学位論文要旨



No 125453
著者(漢字) 柴田,泉
著者(英字)
著者(カナ) シバタ,イズミ
標題(和) TEMPO触媒酸化による再生セルロースの改質に関する研究
標題(洋)
報告番号 125453
報告番号 甲25453
学位授与日 2010.03.02
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3486号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 磯貝,明
 東京大学 教授 松本,雄二
 東京大学 准教授 和田,昌久
 東京大学 准教授 江前,敏晴
 東京大学 講師 横山,朝哉
内容要旨 要旨を表示する

生物材料は再生産性、安全性、および生分解性を有するため、現在の地球環境問題を背景に石油系合成高分子材料の代替品としての利用に関する研究が多く行われている。その生物材料の一つであるセルロースは地球上で最も多量に存在する有機物質であり、様々に改質され、新たな機能を付与した製品が広い分野で利用されている。セルロースの化学的な改質には誘導体化、酸化などが挙げられるが、従来の多くの方法では、用いる試薬の毒性、置換基分布の違いに起因する物性の変動などが問題となっている。

これに対してTEMPO(2,2,6,6-tetramethylpiperidine-1‐oxyl radical)触媒酸化法は、用いる試薬が安全であり、水系かつ温和な条件下(常温・常圧、弱アルカリ性下)での反応が可能である。また、一級水酸基を極めて高い選択性で酸化し、収率も高いことなど多くの利点を有する。TEMPO触媒酸化法をセルロースに適用した場合、出発物質であるセルロースの種類により、生成する物質の性質が異なる。木材漂白パルプやコットンリンター等の天然セルロース試料に適用した場合、繊維状態を維持したまま、ミクロフィブリルレベルでアルデヒド基、およびカルボキシル基を一定量導入することが可能である。一方、再生セルロースおよびマーセル化セルロースに適用した場合、セルロース分子のC6位の一級水酸基が高い選択性でカルボキシル基に酸化され、均一な化学構造を有する水溶性のβ-1,4ポリグルクロン酸ナトリウム(以下、セロウロン酸と略す)が定量的に得られる。また、セロウロン酸は生分解性さらに代謝性があることが明らかとなっている。

以上のようにTEMPO触媒酸化は酸化方法も生成物も環境に調和したものである。しかし、セロウロン酸はTEMPO触媒酸化中、何らかの副反応により低分子化する。また、通常得られた酸化生成物の分子量分布は少量の高分子画分および多量の低分子画分からなる二峰分布を示す。セロウロン酸は均一な化学構造を有するため、主な物性変動の要因は分子量と分子量分布であると考えられる。そのため、分子量制御ができればさらに広い分野で利用することが可能になると考えられる。本研究ではTEMPO触媒酸化により得られるセロウロン酸の分子量制御、及びセロウロン酸の分子量分布、分子量についての知見を得ることを目的とした。また、セロウロン酸を改質し、新規有用物質を得ることを試みた。

高分子量セロウロン酸の調製の検討

11種のニトロキシルラジカルによる再生セルロースの触媒酸化、および異なる分子量を有する数種の再生セルロースのTEMPO触媒酸化を行い、様々な分子量を有するセロウロン酸の調製を試みた。ほとんどの場合において、C6位の一級水酸基はカルボキシル基に酸化され、水溶性の生成物が得られた。しかし、全ての場合において、生成物の分子量分布は二峰分布を示した。生成物が完全に溶解するまでに要した時間は、用いたニトロキシルラジカルの種類により著しく異なった。また、得られた生成物の分子量分布における高分子画分と低分子画分の比率は用いたニトロキシルラジカルにより異なった。数種の再生セルロースのTEMPO触媒酸化で得られたセロウロン酸の分子量はDPwの値で約40~80の範囲にあり、分子量約413万の再生ホヤセルロースから調製した生成物も約2万(DPwの値で約100)にまで低分子化した。

セロウロン酸の分子量分布

高分子画分の比率が高かった4-amino-TEMPO触媒酸化を用いて調製したセロウロン酸を、多角度光散乱検出器を組み合わせたサイズ排除クロマトグラフィー(SEC-MALLS)により分析し、セロウロン酸のSEC溶出パターンが二峰分布を示す原因を調べた。SEC分析により確認されるセロウロン酸の二峰分布は、NaCIO2酸化処理およびNaBH4還元処理のいずれの処理後においても変化しなかった。このことより、セロウロン酸中の水酸基とTEMPO触媒酸化中に中間生成物としてセルロースのC6位に生成するアルデヒド基との分子間ヘミアセタール結合が、高分子画分の生成を引き起こす要因ではないことが示された。また、セロウロン酸試料中の高分子画分の質量比は、分別沈殿処理により増加し、セロウロン酸の高分子量画分をある程度濃縮できた。この分子量プロットは再現性があり、かつ分別沈殿処理前後においてほとんど変化しなかったことから、高分子画分の生成はセロウロン酸分子の物理的な凝集が要因ではないことが示された。また、0.1pmのメンブランファンフィルターでろ過した試料には高分子画分が確認されたが、0.02μmのメンブランフィルターでろ過した試料では高分子画分は確認されなかった。これらの結果から、高分子画分はセロウロン酸中に不完全な酸化残渣として存在するコロイド粒子によるものであると考えられる。

