学位論文要旨



No 125445
著者(漢字) 前島,志保
著者(英字)
著者(カナ) マエシマ,シホ
標題(和) 『主婦之友』の時代 : 近代日本における出版・読書文化の大衆化と婦人雑誌
標題(洋)
報告番号 125445
報告番号 甲25445
学位授与日 2010.03.01
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第942号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 今橋,映子
 東京大学 名誉教授 竹内,信夫
 東京大学 教授 宮下,志朗
 東京大学 准教授 寺田,寅彦
 京都大学 准教授 佐藤,卓己
内容要旨 要旨を表示する

本論は、従来、出版史で周縁的な扱いをされてきた1910 年代から1930 年代(以下「戦間期」)の『主婦之友』(1917-2008 年)を中心とする大衆的婦人雑誌を、同時代の他の定期刊行物と対比しつつ分析し、出版の大衆化における意義を再考するものである。これはまた、男性知識人向け雑誌の考察に偏りがちであった雑誌出版史研究の姿勢を見直す試みでもある。本論はさらに、文学・文化研究で培われてきた分析手法をマスメディアのテクストに応用することで、表現史としてのメディア研究という新たな研究の可能性を示すことも目指している。また、こうした分析手法を駆使して、読者と記事表象の関係性の変化や、どのような「想像の共同体」としての「日本」イメージが誌面上で提示されていたのかも考察する。

冒頭の二つの章から成る第一部では、明治後期以降日中戦争が長期化し国民精神総動員運動が行われる1937 年までの様々な定期刊行物を精査し、あわせて同時代の新聞・雑誌に関する知識人による論説文を総ざらいし、出版物の大衆化現象を再考した。まず第一章では、婦人雑誌という雑誌ジャンルの見直しを行った。これにより、戦間期の大衆的な婦人雑誌が日本の出版界の大衆化を率先していたことが明らかになった。実際に大衆的な婦人雑誌が男性をも含む様々な層の人々に読まれていたということも確認された。つまり、明治末期以降の雑誌の性差化により出現した婦人雑誌が、「女性向けの雑誌」という体裁は維持しつつも、本来の読者層を超えた広範囲の人々にアピールするようになったのである。

第二章では、上記のような現象の出版史的意義を、その背景・余波と関連付けつつ、当時の雑誌に関する論考を分析することを通して、考察した。大衆的婦人雑誌の高い人気の背景には、出版界と関連業界の成熟、印刷技術の発展、識字率の向上など、様々な社会的要因があった。しかしそれだけではなく、雑誌に内在する理由もあった。すなわち、営業・編集手法・新技術の導入などあらゆる面において新機軸を打ち出し、生活に密着した情報と娯楽を重視した企画を誰もが楽しめるような形で安価に提供した、全く新しいタイプの雑誌だったからこそ、婦人雑誌は多くの人々の支持を得ることができたのである。この時代の限られた娯楽費や家庭生活文化への注目の高まりも、婦人雑誌の人気を後押しした。また、視覚表現が豊富で細切れかつ雑多な構成を持つこれらの雑誌は、「気晴らし」という新しい読書形態をももたらした。

婦人雑誌がここまで出版の大衆化の中心的な役割を果たした日本のような例は、当時、世界的に見ても稀であった。婦人雑誌が牽引した日本の出版・読書文化の大衆化は、近代に入って形作られた、男性知識人向けの総合雑誌を規範として頂点に置き女性・子供向け雑誌を底辺に据えたピラミッド型の出版・読書文化の秩序を根底から揺るがした。当時婦人雑誌がしきりに批判された理由は、おそらくここにあると考えられる。

第三、四、五、六章から成る第二部では、戦間期の様々な定期刊行物を雑誌の構成・営業・読者の組織化・表現手法の各分野における大衆化に注目しつつ調査・分析し、『主婦之友』をはじめとする大衆的婦人雑誌がいかなる点で従来の雑誌とは異なっていたのかを考察した。第三章では、これまで主婦向けの教訓的な実用雑誌としてみなされがちであった戦間期の『主婦之友』が、実は娯楽情報雑誌でもあったということを示した。婦人雑誌の大衆化に寄与していたのは、人物描写中心の記事構成、娯楽性と視覚性の重視、読者参加の促進、読者・寄稿家・記者の表面上の平等、誌面の記事・広告と連動した大々的なイベントやメディア・ミックスなどの手法であった。『主婦之友』が創始または発展させたこれらの編集・営業手法は、戦後の主な人気雑誌に受け継がれていった。

