学位論文要旨



No 125451
著者(漢字) 上原,直子
著者(英字)
著者(カナ) ウエハラ,ナオコ
標題(和) サトウキビのソース・シンク機能に及ぼす栽培環境要因の影響
標題(洋)
報告番号 125451
報告番号 甲25451
学位授与日 2010.03.02
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3484号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大杉,立
 東京大学 教授 杉山,信男
 帝京大学 教授 臼田,秀明
 東京大学 准教授 山岸,徹
 東京大学 准教授 佐々木,治人
内容要旨 要旨を表示する

サトウキビは節間にショ糖を蓄積するイネ科植物で,根にショ糖を蓄積するテンサイと並んで重要な糖料作物であり,世界の原料糖生産の60%を占めている.また近年はバイオエタノールの原料としても注目されており,世界での栽培面積は増加傾向にある.世界の単位面積収量は品種の改善,耐病性品種の作出や灌灘栽培の導入などにより1960年代はじめの50t ha-1から2007年の70t ha-1に40%上昇したが,日本では逆に1964年の78tha-1から2007年の68t ha-1と低下している.また,国内の主要な栽培地である沖縄県や鹿児島県では台風襲来などの気象災害や降雨量などの気象条件の影響を受けるため収穫量の年次変動が大きい.

サトウキビの糖収量は,バイオマス量と茎のショ糖濃度によって決定される.沖縄県ではサトウキビは基幹作物であり,近年,農家に対する取引基準がバイオマス量に相当する重量取引制度からショ糖濃度に相当する品質取引制度に移行し,農業の現場では高い茎中ショ糖濃度が求められている.また,気象災害への対策として収穫早期化・栽培期間短縮があげられ,今後の品種には茎中のショ糖濃度が早く最大値に達する性質が求められている.しかし,サトウキビの糖蓄積に関しては栄養ストレス,低温,水ストレスなどにより促進されることがわかっているが,ショ糖濃度が上昇する作用機構については不明な点が多い.また,バイオマス,ショ糖の基になる炭水化物のソース・シンク機能に関連してサトウキビの糖蓄積が論じられることは今まであまり無かった.

本研究は,サトウキビの収量や品質を構成するバイオマス量と茎中ショ糖濃度およびそれらを決定する要因であるソース・シンク機能について,栽培環境要因の及ぼす影響を炭素収支,炭素分配及び炭素代謝・糖蓄積関連酵素活性等の面から解析したものである.

1.過剰なカリウム施肥が成長および糖含量に及ぼす影響.

沖縄では過去の施肥履歴による土壌中へのカリウム蓄積,またその過剰カリウムに起因したサトウキビの糖収量低下が危惧されている.そこで過剰なカリウムがサトウキビの糖収量およびソース機能に及ぼす影響について解析するため,施肥カリウム濃度を変えてサトウキビを育成した.その結果,標準区である1K区(3mMK2SO4施肥)では,生育時期を通して茎中のカリウム濃度が2000ppm程度,葉内のカリウム含量が10mg g DW-1程度であったのに対し,施肥カリウム濃度を増加した10K,50K区(30,150mMK2SO4施肥)では,1K区よりも茎中のカリウム濃度,葉内のカリウム含量ともに増加していた.一方,施肥カリウム濃度上昇により葉内のマグネシウムやカルシウム含量は低下していた.

糖収量は過剰なカリウム施肥により減少したが,茎中のショ糖濃度には大きな変化は無く,主にバイオマス量にあたる茎長や茎生重が減少した結果であった.また,過剰なカリウム施肥により成長に利用され得る単糖の濃度には減少が見られ,炭水化物の総生産量が減少している可能性が示唆された.過剰なカリウム施肥により,ソース器官である葉身における呼吸速度にはあまり影響はみられなかったが,光合成速度は低下しており,単糖濃度の低下や茎長や茎生重の減少の原因はソース能力である光合成速度の低下によると考えられた.一方,茎中のショ糖濃度にはあまり変化が見られなかったことより,シンク側のショ糖蓄積に関する糖代謝機構には過剰なカリウム施肥による影響が少ないと考えられた.

光合成低下の原因としては,気孔の影響と葉内の炭素固定反応による影響が考えられるが,過剰なカリウム施肥により,RubisCO含量および気孔伝導度が低下していた.過剰なカリウム施肥により,葉内のマグネシウムやカルシウム含量が低下していたことから,マグネシウムの減少に起因してRubisCO含量およびクロロフィル含量が減少し,また,カルシウムの減少に起因して気孔伝導度が低下した可能性が考えられた.

2.低温処理が成長および糖含量に及ぼす影響.

生育中の温度条件は糖収量に大きく影響している可能性がある.そのため昼間または夜間の低温処理(低昼温処理,低夜温処理)を4週間行い,サトウキビ糖蓄積への低温による影響を炭素収支に着目して解析した.低温処理を行った植物は,処理の昼夜を問わず茎長および茎生重の増加が対照区に比べて有意に抑えられたが,反対に茎中のショ糖濃度は,対照区より有意に上昇した.低夜温区は対照区より茎生重が軽かったため,糖収量で見ると対照区と変わらなかったが,低昼温区では対照区よりショ糖濃度が67%高かったため,糖収量が20%有意に高くなった.

