学位論文要旨



No 125452
著者(漢字) 金,亮希
著者(英字)
著者(カナ) キム,ヤンヒ
標題(和) 韓日における墓地問題の展開と樹木葬の現代的意義
標題(洋)
報告番号 125452
報告番号 甲25452
学位授与日 2010.03.02
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3485号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 永田,信
 東京大学 教授 松本,武祝
 東京大学 教授 石橋,整司
 東京大学 准教授 古井戸,宏通
 秋田大学 准教授 高村,竜平
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、韓日における樹木葬の現代的意義について、韓国の1-1)マクロな視点の墓地問題の展開過程、1-2)ミクロな視点の事例研究、日本の2-1)マクロな視点の墓地問題の展開過程、2-2)ミクロな視点の事例研究、これらの四つを3)綜合比較分析を行い考察することを目的とする。

1-1)韓国における墓地問題の展開過程

(1)朝鮮時代における伝統的墓地の定着

朝鮮時代に国教であった儒教は朝鮮人の生活全般に深く係わるようになった。葬祭禮は朱子家禮を従い、祖先崇拝での「孝」の実践が強調された。また地中の良い生気を求め、子孫の繁栄を追及した隠宅風水は山林での墳墓設置を固着させた。1404年、階級によって墳墓歩数が限定されたが、1676年には、両班の墓山内に他人の墳墓設置が禁じられ、「青龍白虎」の内での禁養を前提に両班の墳墓守護権が制度的に認められた。以降、墳墓設置と禁養を口実に山林占有が加速化し、山訟が多発した。

(2)植民地期・解放後期における伝統的墓地の変容

日帝下植民地朝鮮における近代的山林所有権確立において、「国有林区分調査事業」及び「林野調査事業」を通じ、朝鮮時代からの墳墓設置を伴う禁養は私有林証明の根拠とされ「縁故林」として譲与された。さらに国有林内にある既存の墳墓は地上権の一種の利用権が認められた。

一方で日帝は1912年、共同墓地制度を導入すると共に山林での墳墓設置を禁じたが、1919年には自己所有地などで私設墓地設置が可能になった。その後、共同墓地と私設墓地の二つの体制で近代的墓地政策が進められた。

解放後、韓国戦争を経て、経済発展に伴う山林開発及び食料確保のため開墾が積極的に行われた。この土地の効率的利用から山林での墳墓は問題視された。

一方で高度経済成長と伴い都市部への人口流入、都市拡大により公設墓地の不足が深刻化し、1990年代から火葬奨励や納骨堂整備が進められた。

(3)2000以降における墓地改革

2000年以降は火葬奨励が国や市民団体などにより積極的に行われた。また墓地関連法律も全面改正され、墳墓面積が縮小制限され、墳墓設置期間が無期限から有期限になり、地上権の一種とされていた慣習法上の物権(=墳墓基地権)が廃止された。そして火葬場や納骨施設の確保・整備を主な目的とする「新葬墓政策」が展開された。2000年には33.7%であった火葬率は2008年には61.9%にまで増加し、公設納骨施設は急速に利用が増加した。

しかし一方で、火葬場や納骨施設の建設は地域住民の反対に遭い、その確保が困難となり、増加する火葬率に追いつかなくなった。また納骨施設の乱立が問題視され、新たな対策として自然葬に注目が集まった。その中でも特に樹木葬は山林破壊がなく、育林できるという事が強調され、墓地問題を解決してくれる有効な葬送方法とされた。2007年に自然葬制度が導入され、本格的に樹木葬が勧められている。

1-2)事例研究

2004年、韓国で最初に樹木葬地を造成したのは銀海寺である。宗教の制限はなく、樹木葬用の木は山林の既存の木から選択する。樹木葬地の面積は約165,000m2(木約600本)であり、管理期間は100年である。

一方で「そらの追慕公園」は樹木葬を健全に定着させるために山林庁が国有林で造成したモデル「樹木葬林」であり、韓国最初の国有樹木葬地である。

「樹木葬林」は制度上では山林であり、運営管理は山林組合に委任され、山林としての管理を徹底している。このように韓国での樹木葬は葬墓施設と山林の二つに区分される。

2-1)日本における墓地問題の展開過程

(1)江戸時代おける寺請制度

1612年江戸幕府によりキリスト禁教令が出され、1635年には全国的に「宗門改め」が行われた。1637年には島原の乱を契機に幕府はキリシタン弾圧に踏み切り、直轄領地の天領で寺請証文の作成の雛形が出された。寺請証文は寺院の檀家であることを証明するもので、寺請制度を成立させた。1671年には全国民を把握するための「宗門人別改」が実施され、寺院住職は戸籍係を担った。寺院は固定した檀家を把握でき、さらに墓石建立や三十仏事などを檀家に義務付けた。檀家は寺院の経営基盤となり、以降寺院は檀家制度を強化させた。

(2)墓地の国家管理政策(明治~戦前)

