなる。

第1章は導入部である。申請者の独自の視点であるフェルミ面のトポロジーの変化と電子間相互作用(電子相関)の絡み合いから、従来の謎を解明する理論を構築することが本節で予告される。

§1.2では1960年にリフシッツによって提唱されたリフシッツ転移について実験、理論両面から今までの研究がレビューされている。また、§1.3は低ドープ域の銅酸化物に見られる非フェルミ液体的な物性とフェルミ面の構造やトポロジーの特異性について、実験事実を紹介し、さらに§1.4は1.3の実験事実を踏まえた上で、ドープされたモット絶縁体に生じうるフェルミ面のトポロジー変化を理論的に理解するための申請者の視点と研究動機がまとめられている。

第2章は申請者が提唱するリフシッツ転移の理論に充てられている。リフシッツ転移は結晶の周期ポテンシャルのもとで、電子相関のない自由フェルミ粒子系に生じる転移であり、自発的な対称性の破れとは無関係なフェルミ面のトポロジーの変化だけから生じる。申請者はこの従来のリフシッツ転移が電子相関によって大きな変更を受け、(1)連続相転移である(2)絶対零度のみで生じるというこの転移の基本性格そのものが変更されることを明らかにした。また、本来対称性の破れとは無縁であったリフシッツ転移が、電子相関の効果のために有限温度の臨界点では対称性の破れと同じ性格を持つという、予想外の顕著な基本性質を申請者は明らかにした。さらに臨界温度が絶対零度を横切る量子臨界点-マージナルな量子臨界点-は従来知られていなかった普遍性を持つことを申請者はリフシッツ転移について初めて示した。また量子臨界点からさらに絶対零度で量子臨界線が延びるという特異な性格がトポロジーの変化の反映であり、自発的対称性の破れでは起きない特徴であることを示した。本論文ではさらに特異な量子臨界性の特徴がZrZn2の弱強磁性転移近傍に見られる顕著な特徴を説明することを示した。また本論文の理論を実証するために、磁場と圧力を制御したZrZn2においてマージナル量子臨界点や量子臨界線を同定検証する実験を提案している。

第3章はドープされた2次元モット絶縁体の基礎物理を再考し、低ドープ域の銅酸化物の物性を再吟味して新たな物理を提案したものである。特に本論文ではKotliarとRuckensteinが提唱したスレーブボソンによる平均場近似を拡張し、低エネルギー領域(フェルミレベルの近く)での電荷の揺らぎを従来の平均場近似を超えて取り入れる手法を開発した。この定式化に基づいた数値計算の結果、低ドープ域での電子励起(準粒子励起)とスレーブボソン理論を担う空のサイトや二重占有サイトを表現する励起(それぞれホロン、ダブロンと呼ぶ)の複合した励起が、今まで知られていなかった複合フェルミオン励起として登場し、重要な役割を果たすことを明らかにした。本論文ではこの新奇な励起を考慮することによって、ドープされた2次元モット絶縁体や低ドープ域銅酸化物の物理が自然に理解できることを提案している。まず申請者はこの複合フェルミオン励起が準粒子励起と混成することによって、対称性の破れなしに、準粒子分散に混成ギャップを生み出し、フェルミ面のポケットが生じることも明らかにした。さらに準粒子のグリーン関数のゼロ面の影響で、ポケットはアークのような構造に見えることも示した。これらは角度分解光電子分光で観測されている銅酸化物の特徴をよく捉えている。本論文では定量的な比較によって、混成ギャップを実験で観測される擬ギャップと解釈し、フェルミアークの運動量依存性、ドーピング濃度依存性が実験結果と理論に基づく数値計算結果とよく一致することを明らかにした。

また、この複合フェルミオン励起が準粒子のペアリングに寄与し、新奇な超伝導メカニズムを生むことを提案している。新たなペアリング機構に基づいてギャップ方程式を解いた結果、銅酸化物の実験で得られるdx2(-y2)の対称性を持つ超伝導ギャップと定量的にもほぼ一致するようなギャップの大きさ、対称性、ドーピング濃度依存性を得た。複合フェルミオンは絶縁体的な混成ギャップと同時にペアリングも生み出しており、矛盾する二つの側面を統一的に理解できる道を開いている。未解決の銅酸化物高温超伝導機構を理解する上でも洞察を与え、大きなインパクトがある。

新たに提案された複合フェルミオン励起はまだ実験的には検証されていないものの、銅酸化物の実験で見られるいくつもの謎を自然に説明する独創的な理論提案として高く評価できる。本論文ではさらにこの複合フェルミオンを検証する実験として、Wiedeman-Franz則の破れと擬ギャップがブリルアンゾーン全面で開くs波的な対称性の構造を持つことの検証を提案した。これらは将来的に非占有部分の準粒子励起の構造や、低温で超伝導を抑制したときの輸送、熱伝導特性を観測することによって、帰趨を決めることができる。複合フェルミオン理論の正しさの実験検証に対して方向性と刺激を与えるものとして評価できる。

第4章は全体のまとめと今後の展望を含む議論に充てられている。

以上、山地洋平提出の本論文は、強相関電子系の物性を理解する上での困難な問題や謎に正面から取り組んだものである。特にフェルミ面のトポロジーとその変化が電子相関と絡み合うときに、リフシッツ転移やモット転移の近傍で新しいタイプの量子相転移と新しいタイプの量子相など、いくつもの新概念を提唱した点は高く評価できる。また、提唱した新しい機構を実験的に検証する方法も提案し、この分野の研究に新たな地平を切り開き、実験研究を刺激することが期待できる。

本論文で導入された新たな概念をもとに、さらなる発展によって、強相関電子系の未解明の問題である、高温超伝導や量子臨界現象などの特異な現象の最終的な解明に結びつくと期待され、物理学および物理工学への寄与は大きい。以上の成果について議論した結果、本論文審査委員会は全員一致で本研究が博士(工学)の学位論文として合格であると判定した。

なお本論文は三澤貴宏氏、および指導教員今田正俊との共同研究の部分があるが,論文提出者が主体となった計算、解析において、論文提出者の寄与が、学位授与に当たって、十分であることが認められた。

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