セロウロン酸の絶対分子量

SEC-MALLS分析により、本実験条件下でレーヨンより調製したセロウロン酸の正確なDPw値は36であるという結果を得た。このDPw値はカルボキシメチルセルロース、ヒドロキシプロピルセルロース、およびアルギン酸のものに比べて著しく低い値であった。これはTEMPO触媒酸化中でのセルロース鎖の顕著な解重合に起因するものであると考えられる。このDPw36という値は、再生セルロースの不均一系での希酸処理により得られるレベルオフDP値(約40)に近かったことより、この値はTEMPO触媒酸化に使用した再生セルロースの固体状態の構造または非晶領域の分布を反映していることが推測された。

TEMPO触媒酸化中のセロウロン酸の低分子化の要因

TEMPO触媒酸化中での生成物の低分子化を抑え、分子量制御ができるかを検討した。TEMPO触媒酸化はpH10・11のアルカリ性下での反応であり、セルロース中のC6位の水酸基はアルデヒド基を経由し、カルボキシル基に変換される。そのため、酸化生成物の低分子化はアルカリ性下でのβ-脱離反応が要因ではないかと推測されていた。しかし、その詳細についてこれまで検討されていなかった。

そこで、セロウロン酸をTEMPO触媒酸化で用いる試薬や条件を様々に組み合わせた系で処理し、それらの処理に対するセロウロン酸の安定性を検討した。セロウロン酸をpH11のアルカリ溶液で処理しても分子量はほとんど低下しなかったが、pH11条件下にてTEMPO触媒酸化で使用する全ての試薬の組み合わせ(NaCIO、NaBr、およびTEMPO)を用いて処理した場合には、分子量が著しく低下した。一方、pH9条件下で同じ試薬の組み合わせを用いてセロウロン酸を処理しても分子量はほとんど低下しなかった。

さらにセロウロン酸がTEMPO触媒酸化中に解重合する機構を検討するため、α,α-トレハロースおよびカードランをTEMPO触媒酸化した。α,α-トレハロースは還元性末端を持たないため、6位がカルボキシル基に変換されただけではアルカリには安定であると考えられる。しかし、α,α-トレハロースは過剰に酸化することにより分解した。二級水酸基の酸化に続くアルカリ条件下でのβ・脱離反応によりα,α-トレハロースが分解した可能性が考えられたため、二級水酸基がケトンに酸化されたとしてもアルカリには安定と考えられる1,3-グリコシド結合を有するカードランをTEMPO触媒酸化したところ、カードランもTEMPO触媒酸化により分子量が低下した。これらの結果から、アルカリ条件下でのβ一脱離反応はTEMPO触媒酸化中でのセロウロン酸の解重合の主要因ではないことが示された。

次にラジカル捕捉剤を使用したTEMPO触媒酸化を試み、TEMPO触媒酸化系内に発生するラジカル種によるセロウロン酸の解重合の可能性を検討した。本研究で得られた結果からは、各ラジカル捕捉剤を添加して得られたセロウロン酸のDPw値に一定の傾向は見いだせなかったため、ヒドロキシラジカルをはじめとするラジカル種がセロウロン酸の低分子化に寄与しているかどうかは解明できなかった。しかし、今回の検討により、スルファミン酸ナトリウムを添加した場合にセロウロン酸のDPwの増加に有効であることが確認できた。

セロウロン酸からヘキセンウロン酸基の調整

セロウロン酸の生分解性を検討する過程で粗酵素セルラーゼにより、セロウロン酸からヘキセンウロン酸基(4-deoxy-β-L-threo-hex-4-enopyranosyluronic acid)が生成しており、セロウロン酸はリアーゼ型で開裂していることが明らかとなった。ヘキセンウロン酸基は元々木材中に存在しないが、クラフト蒸解においてパルプ中に生成し、漂白試薬と反応するため、薬品の過剰消費の原因とされている。そのため、ヘキセンウロン酸と漂白剤との反応性の解明は重要な課題である。本研究では、セロウロン酸がβ-脱離反応を起こす可能性のある、粗酵素セルラーゼとアルカリ処理により、セロウロン酸からヘキセンウロン酸基を調製する条件の検討を行った。本実験条件下では、粗酵素セルラーゼ処理はアルカリ処理に比べて副反応が少なく、比較的高収率でヘキセンウロン酸基が生成した。45日間の粗酵素セルラーゼ処理後におけるヘキセンウロン酸基量は、全体の20~30%程度であった。ヘキセンウロン酸残基を高濃度で含む試料を分離できれば、ヘキセンウロン酸と漂白試薬との反応性を調べる有用な標品となることが考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