第四章では、『主婦之友』における雑誌共同体の形成について論じた。大衆的な婦人雑誌は、誌面内外の活動への読者の積極的な参加を促した。誌面上の読者同士および読者と雑誌編集部とのつながりは、各種ボランティア活動・読者同士の交流・他産業との連携によるイベントを通して誌面外にも進出した。これらの誌面外活動は誌面記事と密接に連動していたため、読者の現実の日常生活と誌面内容は直接的に結びついていった。また、これらの活動は愛読者以外の人々をも巻き込み、雑誌共同体の拡大にも寄与した。ただし、読者・専門寄稿家・編集者の間の一見平等な関係性は、実はそこにある不均衡を隠す演出にすぎなかった。

第五章では、20 世紀前半の婦人雑誌の文章的特徴について考察した。調査の結果、1905 年から1908 年前後にかけて、文体・記事形式・記事内容・読者層の各点において雑誌の性差化が生じていたことが明らかになった。この時期以降、口語敬体による実際の口頭談話を再現したかのような文章が、婦人雑誌の記事の特徴とされるようになっていった。ラジオ放送の開始はこの傾向を助長した。その中で、『主婦之友』は、誌面で紹介される「声」の主を、男性を含む広い層の人々に拡大した。読者は口頭談話再現的な臨場感あふれる文面を通して、そこに取り上げられる人々に親近感を抱くことが出来た。しかしながら、このような表現は、まさにその真実らしさによって、編集部の記事への介入を見えにくくしてしまってもいた。

第六章は、誌面の大衆化のもう一つの柱であった視覚表現の充実化について、『主婦之友』の例を中心に論じた。1921 年に早くも写真部を設置した主婦之友社は、写真館や通信社に頼らず独自の写真画像を大量に使用することで、それまで附録的な存在であった口絵写真欄を画報欄にまで拡大・発展させた。これとともに、本文記事欄にも多数の写真を挿入して、従来の雑誌に特徴的であった口絵欄と本文欄の二部構成、および、一般雑誌と画報誌の区別の双方を脱構築し、「見る」雑誌としての様相を強めていった。

『主婦之友』は、写真画像のレイアウトと、写真と文章の組み合わせ方にも新風をもたらした。1920 年代半ばまでの雑誌写真記事は、基本的に、一つの写真画像と一まとまりの短い文章で完結しており、写真表現・レイアウト・添付文章の特徴の各点において、非常に静的かつ説明的なものであった。この形式は、前の時代の錦絵新聞や事件絵葉書の伝統を汲んでいた。他方、『主婦之友』は、複数の写真画像を主に時間軸に沿って配列することで時間の流れ(シークエンス)を表現し、これをあらゆる内容に関わる写真記事に応用していった。また、ストレート写真によるスナップ、紙面一杯に写真画像を掲載する「断ち切り」の手法、写真画像の表象世界内部の人物から発せられた発話を主とする文章が、多用された。これらの臨場感あふれる表現手法により、写真や文章の媒介性は抑えられ、読者の記事表象世界に対する心理的距離は縮められた。調査から、この音声付動画の二次元上の再現のような写真記事の開発にあたって、編集部側がテレビ放送を意識していたことも、判明した。