明治時代に入り、明治政府は「復古神道」を揚げ、祭政一致を主張しながら神道国教化のため神葬祭を推進、普及を試みた。1871年には「社寺上知令」が出され、社寺の現在の境内を除く外、朱印地・黒印地・除地などの旧領を上知させ、府藩県の管轄とした。また同年、「戸籍法」が制定され、「宗門人別改帳」及び寺請制度は廃止された。しかしキリシタン統制のためすでに全国的に普及していた仏教勢力との妥協が必要であり、神道国教化は挫折した。

一方で墓地政策において公衆衛生や都市計画の観点が加わるようになり、1884年には「墓地及埋葬取締規則」が制定され、近代的墓地制度が整えられた。以降墓地政策は公衆衛生と都市計画を根底に進められたことに限る。1948年には「墓地、埋葬などに関する法律」が制定され現在に至る。

(3)戦後における墓地の変容

戦後、高度経済成長期に入り、都市への人口流入が激しくなるにつれ、都市部において墓地不足が問題になった。公営墓地の提供には限界があったため、民間墓地に墓地需要の一任を委ね、民間墓地建設ラッシュが始まった。

一方で核家族化が進む中、出生率は急激に減少しつづけ、1989年には「1.57ショック」を経験した。2007年現在の出生率は1.34である。出生率の低下は家の連続性を揺るがし、継承を前提としていた墓の連続性も保障されなくなった。これは寺院墓地の経営基盤も揺るがした。このような状況で近年では死後においての自己表現が重視され、自然志向が結託し、1990年代には墓を否定する散骨までも「葬送の自由」を掲げ実施された。家や継承を前提としない墓が広がる中、1999年には里山保全の目的をも含む樹木葬が登場した。

2-2)事例研究

(1)事例紹介

知勝院の樹木葬墓地は日本最初であり、千坂峰氏により1999年11月に開始しされ、樹木葬のモデルになっている。里山保全のため、樹木は在来種に限定されている。墓地面積は26,673m2(4247区画)、使用料50万円で、2008年3月現在契約は1,406件である。

天徳寺の樹木葬墓地は関東最初であり、二神成尊氏の地域の環境保全の意識から2004年7月に開始された。里山保全及び地域活性化が目的である。地域農家と独占契約を結び、有機能米を樹木葬契約者に販売している。墓地面積は約5千m2(400区画)で、使用料は65万円、契約は2008年8月現在368件である。

一方で天徳寺の樹木葬墓地会員を対象に意識調査を行った。結果、会員は樹木葬墓地は里山保全や再生に貢献できるとの意識が確認された。

千の風みらい園は東京初の樹木葬墓地で、2006年8月に開設した。墓地面積は2,984m2(116区画)で、使用料は50万円、2008年11月現在77区画が契約された。樹木葬墓地は森林公園を目指し整備している。

町田いつみ浄苑「エンディングセンター桜葬」はNPO法人エンディングセンターが考案したもので、有志で会員が集まり造成したのが特徴である。

(2)樹木葬発展への制度的課題

現行法では樹木葬による里山保全が保障されなく、行政裁量で一般墓地と無分別な伐採や開発が起きる可能性は排除できない。1948年に制定された現行法は時代変化が反映されておらず、空洞化しているとの批判もあり、自然葬制度など新しい枠組を導入する法改正が必要である。

3)韓日における樹木葬の現代的意義

(1)日韓における樹木葬の比較

共通メリットとしては従来墓地より価格の面で経済的で、造成が容易であることが挙げられる。相違点としては韓国の場合、既存の木を使用するが、日本は樹木を新しく植える。さらに韓国の樹木葬はトップダウンの性格が強く、制度的にバックアップされる。私設や家族樹木葬が許される。また「樹木葬林」は葬墓施設でありながらも山林である。

一方で日本の樹木葬は社会変化に伴う自然発生的なものである。墓地として許可され、里山保全を目的とする樹木葬は行政裁量で図れる。

(2)墓地問題展開からみた樹木葬の現代的意義

韓国の墓地問題は、本来分離できないはずの山林所有と墓地利用の近代化において、実際には両者が分断され、しかも常に山林所有が優先された点に集約される。そのために伝統的墓地というものは因習として扱われるようになり、経済的発展上からも、土地の効率的利用からも好ましくないものになった。これは、韓国人に儒教思想を忘却させ、「樹木葬」=「親環境的」(=良い)かつ効率的なものとして受容させるという変化をもたらすまでにいたる。たしかに、過剰利用が問題視される韓国の山林において「新環境的」な「樹木葬」は一つの解決策の提示といえるかもしれないが、土地および山林資源の効率的利用の問題は依然として排除されている。そして自己所有地(=山林)を持っていない人々はいまだに墓地問題に悩まされる。「樹木葬」は植民地朝鮮における墓地設置と伴う禁養=私有林認定を思い出させるのである。