低温による夜間の呼吸抑制に起因する炭素収支の改善を想定した低夜温区では,低温処理に植物体が馴化した結果,昼間における光合成速度が低下し,その一方で夜間の呼吸速度が抑制されなかった.また,安定同位体13C付与2週間後の残存率が低夜温区で対照区より低かったことからも,低夜温区での炭素固定に対する消費の割合,すなわち,炭素収支は改善されなかった.一方,もともと炭素収支の悪化が想定された低昼温区では,低温馴化によってさらに夜間の呼吸速度が上昇し,13Cの残存率も対照区より低かったことから,炭素収支の悪化が再確認された.これらのことから,昼,夜間に関わらず,低温処理は炭素収支の悪化をもたらすことが明らかとなった.

新たに固定された炭素(13C)は,温度処理に関わらず約26%が茎の可溶性糖画分に分配されていた.その画分には,対照区では低温処理区に比べると,成長の基質である単糖(ブドウ糖および果糖)がより多く存在していたが,低温処理区ではショ糖がより多く存在していた.このことから,対照区では,新規の同化産物を茎においては成長の基質となり得るブドウ糖および果糖の形でより多く蓄積し,一方低温処理区では,ショ糖の形でより多く蓄積していると考えられた.

以上の結果から,昼・夜間わず低温によってサトウキビの茎中ショ糖濃度が上昇した原因は個体における炭素収支の改善ではなく,同化産物のショ糖への分配促進であることが示唆された.

3.低温処理が茎中の糖代謝関連酵素活性に及ぼす影響.

低温処理に伴う茎中ショ糖濃度の上昇は,炭素収支の改善によるものでなく,シンクにおける糖代謝の機能変化に起因することが示唆されたので,シンク活性に当たる糖蓄積関連の酵素活性へ及ぼす低温処理の影響について解析した.

ショ糖合成の鍵酵素であるSucrose Phosphate Synthase(SPS)活性は,低温処理によって低下することはあっても上昇することはなく,茎中のショ糖濃度との相関も見られなかった.また,Sucrose Synthase(SuSy)のショ糖合成活性は,低温処理に伴い低下し,茎中ショ糖濃度と負の相関が見られた.これらのことから,低温処理による茎中のショ糖濃度上昇にショ糖合成系の酵素は積極的には関与していないと考えられた.

一方,ショ糖分解に関連するinvertaseのうち,細胞間隙に存在するCell Wall bound Invertase(CWI),細胞質に存在するNeutral Invertase(NI),液胞内に存在するSoluble Acid Invertase(SAI)は反応温度による活性低下が見られた.Invertaseの中でも,NIおよびSAIについては反応温度に起因する以上の活性低下が見られ,特にSAIは酵素活性の温度反応曲線自体が大きく低下していた.更に,茎中のショ糖濃度とSAI活性の間には高い負の相関関係,また,単糖濃度と高い正の相関関係が得られた.ショ糖はSAIの局在する液胞に蓄積されるため,茎中ショ糖濃度上昇は主にSAIの活性低下によるショ糖分解抑制によることが示唆された.また低温処理によるSAI活性低下に起因して,ショ糖から成長に利用可能な単糖に変換する能力が弱まり茎成長が抑えられた可能性も示唆された.

以上より,土壌中のカリウム過剰は,サトウキビ植物体内のカリウム過剰だけでなく,副次的にマグネシウムやカルシウム含量低下を引き起こし,それに伴うソース機能の低下,糖収量低下を招くことが示唆された.また,生育中の低温処理によって茎中のショ糖濃度向上が見られるが,それはソース・シンクのバランスにからみた炭素収支の改善から生じるものではなく,シンク活性の変化によるものであり,特にSAI活性の低下に伴う糖代謝機能の変化によることが明らかとなった.これらの結果は,現在沖縄で見られる収量停滞の原因および糖蓄積の作用機構の解明並びに早期高糖性品種の育成に役立ち,今後のサトウキビ栽培に重要な情報を与えるものと考えられる.

審査要旨 要旨を表示する

サトウキビは世界の原料糖生産の60%を占めており、また近年はバイオエタノールの原料としても注目されている。世界の収量はここ30年余りで40%上昇したが、日本では逆に13%ほど低下している。また、国内の主要産地である沖縄県や鹿児島県では台風襲来などの気象災害や降雨量などの気象条件の影響を受けるため収穫量の年次変動が大きい。

サトウキビの糖収量は、バイオマス量と茎のショ糖濃度の積で決定されるが、沖縄県では高い茎中ショ糖濃度が求められている。また、気象災害への対策として収穫早期化・栽培期間短縮が可能な早期高糖性品種(茎中のショ糖濃度が早く最大値に達する)が求められている。しかし、サトウキビの茎中ショ糖濃度の決定機構については不明な点が多い。