最後の二章から成る第三部では、『主婦之友』の報道的な文章記事(「訪問(探訪)記事」)と報道的な写真記事(「生活(探訪)画報」)における表現と表象を分析した。第七章では、様々な種類の報道的な記事の表現と効果、およびその成立の背景について考察した。1910 年代後半以降、大衆的な婦人雑誌は、報道的な記事の取材対象を有名人から庶民層にまで拡大した。これは、一方では、同時代に発展しつつあったルポルタージュを日常生活の報道にまで適用したことにつながり、他方では、庶民生活やそこでの感慨を平易な口語体で描き出すことを推奨した明治期以降の各種文章啓蒙運動と呼応していた。また、戦間期は、写真・文芸・映画の各界において庶民生活への注目が高まっていた時代でもあった。「訪問(探訪)記事」もこうした表現の系譜に属すると言える。これらの要因に加えて、口頭談話再現的な文体と挿絵・写真など臨場感ある表現の普及、写真関連機器・印刷技術の向上、写真の社会的重要性への関心の高まり、他者の日常生活に対する読者の好奇心と自分の生活を他者に知ってもらいたいという欲求、読者の暮らしぶりを伝え独自の雑誌写真表現を開発したいという制作者側の狙いなど、諸々の要因の交錯点に「生活(探訪)画報」は成立していたと考えられる。これは、日常生活や写真を用いた報道への関心の高まりという点では、同時代の欧米の状況も日本と共通していた。

第八章では、主に日本の版図内に住む人々の暮らしぶりを紹介していた「生活(探訪)画報」の表現の特質とその意義について論じた。「生活(探訪)画報」に用いられた表現手法(写真画像・その配列・添付された文章)の広がりは、特集対象者に対して読者の臨場感と親近感を促すタイプのものと、特集対象を観察・分析する立場に読者を立たせる類の表現を用いているものとの二つを両極に据えた、スペクトラムとして捉えることができる。「親密さ」の度合いの暗黙裡の基準となっていたのは、近代的であるか否かであった。これによって、日本国民の内部に存する不均一性と序列化(位階構造)の描写を出来る限り抑え、日本国民の多様性を示しつつも国民としての統一性をも強調することが可能となっていた。さらに、日本人の非日本人日本国民に対する優位性と西洋人との対等性をも示唆することができた。

以上のように、日本の出版・読書文化の大衆化において、『主婦之友』をはじめとする人気婦人雑誌は大きな役割を果たしていた。これらの雑誌は臨場感あふれる文章・視覚表現によって娯楽性に富んだ多彩な記事を読者に提供した。そしてそれは、多様性を内包した近代国家としての日本のイメージの形成・流布にも関わっていたのである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文「『主婦之友』の時代―近代日本における出版・読書文化の大衆化と婦人雑誌」は、従来、出版史で周縁的な扱いをされてきた1910年代から1930年代の『主婦之友』(編集長・石川武美、1917-2008年)を中心とする大衆的婦人雑誌を、同時代の他の定期刊行物と対比しつつ分析し、出版の大衆化における意義を再考するものである。

婦人雑誌に関する学術研究はこれまで全く手薄であっただけに、男性知識人向け雑誌の考察に偏りがちであった雑誌出版史研究の姿勢を見直す壮大な試みでもある。本論文の基盤には、雑誌全巻閲覧という容易でない作業を行う中から、『主婦之友』およびその周辺分野に関する膨大な資料群を発掘し、緻密なかたちで作成された資料集がある。一次資料の徹底的渉猟の中から新事実を多く掘り起こす一方で、文学・文化研究の理論や分析手法を、マスメディアのテクストに適切なかたちで応用することで、比較文化研究の裾野を広げ、表現史としてのメディア研究という、新たな研究の可能性を示すことにも成功している。

本論は全体が三部で構成され、大正・昭和期における雑誌研究の問題点の検討から、『主婦之友』自体のテクスト分析、そして特に「生活(探訪)記事」という用語で前島氏が分類する報道記事の意味する問題へと、次第にフォーカスしていくかたちを取っている。

冒頭の第一部(第1, 2章)では、明治後期から1937年までの様々な定期刊行物を精査し、あわせて同時代の新聞・雑誌に関する知識人による論説文を総ざらいし、出版物の大衆化現象を再考している。これにより、戦間期の大衆的な婦人雑誌が、日本の出版界の大衆化を率先していたことが明らかになった。特に本論の大きな成果は、大衆的な婦人雑誌が、実は男性をも含む様々な層の人々に読まれていたということが、実証されたことにある。つまり、明治末期以降の雑誌の性差化により出現した婦人雑誌が、「女性向けの雑誌」という体裁は維持しつつも、本来の読者層を超えた広範囲の人々にアピールするようになったのである。