これまで、再生セルロースのTEMPO(2,2,6,6-tetrametylpiperidine-1-oxyl radical)触媒酸化反応により、セルロース分子のC6位の1級水酸基が高い選択性でカルボキシル基に酸化され、均一な化学構造を有する水溶性のβ-1,4ポリグルクロン酸ナトリウム(以下、セロウロン酸と略す)が定量的に得られることが明らかになり、得られたセロウロン酸は生分解性および生物代謝性があることが明らかとなっている。しかし、TEMPO触媒酸化反応中に何らかの副反応により得られるセロウロン酸の分子量は著しく小さくなってしまい、その分子量分布は高分子および低分子画分からなる二峰分布を示す。そこで本研究ではTEMPO触媒酸化により得られるセロウロン酸の分子量制御、およびセロウロン酸の分子量分布と分子量についての知見を得ること、更にセロウロン酸から新規有用物質を改質によって調製することを目的とした。

11種のニトロキシルラジカルによる触媒酸化、および異なる分子量を有する数種の再生セルロースのTEMPO触媒酸化を行い、得られたセロウロン酸の構造解析および分子量・分子量分布解析を行った。得られた水溶性の酸化物は、C6位の一級水酸基がほとんど全てカルボキシル基に酸化されたセロウロン酸の構造を有していた。しかし、全ての場合において、生成物の分子量分布は二峰分布を示した。酸化生成物が完全に溶媒である水に溶解するまでに要した時間は、用いたニトロキシルラジカルの種類により異なった。得られたセロウロン酸の重量平均重合度(DPw)は40~80であり、元の再生セルロースよりも著しく低分子化していた。

高分子画分の比率が高かった4-amino-TEMPOを用いて調製したセロウロン酸を、多角度光散乱検出器を組み合わせたサイズ排除クロマトグラフィー(SEC-MALLS)により分析した。その結果、0.1pmのメンブランフィルターでろ過した場合には高分子画分が検出されたが、0.02μmのメンブランフィルターでろ過した試料では高分子画分は消失した。これらの結果から、高分子画分はセロウロン酸中に存在する不完全な酸化残渣のコロイド粒子によるものであると結論できた。また、本実験条件下でレーヨンより調製したセロウロン酸の正確なDPw値は36であるという結果が得られた。この値は市販セルロースエーテル類に比べて著しく低い値であった。

セロウロン酸をTEMPO触媒酸化で用いる試薬や条件を様々に組み合わせた系で処理し、セロウロン酸の安定性を検討した。その結果、pH11条件下にてTEMPO触媒酸化で使用する全ての試薬の組み合わせ(NaCIO、NaBr、およびTEMPO)を用いて処理した場合には、分子量が著しく低下した。次にラジカル捕捉剤を使用したTEMPO触媒酸化を試みた。その結果、スルファミン酸を添加した場合にセロウロン酸のDPwの増加に有効であることが確認できた。

セロウロン酸の生分解性を検討する過程で粗酵素セルラーゼ処理により、セロウロン酸からヘキセンウロン酸基(4-deoxy-6-L-threo-hex-4-enopyranosyluronicacid)が生成しており、セロウロン酸はリアーゼ型で開裂していることが明らかとなった。ヘキセンウロン酸基は元々木材中に存在しないが、広葉樹材のクラフト蒸解過程においてグルクロノキシランから生成してパルプ中に残存し、漂白試薬と反応するため、薬品の過剰消費の原因とされている。そのため、ヘキセンウロン酸と漂白剤との反応性の解明は重要な課題である。そこで、セロウロン酸がβ-脱離反応を起こす可能性のある、粗酵素セルラーゼとアルカリ処理により、セロウロン酸からヘキセンウロン酸基を調製する条件の検討を行った。本実験条件下では、粗酵素セルラーゼ処理はアルカリ処理に比べて副反応が少なく、比較的高収率でヘキセンウロン酸基が生成した。45日間の粗酵素セルラーゼ処理後におけるヘキセンウロン酸基量は、全体の20~30%程度であった。ヘキセンウロン酸残基を高濃度で含む試料を分離できれば、ヘキセンウロン酸と漂白試薬との反応性を調べる有用な標品となることが考えられる。

以上のように、本研究によってTEMPO触媒酸化反応によるセロウロン酸生成過程における低分子化の機構、その制御方法に関する新しい知見を得ることができた。また、SEC-MALLS法によるセロウロン酸の絶対分子量、慣性半径などの分子鎖コンフォメーション解析法を確立した。これらの研究成果は、現在のTEMPO酸化セルロースナノファイバーの基礎および応用研究に結びつく、極めて有用な知見であり、学術的にも応用技術的にも貴重な成果を得ることができた。従って、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク