学位論文要旨



No 125446
著者(漢字) 陸,晩霞
著者(英字)
著者(カナ) リク,バンカ
標題(和) 遁世文学の研究 : 中世知識人の三教融合思想と表現世界
標題(洋)
報告番号 125446
報告番号 甲25446
学位授与日 2010.03.01
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第943号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三角,洋一
 東京大学 教授 黒住,真
 東京大学 准教授 齋藤,希史
 東京大学 准教授 櫻井,英治
 立教大学 教授 小峯,和明
内容要旨 要旨を表示する

中世鎌倉期は遁世者が輩出する時代であった。その間に生まれた『方丈記』や『徒然草』は遁世者の手になる作品として従来「隠者文学」と称されてきた。一方、同じく遁世者の著述である『沙石集』は前二書とそれぞれ影響関係を有していながらも、「隠者文学」の名を持たない。何故であろうか。隠者文学という用語の限界のほかに、遁世者による文学の共通性が見逃されてきたことが一因であろう。

本論文は『方丈記』『発心集』『沙石集』『徒然草』『閑居友』『撰集抄』などを考察の対象とする。これらの作品は、必ずしもすべて同じジャンルではないが、作者が遁世者だったり、遁世者の生き方を記述したりして、遁世についての深い思索を物語っている点では共通している。いずれも「遁世文学」と呼ばれるに相応しい。よって、本論文は伝統ある隠者文学の概念を踏襲せず、ジャンル分けの壁を突き破った遁世文学という題名のもとで諸作品に表現されている遁世の意味を追求し、その上で、遁世文学とは如何なるものであったかを、作者の思想構造と表現世界を通して解明を試みる。

ただ、一口に遁世者といっても、中世の特殊な事情により、官僧の身分から脱却して再出家した遁世僧と、出家入道して遁世した者との二種類に分けられる。前記『沙石集』と『閑居友』の作者らは前者の遁世僧に属し、鴨長明・兼好らは後者の入道遁世者に当たる。

松尾剛次『鎌倉新仏教の誕生』によると、遁世僧は穢れ忌避・鎮護国家の祈祷への参加などの特権と制約から自由になるために、官僧の体系から離脱して、悩める個人の救済を己の修行の目的として農村や都市にいる信者の間に交わり、同じ信念を持つ遁世僧同士と共に鎌倉新仏教の担い手となったという。要するに彼らは孤独な修行者ではなかった。

一方、入道から遁世した者には、もっぱら己一人の往生を念じて仏道修行に精進する傾向が強い。彼らは山林や市井に身を潜め何人にも知られず孤独な修行を続けるのである。ところが注意すべきは、この遁世のあり方は実は仏教説話の世界に多く見られ、玄賓・増賀の如く官僧から転身した遁世者にも当てはまることである。名聞利養の束縛から逃れ精神的に自由になるためには、再出家した場合とそうでない場合を問わず、遁世者は人里を離れた深山遠谷に逃げ込み、市中にいても隠徳・佯狂して己独りの精神的な孤島を作ることによって、孤独境に心を澄まし、臨終正念の準備を整えるのである。彼らの遁世は他者の救済より自己の往生を優先しているといえる。

本論文で取り上げた遁世者の多くは文学作品に基づくもので、やや自己救済型に偏っているが、中世の遁世者の共通的な特徴として次のような点が抽出できるのではなかろうか。すなわち、作中の遁世者はすべて「澄心」という主題をめぐって造形されている。遁世者が究極的に目指すところは往生である。往生の前提は臨終正念であり、正念のためには心を澄ますのが重要であった。世を遁れて如何にして心を澄ますことができるかは遁世者たちにとって肝心な課題であった。そのため、儒教・仏教・老荘思想など様々な思想体系の中に己の信念と行動を支える根拠を求めつつ、僻地へ出奔する者、深山に閑居する者、市井で佯狂する者、数奇に耽溺する者が現われ、遁世文学を色彩豊かに彩っているのである。そこにうかがわれる遁世観は、実はその作者、中世の知識人たち自身の思想を反映するものだったと思う。

本論の部分は『方丈記』と鴨長明の世界、『沙石集』にみる無住道暁の思想、『徒然草』における遁世論、中世仏教説話における遁世という四編から構成される。

第一編では『方丈記』をはじめ、鴨長明の作品において遁世がどのように表現され、遁世者がどのような人物像として示されているかについて考察する。

第一章では兼明親王・慶滋保胤・白楽天の作品を取り上げ、『方丈記』における受容の問題を再考して、兼明親王ら三人から長明が受けた影響は文章表現を超えた思考方式ないし思想のレベルにも及んでいることを指摘した。とりわけ閑居文学の精神的基盤となる老荘思想を、『方丈記』においても大きな存在として捉え直すべきという問題を新たに提起した。

第二章は『方丈記』における老荘思想の位相について考える。作品における「魚」と「鳥」の出典考証、長明の養性意識、知足安分の思想および和漢混淆文で書かれた記の文体などを手掛かりとして、老荘思想と仏教的求道心が長明の中で調和していることを明らかにした。