次に第二部(第3~6章)は、雑誌『主婦之友』自体を、多様な側面から分析する本論文の要となる部分である。第3、第4章においてはまず、この婦人雑誌が大衆化に寄与した要因――人物描写中心の記事構成、娯楽性と視覚性の重視、読者参加の促進、読者・寄稿家・記者の表面上の平等性の演出、誌面の記事・広告と連動した大々的なイベントやメディア・ミックスなどの手法などが明かされる。第5章では文学理論を援用しながら、20世紀前半の婦人雑誌の文章的特徴について考察している。本論での調査の結果、1905年から1908年前後にかけて、文体・記事形式・記事内容・読者層の各点において雑誌の性差化が生じていたことが明らかになったが、ちょうどこの時期以降、口語敬体による実際の口頭談話を再現したかのような文章が、婦人雑誌の記事の特徴とされるようになっていく。ラジオ放送の開始はこの傾向を助長した。その中で、『主婦之友』は、誌面で紹介される「声」の主を、男性を含む広い層の人々に拡大した。読者は口頭談話再現的な臨場感あふれる文面を通して、そこに取り上げられる人々に親近感を抱くことが出来たのである。

続く第6章では、誌面の大衆化のもう一つの柱であった視覚表現の充実化について、特に写真とテクストとの関係を中心に論じている。1921年に早くも写真部を設置した主婦之友社は、写真館や通信社に頼らず独自の写真画像を大量に使用することで、それまで附録的な存在であった口絵写真欄を画報欄にまで拡大・発展させた。これとともに、本文記事欄にも多数の写真を挿入して、従来の雑誌に特徴的であった口絵欄と本文欄の二部構成、および、一般雑誌と画報誌の区別の双方を脱構築し、「見る」雑誌としての様相を強めていった。大衆婦人雑誌における写真表象の問題については、欧米を含め先行研究が少なく、その意味でも本論は重要な成果を挙げている。

さて最後の第三部(第7,8章)では、『主婦之友』の報道的な文章記事(「訪問(探訪)記事」)と報道的な写真記事(「生活(探訪)画報」)における表現と表象を分析する。口頭談話再現的な文体と挿絵・写真など臨場感ある表現の普及、写真の社会的重要性への関心の高まり、他者の日常生活に対する読者の好奇心と、自分の生活を他者に知ってもらいたいという欲求、読者の暮らしぶりを伝え独自の雑誌写真表現を開発したいという制作者側の狙いなど、諸々の要因の交錯点に、これらの探訪記事あるいは探訪画報は成立していたと考えられる。最終章ではその記事内容が、植民地住民にまで及ぶ事実を詳細に追いながら、「想像の共同体」としての「日本」がいかに大衆婦人雑誌において編制されていったのかについても論及している。

審査会ではまず一致して、本論文における資料博捜の意義、綿密な資料集作成に投じられたエネルギー、非常に長大な本文量にもかかわらず大変明快な日本語の叙述に、高い評価が寄せられた。またそこから導き出された観察と分析が極めて説得力のある点も評価される。これまで欧米でさえもまだ実績の少ない大衆婦人雑誌研究に、最初の一歩を拓く研究とも言えよう。

ただし今後これを公にしていく際には、やはりあまりに分量の多い本文の中で、時に見られる反復的説明や、理論的背景のやや過剰な叙述などを削る必要性があるという指摘がなされた。また特に専門的雑誌研究の視点からすると、本論文の分析対象を1917-1937年にあえて絞るという根拠をより明確にする必要、雑誌における文字や写真のみならず広告等のより詳細な分析が加えられると望ましい、という意見もあった。一方で石川武美という雑誌主宰者と大正・昭和期のキリスト教的共同体意識についての論及が必要なこと、さらに本論文の結論部分に、「想像の共同体」に帰着するような表象分析を置くことの意義についての質疑もあった。

しかし以上の指摘は、あくまでも今後の進展へのさらなる希望として語られたものであり、本論文の価値を損なうものでないことも確認された。

以上の審査結果を踏まえて、本審査委員会は全会一致で、本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいと認定する。

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