日本の墓地問題は家族制度に大きく影響された。墓地は、近世において家制度に縛られ、明治以降には行政の統制下におかれた。それが、戦後には家族の中での問題になったが、核家族化および少子化で伝統的家族構成が崩れると、個人の問題へと変化した。「樹木葬」は、表面的には里山保全を目的としているが、その背後には、個人の死後表現を可能にした伝統的家族構成の崩壊がある。

最後に、樹木葬は韓国と日本の近代的社会変化から現代的社会問題を現す新しい葬墓形態であるといえる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、韓日における樹木葬の現代的意義について、マクロな視点から墓地問題の展開過程を追い、ミクロな視点からの事例研究を組み込んだ総合的な比較分析を行った研究である。

1章では韓国における墓地問題の展開過程を朝鮮時代から現代まで制度を中心に分析した。まず朝鮮時代における伝統的墓地の定着に関して儒教と隠宅風水、また墳墓関連制度の三つの関連性に関して述べた。次に植民地期および解放後期における伝統的墓地の変容に関して近代的山林所有確定、土地利用と墓地制度を中心に分析した。植民地時代に墳墓設置=山林所有が定蒲していき、解放後、経済発展に伴う山林開発が積極的に行われ、山林における墳墓問題が顕在化した。最後に2000年以降における墓地政策改革について述べた。火葬奨励が国や市民団体などにより積極的に行われ、墓地制度が改正された。そして火葬率が急増する中、納骨施設の乱立が問題視され、新たな対策として樹木葬が登場し、2007年、制度的に導入され、本格化していることがわかった。

2章では韓国の樹木葬事例を最初の寺院樹木葬である銀海寺、国有林で造成した初の樹木葬林である「そらの追慕公園」について述べた。さらに樹木葬関連制度に関して分析し、その個人や家族樹木葬の申告制による山林での樹木舞乱立の可能性を指摘、現在の申告制を許可制に変更するなどの課題を明らかにした。

3章では日本における墓地問題の展開過程を江戸時代から現代まで制度を中心に述べた。江戸時代に、幕府によりキリスト禁教令が出され、「宗門改め」が行われ、寺請制度が成立し、檀家は寺院の経営基盤ともなった。明治時代に入り、政府は墓地を国家管理化に置こうとした。一方で墓地政策において公衆衛生や都市計画の観点が加わるようになり、「墓地及埋葬取締規則」が制定、1948年には「墓地、埋葬などに関する法律」が制定され現在に至っている。戦後、高度経済成長期に入り、核家族化が進む中、出生率は急減し、少子化の進展は家の連続性や継承を前提としていた墓の連続性をも揺るがすこととなった。このような状況で近年、家や継承を前提としない墓が広がり、自然志向が結びつき、里山保全の目的を含む樹木葬が登場した。

4章では日本最初の知勝院の樹木葬、関東初の天徳寺、東京初の「千の風みらい園」、有志で造成した最初の樹木葬である「エンディングセンター桜葬」について述べた。さらに、制度分析を行い、樹木葬事例と現制度との不具合を明らかにし、行政裁量で一般墓地と同様の許可基準が適用される現在の樹木葬許可は森林の無分別な伐採や開発が起きる可能性を排除できないことを指摘した。

5章では里山保全を目的とする樹木葬墓地に対して樹木葬契約者の意識調査に関して述べた。樹木葬契約者は女性が多く、主催者の意図する里山保全は、契約時ではなく、行事に参加する中で浸透していると思われた。

6章ではまず、韓日における樹木葬の比較分析を行い、制度面での相違点は、韓国の樹木葬はトップダウンの性格が強く、また「樹木葬林」は山林である一方で、日本の樹木弗は社会変化に伴う自然発生的なものであり、一般墓地として許可され、里山保全を目的とする樹木葬は行政裁量により設置されていることがわかった。韓国の墓地問題は、本来分離できない山林所有と墓地利用が、近代化の過程において両者が分断され、常に山林所有が優先された点に集約される。そのために伝統的墓地は因習として扱われ、経済的発展上および土地の効率的利用から好ましくないものになっていった。また火葬を本人の希望の尊重という形で儒教思想と親和させ、さらに樹木葬=「環境親和的」(=良い)かつ効率的なものとして受容されていった。一方、日本の墓地は、近世において檀家制度に縛られ、明治以降には行政の統制下におかれた。戦後は家族のなかでの問題になったが、核家族化および少子化で伝統的家族構成が崩れると、個人の問題へと変化した。樹木葬は表面的には里山保全を目的としているが、その背後には、個人の死後表現を可能にした伝統的家族構成の崩壊がある。

樹木葬の先行研究は事例紹介に留まっており、その歴史的背景や制度的分析が欠けていたためその実態を理解するのが困難であった。事例だけでなくさまざまな視点から樹木葬を分析した点に本論文の意義がある。さらに、韓国と日本の墓地問題の比較分析研究でもあるため比較文化研究に寄与するところが大きい。以上、本論文は韓国と日本の墓地問題、特に樹木葬を対象として、その展開過程を歴史的に明らかにし、現在の墓地問題の課題を探るなど、学術上かつ応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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