第三章では、考察の対象が長明の見た遁世者たちへと移る。心の意味や登蓮法師説話について考察した結果、遁世観に関しては『発心集』は『方丈記』とほぼ地続きであることが分かった。『発心集』における澄心の問題は、中世の遁世者に共通する往生への志向に繋がっていることを浮き彫りにした。

第二編は『沙石集』を中心に、無住道暁の思想構造を解明しようとするものである。遁世の功徳を自覚し、遁世の在り方について妥協せぬ主張を持っていた無住の遁世観はどのようなものであったか、その形成にあずかった思想的な契機は何かを考える。

第一章では、『沙石集』から遁世についての発言を拾い集め、無住が理解した真の遁世は「世をも捨て世にも捨てられ」ることであり、遁世の形よりも遁世の心を重んじる遁世観を指摘した。無住が『発心集』以来の中世的な遁世観との間に共通点を見せつつ、清貧な閑居を強調し、遁世者による隠徳の行為を滅罪目的で理解し、澄心に繋がる和歌陀羅尼観をさらに本地垂迹思想で染め上げているなど、『沙石集』の特徴を明らかにした。

第二章では本地垂迹を説く方法を探ることによって、無住が道仏二教融合の結晶である和光同塵の論理と、儒仏道三教一致を示す三聖派遣説をよく理解し、縦横自在に活用して自らの本地垂迹思想を根拠づけていく軌跡を示した。

第三章では『宗鏡録』『景徳伝灯録』その他の唐宋時代の禅籍と、白楽天・蘇東坡など在家仏教を代表する文人居士に焦点を絞って、無住及びその著作に及ぼした影響を検討した。その結果、無住における平等的宥和的な儒仏道三教一致の思想は、唐宋禅仏教の影響に負うところが大きいこと、その遁世観とも内的に繋がっていることが明らかになった。

第三編は『徒然草』論である。作者兼好の遁世論にも、儒仏老荘の思想に基づくものがあることから、老荘思想の典籍、禅宗灯史の『景徳伝灯録』との関係に注目し、これらの書物が如何にして兼好の精神世界を充実させたかを考える。

第一章では、「貪」を戒め、「捨」を提唱し、「閑」の境地に生きることを強く勧める兼好の遁世観について分析し、『徒然草』における遁世は『摩訶止観』に依拠して中世の仏教説話と共有する部分も大きいが、死を嫌い醜を嫌う兼好の美意識に由来する独自性を浮かび上がらせた。

第二章では兼好における老荘思想を探る。第三八段において、仏道修行者に向かって説く名利放棄の論も、実は老荘思想的な文脈において展開されていることを示したほか、第二一七段の大福長者説話や作中における聖人の用法、政治意識その他について考察し、兼好の老荘哲学理解のあり方を三教融合の視座から捉え直すべきことを提起した。

第三章では兼好の禅思想を解明し、『徒然草』と『景徳伝灯録』の影響関係を検証した。第四一段の、賀茂の競馬を観る樹上の法師の人物造形には『伝灯録』巻四の鳥(〓)道林伝が、第二四三段の兼好父子の問答に禅問答の「如何是仏」がそれぞれ投影していることを指摘した。なお、周辺的な問題として、明恵・道元・無住と禅仏教の関係についても略述した。

第四編は中世における遁世者像を総合的かつ立体的に把握すべく、複数の仏教説話を対象として論じる。『発心集』『沙石集』のほか、慶政『閑居友』と西行仮託『撰集抄』も取り上げる。これらの書物に描かれた遁世者について横断的に比較することによって、中世人が持っていた遁世者の平均像が得られると思う。

第一章では、中世に至るまでの遁世の語義の変遷を考えた。文学作品における遁世には、俗人の出家入道、僧侶の再出家、古人の隠遁という三種の意味があったことを確認した。

第二章では、中世人が理想とする遁世は、「澄心」を目標に掲げての、山林幽谷における閑居、俗世間からの遁走、もしくは俗世間から見放される隠徳・佯狂であったことを示した。

第三章では、中世的な遁世者の理想像に及ぼした『摩訶止観』と高僧伝類の影響を考える。『摩訶止観』は仏道修行の前方便として閑居を、名聞利養の束縛を振りほどく手段として遁走と隠徳・佯狂を開示する。これらの教理が如何にして文学的に肉付けされ、その過程で叙事性と形象性に富む高僧伝類が如何に与っているかを分析し、中世仏教説話における遁世者像の形成の一端を明らかにした。

第四章では、中世的な遁世が後世の人の目にどのように映っているかを把握すべく、近世の文人僧深草元政が撰した『扶桑隠逸伝』について考察を加えた。同書で隠逸と呼ばれた人々には中世的な遁世者像が健在であることを確認し、近世的な遁世文学の特色を指摘した。