本研究は、サトウキビの収量や品質を構成するバイオマス量と茎中ショ糖濃度およびそれらを決定する要因であるソース・シンク機能について、栽培環境要因の及ぼす影響を炭素収支、炭素分配及び炭素代謝・糖蓄積関連酵素活性等の面から解析したものである。

1.過剰なカリウム施肥が成長および糖含量に及ぼす影響。

沖縄では過去の施肥履歴による土壌中へのカリウム蓄積、またその過剰カリウムに起因したサトウキビの糖収量低下が危惧されている。そこで過剰なカリウムがサトウキビの糖収量およびソース機能に及ぼす影響について解析した。その結果、標準区である1K区(3mMK2SO4施肥)では、生育時期を通して茎中のカリウム濃度が2000ppm程度、葉内のカリウム含量が10mggDW-1程度であったのに対し、施肥カリウム濃度を増加した10K、50K区では、1K区よりも茎中のカリウム濃度、葉内のカリウム含量ともに増加していた。一方、施肥カリウム濃度上昇により葉内のマグネシウムやカルシウム含量は低下していた。

糖収量は過剰なカリウム施肥により減少したが、茎中のショ糖濃度には大きな変化は無く、主にバイオマス量にあたる茎長や茎生重が減少した結果であった。過剰なカリウム施肥により、ソース器官である葉身における光合成速度が低下しており、茎長や茎生重の減少の原因と考えられた。

光合成低下の原因としては、RubisCO含量および気孔伝導度が低下していたことから、過剰なカリウム施肥が葉内のマグネシウムやカルシウム含量を低下させ、それらに起因してRubisCO含量、気孔伝導度が低下した可能性が考えられた。

2.低温処理が成長および糖含量に及ぼす影響。

生育中の温度条件は糖収量に大きく影響している。そのため昼間または夜間の低温処理を4週間行い、サトウキビ糖蓄積への低温による影響を炭素収支に着目して解析した。低温処理を行った植物は、処理の昼夜を問わず茎長および茎生重の増加が対照区に比べて有意に抑えられたが、反対に茎中のショ糖濃度は有意に上昇した。その結果、低夜温区では糖収量は対照区と変わらなかったが、低昼温区では糖収量が20%有意に高くなった。

低夜温区では、昼間における光合成速度が低下し、その一方で夜間の呼吸速度が抑制されなかった。一方、低昼温区では、夜間の呼吸速度が上昇した。これらのことから、昼、夜間に関わらず、低温処理は炭素収支の悪化をもたらすことが明らかとなった。

新たに固定された炭素(13C)は、温度処理に関わらず約26%が茎の可溶性糖画分に分配されていた。その画分には、対照区では成長の基質である単糖(ブドウ糖および果糖)が多かったが、低温処理区ではショ糖がより多かった。

以上の結果から、昼・夜間わず低温によってサトウキビの茎中ショ糖濃度が上昇したが、その原因は個体における炭素収支の改善ではなく、同化産物のショ糖への分配促進であることが示唆された

3.低温処理が茎中の糖代謝関連酵素活性に及ぼす影響。

低温処理に伴う茎中ショ糖濃度の上昇の原因を探るため、シンク活性に当たる糖蓄積関連の酵素活性へ及ぼす低温処理の影響について解析した。

ショ糖合成の鍵酵素であるSucrose Phosphate Synthase活性およびSucrose Synthaseのショ糖合成活性は上昇せず、低温処理による茎中のショ糖濃度上昇にショ糖合成系の酵素は積極的には関与していないと考えられた。

一方、ショ糖分解に関連するinvertaseのうち、Cell Wall bound Invertase、Neutral Invertase、Soluble Acid Invertase(SAI)は反応温度による活性低下が見られた。特に、SAIは酵素活性の温度反応曲線自体が大きく低下していた。更に、SAI活性は茎中のショ糖濃度と高い負の相関関係、また、単糖濃度と高い正の相関関係が認められた。ショ糖はSAIの局在する液胞に蓄積されるため、茎中ショ糖濃度上昇は主にSAIの活性低下によるショ糖分解抑制によることが示唆された。

以上より、土壌中のカリウム過剰は、サトウキビ植物体内のカリウム過剰だけでなく、ソース機能の低下、糖収量低下を招くことが明らかとなった。また、生育中の低温処理によって茎中のショ糖濃度向上が見られるが、それはソース・シンクのバランスにからみた炭素収支の改善から生じるものではなく、シンク活性の変化によるものであり、特にSAI活性の低下に伴う糖代謝機能の変化によることが明らかとなった。

以上本論文は、サトウキビの収量、バイオマス量と茎中ショ糖濃度およびそれらを決定する要因であるソース・シンク機能について、カリウムおよび低温の及ぼす影響を炭素収支、炭素分配及び糖蓄積関連酵素活性等の面から解析したものである。これらの影響を生理的に解明して新たな知見を得、また、その結果がサトウキビ生産に関わる今後の肥培管理や新たな早期高糖性品種の育成に資するものと期待されることから、学術上、応用上貢献することが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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