総じて遁世文学を手掛けた中世知識人たちの思想構造には、儒教・仏教・老荘思想が融合している特徴が顕著である。この複合的思想に見合うように、遁世文学の表現世界も豊かさを極める。造形された遁世者像は、おおむね仏教的メッセージ性が強いが、伝統的な隠者像と仏者像の間にある中間的な存在としても把捉できるように、内典外典を含む様々な文学作品の影響があってこそ生き生きと立ち上ってきたのである。これは遁世文学を成り立たせる最大の契機が「教理の文学化」にあることを物語っていると思う。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「遁世文学の研究――中世知識人の三教融合思想と表現世界」と題し、日本中世の遁世者自身が文学に表現した遁世観と遁世者像を考察したものである。序論と結論を挟んで四編から成っていて、考察の対象の中心となっているのはジャンルの枠を越えた、鴨長明入道の随筆『方丈記』、仏教説話集『発心集』、無住道暁の仏教説話集『沙石集』、兼好法師の随筆『徒然草』で、長明の歌論書『無名抄』や無住の仏教書『雑談集』を参照するのはもちろん、仏教説話集の慶政『閑居友』や西行仮托の『撰集抄』などをも援用する。

陸氏によれば、中世の遁世者によって担われてきた仏道が根底に横たわる文学を、旧来の「隠者文学」という用語で説明するのでは、中国の隠逸と比較するうえでも、日本の平安貴族における隠遁志向からの変遷をとらえるうえでも不適当であるという。これに対して、すでに歴史学でいわれている「遁世」は出家入道、官僧からの再出家を意味するので、たとえば鎌倉新仏教の祖師たちのことは遁世僧とし、中世の仏教的な文学の担い手を遁世者と呼び分けることで、広くかつ確かで有意義な視点に立つことができるというのである。

以下、順を追って内容を要約していくが、審査において高い評価を得たところに重点をおいてまとめてみる。第一編「『方丈記』と鴨長明の世界」では『方丈記』の先蹤作品を再考して、兼明親王「遠久良養生法」や白氏新楽府「杏為梁」の影響を発掘し、「記」の文体といいながら「居の文学」のテーマゆえ「賦」の修辞技巧を取り入れることが可能になったと説明する。

第二編「『沙石集』にみる無住道暁の思想」では、当代の遁世者を厳しく批判して清貧な閑居を説き、和光同塵すなわち本地垂迹思想・和歌陀羅尼観・三聖派遣説を指摘して、儒教道教仏教三教融合思想に裏付けられていると指摘する。また、テキストの付注の誤りや出典未詳箇所につき、『宗鏡録』や『景徳伝灯録』などから数多くの適切な本文の引用を指摘しているのも、データ・ベースが整備されつつある現況があるとはいえ大きな功績である。

第三編「『徒然草』における遁世論」においては、「捨つ」「貪る」の一対と「閑(しづか)」をキー・ワードとして取り出して、仏教でいわれる名利の否定につき、老荘思想にも由来するところがあると根拠を示して主張する。また、すでに『沙石集』にも現れているところであったが、鎌倉時代になってから本格化した中国宋の禅仏教の影響を見て、『徒然草』第四十一段の賀茂の競べ馬の話、第二百四十三段「仏はいかなる物にか候ふらん」について具体的に指摘した。

第四編「中世仏教説話における遁世」では遁世を再定義し、理想像として時代をはるかにさかのぼる玄賓と増賀(僧賀とも)が挙げられることを確認したうえで、遁世者の望みとして閑居があり、名利を振り払うための隠徳と佯狂の振る舞いをし、臨終正念により極楽に往生するためには心を澄ます澄心が欠かせない、という修行の一端が抽出される。このような修行生活を背後で支えているのが、教理としては天台の『摩訶止観』の二十五方便の第一具五縁(五縁を具えよ)であり、行動として具体的に描き出しているものとして『梁高僧伝』『唐高僧伝』などの高僧伝の類があったという。近世にまで時代が降ると遁世はどのように見られることになるのか、日蓮宗の深草元政の『扶桑隠逸伝』にさぐると、儒者の手になる他の隠逸伝とは異なって中世的な遁世者像をかなり承け継ぎつつも、再び東晋の陶淵明や宋の林和靖など中国の隠者への思慕のさまもうかがえるようになると、その変容を明らかにする。

陸氏はおもに老荘思想と禅仏教の浸透という観点から多くの典拠を新たに指摘して、三教融合思想の様態について考察してきたが、審査委員からは、その作業に性急なあまり儒教的な側面が手薄なのではないか、融合ということと思想という用語の点で論述がやや不徹底ではないか、また遁世文学の内包と外延はこの範囲にとどまるのか、もっと広げても有効なのか、澄心は仏道修行のどの段階にあたりどういう重みをもつのか、鋭い質問が出された。なお深く考察すべきところがないわけではないが、逆にこれらの指摘から浮かびあがるのは、本論文が個別研究にとどまらず、宗教や日中の比較文学比較文化の問題に踏みこんでいることをよく示している。その意味では、発展性のある適切なテーマに取り組んで、きわめて博覧で資料操作も手際よく優れていると、全員の意見が一致した。なお、日本語の文章として明解で読みやすく、誤字も皆無に等しいと感想を述べた委員が複数いたことも申し添える。

以上により、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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